結局、カイトが声を出せるようになったのは、五日が経過してからだった。

夢色噺-08-

その前には薬の効果もあってか、咽喉の痛みは大分薄らいでいたのだが、意外にまじめな医師であるリリィが、頑として声を出すことを禁じたのだ。

「いいわ」

ようやくそうやって許可を下ろしたのが、五日目のことだ。

仕事で面倒が起こって、昼過ぎに出かけて行ったがくぽが帰らないままに夕餉の時間も過ぎ、食後の薬の前に診ての、待ちに待った許可だった。

「今日はまだ、薬を飲んでもらうけど…。痛みも引いたでしょもうおっきな声を出しても平気なはずよ」

「…っ」

リリィの言葉に、布団に座ったカイトはふわ、と笑った。傍らで心配そうにしていたグミへ、こくりと頷く。

「ああ、良かった…………ほんに良かった………!」

「………」

涙ぐんで喜ぶグミの頭を、カイトはよしよしと撫でてやる。

まるで幼い子のような扱いに、グミは瞬間的に困ったように顔をしかめ、しかし結局は笑って、撫でられるに任せた。

「ぅふふふふふ、和んだところで、今日のおくすり~☆」

「っっ」

差し出された茶碗に、カイトは反射で仰け反る。逃げ出そうとしてなんとか思いとどまり、しかし壮絶に顔を歪めて、茶碗を見つめた。

五日の間飲み続けて、結局、馴れることのない味だった。諦めることも出来ない味だった。

いつもならがくぽが膝に乗せて、強引に飲ませる。がくぽに与えられるものを拒まないカイトだから、どうにか飲み続けたのだ。

しかし今日、がくぽはいない。

ひとりでなんとか、飲みきらなければならない。

「ねねさま~」

「およめさま………」

「………っ」

浮かべる表情は悦と苦渋と違っても、姉妹に揃って迫られて、カイトはごくりと唾を飲みこんだ。

そうやって飲みこんでも、今は痛みに顔を歪めることもないし、咳きこむこともない。

それもこれも、この薬のおかげ。――だが。

「………っっ」

「ぉお☆」

悲愴な顔になって茶碗を奪い取り、カイトは勢いに任せて口をつけた。

途中何度も吐き戻したくなるのを堪え、どうにかこうにか飲みきる。

「っけほっっぅくっ」

「およめさまっ」

反射で出る洟を啜り、カイトは涙目で空になった茶椀を置く。咳きこむカイトの背を、グミが懸命にさすった。

そのカイトの目の前に、リリィは新しい茶碗を差し出す。

「はい、ねねさま。口直し」

潤んだ瞳で見つめるカイトに、リリィは茶碗を置いた。脇に置いた薬箱の中に、いくつかあるうちのひとつの小瓶の蓋を開けて、中身を見せる。

中には角ばった、茶色い粒が入っていた。

「ざらめ水。さすがに氷は無理だわ。あれはおにぃちゃんだから出来る無茶よ。というわけで、ざらめ水で我慢して」

「………」

それだとて、ずいぶん高価な口直しだ。

カイトは茶碗を取ると、口に運んだ。

「………っ」

舌が蕩けるかと思うほどに、甘い。リリィはけちることなく、これでもかとざらめ糖を入れたらしい。

カイトは舌の上で転がすようにしてざらめ水を飲み、苦味を洗い流した。

「………」

飲み干して、カイトはわずかに首を傾げる。

舌が蕩けるように甘かった――のに。

まだ、苦味が残っているような気がする。

おそらく、がくぽが与えてくれる削り氷より、さらにその何倍も甘かったはずだ。

なのに、なにかが足らない――

「およめさま足らぬか?」

口元を押さえて考えこむカイトを、心配そうな顔のグミが覗きこむ。

浮かない表情のままのカイトに、グミはきっとしてリリィを睨んだ。

「リリィ、けちりはしなかったろうな?」

「しないわよ!」

姉の言葉に、リリィは慌てて叫び返す。

無闇な姉妹戦争が勃発しそうな気配に、カイトは慌てて顔を上げた。グミの袖を掴んで、しかしすぐにはっとして障子のほうを見る。

腰を浮かすと同時に、廊下を歩く乱暴な足音がして、障子が開かれた。

「只今帰った!」

「あら、おにぃちゃん」

「お帰りなさいませ、あにさま」

急いで帰って来たのだろう。わずかに髪を振り乱して、がくぽは足早にカイトの傍らに来ると、どっかりと座った。

カイトの手が伸びるのとともに自分も手を伸ばし、頭を引き寄せて口づける。

口の中を軽く舐めて離れ、がくぽはちろりとくちびるを舐めた。

「まだ薬は飲んでおらぬのか?」

問いに、カイトはふるりと首を横に振る。

がくぽは首を傾げ、再び確かめるようにカイトに口づけた。軽く探って離れ、眉をひそめる。

「それにしては、口が甘い」

「おにぃちゃんに言われたとおり、ちゃんとざらめ水を上げたわよ」

答えたのはリリィだ。ざらめ糖の入った瓶を突きだし、軽く振る。

「そうか」

ふんぞり返って頷いたがくぽに、カイトは手を伸ばす。

甘いざらめ水でも流せなかった苦味が、がくぽが舐めていったことで、ようやく落ち着いた。

高価な氷よりざらめ糖より、がくぽの口づけひとつのほうが、なによりの。

首に回した腕でがくぽを引き寄せると、カイトはくちびるを開いた。

「がくぽさま」

「………っっ」

こぼれた甘い声に、がくぽは瞳を見張る。微笑むカイトを見てから、リリィを振り返った。

今度はリリィが、ふんぞり返って頷く。

しかしがくぽは、そんな妹に構いつけはしなかった。

間近にあって微笑むカイトを、真剣に見つめる。

「カイト、もう一度呼べ。もう一度、俺の名を」

乞われて、カイトはがくぽの耳元にくちびるを寄せた。

「がくぽさま、大好き………」

「………っ」

「んくっ」

骨も折れよとばかりにきつく抱きしめられて、カイトは呻いた。

カイトの肩に顔を埋めたがくぽは、震えて爪を立てる。

「………ぁ、がくぽ、さま………っ」

かすかな悲鳴を上げるカイトを、がくぽはさらに容赦なく抱きしめ、まるで縋りつくようにして、ようやくつぶやいた。

「済まなかった」

「………っ」

吐き出された謝罪に、カイトは瞬間、瞳を見張る。

しかしすぐに微笑むと、痛みを堪えて身動ぎ、がくぽの体になんとか腕を回した。

自分からもがくぽを抱きしめて、その体に凭れる。

「がくぽさま…………大好き」

くり返される言葉に、がくぽは爪を立てることで応える。

肩口が濡れているような気がして、カイトはがくぽの背を宥めるように撫でた。