「ぅふふ、ぅふ、ぅふふふふふふふふh」

「やめんか、気色悪いおよめさまの体に障るわ!!」

「いたっ!!」

カイトのための薬湯をつくりながら悦に入って笑っていたリリィに、当然のことながら、グミの手刀が落ちる。

夢色噺-06-

痛みで我に返ったリリィは、遠くかすかに聞こえる鐘の音に眉をひそめた。

もう午時を過ぎる。

いつもなら朝議を終えた兄が、とっくに帰って来ているはずだ。

「おにぃちゃん、帰って来ないわね」

「御詮議が長引いておるのじゃろう。そういう日もある」

布団に横になったカイトの額に置いた手拭いを冷たい水に浸し直しながら、グミがさらりと言う。

リリィはぷうと頬を膨らませ、落ち着いた態度の姉を睨んだ。

「なにも、今日じゃなくても……………」

グミに対して、カイトとの「子作り」を控えると宣言したがくぽは、そのまますぐに、朝議のために城へと出勤してしまった。

今日くらい休めばいい、とリリィなどは思ったが、グミは止めることもなく、がくぽ自身もあっさりと出かけてしまった。

カイトは縋りつきこそしなかったが、瞳に浮かぶ色は寂しげだ。

あれだけ溺愛しているおよめさまが、御不調なのだ。しかも誰のせいといって、どこかの旦那様のせいで。

そんな日くらい、仕事など放りだしておよめさまの傍にいて、看病してやればいいものを。

「病人へのいちばんの薬は、愛情なのに」

「ん?」

ぼそっとつぶやいたリリィの言葉が聞き取れず、グミが顔を向ける。

いつもの大人らしい仇っぽさはどこへやら、子供そのままに頬を膨らませた妹を見て、肩を竦めた。

「誰も看るものがおらねばともかく、妾たちがおるのじゃぞ。あにさまには、きちんとお仕事していただかねば」

「ふーん、だ」

鼻を鳴らし、リリィは茶碗に薬湯を注いだ。片手に持って、横たわるカイトににじり寄る。

「ねねさま、お薬のお時間よ。朝も飲んだやつ。リリィ特製抗炎症薬兼滋養強壮薬☆」

「…っ」

にじり寄ったリリィが手に持った茶碗を見つめ、カイトの顔が引きつった。

だるい体なのに、身もがいてリリィから離れようとまでする。

「……………およめさま、堪えてくりゃれ。リリィの薬は、味はアレじゃが、よう効く。こればかりは確かなのじゃ」

「そう、味はアレよ。とってもアレだわ。うふふふふふふふふh」

グミの言葉に、リリィがうれしそうに笑う。

カイトはますます引きつって、体を強張らせた。

朝もつくってくれたリリィの薬は、それはそれは苦かった。苦いというか、苦かった。

苦いという言葉の意味が、身に沁みる苦さだった。

引きつるカイトと、リリィとグミとの間に、微妙な緊張が満ちる。

その緊張を破ったのは、足音も荒く、ようやく帰って来たがくぽだった。

「只今帰ったぞ!」

「あにさま?」

「おっそい、おにぃちゃん!」

グミは瞳を見張ったが、リリィは思うがままに罵った。

グミが驚くのも道理で、朝出掛けるときにはきちんと正装していたがくぽは、なぜか町人のような着流し姿に変わっていた。最前、カイトと出会った当初、身上を偽って長屋暮らしをしていたころのような軽装だ。

その恰好で片手に椀を持ったがくぽは、足音高くカイトの枕元にやって来ると、どっかりと胡坐を掻いた。

「薬は飲んだか、カイトん、まだ飲みやらぬか」

「…っ」

持っていた椀をとりあえず脇に置くと、がくぽは軽々とカイトの体を起こした。

膝に乗せると、リリィの手から薬湯の入った椀を取り、カイトの口に当てる。

「…」

「飲め。不味いこと比較の対象も思い浮かばぬが、よう効く」

「…」

がくぽに言われると、カイトも拒みきれない。渋々と開いた口に、がくぽは器用に薬湯を流しこむ。

「止まるな。一気に飲め。分けるとかえって気力が萎える」

「…………っっ」

苦いことももちろんだが、飲みこむ動きのたびに、咽喉に激痛が走る。

がくぽに言われるまま懸命に飲むカイトだったが、きつく閉じられた瞳からは、ほろりと涙がこぼれた。

「……っ………っっ」

「よしよし、終いだ。よく飲んだな。良い子だ」

「……っけほっ」

壮絶に顔をしかめたまま咳きこむカイトの背を撫で、がくぽは飲み干された薬湯の碗をグミに渡した。

受け取ったグミは、兄が持って来た椀の中身を見て、瞳を細める。

「遅うなるわけじゃ」

「ほんとね」

同じく覗きこんだリリィも、呆れたような、うれしいような、複雑な声で同意する。

こんなときに仕事に出掛けた兄の真意を疑ったが、確かに「これ」は仕事先に行って掛けあわねば、手に入らない。

妹たちのことなど気にもしないがくぽは、咳がひと段落ついたカイトの目元からこぼれた涙を、袖で拭ってやる。そのついでに顎を持ち上げ、苦さに歪むくちびるに舌を伸ばした。

「………っ」

「あー、おにぃちゃん………」

ごく自然とくちびるを合わせ、カイトの口の中を弄る兄の姿に、リリィは気忙しげにグミを見た。

グミの表情は険しい。

口こそ出さないものの、がくぽがこれ以上の行為に及んだら、どう出るかわからない。

「っ」

「苦いな」

口を離したがくぽは、濡れたそこをべろりと舐めながらつぶやく。

熱のせいだけでなく潤んだ瞳のカイトを見つめ、やわらかく微笑んだ。

「いつもいつも甘いのが、そなたの口なのにな」

「…」

「辛かろう褒美を持って来てやったゆえな」

蕩けるようにやさしい声音で言いながら、がくぽは脇に置いた椀を持ち上げた。

「?」

きょとんと瞳を見張るカイトに、椀に差した匙で、中身を掬う。

「削り氷だ」

「…っ」

「氷を薄く削ってな。そこに、ざらめ水をかけてある。冷たくて甘い。熱のあるときには、美味いぞ」

言いながら、瞳を見張るカイトの口元に匙を運んだ。

「食え。口直しになる」

「…」

カイトが目を見張るのは、今が氷の出来る時期ではないからだ。

今の時期に出回る氷となれば、それは貴重どころの話ではない。将軍の御蔵に、大切に仕舞われているもののはずだ。

しかも、ざらめ糖まで使っているとなれば、驚くように高価な口直しとなる。いや、「口直し」の言葉が冒涜過ぎる一品だ。

「溶けるぞ」

「…っ」

促されて、カイトはおそるおそるとくちびるを開く。がくぽはそこに匙を差しこんだ。

「………っ」

冷たさと、次に来る甘さ。

こくりと飲みこめば、咽喉は相変わらず痛いのに、ひんやりと冷やされて熱が奪われ、気持ちよくもある。

「美味いか?」

「っ………」

おいしい、と答えようとしたカイトのくちびるは、言葉を発するより先に、がくぽのくちびるに塞がれた。

軽く口の中を舐めて離れ、がくぽは笑う。

「話すなと言われておろう。そなたの考えることなど、表情で一目瞭然だ。言葉なぞなくともよい。ただ顔を見せろ」

「……」

複雑な表情になったカイトの口元に、がくぽは再び、削り氷を乗せた匙を閃かせる。

「食え。溶けてしまっては、さすがに勿体ない」

「…っ」

カイトは素直に口を開き、がくぽはやさしい手つきで匙を運ぶ。

「…………グミちゃん」

「ああ」

珍しくもリリィに促され、表情を緩めたグミは立ち上がった。

お邪魔も甚だしい。

夢中になって氷を食べるカイトと、愉しげに給餌に徹するがくぽを置いて、妹たちはそっと部屋から出た。

「ねーたま」

出たところに、心配そうな顔のがちゃぽが潜んでいた。気忙しげに部屋の中を覗きこむその手に、小さな野花が握られている。

「がちゃちゃん、やっさしーい。ねねさまのお見舞いなんだぁ?」

笑うリリィに、がちゃぽはふわ、と赤くなった。

しかしすぐにまじめな顔になると、グミを見上げる。

「ねーたま、およめたまのとこ、いってもい?」

「…」

朝、騒ぎを聞きつけてやって来たときには、追い払われたがちゃぽだ。

窺う顔の弟に、グミはわずかに眉をひそめた。軽く部屋の中を振り返り、それから厳しく弟を見下ろす。

「がちゃぽ。ぬしはしばらく、およめさまに近づくこと厳禁じゃ」

「え、グミちゃん?」

「ねーたま」

きょとんとするリリィと、瞳を潤ませるがちゃぽを見やり、グミは険しい表情を崩さないままに手を振った。

「がちゃぽ、ぬしは印胤家の男児じゃ。およめさまにうつつを抜かす暇があるなら、血を吐くように学び、鍛えよ。さもなくば、あにさまに食われて骸を晒すが、印胤家男児の宿業ぞ」

「ねーたま……」

「少なくとも、およめさまが本復なさるまで、ぬしは部屋にも近づくな。その時間を己を鍛えることに使え」

姉の厳しい言いように、がちゃぽは洟を啜る。野花を握る手がぶるぶると震え、大きな瞳はこぼれそうなほどに潤んだ。

グミはわずかに表情をやわらげると、そんな弟を抱き上げる。きつく力をこめて抱きしめると、ささやいた。

「情け深きおよめさまが来ようとも、ここは蛇の巣、印胤家に変わりない。生き残りたいなら、まずは己を守るすべを身に付けよ。さもなくば、如何なあにさまとて、ぬしを庇い切れぬ。果てには、食い殺さねばならなくなる。ぬしは印胤家の男児じゃ。重々承知して、男と成れ」