しゅるりと帯が締められ、ぽんぽんと軽く叩かれて、皺が伸ばされる。
「よし、終いじゃ」
満足げな色を含んだ言葉で着替えの終了を告げられ、おとなしく正座していたカイトは顔を上げた。
夢色花噺-01-
「毎日ありがとう、グミさま」
傍らに膝立ちしている少女に微笑んで言って、それからほんの少し居心地悪げに眉を下げる。
「…………ごめんなさい。グミさまみたいなお姫さまにこんな、下働きのひとみたいなこと、毎日させて………」
カイトの謝罪に、謝られた方、大家老家として名を轟かせる印胤家の一の娘、グミは、大きな瞳をますます大きく見張った。
「なにを言うか、およめさま。あにさまの大事なおよめさまのお世話ぞ?あにさまが妾に任せてくださったのは、光栄なことじゃと思うておる」
「グミさま」
カイトはほんわりと目元を染めて、グミを見る。
グミが口にする、「およめさま」という呼び名は、ひたすらに気恥ずかしい。
確かにカイトはてんやわんやあった挙句、グミの兄、現在は印胤家当主であるがくぽのところに嫁入りした。
しかし、そもそもは男だ。
こうして女性ものの晴れやかな着物に身を包み、かんざしなどで頭を飾られても、実際は男だ。
身分も素性も偽って、そうして得た「およめさま」の地位だから、呼ばれるたびにうれしいやら申し訳ないやら、複雑な心持ちになる。
もちろん、身分も素性も偽らせたのはがくぽで、そうまでして強引に、跡継ぎも生めないカイトを嫁にと望んだのもがくぽだ。
好きあっていればこそ、こうして無茶苦茶も受け入れて共に生きる道を選んだが、周囲に明かせるわけもない。
そのために、カイトの身の周りの世話は、秘密を打ち明けられたグミが見ていた。
とはいえグミは大家老家である印胤家の一の娘で、本来ならひとの面倒など見る立場ではない。見られるほうだ。
しかもそうやって気まずく思っているのに、どうして毎日まいにち面倒を見て貰っているかといえば、その理由がまた、いたたまれない。
正式に嫁ぐ前、印胤家とも縁の深い武家である、始音家の養女として嫁入り準備を整えている間にも、がくぽは連日、カイトの元に通っていた。
そんなにも暇だったのかというと、カイトのほうもしきたりやらなにやら、覚えることや嫁入りの準備で忙しかったのだが、がくぽのほうも忙しかったはずだ。
カイトを嫁に迎えるにあたり、がくぽは今までの放蕩生活を改め、実家である印胤家に戻った。
ところがほどなくして、父である先代当主が亡くなり、実家に戻ったばかりのがくぽは落ち着く間もなく、印胤家当主として立ったのだ。
決して口には出さなかったが、身内で喰らい合うのが常態と化している印胤家で、新当主として立ったばかりのがくぽの忙しさと心労は、かなりのものだったはずだ。
それですら、一日たりとて、関係が切れることはなかった。
そして晴れて嫁入りし、一つ屋根の下に暮らすようになると、がくぽは完璧に自制を捨てた。
傍にいると、飽き足らずになにかしら仕掛けられる。
腰砕けはすでにカイトの基本となっていて、たかが屋敷の中を歩き回ることすら、時に覚束ない。
まさに耽溺されている状態なのだ。
そういう不埒な理由で迷惑を掛け通しなので、カイトとしてはグミに対して頭が上がらない心地だった。
だが、義妹に迷惑を掛けたくないからという理由で、がくぽを拒絶することも出来ない。
がくぽに触れられると他のことがすべて、頭から飛んでしまうのだ。
いつまで経っても、馴れるということがない。
「およめさま、」
そのカイトの葛藤に、グミがなにか言い差す。
だが一言発するより先に、障子の桟がかりかりと引っ掻かれた。
「グミちゃん、グミちゃん!ねねさまのお着替え終わった?もう入ってもイイ?」
「リリィか」
障子に映る影に、グミは軽く眉をひそめる。かりりと頭を掻き、それからカイトを見た。
そもそもここは、お嫁に入ったカイトにと与えられた部屋だ。部屋の主として、カイトが答えるのが筋だ。
「どうぞ、リリィちゃん」
快く受け入れて、カイトは了承の言葉を掛けた。
「うふふww」
答えに怪しい笑い声が返り、そろりと障子が開けられる。しかし、全開にはされない。
細いほそい隙間から、切れ長の瞳がうっそりと中を覗きこんだ。
「リリィ……………」
グミがますます眉をひそめ、立ち上がる。すたすたと歩いて行くと、覗き見状態の障子を、からりと大きく開いた。
「あん、グミちゃんっ」
「あんじゃないわ。なんじゃ、そのやりようは。印胤家息女ともあろうものが」
責めるように見上げた少女――ひどく仇っぽい印象を受ける彼女に、グミはつけつけと言った。
覗き見ごっこに興じる彼女もまた、がくぽの妹のひとり、印胤家二の娘であるリリィだ。
紛れもない女性だが、どこか幼い少女の面影を残し続ける姉のグミより、破天荒にして猥雑な生き方を求める兄の方に似ている。
「もう。正面からまともに見るより、こうやって陰から覗いたほうが、ねねさまがいやらしくていいのに」
「リリィちゃん………っ」
「いやらしうなくて良い。いやらしうなくて!」
「いたっ!」
リリィのとんでも発言にカイトは顔を赤くして絶句し、グミは手首を閃かせて妹の頭を叩き飛ばす。
「あにさまのおよめさまじゃぞ!もう少しう、態度と言葉に気をつけい!」
「だ・か・らぁ。よけーにいやらしいんじゃないのぉ。『あの』おにぃちゃんに、連日連夜愛されまくっちゃって、うふふふふww」
叩かれようと、まったく懲りた様子がない。
怪しく笑いながら、リリィは四つん這いで、ぺたぺたとカイトに近寄ってくる。
きれいに着付けられた着物の衿に、ひょいと手を伸ばした。
「ほらぁ、」
「触るな、うつけが」
「いたっ!」
衿が崩されるより先に、リリィの手が叩き落とされた。叩き落としたのは、グミではない。
頭こそ垂らし髪だが、きっちりと正装を着こなしたがくぽだ。
朝議から帰って来て、着替えもしないでまっすぐとカイトの様子を見に来たらしい。わずかに髪が乱れているのが、急いでいたことを証立てている。
がくぽは渋面でリリィを睨みながら、カイトの傍らに回った。
「ひとが仕事で留守にすれば、油断も隙もない。そなたはカイトに触れるなと、幾度言えばわかる」
「ひっどぉい、おにぃちゃん!」
正装をきちっと着こなしている割に、町人ごっこをしていたときと変わらずに粗雑に座りこむと、がくぽはカイトを抱いて引き寄せた。
「おかえりなさいませ、がくぽさ、んっ」
うれしそうに頬を染めて言うカイトのくちびるが、がくぽのくちびるで塞がれる。反射で開くくちびるを甘噛みし、がくぽはカイトの口中を存分に味わった。
「ふぁあ…………っ」
とろんと溶け崩れたカイトをさらに抱き寄せ、がくぽは甘く笑った。
「只今帰った、カイト」
「んぅ……」
唾液で濡れるカイトのくちびるを舐め、がくぽは潤む瞳を覗きこんだ。
それこそリリィの言うとおりに連日連夜愛でているが、少しも飽きない。
潤む瞳を覗きこむと、いつでも咽喉が鳴る。
「カイト……」
「あにさま」
さらにカイトに耽溺しようとしたがくぽに、冷たい声が掛けられる。
がくぽは寸暇止まり、かりりと首を掻いた。
「なんだ、グミ」
顔を向けて一の妹を見れば、グミは半眼でリリィの隣に正座していた。
リリィのほうは目の前で展開される濡れ場に、生き生きと瞳を輝かせている。なんとも対照的な姉妹だ。
「妾は最近、ひとつ諦めたことがある」
つけつけと告げられた内容に、がくぽは眉をひそめた。
「なんだ?そなたが諦めたと?なにを諦めたのだ」
訊かれて、グミは忌々しげに眉をひそめ、吐き出した。
「およめさまのくちびるに紅を引くことじゃ。
これだけ愛らしいおよめさまじゃ。紅を引けばさぞ映えるというに、妾が引いてもひいても、どこかのあにさまがべろべろちゅうちゅうと舐め取ってしまうゆえ」
「ぐ、グミさまっ」
グミの言いように、赤くなったのはカイトだけだ。
反射で手をやって隠されたくちびるに目をやって、がくぽは笑った。
「紅など引かずとも。俺が存分に吸ってやれば、いくらでも紅く咲く。いや、紅など引くよりよほど、鮮やかに咲くぞ」
「がくぽさまっ」
自信満々に吐き出され、カイトは責めるようにがくぽの胸を叩いた。がくぽは笑ってその拳を掴み、くちびるをつける。
「そうよ、グミちゃん。おにぃちゃんに吸わせておいたほうが、ねねさまの口がいやらしくていいわ」
「ぬしはそればかりか!」
「だから触らせぬと言うのだ」
姉と兄の言葉が重なり、リリィは肩を竦めた。
「だってほんとに……」
言い差して、黙る。
唐突な動きで、くるりと後ろを振り向いた。
「がちゃちゃん、かくれんぼ?」