幕間-シクヒトゞ

「うちは別に、宅内恋愛禁止してないよ?」

――朝食の席で報告を受けたマスターの第一声が、これだった。

とりあえずがくぽは、彼女に対する自分の評価――つまり『ずいぶん気さくで暢気』というのがまったく間違っていなかったと再確認し、ひとり頷いた。

なんやかんやとあれ、がくぽとカイト、それにメイコの三人が、朝食の用意されたダイニングテーブルについたのは、いつもと同じ時間だった。

席も、いつもと変わることはない。がくぽの隣にはカイトが、向かいにはマスターとメイコが並んで座っている。

躾や礼儀作法に厳しい家柄というわけでもなく、食事をしながらでも普通に会話は続く。

その続きの会話で、メイコとがくぽから、がくぽがカイトを口説くことにしたと聞かされたマスターだ。

聞かされたマスターといえば、しばらくの間、きょとんとしていた。きょとんとしつつも、鍋から掬いたてで、いかにも熱そうにほこほこと湯気を立てる中華粥を冷まそうと、自分の小どんぶりをうちわでぱたぱたと煽いでいたが。

実際のところ彼女の気質は、『暢気』というより『鷹揚』というのが正しい。

そうやってきょとんぱちくりとしているのが、がくぽが唐突に同性を――カイトを口説くと言い出したことに対してではなく、そもそも自由恋愛推奨で許可制でもないのに、どうして改まって報告されるのかというところに由来するのだから。

ただ、がくぽは未だ『暢気』と『鷹揚』の差が理解しきれていない。

ために、なんにしろ暢気なのだろうと結論するのだ。

それはそれとして、しばらくはきょとんとしてがくぽとメイコ、そしてカイトを見比べていたマスターだが、ふと眉をひそめた。

うちわから持ち替えた木の匙を粥の中に突っこんでひと口分を掬いつつ、上目にがくぽを窺う。

「言ってももちろん、強姦レイプ性行為の強要は、『ダメ絶対』。だよカッチョワルイとかそういう次元超えて、やっちゃだめなことはやっちゃだめし」

「当然だ。言語道断だ、斯様なこと。禁忌も禁忌だが、口説く手法としても最悪だ」

眉を跳ね上げて即答したがくぽだが、マスターの耳に届いたかどうかは怪しかった。どうやら冷めたのは粥の表面ばかりで、中はまだ熱かったらしい。

木の匙を口に含んだマスターが熱いと叫ぶのと、がくぽが答えを返したのが、ちょうどよく重なっていた。

微妙に涙目のマスターだったが、すぐさま気を取り直した。気だけでなく、匙から箸へ持ち直すと、カニの代わりにカニ風味かまぼこを入れた『なんちゃってカニ玉』をたっぷりと掴み、口いっぱいに頬張る。

もごもごと咀嚼しながら多少の考える間を設け、ごくりと飲みこんで、頷いた。

「………まあ、そこさえわかっててくれれば、ことに目くじら立てるようなことも、ないし。むしろ推奨めね、違うぃ、めこたん?」

「ちょっと!!」

隣に座るメイコにお伺いを立てつつ、マスターはそのくちびるにさっと己のくちびるを掠めさせていた。当然ながら、メイコの反応は大きい。

一瞬、がたりと音を立てて椅子ごと体を引き、すぐに戻すとマスターへ手を伸ばした。油断も隙もないマスターの頭を片手でがっしり掴むと、ぎりぎりと力いっぱい締め上げる。

「ギった口でやんないであんたってほんっと、デリカシーがないんだから!!」

「ぁだだだだっごめにゃさ?!めこた、ごめにゃさ?!」

マスターは、油をたっぷり使って作ったカニ玉を口に入れたあとで、つまりメイコが言うように多少、ぎとついたくちびるだった。

――それは確かだが、メイコのツッコミどころは微妙に違う。

ような気がするなと、目の前の騒ぎを漫然と眺めつつ、がくぽは小さく首を傾げた。そうしながら熱感度センサーを無為に使い、小どんぶりの中身が適温になったことを確かめたうえで、自分用の木の匙を取る。

ひと口分掬って含み、頷いた。

適温だ。

――適温になったことを確かめたうえなので、一見、がくぽの結論は間が抜けている。が、『適温』だとセンサー上で確かめたものが本当に=適温であることは、実は非常に重要だ。

それはなによりも、機能に異常が生じていない――正常であるということに、繋がる。

適温だと判断したものが実際には『適温』でないなら、どこかしらに異常が生じているということだ。その理由さてあれ、がくぽはマスターに早急に報告し、相談しなければならない。

一般に『機械』に弱いと言われる女性だが、がくぽはその女性であるところのマスターへ相談することに、躊躇いはない。

その理由は『マスター』だからというだけでなく、彼女がロイドを製作するラボの研究員だからだ。

これ以上に適した相談相手もいないし、不調を隠すメリットも見当たらない。いや、むしろ下手に隠すことはデメリットのほうが多い。

が、幸いにも今日のがくぽは正常だった。適温だと判断した粥は口の中に入れてもやはり適温で、マスターのように叫ぶ必要もなく、涙目にもならずに済んだ。

「うーん。女の子は難しいわあ……とほとほ」

「ボケたこと言ってんじゃないわ」

がくぽがひとり納得したところで、マスターはお仕置きから解放された。額を撫でつつぼやくが、すぐさまメイコにツッコまれる。道理だ。がくぽも頷く。

マスターの性別も、本人が『難しい』とぼやいた女性だ――まあ、女の『子』かどうかは、ともかく。

しかしそれを言い出すと、メイコも年齢的に見て『子』に入るかどうか、怪しくなる。

――といった、メイコに聞かれたなら確実にお仕置きされるであろう検討を、賢明ながくぽは口にすることなく、思考の中に留めた。これがカイトなら、すべてのことを素直に口に出している。

ツッコまれても気にした様子はなく、マスターはテーブルに置かれていた手巾を取ると、ぎとつくくちびるに当てた。ぽんぽんと叩くように拭いてから、自分の指でも軽く押さえて感触を確かめ、メイコを窺い見る。

「めこたん。おk?」

「まあ、いいわ。赦す」

恩赦を吐いたメイコは、辛うじてそっくり返ってはいないものの、偉そうな態度であることに違いはない。

そんなメイコのくちびるを、マスターは再び、軽く掠めた。今度はメイコも邪険にしたりすることなく、それどころか少しばかり、目元を染めてみせたりする。

これが演技ではなく本心からなので、先までの対応との落差に、がくぽなどはそれこそ『女の子はむつかしい』とぼやきたくなる。

とはいえ先にも述べた通り、がくぽは賢明だった。隣に座るカイトとは違い、思考のすべてを口にすることはない。胸の中に留め置いて墓の中まで持って行くことも、やろうと思えば可能だ。

「……………?」

流れで隣に視線をやったがくぽは、空気読まないレベルマックス超え勇者であるカイトが、今の一連に関してなにひとつとして余計な言葉をこぼしていない理由を、ひと目で理解した。理解はしたが、理由は理解の範疇を軽く超えていた。

ライチと格闘中だった。

今日の朝食メニューは、『中華風シリーズ』と銘打たれたものだ。

メインにおかわり自由な、鍋いっぱいの中華粥を置き、副菜として、カニ風味かまぼこを入れたなんちゃってカニ玉と、春雨とキクラゲのサラダ。そしてデザートには、皮付きの生ライチ――

カイトはこのうち、生のライチを手に取り、皮を剥くことに苦心していた。

がくぽが記憶するに、皮に切り目を入れられているライチほど、剥きやすい果物もないはずだ。軽くつまめばするんと果肉が出て来るし、たとえ切り目が入っていなかったとしても、自らの爪を少し立てれば、あとは同じだ。

苦心する由来がない。

加えて言うなら、カイトが突き抜けて不器用だというわけでもない。米粒に山水画を描く器用さはないが、言動の暢気さから想像するよりずっと、しっかりしている。ドジっ子属性もなく、ある意味で裏切られた感がするほど、なんでもきっちりこなす。

――のだが、たまによく理由のわからないところで苦心するのも、カイトというものだった。

全カイト――KAITOシリーズに共通の特性なのかどうか、がくぽはまだ知らない。が、少なくとも当家のカイトに限って言えば、そうだった。

言動の端緒や結論が頻繁に行方不明で理解不能であるのと同じく、がくぽにはよくわからないところでつまづき、不器用さを発揮するのが、カイトなのだ。

今日もそうで、カイトは軽くつまめばするんと果肉が出て来るはずのライチで、とりあえず皮を粉々にしていた。

そうまでしても未だ果肉が出切らずに、食べたいライチが口に入れられない状態だ。

なにかに飽きて遊んでいるわけではなく、真剣に奮闘中である証に、カイトの頬はわずかに赤くなっている。微妙に涙目にも見える。

「………カイト」

「んっ。………んっ?」

聞こえていないだろうとは思いつつも声を掛けてから、がくぽはカイトの手からライチを取った。びくりと揺れたカイトが、目を丸くしてがくぽを見る。

微妙な気まずさを抱きつつ、がくぽはいくらなんでも困難さが増したライチの皮を、それでもカイトよりは器用に素早く剥き、果肉を取り出した。

「ほら」

「ぁっ、ありがと、が………んんっ、んむっ………っ」

ぱっと輝く表情になったカイトが礼を言う口に、がくぽは取り出した果肉を突っこんだ。後から、種を取り出していなかったことに気がついてわずかに眉をひそめたものの、カイトもそこまで不器用ではなかった。

口いっぱいになったライチをうまく転がして果肉だけを削ぎ取り、牙をぶつけて痛い顔をすることなく、種を弾き出す。

「まだ食べるか?」

「んっべるっんへっ!」

訊いたものの答えを待つことなく、すでに次のライチを剥いているがくぽに、カイトは非常にうれしそうに、へらりと笑った。

今度は自分から素直に、あーんと口を開ける。

先には微妙さを刻んでいたがくぽのくちびるもやわらかに綻び、ほとんど一瞬できれいに剥いたライチを、カイトの口の中に押し入れた。

口いっぱいのライチを、カイトは衆人には見せ難い変顔でもごもごと転がし、果肉を削ぎ取って種を取り出す。

「ちょっと話を巻き戻すけれども、がくぽん」

自分の食事も忘れ、カイト(の変顔)にほっこりと見入るがくぽを現実に引き戻したのは、マスターの声だった。

はっとしたがくぽが顔を向けると、メイコは呆れたように眉をひそめて粥をもぐついていた。がくぽと目が合うと、殊更に顔をしかめてみせる。

メイコがひとに苦情を言えた義理ではない――と、思いたいがくぽだが、やはり賢明さと、そして多少は臆病さから、口にはしない。

対してマスターは常識を知る礼儀正しい大人らしく、微妙に目線をずらし、直視を避けてくれていた。

「ああ………はい。その、………なんだ?」

「うん」

気まずさにどもりつつも返事をしたことで、がくぽが我に返ったことを確認したマスターは、目線を戻すと素知らぬ表情で頷いた。

「つまり、これからカイちんのこと口説くんなら、せめてもがくぽんの布団はダブルに買い替える――という、ご提案です。『そう』なら、今のシングル布団で抱っこだっこの添い寝を続けるのは、きつくなろ強姦レイプ性行為の強要はダメ絶対って理解してても、こう。理性では如何ともし難い、パトスとかトポスとかポポスとか、そんな感じのやつが」

「ああ、………否」

一瞬は頷きかけたがくぽだが、すぐに首を横に振った。マスターの後半の発言のいい加減さに神威シリーズとしての本能が勝ち、先にツッコまねばと、逆らい難い義務感に駆られたわけではない。

そこは無情なほどきっぱりとスルーし、暗に示された困難さや諸々を、きちんと吟味した。したが、そのうえで――

「その不自由さが醍醐味ゆえ。現状ままで良い」

「うっわ」

答えたがくぽにべえっと舌を突き出したのは、メイコだ。あからさまに嫌そうな顔で、横を向く。

この反応も、多少は仕方ない――これからもきっと、メイコは朝になれば寝坊助の家族を起こして回るだろう。

がくぽとカイトが共寝を続ければ、当然、なにかしらのことを真っ先に、目の当りにせざるを得ない。

だからといってメイコに、寝坊助を寝坊助ままに放っておくという選択肢はなく――ここでがくぽは初めて、これからは自分が先に起きておく努力をすべきかもしれないという可能性を、検討するべきかと思いついた。

しかし迂遠にも過ぎる表現通り、非常に消極的な思いつきだった。思考の順序すら、そのうち気が向いたら一寸考えようという程度だ。

メイコの受難は、しばらく続いた挙句に解決しない可能性が高い。

マスターはというと、当社比三割増し程度に真剣な顔で、こっくりと頷いた。

「まったく真似したくないし追随もしたくない以上にしない、美事にすぐるどMっこなサムライ魂っぷりだし、がくぽんその意気や良し粋し逝きしマスターは応援だけはしているし!」

ぐっと拳を握って『応援』され、がくぽは軽く、目線だけで天を仰いだ。

きょとんとしているのは、カイトだ。大きな目をますます丸くして、きょとんぱちくりと食卓を見回し、こてんと首を傾げた。

「なになんの話?」

――カイトはそもそも、ライチとの格闘に全神経を集中しており、これまでの会話を把握していなかった。

いっそ無邪気ともいえる表情と声音で問われ、がくぽは説明しあぐねて口をもごつかせた。

そうとはいえ別にカイトは、がくぽだけに答えを求めたわけではない。

「いやだから、がくぽんがカイちん口説くっていう話」

ざっくりとマスターが説明し、カイトはますます真ん丸く、目を見張った。

「えと、がくぽが、俺を……くどあれえ、だって、ゴーカンれー………って、え?」

ざっくりした説明と、これまでに拾った断片から会話の流れを追うカイトは、思考のすべてを口にだだ漏らし、丸い目ままで隣のがくぽを振り仰いだ。

「えあ………えっ?!く、どくって………そういう、意味?!」

「え違うぃの?!」

カイトの驚声に、マスターの素っ頓狂な声が重なる。

メイコは眉間に手を当て、深く刻まれる皺をなんとか伸ばそうと懸命に揉んだ。

がくぽは再び、目線だけで軽く天を仰いでから、肩を竦めた。誰にともなく食卓に視線を戻すと、非常に日本人的な表情を浮かべる。よく言われる、内心を窺い知れぬ、曖昧な笑みという――

「まあ、つまり、――多少の前途多難さもまた、醍醐味というものだ。そうであろう?」