おにそしぁ・あめしすて-15-

いつもなら、徳利を手にして酌をするだけなのが、カイトだ。カイトがいるときにがくぽが手酌で飲むことはないから、その手が徳利を持ってみせることは、あまりない。

先に始めているときにこそ手酌でも、カイトが来れば――

「………」

「そう構えずとも良い」

「………」

がくぽが注いでやった酒を、カイトは珍しいほどに緊張した面持ちで見つめている。

いい酒だからと、メイコが用意したのが朱塗りの盃で、いつも土焼きの猪口しか見ていないカイトには、それも馴染みがないだろう。

夜にもなって、暗くなれば行燈の明かりではその色がつぶさには見えないとしても、手に持った感触があまりに違う。

戸惑う色を隠せないまま、捧げ持った盃をじっと見つめるカイトに、がくぽはくちびるを笑ませた。

自分が初めて飲んだときには、そんなふうに逡巡する間もなかった。

周りが飲む様子を先から見ていて、酒に対して構えがなかったこともある。

しかし棟梁として立つことが期待される以上、酒相手に怯える様子を見せられもしなかったということが、もっとも大きい。

だから、こうして素直に戸惑いと逡巡を見せるカイトの姿は、微笑ましくもあり、愛おしさも掻き立てられる。

無邪気で、無垢。

得難い、がくぽの『姫』――

「カイト」

「ん………っ」

やわらかく促すと、カイトはわずかに気を入れて、盃に口をつけた。

そっと傾いた盃から落ちる雫に、こくりこくりと咽喉が動き――

「………」

「………」

口を離したカイトは、微妙な表情をしていた。

吹き出すのを堪えて、がくぽはそんなカイトを見つめる。

ややしてカイトは、詰めていた息を思いきり吐き出した。

「………ヘンな、味……っ」

「っっ」

堪えきれず、がくぽは吹き出した。

いい酒だ。きちんと味見をして、選んできた。味がいいことは、確認済みだ。

だというのに、その感想。

くつくつと笑いながら、がくぽもまた、注がれた盃を取って、一息に中身を空けた。

「飲めそうか。それとも、もう要らぬか」

「ぅ………」

愉しそうながくぽの問いに、口元を押さえたカイトは小さく呻く。

そもそもがくぽが、カイトへの土産にと買ってきてくれたものだ。一口飲んでもう要らないでは、あまりに情を解さない。

薄情というものだが、そうもがぶがぶと飲めるものかというと――

「ぁ……!」

カイトははたと気がついて、勝手のあるほうへと顔を向けた。

大きな樽に、なみなみと入っていた酒。

あれすべて、カイトへの土産だ。今飲んだ、この小さな盃何杯分か――

「ぅ………っっ」

「はっは!」

ひどく珍しいことに、がくぽは声を立てて笑った。

動揺を隠せないカイトに、空になった盃を差し出す。

「……」

反射で注いだカイトに、がくぽは盃を揺らしてみせた。

「気にするな。そなたが飲めぬなら、これ幸いと、俺が飲むだけだ。聞きしに勝る旨さゆえ」

「………」

カイトは微妙な表情で、空になった自分の盃を見つめた。

ヘンな味、と評したが、カイトにとってはそれ以上のものではない。

しかもなにか、今となれば咽喉が焼けたような、おかしな感触もある。

だが、がくぽは旨いといって、確かに滅多になく旨そうに盃を傾ける。

「…………もぉ、一杯だけ」

「そうか」

おずおずと盃を持ったカイトに、がくぽは徳利を取ると、なみなみと注いでやった。

そうまでなみなみとせずとも、とカイトが微妙に恨めしげになったが、それもまた、愛らしくて愉しい。

見つめるがくぽの前で、カイトはこくんと唾液を飲みこんでから、きゅっと瞳を閉じて盃を傾けた。

「ん………っ」

きゅきゅっとさらに眉をひそめ、カイトは盃を置く。

「……けほっ」

「一息に空けるからだ」

咳きこんだカイトに笑って言って、しかしがくぽも一息で空ける。

カイトはいたたまれない表情になって、がくぽを上目遣いに見つめた。

「………がくぽさまに、差し上げます」

「やれやれ」

見えていた結論に落ち着き、がくぽは軽く肩を竦めた。

盃を差し出すと、カイトは覚束ない手で徳利を取る。

「まあ、良い。初めなぞ、そんなものだ。かく言う俺だとて、初めはなにが旨いのか、ようわからなかったものだし」

「………」

「飲み続けで、そのうち、味がわかるようになる。好き嫌いも出てくる。今日、焦ることもない」

言って、がくぽはとりあえず盃を空けると、一度置いて肴へと手を伸ばした。

串焼きの魚を取ると、がり、と頭から食い破る。塩加減は濃いめだが、酒を飲んでいるとそれくらいがちょうどいい。

「口直しに、なにか……」

動きの止まっているカイトに食事のほうを勧めて、がくぽは瞳を見張った。

「ん……」

むずかる声を上げたカイトは、ずい、とがくぽへと身を寄せて来た。寄せて来たのみならず、ここ最近乗せることのなかった膝へと、身を乗り出す。

「………だっこぉ……してください……」

「………」

甘ったるく、回らない舌で強請られて、がくぽは凝然とカイトを見つめた。

行燈は灯してあるが、明々と、とまではしていない。仄かに手元が確認出来る程度で、だからカイトの表情も様子もつぶさに見えるわけではない。

それでも、間近に寄せられたカイトの瞳がぼんやりと潤み、表情が蕩けていることはわかった。

しばし見つめてから、がくぽはふっと苦笑をこぼす。

「もう酔ったか、そなた………たかが、盃の二杯で」

「がくぽさまぁ………だっこぉ………っ」

がくぽの愉しげな慨嘆を聞き流し、カイトは頑是ない幼子の口調で、くり返し強請った。

がくぽは魚を置くと、膝に爪を立てるカイトの体を抱き寄せた。

「よしよし………ほら、抱っこだ。そう愚図るでない」

「や、もっとぉ……ぎゅうって………」

「よしよし」

膝に乗せてやっただけでは満足せず、カイトはがくぽにきつく抱きついた。

すでに風呂を浴びたあとで、二人とも生地の薄い寝間姿だ。体温が伝わるのも早く、カイトがずいぶんと熱くなっていることがわかった。

膝に乗せた重さは、カイトがきちんと成長していることを物語っているが、しぐさや言葉、なにより体温の高さが、子供時代に戻ったように錯覚させる。

がくぽは微笑んで、カイトを抱きしめた。

「なにか食うか」

「ん……」

膝に乗せてやったついでに、昔のように口に運んでやろうと、がくぽはやさしく訊く。

とろんと瞳を蕩かせたカイトは、ねこのようにがくぽに擦りつくだけだ。

「そなたに食えそうなものというと…」

いつもなら、カイトも食べるようなおかずが共にあるが、今日は二人して酒を飲むと言ってある。

めのとが用意したのは肴になるものばかりで、『子供』が好むようなものは見当たらない。焼き魚は食べられるだろうが、生憎がくぽが今は、骨を取り除いてやれない。

酔っ払ったカイトが骨を咽喉に刺したら大変だと思えば、これは除外だ。

しかしそうなると本当に、食べさせられるものがない。

苦笑し、がくぽは自分で徳利を取ると、新しい酒を盃に注いだ。そして擦りつくカイトを抱えたまま、器用に盃を口に当てる。

「ぁ、がくぽさま……」

「んっくっ?!」

つい、と伸び上がったカイトは、酒を含んだがくぽのくちびるに、ちゅっと吸いついた。吸いついたのみならず、てろりと舌を這わせてくる。

つい開いたがくぽの口の中に、カイトは躊躇いもせずに舌を差しこんだ。

「んちゅ……んぷ………」

「………カイ、けほっ」

驚きで、少しばかり気道に酒が入った。

がくぽは顔を逸らして咳きこんだが、カイトは逃がすことなく追ってきた。

「ん……」

「こら、カイ………んん……っ」

カイトの体を開きこそすれ、口吸いはしたことがない――いや、一度、初めて体を開いたときにだけは、吸った。

けれどそのあと、望まぬ相手に体を開かれることは許容出来ても、口吸いだけは死ぬほどいやなものだ、という女の話を聞きかじって、どんなに誘われる心地がしても、口吸いだけは止めてきた。

だから、カイトに口吸いの経験はなく、がくぽの口の中に舌を差しこんできても、その動きはたどたどしく、覚束ない。

それでも、カイトだ。

がくぽの体が、一息で熱く滾った。

「カイト!」

「ん………」

とはいえ、カイトの意図もわからない。

慌てて体をもぎ離すと、カイトはぺろりとくちびるを舐め、がくぽへとはんなりと笑いかけた。

「……がくぽさまのお口からなら、お酒も、おいしい………」

「………」

なにを言っているのかと、がくぽの視界は回った。

強い酒だが、旨いからと、量も多く速く飲んだ。

それでもこんな幻を見るほどには酔っていないはずだし、なにより熱く滾る己が、酔いがさほどではないと語っている。

もぎ離されたカイトは、懲りることなくがくぽの首に腕を回し、無邪気なしぐさでちゅっちゅと音を立ててくちびるを押しつけた。

「ぁ……はぁ…………ね、がくぽさま………カイト、からだ、あっつい………」

蕩けた瞳で、カイトは甘くつぶやく。とろりと微笑まれて、がくぽはごくりと唾液を飲みこんだ。

この二月、遠征でカイトに会えなかった。

気配を傍に感じることもなく、遠い空で思うだけだった。

その体を組み敷くことも、開くこともなく――

「ね………がくぽさま………カイト、がくぽさまのこと、ほしいです………カイト、ちゃんとお言いつけどおりに、大人にお留守番しておりましたでしょう…………だから、ごほうびに、がくぽさま、ください………」

自分が強請っていることの意味など、わかっていないに違いない。

あまりに無邪気で、いつまで経っても稚気が抜けないカイトだ。

今、自分が言っていることが、男にとってどういう意味に取れるかということなど、知ることもなく――

そうは思っても、がくぽには堪えることが出来なかった。