とてもつごうのよいぼくらは、
お手伝いは迅速に、ごほうびは欲深に。
がくぽは運んできた最後のダンボール箱を、すでに積んであったダンボール箱のいちばん上に置いた。
とはいえ、いちばん上でも、高さはがくぽのみぞおちあたりだ。背を屈めて膝や腰に負担をかけることもなく、あるいは背伸びして、足元が覚束なくなる危険性もない。
いうなら、今日、もっとも安全な作業。
だとしても、最後の箱を置くがくぽのしぐさはむしろ、もっともていねいで、逆に負荷をかけようとしているのではと疑うほど、ゆっくりだった。
結果、がくぽが最後の箱を取りに行った段階で八船-やつふね-が再想定したより、作業終了はきっかり三秒、伸びた。
いや、――
「終わりました、マスター」
ないのは感情だが、そのために生気のない、うつろと映る表情で、振り返ったがくぽが終了報告を上げる。
そう、より正確に規定するならだ。
作業の終了とは、作業者の終了報告をもって、判断する。となるとここまでで、再想定した作業時間に六秒のプラス。
ただし、だ。
「ありがとう、がくぽ!おかげで、思ってたより七分八秒もはやく、終わることができた!ね、七で、八だ。七転び八起きで、縁起もいい!さすがはがくぽだよ!!」
たとえ再想定した作業終了時間から六秒の遅れだとしても、当初想定した時間からは、七分八秒もはやく終わっている。
ゆえに八船には怒ったり不機嫌となったりする理由がなく、まったく逆で、ほめる一択――ほめる――
いや、ほめているほめている。
この疑問をがくぽが持ったかどうかは、わからない。かれの表情に感情が刷かれることはないし、がくぽがなにか返すより先に、別方向から反駁の声が上がったからだ。
「は?ナナハチ?ナナハチったら、七転八倒でしょ。てか、七転び八起きでも、おれはふっつーにゆるさんよ、マスター?がくぽ、八回起きたってことは、そのまえに、七回も転んだってことじゃん。さすがくないよ。七回もつっ転ぶような、がくぽにナニさせてんのさ、マスター」
部屋の扉口に立ち、逆になにかの恐怖が増すようなゆったりした口調でそう詰ったのは、カイトだ。胸当て部分がねこの顔になっているエプロンをつけている。
ねこの顔は戯画化され、どこかとぼけた風味を醸しており、それがどういうわけか、このカイトの威迫をむしろ増した。
なぜかこわい。
なにかはわからないが、わからないことが、わからないからこそ、おそろしい。
そういうわけで、後ろから声をかけられた八船はすこし、あまりしゃれでなく、一瞬、ほんとうに心臓が止まるくらい、驚いた。
完全に飛び上がりはしないものの、かかとは宙に浮いて、その勢いでターン、もとい、振り返る。
「ころばせてない!!」
死にもの狂い、しかし、よく考えると方向性がずれにずれてナナメな反論を、叫ぶ。
振り返った八船の後ろでは、がくぽがいつもと変わることなく冷静に、単にまるで感情の動きがないまま、こくりと頷いた。
「はい、カイト。がくぽは一度も起き上がっていません。七度どころか、一度も転んでいませんから」
カイトのマスターと同居人――あるいは情人――は、ともにボケ属性であり、ツッコミを知らなかった。
ただしいうなら、カイトもボケ属性であり、ツッコミは思い出したときしか知らなかった。
「そう?」
カイトはなにかひどく疑り深そうに眉をひそめ、扉口からじろじろとがくぽを見る。
「てか、終わった?なんか、雰囲気的に、そんなんだけど」
――じろじろ見たが、とくにいうべきことも見出さなかったらしい。
そう、さっくりと話題を進めたカイトに、一歩を踏みだしつつ、がくぽが頷いた。
「はい、カイト。たった今、終わりました」
「だから、それ!それが、さいしょに思ったより、七分八秒もはやくて」
「さんよりうえはいっぱいっ!」
八船どくとくの説明を、そのロイドはまるで容赦なく一刀両断、するどく断ち切った。
いや、もうすこし、詳細にいうべきだった。八船のロイドはふたりいる。がくぽとカイト。
カイトのまえに立ったところで、がくぽは八船を振り返った。感情が刷かれることがないために凍りつく花色の瞳が、なんの親しみもなく<マスター>を映す。
「マスター、ひとつ、訂正を。マスターの想定では七分八秒の短縮かもしれませんが、がくぽの計測では、短縮時間は五分九秒六三です。がくぽの設定終了時刻は、カイトがクッキーを焼き上げるまでですから」
告げて、がくぽはカイトへ顔を戻した。壮絶に恨みがましい目が迎えた。
「さんよりうえはいっぱい」
「…」
「さんよりうえは、いっぱいだ、がくぽ。はいっ!」
なにはともあれ、とりあえずのとにかくで今、がくぽに理解できたことといえば、だ。
カイトの不機嫌。
理由は定かでなく、対応も不明だが、わかっていればいいのはそれだけでもある。
ゆえに、もとより抵抗の文字が存在したことがないがくぽだが、今回もいっさいの抵抗なく、カイトが求めるまま、口を開いた。
「……………『三よりうえは、いっぱい』」
「うんよし。忘れるな、がくぽ。おれは三回いったからな。つまりこれは大事なこと以上の、真実ほんとうってことだから」
「『三よりうえはいっぱい』………」
がくぽの表情に感情が刷かれることはなく、揺らぎに過ぎることもなく、それでもなにか、釈然としないものを感じたらしい気配は漂った。
カイトはこまかいことに、かまわない。より正確には、かま『わ』ないのではなくかま『え』ないのだが、かまえないものはかまわないと、きっぱり割りきる潔い機種だ。
『気配が漂う』程度のことでは、箸にも棒にもかからない。
なにより今は、より以上に気にかかることがあった。
「なんにせよ、短縮だな?これだけの大荷物を?マスターにそんな根性、もとい、力があった記憶はないな。てことは、がくぽ」
常に湖面のように揺らぐカイトの瞳の、揺らぎがふっと、止まった。それだけのこと、ただ、湖面が静まり返ったというだけの、それだけで、みずうみは底が知れないほど深く、がくぽを映した。
がくぽは変わらない。いつもの通り、無感情に凍りつく花色を迎え撃たせた。
「カイト、がくぽはロイドなので」
「『神威がくぽ』はVOCALOIDだ」
みなまで聞くことなく、カイトは一刀両断、先よりさらに鋭利に、がくぽのことばを断ち切った。
「VOCALOIDの範囲は、うたって踊るまでだ」
感情が刷かれないために、血の通わないような、つめたい雰囲気を醸しがちながくぽとは違い、カイトの雰囲気は、誤解に醸されるものではなかった。はっきりと、うかつに触れれば肌を灼くほど、冷えきって、凍える。
そうやって、決して譲られることはないとわかるきびしさで線を引き、境界を示して刻みこみ、しかしすぐ、カイトの語調も表情もゆるんだ。
「でも、――『家族』だからな。生活のなかで協力しあうってのは、範囲だ。困っているなら、手伝う。それで、がくぽ?おまえ、『手伝った』のか?」
『手伝い』の範囲を逸脱し、やり過ぎてはいないかと。
訊かれて、がくぽは一度、口を噤んだ。開いて、噤んで、ようやく、開く。凍える花色の瞳は氷をうすくもせず、だからといって厚く張り直すこともなく、ますぐに見つめるカイトを受けた。
「はい、カイト。がくぽはマスターを手伝いました」
きっぱり答えて、はらはらと、両手を祈りのかたちに組んではらはらと、身を乗りだし気味にはらはら、がくぽとカイトとをはらはら交互に見比べる八船をちらり、見る。
つぎに、カイトへ視線を戻したとき、がくぽはさらに、身も乗りだした。立っていてもかまわず、伸しかかるように――カイトの腰に手を添え、添えた手で、ぐっと引き寄せた。
「手伝いの範囲です、カイト。がくぽはロイドで、器用で、力があって、マスターは人間で、不器用で、非力です。ですからぜんぶのうち、三分の二は、ロイドで、器用で、力のあるがくぽが運びました」
「それ…」
カイトはもしかしたら、反論しようとしたかもしれない。反論があるからではなく、がくぽに念を押すための。
けれどなんにせよ、カイトはなにも指摘できなかった。
がくぽは口調こそいつもと同じで感情もうすく、抑揚もないくせに、たたみかけるようにしてことばをつづけたからだ。
つまりだ。
「であるのになぜ、カイトはがくぽを褒めないのです?カイトはがくぽを褒めて、ごほうびをくれていいはずです。なにが不足で、カイトはがくぽを褒めず、ごほうびをくれないんです?」
うすい感情は、逆に重かった。
ない抑揚は、むしろ鎖のようにカイトを縛り上げた。
「ぅ、ぅおうー………」
たたみかけられたカイトは完全に圧倒され、意味もない声を上げるのが精いっぱいだ。
精いっぱいをふりしぼって、なんとか声を上げ、カイトはこきりとちいさく、首を傾げる。
「なに?なんだ?がくぽ、おまえ、おれにホメられたくて、がんばったってこと?おれからごほうび、もらいたくて…」
「がくぽはロイドで、がくぽに手伝いを頼んだのは<マスター>です。断る余地がありますか」
気弱に吐きだされるカイトのことばに、返されたがくぽの声は感情がうすく、抑揚もなく、いうなら零下、氷点下の声だった。
問いのかたちはとっていても、答えを求めているようすはない。
突き放すように告げたがくぽは、同じかそれ以上にかたく、深く凍りついた花色の瞳で、きつく抱えこむカイトを睥睨した。
「もちろん、ありませんよね?カイトの手伝いをしたときは95.66%の確率ですが、マスターの手伝いをしたときは97.89%の確率で、カイトはがくぽを褒めて、ごほうびをくれるんですから」
「さんよりうえはいっぱい!」
カイトはほとんど反射的に、ふるえあがって叫んだ。
叫んでから、ふるふると首を横に振る。
「ちがう!ちがわないけど、がくぽ!おれ、おまえのこと、いっぱい、あまやかしまくり過ぎだな?!おれのごほうびめあてなんだろ?!器用ブキヨウとか、力のあるなしとか、それもまあ、そうかもだけど!」
掬い上げた結論を叫んだカイトに、がくぽは表情に感情が刷かれないがためによけい、おもおもしく、頷いた。
「おかげでマスターを妨害したり、談合する必要もなく、楽にがくぽの実績をつくれました」
悪びれる気配もいっさいなく、威風堂々、いいきったがくぽに、いや、単にいつも通り、感情の揺らぎがないだけであるのだが、だとしてもこうなると、しゃれかジョークかと、笑い飛ばす余地もない。ずいぶん、力強く響くものだ。
「ぉう、マスター、危機一髪ジャマイカ…」
「あ、はい?不器用非力でよかった?です???」
伸しかかられてのけぞった姿勢まま、ちらりと視線をよこしてぼやいたカイトに、八船のほうは今ひとつ、話の流れが理解できていない顔で頷く。
「それよりカイト、とにかく…」
「あと五分でクッキーが焼けるんだ」
理解できていないものはこだわることなく横に置き、話をすすめようとした八船へ、がくぽへ視線を戻したカイトは断固とした口調で告げた。
「いくらオーヴンの火がかってに落ちるとしても、冷めるまで入れっぱなしになんかしといたら、せっかくのクッキーが、コゲる。だからあと五分して、オーヴンが止まったら、天板を出して…次の、第二陣の天板にはもう、タネが配置してあるから、入れ替わりでオーヴンに突っこんで、予熱なし/200度/15分にセットして、スタートボタン」
――カイトの顔はがくぽへ向いたし、だだをこねる子に、いかにも道理をいい聞かせるようすだ。
しかしよくよく聞けば、これはマスター:八船への指示だった。
自分はこれから、がくぽを甘やかすので手が離せなくなるから、つづきの作業をやっておいてという。
さきほどカイトは、自分で気づいて叫んでいたはずだ。がくぽのことを、いかになんでも甘やかし過ぎているのではないかと。
「ぇえと、……オーヴンが止まったら、天板、だして…次の天板を入れたら、予熱なし/200度/15分にセット→スタートボタン?」
「そう。下段な?」
「次の天板は、下段。予熱なし/200度/15分…」
八船はカイトの指示をぶつぶつと、くり返す。ぶつぶつくり返し、くり返して、うわのそらといったようすで、歩き始めた。向かう先はもちろん、キッチンだ。なんのためといって、カイトに指示されたとおり、ごほうびのクッキーを焼きに。焼き終わった天板を出したなら、入れ替わりで新しい天板をオーヴン下段にセット、予熱なし/200度/15分――
そのまえに、どこか、壁か柱か、あるいは扉かなにか、とにかくぶつかりそうだが。
立っていた以上は<マスター>であっても容赦なく使いだてしたカイトは、ようやくがくぽの首へ腕を回した。しかし向ける瞳にはすこしばかり、うらめしげな色がある。
「今日はジンジャー・クッキーなんだぞ?好きだろ、がくぽ。ごほうびだからと思って、がんばって焼いたんだ」
訴える声音に、がくぽがこころ動かされたようすはなかった。かわりなく、端然と、淡々と、永久凍土よりかたく、深く凍りついた花色の瞳が、揺らぐ湖面の瞳を受ける。
「ハニー・ジンジャーですか」
突き放すように、がくぽは訊いた。単に感情がうすく、抑揚がないだけなのだが、であるのにどうしてか、冷笑しているようにも聞こえる。
ちゅっと、そんながくぽのくちびるの端にくちびるを当てたカイトは、離れながらこくりと頷いた。
「そう。ハニー・ジンジャー」
肯定に、がくぽの揺らがない花色の瞳が、しかしちらりと、動いた。キッチン方面だ。キッチン方面を見て、部屋をぐるり、見て――
カイトに戻り、がくぽの手は腰から顎へ、固定先を変えた。
「焼きたてをいただきましょう。あと十五分ですね?では、カイト――」
「いや、だったら第一陣がもう焼k、待てがく、っ、まさかキスだけでじゅうごふっ」
ふるえあがって叫んだカイトだが、その腕はがくぽの首に回ったままだった。ためらいもなくおおいかかったがくぽのくちびるもまた、いっさいの抵抗を受けることはなかった。
すくなくとも、十五分間は。