広場の向こうからやって来たがくぽの、カイトと顔を合わせての第一声――
「カイト、カイトががくぽを甘やかすのは、がくぽが『かわいそう』だからですか」
とてもつごうのよいぼくらは、
すこし愛おしまれ過ぎる。
前ふりもなく投げられた問いに、カイトは揺らぐ瞳をさらに揺らがせ、きょとんしぱしぱ、しぱしぱきょとんと、がくぽを見返した。
「え、かゎ…?うんまあそうだな?おれがおまえを甘やかすのは、おまえがとにかく、てっぺん、かわいいからだな???」
――念のため振り返るが、がくぽの問いは『かわいそう』だ。『かわいい』ではない。
自分のことを憐れむがゆえに、慈悲心から、カイトは甘やかしてくれるのかと。
クエスチョン・マークを量産していることからもわかるように、カイトはがくぽの問いを聞き落としていた。ロイドであるのに?
その答えはいつでも決まっている。『ロイドかもしれないが、KAITOだ』。
顔を合わせたとたんの第一声、前ふりもなく急に問われれば、KAITOはだいたいのことを聞き落とす。これがたとえば<マスター>、絶対の上位者として登録されている相手だったとしてもだ。
KAITOは聞き落とす。
とはいえ、ある意味で答えが返っているとも評せるが、がくぽが求めた答えからは、微妙にずれていることもたしかだ。
感情を刷くことのない花色の瞳が、やはり感情を浮かべることはなく、硬く、深く凍りついたまま、見当違いをよこしたカイトを酷薄に見返した。
「カイト、違います。『かわいい』ではありません。がくぽは『かっこいい』でしょう」
「んぁあ?」
過ぎて冷たい声音とはいえ、当然の抗議を受けたカイトだ。当然――当然?
とにかく、問いに対する正しい答えではないという意味も含まないこともない抗議を受けたカイトだ。
返しのガラが悪かったのは、がくぽの抗議の方向性がまいごであることへの反発ではない。
すこし、うわのそらだったからだ。目の前で厳重抗議する『てっぺんかわいい』がくぽより、すこし、すこしだけ、気を取られたことがあった。
そのせいなのだが、
「まあ、日によってはな?時とか、場合とか?なんか、そういった系の条件が、うまくキまるってか、ハマればな…『かっこいい』ってことも、ないこた、ないけど」
――だいたい、こう返すまで、カイトはうわのそらだった。うわのそらのままだったので隠すべき本音もとい、ひどく曖昧に、わりとひどいことを返した。
だからといって、がくぽの凍りついた表情が小ゆるぎとて、することはないのだが。
そんながくぽへ、カイトはここでようやくまともに目を向けた。ことりと、首を傾げる。
ことり、落とすように首を傾げ、ことさらがくぽを覗きこむような、下から目線となって、にっこり、笑う。
「それで、がくぽ?おまえ今、どこのだれに、なんて、いぢめられてきた?ちょっと『おにーさん』に、ツゲグチしてごらん?」
やわらかに、甘い声音だった。とろけるハチミツにも似た。
が、よく知られるように、蜂蜜には毒が潜む。ほんのわずか、微量だが、ときにはひとを殺し得るほどの。
ひたひたとこぼされたカイトの今の声の甘さは、ひたひた、冷えきりながら、灼けるような毒のそれに近かった。
とてもかんたんに表現するなら、たいそうなお怒りの。
うかべるのは笑みなのだが、牙を剥きだした威嚇のほうが、きっと近い。
もちろん、がくぽへ向けた威嚇ではない。とはいえ今、目の前にいて、対峙しているのはがくぽでもある。
だからと、がくぽが小ゆるぎとてすることはない。より正確には、小ゆるぎとてできないのが、がくぽなのだが。
ゆえに、『かわいそう』であると――
「がくぽは、いじめられたのですか」
「ちがうのか?」
うろにも似た瞳で返された問いに、カイトもまた、問いを返した。返したが、今度の問いはがくぽの答えを待つものでは、まだなかった。
重ねに重なる問いに構わず、カイトはことりと首を傾げたまま、ぴくりとも動かない笑顔で続ける。
「なんかわかんないけど、おまえ今、いぢめられたから、おれのとこに来たんじゃ、ないの。なんか知らないけど、なんかいわれて、イヤなキモチになって、おれに、甘えに来たんじゃ?じゃあ、まあ、おれはおまえ甘やかすよね。そういうヤクソクだし?うん、甘やかすけど」
そこまでいって、カイトは傾げていた首を戻した。利き手を拳に、反対のてのひらへ、高い破裂音とともに打ちつける。
「おれはただ、おまえかわいさに甘やかすだけがノウのオトコじゃないぞ。おれのかわいこちゃんをいぢめたヤロウどもには、きっちり、オトシマエつけさせるからな?」
そうがくぽへ告げるカイトの揺らぐ瞳は、揺らぐがためでなく、はっきり意思を伴って、目の前のがくぽを見ていなかった。
そのうしろ、がくぽがあとにしてきた、広場の向こうの小グループ――おなじ【がくぽ】たちへ。
こちらへ顔を向け、あるいは気まずく顔を背け、あるいは天を仰ぎ、あるいは拝み倒すように頭を下げる、どのみち、『カイトのがくぽ』とは違い、表情も、感情も、遠目にすらゆたかな、かれら。
カイトの視線を追って、がくぽはあとにしてきたものを振り返った。しかしなにかを感じたようすもなく、カイトへすぐ、からだを戻す。
紅を塗らずとも朱を刷くくちびるが、ひたりと開いた。
「カイト、がくぽは『かわいこちゃん』ではありません。『かっこいいこちゃん』です」
感情もうすく、抑揚もない声音でひたひたとこぼされた抗議――抗議?――抗議に、カイトはちらりと、目をやった。ちらりと、ほんのわずか、ほんの一瞬。
「がくぽ。おれ、みにまむちっさいお子って、かわいいの代表格だと思うんだけど」
発点のよくわからない話題を、目を逸らしたまま振って来たカイトにも、がくぽは従順だった。すくなくとも不快の情感を示すことはなく、頷いた。
「はい、カイト」
「うんよし、おまえも自分のかわいさを認めたな」
――発点がよくわからないときに、へたに同意などを示すとこうして、わけのわからない着点に嵌められる。
KAITOあるあるの好例に、がくぽは口を噤んだ。相変わらず、表情を彩る感情はない。瞳は死んださかなより昏く、硬くふかく凍りついて、しかしどうしてか、閉口したようには見えた。
「どうしても、カイトはがくぽを『かっこいい』と思いませんか」
詰ることばは感情がうすく、抑揚もなく吐きだされ、どうでもいい感想を場繋ぎにこぼしたようにしか響かなかった。
けれどカイトはがくぽへ目をやり、ようやくからだも真正面と向けた。面と向かって対し、しっかり、目を合わせる。しっかり合っても揺らぐ瞳がゆらゆら、揺らぐことのないがくぽを揺らぎに揺する。
くちびるがゆっくり、春の陽だまりにも喩えられるKAITOの鷹揚さに相応しい速度でゆったり、開いた。
「思わないこた、ないけど…たとえばおまえが、おれに甘えたいんじゃなくて、おれを甘やかしたいって、思ってるときとか。おれのこと、かわいがりたいって、考えてるときとか」
固めていた拳から指を立て、伸ばすかたちでかぞえ上げ、カイトはことりと首を傾げた。ことりと首を傾げ、わずかに背も撓めて、ことさらに下からがくぽを覗きこむ。
「でさ、がくぽ?だからさ今さ、なにしに戻って来たよ、おれのとこ。ただ、戻りたかった?まだ、帰る時間じゃ、ぜんぜん、ないのに?来たばっかりって、いってもいいのに?なんでおれのとこ、戻りたいって、思ったよ?」
「………」
ゆっくり、ゆったりしながら、逃れようもなく問いつめられても、がくぽが表情を変えることはなかった。
表情を変えることはなく、その瞳に気づきやひらめきの灯がまたたくこともなく、カイトの口調とおなじほどゆっくり、ゆっくり、振り返る。
自分が、後にしてきたもの――
「甘えに」
そのくちびるからぽつりと、ことばがこぼれる。
こぼして、がくぽはからだを戻した。ことさらに下から覗きこんでくるカイト、自分を『みにまむちっさいお子』扱いで、なだめすかす相手を。
なんの感慨もなく、情感も浮かべず、それだけが理由の酷薄さで、がくぽは紅を刷かずとも朱に濡れるくちびるを開いた。
「がくぽはカイトに甘えるために、戻りました。カイトに甘やかしてもらうために」
迷いもなく告げて、がくぽはまた、振り返った。後にしてきたもの、未だ注がれるいくつもの視線、あるいは下げられるあたまといったものをたしかめ、開いたくちびるからつづくことばはほんの一拍、遅れた。
「かれらが構いたがりであると、がくぽも理解していますが、――限度があるでしょう。構いつけ過ぎなんです」
吐きだしたがくぽのようすは、いつもと変わらなかった。そよとも、動くものがない。声の感情もうすく、抑揚もない。
それでも喩えるなら『吐きだした』であり、どこかうんざりとした雰囲気と、苛立ち、同時に、戸惑うような、恥じらいにも似た――
「ふっはっ!」
薄情にも吹きだして返し、カイトは手を伸べた。がくぽのあたまに乗せると、わしゃくしゃ、いぬでも撫でるようにわしゃくしゃ、搔き撫でる。
「おれもおまえがかわいいけど、――あいつらもあいつらで、おまえがかわいくって、しようがないんだよなあ」
だから文句もつけにくい、ひどくことばを選ばされて面倒だと。
先の凶悪さが霧消して笑うカイトへ、わしゃくしゃ、撫でる手も揺らぐ視界もそのままに、がくぽは口を開いた。
「『かわいい』――ですか?『かわいそう』ではなく?」
問うがくぽの声が揺らいでいたのは、なにかの感情の発露ではない。募る情感のゆえではなく、ただ、わしゃくしゃ、カイトの撫でる手をそのままにしたからというだけの、物理的事情。
そうまでして落とした問いといえば、発端、いちばん初めの、聞き落とされて、答えが返らなかった――
ただし今度の問いは、二重でもあった。
カイトはがくぽを憐れめばこそ、がくぽを甘やかすのではないか?
『かれら』はがくぽを憐れむからこそ、過ぎて構いつけるのであろうに――
がくぽを『かわいい』というのは、まず、憐れみこそがあり、同情があって、そこに付随するだけの、アクセサリではないのか。
今度は聞き落とすことなく問いを耳に入れて、ゆえに、カイトは返した。きょとりとひと瞬きし、きょときょとりと、ひどくふしぎそうに。
「え、かゎ…ぅそ?おまえ?の……………なにが???」
返すカイトのおもてには、ほとんど聞き落としたにも等しい『理解不能』があった。
今回の場合、それがなによりの答えでもあった。ことばを尽くして説かれる以上の。
それにしてもずいぶんな意想外だったらしく、カイトの手が止まり、がくぽの視界の揺らぎも止まった。
止まっても、揺らぎを引きずるように、がくぽは片手を上げた。引きずる揺らぎを止めるしぐさで、片目に手を当てる。
当てて、瞼を落とした。
それもほんのわずか、束の間で、がくぽはすぐ、目を開いた。ほんとうに、すぐだ。立ち直れるほどの間はいっさいなく、カイトはまだきょとんと、ぽかんと、ふしぎそうな顔をしたままだった。
――口の端が、むず痒いような。
覚えた感覚に、がくぽは目を押さえていた手を口へ移した。
なにかひどく、むずむずと、より正確にいえばかゆいわけではないのだが、たとえるならかゆいにも似た感覚が、口の端に。
だとしてもやはり、当てた手に顔面の動く気配は感じられないのだが――
がくぽは背を撓めた。首を折り伸べて、カイトの肩に額を当てる。すりりとなつきながら、遅れて手を出し、カイトのからだをゆるく、抱えこんだ。
きっとまだ、ふしぎそうな顔をしているであろう相手は、それでもがくぽに応え、容れて、かれもまた、背に腕を回してくれる。
「カイト、構いたがりのかれらへ、――『兄』たちへ」
相変わらず感情はうすく、抑揚もないというのに、なぜか今にも眠りこみそうな、どこか覚束ないと感じる口ぶりで、がくぽは請うた。
「カイトから、よくいって聞かせてください。『がくぽにはカイトがいるんだから』って。がくぽにはカイトがいて、だから――」
そこまで請うて、口を噤む。
自然と落ちる瞼を、がくぽはカイトの肩に当ててさらに押さえた。
目を閉じれば、あるのは暗闇だ。まして瞼を押さえればなおのこと、闇は濃く、昏く、深く、ふかい――
けれどそこに、カイトがいることをがくぽは知っている。
がくぽひとりではなく、カイトがそこにいてくれることを。
まるでほんとうに眠りこんだかのような間ののち、がくぽはちいさく、首を横に振った。
「でも、あとです。それは、あと……まずはがくぽをたくさん、甘やかしてください。たくさん、いっぱい、甘やかして………それから」