5-キスと禁煙と男と女

「ウケるヤだもうウケるッハニーさぃこーぉなかいだいーーーッ!!」

この場合、腹が痛いのは笑い過ぎによるものだ。

帰宅したがくぽのマスター:有為哉-ういか-は、自分の夫が自分たちのロイドに仕出かしたことの顛末を聞くや、情け容赦もなく爆笑した。

「笑いごとじゃない、マスター……」

「いやいやいや、がっくんだってハニーがッあたしのプロポーズへの答えが、『カイトの次に好きなのはおまえだから、まあいいわ』なハニーがッまさかカイトちゃんが目の前で、がっくんにちゅっちゅされるの赦すとかッ?!ウケ……っ」

がくぽの恨み言にそこまで返したところで、有為哉は笑い過ぎで激しく咳きこみ、一時的に黙った。そこまで笑うようなことかというのは、珍しくもがくぽとカイトに共通した感想だ。

『なにか』を掴んだことで、余計な『なにか』にまで『目覚め』た。

――としか思えない、ちんぴらもといロクデナシもしくはにゃんぴにんな、カイトのマスターであり、この有為哉の夫である八桂月から、ようやく解放されたカイトとがくぽは疲れ切って、リビングで伸びていたところだった。

そこに有為哉が帰って来て、仲良く抱っこだっこでリビングの床に伸びている、自分と夫のロイドを見つけいったいどうしたのと顛末を聞いて、――

このざまである。

「帰って来て途端にうるせぇな、ヴィイ」

渋面なのは無慈悲をロイドたちに強いていた、肝心の八桂月もだ。

轟く爆笑に奥さんのご帰宅を知って顔を出した彼は、次いである意味非常な生真面目さでもって、彼女の発言を訂正した。

「ちゅっちゅなンざさせてねぇよ。1回、せいぜい『ちゅう』止まりだ。あと俺からの回答は、『カイトの次に好きなのはおまえだな。ってことぁ、つまり人間でいちばん好きなのはおまえだ。じゃあまあいいわ、結婚しとくか』だ」

もちろん――もちろん、このあとには、類例を見ずメンタルの強い『がくぽ』を育てたマスターである有為哉の、懲りない大爆笑が続いたのである。

それはそれとして、とりあえずこの場には『マスター』が二人もいるのだ。

その二人といえば、リビングに入って来たことは来たが、座りもせず立ったままだった。

主に精神的な疲労に任せだだ流され、がくぽの腕枕でころんと床に転がっていたカイトだが、もそもそと起き上がり、へちゃんとした姿勢でも、せめても『座る』に格好を変えた。

そのうえで、とても悲しそうな顔で、違和感も疑問も覚えていない自分のマスター、八桂月を見つめる。

「マスター………それ、フォロー、むり………」

「あン?」

「まったくだ」

「ぁあ゛?」

カイトを追って起き上がりつつ、その発言にも追って同意したがくぽだが、ロイド二人からの非難がやはり、八桂月には理解できない。

そういう男であり、そしてそういう男にプロポーズして籍を入れ、夫婦としてやっているのががくぽのマスター、有為哉だった。

厳密かつ正確に定義するなら、メンタルが強いというレベルではない。

ちなみに結局のところ、カイトの『色香』っぷりを補充したいと、がくぽとの行為をレコーディング中、八桂月が指示したのは確かに『1回』だった。

そして考えるに、がくぽのそれもまた、カイトにも納得できる、カウント齟齬を起こすことのない、『1回』だった。

ならばその前、初めのものはいったい、『何回』であったのかというところに、カイトの問題は戻るわけだが――

「マスター、ひとの趣味にああだこうだと口を出したくはないし、そもそももはや夫婦となった身だから、なおのこと言い難いが――」

「ハニーのいいとこはそこよ。大丈夫、あたしがホレたのはそこで間違いないから」

いったいどこだと言うのか。

びしっと親指を立てて力強く言い切った有為哉に、がくぽはがっくりとカイトの肩に額を懐かせた。やるせなさをなんとかやり過ごそうとしているのだろう、ぐりぐりと擦りつける。

お互い、フォローのしようがない、甲斐もないマスターを持ったものである。

そう共感し、懐くがくぽの頭をよしよしと撫でてやったカイトだった。

が、よく考えるに――よく考えなくとも実のところそうなのだが――そもそもがくぽとは、カイトと大幅に価値観のずれを起こしている相手だった。

「で、ヤらされたわけよね、がっくん。ハニーの目の前で、ハニー最愛のかわいこちゃんカイトちゃんと、らぶらぶちゅっちゅ。如何?」

「さいこう。も、カイトえろ過ぎてヤバい」

「がくっ……っ」

項垂れて懐いていたはずだというのに、有為哉の問いへのがくぽの答えっぷりたるや、きぱっとして、欠片の迷いも躊躇いも気遣いもなかった。

カイトは愕然と、肩に懐くつむじを見つめた。どういうわけか、瞳が潤んでくる。まったくもってこの男ときたら、この男――

なにかがこみ上げるが、先の八桂月と同じだ。『なにか』であって、どうにも明確化し難い。

しかしとにかく、まったくもってこの男、だ。

いろいろこみ上げるものや堪えるものでぷるぷる震えるカイトは、肩に懐くがくぽにもすぐ伝わる。

ほんのわずかに様子窺いと上げたがくぽの花色の瞳はやはり、どうしても無邪気な色を宿して悪びれなかった。

「だからちゅっちゅじゃねぇし、ラブラブでもねえってンだよ。仕事だ仕事、ビジネスライクちったぁ、ひとの話を聞けってンだ」

諸々雑多な感情が入り混じった結果、言葉が継げないカイトに対し、八桂月はぼやく余裕があった。伊達や酔狂だけで、売りつけられるアレコレをすべて買った挙句、ご丁寧に倍々にして売り返すという半生を送ってきたわけではないのだ。

多少のことで、それも添い遂げると腹を決めた伴侶の今さらな言動程度で、揺らぐ経験値ではない。

ため息とともにぼやいた八桂月は、この懲りず悪びれない強メンタル主従の扱いもある程度、心得ていた。

ぼやきはひと言で、さらりと話題を変える。

「どうでもいいがおまえら、イシャはどうした。結果を報告しろ、報告」

「あ」

横柄に告げる八桂月に、カイトははたと思い至った。

そう、全き平日ではあったが、本日この、マスター夫婦にそのロイド二人という家族は全員が全員、休日であり、各それぞれに予定を持って動いていた。

といっても、カイトと八桂月は先から言っている通り、ここのところかかりきっている新曲のレコーディングで、動くといってもスタジオも家の中にあるし、あくまでも屋内でのことだ。

対して強メンタル主従こと、有為哉とがくぽとは、二人が二人とも、医者、病院に掛かる予定で出かけていた。

そうとはいえ双方、深刻な不調を抱えてのことではない。

がくぽが行ったのは歯医者だが、ロイドにもあるまじき虫歯に悩んだわけではなく、喫煙習慣を改めた、いわば仕上げの作業だ。

禁煙を決め、煙草を絶った。

もちろんそれだけでもいいが、覚悟のほどやナニソレアレコレといった都合に備え、口内クリーニング、歯磨きでは落としきることの難しい、歯についたヤニを落としてもらいに行ったのだ。

そういえばカイトには、喫煙者と非喫煙者とのキスは濃厚であればあるだけ、非喫煙者にとって辛いものになると聞いた覚えがあるが、先にがくぽとしたキスで、そういった意味合いで辛い思いはしなかった。

むしろ夢中で溺れこんでしまって、がくがくのふらふら、ぷるぷるの――

とにかく、不可解さはあれ、不快さはまるでなかったのだ。

つまりこれが、本日がくぽが歯医者に行った成果であり、戦果だ。

ということはだ。

謎はすべて解けた。

「そっか、がくぽ……くち、きれいになってうれしくて、キス」

「え、それは違う」

「違ぇだろ」

「うん、違うと思うわー」

「にゃ゛っ?!」

――解けていなかった。

三人三様、されども即行即座の異口同音で否定されて、カイトは竦み上がった。