きりぎり飯事-後編-
がくぽは触れるだけではなく、驚きの声を上げようと開いたカイトの口の中に、舌を捻じ込む。
「ん、んんっ！んんんっっ！」
呼吸も奪おうというほどに、がくぽの口づけはしつこく荒っぽかった。反射的に暴れる体をきつく抱いて押さえ込み、怯えて逃げるカイトの舌を追って、容赦なく舌を潜らせる。
絡め上げた舌をきつく吸い、戦慄くくちびるに牙を立て、閉じるに閉じられない歯列を辿り――
「ぁ、が、くぽ、さま、…………め、だめ……………こんな、とこ、…………で。だ、れか、に、見られ、た、ら…………っ」
「見られたがどうだ」
絶え絶えの息で詰るカイトに、がくぽは仄暗くつぶやく。熱っぽく潤んで喘ぐカイトを見つめていた瞳がわずかに動き、周囲の様子を窺った。
すぐに腕の中に戻ると、がくぽは自分に抱かれてようやく立つカイトの顔に、ついばむようにいくつもいくつも、くちびるを落とす。
「そなたに縋られるような、そんな相手だったか、俺が？俺はそなたの弱みに付けこんで、強請りを働いているはずだが」
「ぁ、…………………そ、れは…………」
「ああいうふうに袖を掴まれると、まるでそなたに頼りにされて、縋られているようだ。そなたは強請りに縋るのか？」
「……………」
言葉を継げなくなり、カイトはがくぽの腕の中で震えながら俯き、肩口に顔を埋めた。
今だとて、その手はがくぽの胸元で、縋るように着物を掴んでいる。だめだと言いながら、抵抗らしい抵抗をすることもない。
がくぽが強請りではない、とは、言えない。
金銭の要求はされていないが、ある意味でそれよりももっと重要なもの――カイトの体を、求められている。
男色趣味ではないがこだわりもないと言い放ったがくぽは、秘密を握ったカイトに、それを守る代償として体を要求した。
俺がそなたに、娘らしい色香を添えてやろうと笑って。
女の形をしても、秘密を知るがくぽの前ではついつい、男が覗くカイトだ。本来的には、娘として振る舞うことを望んでいない。
だからもちろん、がくぽに組み伏せられて、『女』としてされるあれこれの事柄も、望むことではない。
けれど拒もうとすると、がくぽは笑いながら吹きこむ。
では、ばらそうか？と。
どういうふうにばらされたいかと、それはそれは嬉々として訊いてくる。
最後の最後の一線だけはどうにか容赦してもらっているが、カイトはそれも時間の問題である気がしている。
早晩、奪われそうな――ただし、がくぽが強いたからだけではなく、カイト自身の心の折れによって。
がくぽが強請りであることに、間違いはない。
けれど、それだけの存在ではない。少なくとも、カイトにとっては――
「それとも、カイト」
肩に埋まったカイトの頭に鼻をすり寄せ、がくぽは笑う。
「そろそろ、悦うなってきたか。俺にされるのが、癖になってきたか？」
「っ」
吹き込まれる言葉に、カイトはぱっと顔を上げる。赤く染まっているが、怒りゆえというふうではない。
がくぽはやさしく顎から頬へと撫でてやり、揺らぐカイトの瞳にくちびるを寄せた。
「そなたは、快楽に弱いものな…………俺にされるあれこれがないと、寂しうなってきたのではないか？」
嬲る言葉にカイトは顔を歪め、瞳を潤ませた。
「そんな、こと、……………んん……っ」
反論をつぶやこうとしたくちびるは、再びがくぽによって塞がれた。
たどたどしいながらも、応じ方を覚えてきたところだ。先は唐突だったから翻弄されただけだが、今度はカイトも、捻じ込まれる舌に応じた。
――拒むのではなく、応じる舌の心地よさに、がくぽの表情は陶然と崩れる。
胸にある手は相変わらず縋るように着物を掴んでいて、むしろ度重なる深い口づけにその力を増したような気さえする。
縋られるような仲だとまで、本気で自惚れはしない。
あまりに奥手で、自分で慰めることすら覚束なかったカイトだから、殊更に快楽に弱いだけだ。
そうでなくても、男は快楽に弱い。
強引で、望まぬ行為であっても、がくぽがカイトに与えるのはひたすらに心地よさであり、気持ちよさだ。わずかな痛みを与えることも、より以上の昂ぶりを引き出すため。
巧みに教え込んでやったから、与えられると思えば、抵抗できなくなるだけ――
「…………まあ、そなたは俺に、岡惚れしておるしな」
「……………」
くちびるを離したところで、がくぽはそう嘯く。
本気で言っているわけではない。カイトも、わかっている。
そう言葉にすることで、聞いていない誰かを騙す言葉だ。さもなければそう言い続けることで、まかり間違って本当になればいいと、祈るような――
「そなたが岡惚れするのも、無理はない。俺ほどやさしい男は、おらぬものな？」
「や、さしい……………」
ぽつりとくり返される言葉に、がくぽは怖気ることもなく、しらりと頷く。
カイトを抱く手をさりげなく蠢かせ、腰からその下へと撫で辿った。
「ちょ、がくぽさ…………っ」
慌てるカイトに、がくぽは素知らぬ顔だ。着物の上からでもわかる、きゅっと締まっていて触り心地の良い双丘を撫で回しつつ、ひとり頷く。
「そうであろう？そなたに、娘としての色香を添えてやると約束して、きちんと言うとおりにしてやった。やたらと無体を強いたわけではないと、わかったであろう？」
「な、んの話………っ、や、がくぽさまっ！お、おしり、そんなに………っ」
羞恥に全身を火照らせながら、カイトはがくぽの腕の中で懸命に身を捩る。
それでも歴然とした力の差があり、逃げ出すこともできない。
「ゃ…………ん、こ、んな、とこ……………で…………っぁ、もぉ…………っ」
「俺ほどやさしい男はおらぬぞ、カイト？」
息を上げ、身悶えて縋りつくカイトに笑い、がくぽは愉しそうに吹きこむ。
「さらりと撫でた程度で、こうまでなるほどに仕込んでおきながら、そなたが怖がるゆえ、未だに一線を越えないでいてやっている――男とは、そうも忍耐の利くイキモノではないぞ。例えば、先にそなたが話していたような、男………」
「ぁ………んぅっ」
はっとして顔を上げたものの、がくぽの手がきゅっと肉を掴んで、呻いたカイトは再び胸の中に沈んだ。
逃げることを諦めて縋りつく手の感触に瞳を細めつつ、がくぽは短い髪から覗く耳朶にくちびるを寄せる。
「あの男なら、こうして喘ぐそなたを見れば、堪えなどせぬだろうよ。泣いて駄目だと言うても、そなたの腹に思うさま、猛る雄を――」
「ゃ、やぁっ！」
吹き込まれる言葉に、カイトは悲鳴を上げる。がくぽに縋る手にますます力が篭もり、逃げかけていた体が救いを求めるように擦りついてきた。
――これでも堪えてやるのだから、空言などではなく、真実自分はやさしい。もはや愚かの領域だ。
心中項垂れつつ、がくぽは擦り寄るカイトをこれ幸いと、きつく抱きしめる。
「…………まあしかし、それもこれも俺が言うたとおり、そなたに娘らしい色香を添えてやればこそだ。それゆえにああいった、血の気の余る輩が迷って、ふらりと寄る」
「ぁ…………！」
ぱっと顔を上げたカイトの瞳は熱のせいだけではなく、潤んでがくぽを見つめた。
これ以上ないというほどに、胸元に縋る手に力が篭もる。
怯えを宿しているようにすら見える瞳にわずかに胸が痛みつつも、がくぽはしらりと笑ってみせた。
「そなたが娘らしう色香を持てばこそ、年頃の男が釣れる。良かったではないか。多少の粗相をしようとも、ブツさえ見せねばどうにか誤魔化しが利くということだぞ」
「そ、…………れ、は…………」
「そなたはどうにも、詰めが甘い。しかもそそっかしい。いくら娘の形をしようとも、早晩なにかしら、疑いを持たれたろうな。そして行く行くは――」
「ぅ……………っ」
詰めが甘いと言われれば、カイトに反論はない。そもそもがくぽにばれたときも、自分の詰めの甘さが出た。
そそっかしいというのは否定したいが、なんだかんだでがくぽにはいつもいつも、ドジを踏んで困っているところをなにくれとなく助けられている。
ぐ、とくちびるを噛んだカイトにがくぽが浮かべた笑みは、自分で思っているよりもひどくやさしいものだった。
その笑みと違うことのないやさしい手つきで、がくぽはカイトの短い髪を梳く。
心地よさに瞬間的に瞳を細めたカイトは、すぐにも表情を戻すと、どこか懸命な色を宿してがくぽを見つめた。
「が、がくぽ、さまは？」
「あ？俺がなんだ？」
「が、がくぽ、さまは……………」
撫でられる心地よさに浸りたいのに、浸りきれない。
微妙な顔を晒すカイトに、がくぽのくちびるはますますやさしく綻ぶ。
こくりと唾を飲み込んで、カイトはわずかに伸び上がった。
「がくぽ、さまは…………？俺に、色香があると、お感じになりますか？俺の色香は、迷うほどのものだと、思われますか？」
「……………はっ」
しどろもどろと訊くカイトに、がくぽは途端に性の悪い顔に戻って鼻を鳴らした。
びくりと竦んだカイトに意地悪く瞳を細め、震える顎に手をかける。
「まだまだだ。確かにそなたには色香がついてきたが、これくらいではああいった、経験の浅い手合いがふらつく程度だ。俺になど、わずかも効くものか」
「ぅ……………っ」
嘲笑うがくぽに、カイトは呻く。表情が悲痛に歪むから、また錯覚しそうになる――
まるで自分を迷わせたいと、色香に溺れて欲しいと、求められているようだ、と。
すべては錯覚だ。性質が悪いにもほどがあると、半ば憤りながら思う。
がくぽならばカイトと出会った最初から、その色香に溺れきっているのだ。
かわいい娘だと思った――手を出し控えたのは、町人の未通女など面倒極まりないという建前と、それ以上に面倒な、己の出自ゆえだ。
こんな無邪気で愛らしい娘を、生ける地獄に共連れにするわけにはいかない。
生まれた子供すら、場合によっては父であるがくぽ自身が、食らい潰さねばならないというのに。
遠目に眺めるだけで、堪えよう――
ひどくもやつく腹を抱えていたところに、あまりといえばあまりな秘密の露見だ。
男だとわかったからといって、想いが萎えることはなかった。
かえって、希望を見出した気になった。
ただの町娘に手を出すことなど、できない。一時の快楽で済む、そんな軽々しい想いでもない。
けれど、男でありながら娘の形をし、形だけでなく周囲を完全に欺いて暮らすなど、尋常ではない。
天下の江戸城下でそんな暮らしをするものが、只者であるわけがない。
ならば、生き地獄に共連れても、もしかしたら――
「まったくもって、まだまだそなたは開発の余地があるゆえな。俺がこれからも、丹念に手ほどきをしてやろう？暇な時間はすべて、そなたに注ぎこんでやろうから」
「………っ」
耳に吹き込まれるささやきは甘く熱っぽく、ぱっと見上げたカイトの瞳を潤ませる理由が変わる。
只者ではないはずなのだが、カイトの見せる無邪気さも無垢さも、嘘偽りのないものだ。真実心から、カイトは無邪気であり、無垢だ――ある意味でもって確かに只者ではないが、それはがくぽが望む方向かどうか。
「がくぽさま」
「俺が念入りに手ほどきしてやるのだ。最終的には、そうだな。それこそ、江戸中の男がそなたに血迷って追い回し、口説きに躍起となり、相争うようにしようか」
「が、くぽ、さま…………っ」
熱っぽく蕩けていたカイトの表情が、あからさまに曇る。抗議するように、掴まれたままの着物が引っ張られた。
「い、いやです、そこまでは…………っ。俺は、ばれない程度に娘に見えれば、それで…………っ」
もっともな抗議だが、がくぽは鼻で笑い飛ばした。
真っ赤な顔で睨んでくるカイトのこめかみにくちびるを落とすと、抱きしめていた体を離す。小路から出ると、道に置いた手桶を持った。
「がくぽさまっ！」
がくぽが気まぐれに振る舞うのは、いつものことだ。
たまにはこちらの要望も聞けと呼ぶカイトに、がくぽは小馬鹿にした笑みを浮かべ、ひらりと手を振る。
「志は高く持て、カイト。目指せるならば、より高みを目指せ」
「そ、れは………そういう、ものも、あるでしょうけれどっ！これはっ。大体、そんなふうに争われるくらいになっても、困ります、俺っ。さっき、ひとりだけだってうまくあしらえなかったのにっ」
「そうだな。そこもおいおい、教えねばな」
「がくぽさまっ！」
すたすたと歩き出したがくぽを、カイトも小走りで追う。しかし追いつくことはなく、微妙な距離が空いている。
何気なさを装って視線だけ投げて、がくぽはくちびるを微妙な笑みに歪めた。
カイトは自分で自分の手を押さえている――おそらくは、先に二度、掴むなと払われたことを気にして。
迂闊に近寄ればまた、掴んでしまう。そして、払われる。
それを、恐れて――
つくづくと、極悪な性質だ。
期待してはいけないと戒める先から、がくぽの心に希望を持たせる。
「だがしかし、まあ………」
「っ、ぁ、がくぽ、さまっ！」
素早く体を反して空いている手を伸ばし、がくぽは遅れてついてくるカイトの手を取った。きゅ、と握ると、再びすたすたと歩き出す。
「がくぽ、さま………っ」
「いくら教えようとも、そなたが数多の男を上手くあしらえるようになるとも思われん。仕方ないゆえな。俺が責任持って、そなたのことを守ってやるさ」
「………っ！」
繋いだ手が、ぴくりと跳ねたことを感じた。
がくぽは殊更に力を込めて、さらにカイトを間近に寄せる。
隣に並んだカイトが見つめていることを知りつつも顔は向けず、がくぽはくちびるに笑みを刷いた。
「言ったろう。暇な時間はすべて、そなたに注ぎこんでやると。幸いかどうか、俺は今、連日暇だ。そなたにすべての時間を呉れてやる」
「がくぽさま」
「やさしい男だろう？岡惚れの甲斐もあろうが」
華やかな笑顔を向けたがくぽに、カイトはきゅっとくちびるを噛んだ。
色よい返事を期待したわけでもない。カイトが望む方向の答えを言ったつもりもない。
気にすることなく、がくぽは前を向いた。
繋いだ手にきゅっと力が込められ、空いたもう一方の手が添えられる。体が近づいた気配があって、がくぽは密かに息を呑んだ。
そろりと視線だけ向けたが、俯いたカイトの顔はよく見えなかった。ただ、短い髪から覗く耳朶が赤く染まり、うなじへときれいに色を刷いている。
違う意味でこくりと咽喉を鳴らし、がくぽは繋ぐ手に力を込めた。さりげなく体を寄せると、まっすぐと前を見据える。
「………とりあえず、俺は今日はもう、暇だ。そなたの娘らしさを、さらに磨くことにしようか」
「っ…………」
ものは言いようだ。つまりは、これから体を開くと言われているのだ。
ぱっと顔を上げたカイトだが、特に反論もしなかった。ただ、繋ぐ手に力がこもり、添えられた手が縋るように袖を掴む。
自分のねぐらまで、そう遠くはない。
所詮は狭い長屋通りだ。
だが、その道が果てしなく長く遠く感じられて、がくぽはきりりとくちびるを噛んだ。