最後のひと口が、咽喉を冷やして消える。

「よしよし、今宵もきちんと食えたな」

「…っ」

ふわ、と微笑んだカイトに、給餌していた椀を置いたがくぽはくちびるを寄せる。

ひんやりと冷え切ったくちびるを己の熱で覆い、甘くなった口の中を軽く探った。

夢色噺-07-

咽喉の痛みに、食事も満足に摂れないカイトだ。

グミがあれやこれやと気を遣って、重湯やら葛湯やらを、手を変え品を変えして用意してくれるのだが、ひと口二口で音を上げてしまう。

そしてさらに、食事のたびに与えられるリリィの特製薬だ。

苦い以上の言葉がこの世に存在しないことが憎たらしくなるほど苦いその薬を、これは音を上げることも出来ずに、飲み干さなければならない。

そのカイトに与えられる、口直しであり、栄養補助となっているのが、がくぽが手に入れてくる氷と、ざらめ糖だった。

食事のたびごとに氷を食べられるなど、贅沢を通り越している。

最初は震え上がったカイトだが、咽喉を冷やされる心地よさと、ほんのり舌を和ませる甘さに、すぐに夢中になった。

朝は無理だが、ほかはがくぽが給餌して、カイトに氷を食べさせる。

初日こそ、怠さに自力で起きることも叶わなかったカイトだが、三日目にはどうにか起き上がれるまでになった。

そしてその晩となると、ずっと起きていることは無理でも、食事の間くらいなら床を離れていられるようになった。

よく効くと、きょうだい揃って太鼓判を押す、リリィの薬の効果だろう。

それでもがくぽはカイトを膝に乗せ、自分で匙を持って食べさせた。

「……っけほっ」

「ああ、済まぬ……」

舌で触れられた一か所に、危うく声を上げかけて、カイトは咳きこむ。

離れたがくぽは、身を折って咳きこむカイトの背を撫で、まだ熱い体を抱きしめた。

「大丈夫…………大丈夫だ。せぬと言ったからには、これ以上せぬゆえ………」

「………」

それも不思議に思えて、カイトは涙に潤んだ瞳で、がくぽを見つめる。

確かにまだ、カイトは熱が下がりきらない体だ。無理強いをしないというのは当然かもしれないが――。

頼りない灯りの下でもその表情が読み取れて、がくぽは笑った。

「そなたは信じられぬかもしれぬがな。これでいて、俺には堪え性があるのだ。せぬと誓ったからには、そうやすやすと破りはせぬ程度にはな」

「……」

瞳を揺らして首を傾げるカイトは、がくぽの胸元にそっと手をやる。強請るようにも、問うようにも取れるしぐさで着物が引かれ、がくぽは苦笑して顔を逸らした。

開いた障子から、月明かりに照らされる庭が見える。

「………………グミが願うたことはな。出来る限りは叶えてやると、誓うておる」

「…っ?」

「違う。アレには言うておらん。俺が勝手に誓うておるだけだ」

「……」

庭を眺めたままの言葉に、カイトはがくぽの着物を掴んだ手に力を込める。

がくぽは笑って、瞳を揺らすカイトへと顔を向けた。

「グミはな、俺の初めてのきょうだいだ。初めて、同腹で生まれた、きょうだいだった。そなたとて、覚えはないか初めて生まれたきょうだいは、特別に見えたであろう?」

「………」

問いに、カイトは首を傾げる。

がくぽは印胤家の長子、つまりいちばんめだ。

しかしカイトは長男ではあっても、長子ではない。先に、メイコという姉がいた。つまり、二番目だ。

メイコが特別かというなら、それは確かに特別なきょうだいだが、おそらくがくぽが意図するものと、同じではない。

困ったような表情に、そこらへんの事情を思い出したのだろう。

がくぽもまた、わずかに困ったように微笑み、再び庭へと顔をやった。

「……………グミが生まれたときな。俺は正直、がっかりしたのだ。なんだ、女か、と思うてな。女では刀も持てぬ、馬にも乗れぬ。なにひとつとして、遊ぶことも出来ぬ。きょうだいとはいえ、詰まらぬものが出来たものだと」

語り出したがくぽの口調は、静かでやわらかい。

顔を逸らされていても、カイトは懸命にがくぽの瞳を見つめて、話に耳を傾けた。

そのカイトの体をゆるく抱き、がくぽはかすかな笑い声を漏らす。

「愚かなことよ。…………カイト、アレはな。これまで俺に、待てだの、自分に合わせろだの、滅多に言うたことがないのだ」

「…?」

きょとんと首を傾げたカイトへちらりと視線をやり、がくぽは胸元に縋りついたままの手を取った。痩せているからというだけでなく、骨ばったそれを撫でて弄ぶ。

「歩いていて、俺が先に行くだろう付いて来られぬなら要らぬと、俺はさっさと歩いて行く。それでもアレはな、待ってくれとか、自分の歩調に合わせろだとか、文句を言わぬのだ。黙って、置いて行かれる」

「…」

「それでな。姿が見えなくなったで、もう諦めたろうと思って、俺が歩調を緩めるだろうするといつの間にかな、俺に追いついて、すぐ後ろを歩いている。振り返ってやると、置いて行かれた恨み言もなしで、うれしそうに笑ってな」

思い出したのか、がくぽはひどくうれしそうに笑った。まるで、振り返ってもらえたのが、自分であるかのように。

じっと見つめるカイトに、がくぽは肩を竦めた。

「最初のグミが、そうであったろう。俺はな、きょうだいとはそういうものかと思っていた。したら、リリィが出来たろう――アレのかしましさと言ったらない。待ての合わせろの、果てには、どうしてそうも勝手なのだと詰られる。どちらの言い分だ」

「……」

文句を言っているようだが、声は明るい。

愉しそうに弾む言葉に、カイトは小さく笑って、がくぽの胸に凭れた。

さらりとこぼれる短い髪を梳いてやって、がくぽは俯く。懐く頭に顔を半ば埋めて、熱い頬を撫でた。

「がちゃぽもな、大して変わらぬぞ。待って、置いてかないで、が口癖だ。リリィほどに激しく詰りはせぬが――」

リリィの性格の苛烈さは、きょうだいの中でも抜きん出ている。ある意味で、がくぽといちばんよく似ているのが、リリィだ。

ぶつかり方も激しいのだろうと察して、カイトはがくぽの胸に頭を擦りつけた。

慰めるようでもあるそのしぐさに、がくぽはカイトを抱く腕に力を込める。

「――グミはな。言うたことがない。ようようそれに気がついて、あるとき訊いてみた。なにゆえ、そなたは待ての置いて行くなのと、言わぬのか、と。したら、アレはこう答えた」

――あにさまに付いて行きたいのは、妾の勝手じゃもの。

あっさりと放り投げられた、当然過ぎるとばかりの答え。

――自儘に行かれるあにさまに、付いて行きたいのじゃ。でもそれは妾の勝手なのじゃから、あにさまはそのまま、自儘に行ってくださればよい。妾も勝手に付いて行く。

静かに、淀みもなく吐き出された。

たとえ家族といえ、嘘と虚栄と策謀を持って対するのが印胤家だ。

なのに、グミはあまりに素直に、純粋に言葉を紡いで。

「……………そういう女だからな。アレが俺に、待てだのなんだの口出すときは、相当の覚悟と考えがある。だからな、アレが待てと言いだしたときには、素直に聴いてやろうと決めたのだ」

そこまで言って、がくぽは笑ってカイトを見つめた。

「なに、そう長いことでもない。いずれはアレも、相応の男の元へ嫁ぐ。一途な女だからな。嫁いだ理由がなんであれ、今度は嫁ぎ先に尽くすようになるだろう。そうなれば俺に構いつけることもない。それまでの、わずかばかりの時間だ。付き合うてやって悪いこともあるまい。そう思っただけのことだ」

「………」

最後はどこか気まずげに口早になったがくぽを見つめ、カイトはわずかに首を傾げた。

再び庭を眺めるがくぽを見つめたまま、しばらく考える。それから、片手をがくぽの頬に添えて、首を伸ばした。

「っ」

触れるだけの口づけに、がくぽは瞳を見張る。

「………」

「………カイト」

微笑むカイトに、がくぽはかりりと頭を掻いた。膝の上の体をきつく抱きしめると、肩口に顔を埋める。

痛みに顔をしかめながらもおとなしくしているカイトに、がくぽは呻くようにつぶやいた。

「誓った…………誓ったのだ。そなたの本復まで、手は出さぬと……………っ」

その後に続いた言葉は小さ過ぎて、カイトの耳には届かなかった。