「納得いかないわぁ」
ぶすっと頬を膨らませて、寝癖を直す暇も与えられず、着替える暇もなかったリリィがこぼす。
夢色花噺-05-
年頃の少女としては、いくら屋敷の中とはいえ、寝間着姿のまま、そこに割烹着を羽織っただけという恰好は、ご遠慮申し上げたいところだ。しかも、髪に櫛を通すことすら、させて貰えなかった。
しかし納得いかないのは、恰好のことではない。
「なぁんで、まず声を掛けるのがグミちゃんなのよ。医師の技を持つのは、あたしよ?グミちゃんじゃ起こしたって、手拭い濡らすくらいしか出来ないのに」
「そんなことはどうでも良い!いいから、カイトはどうなのだ!」
苛々と兄が叫び、リリィはますます頬を膨らませた。
珍しくも動転しきった兄は、まず一の妹であるグミを起こした。そこでグミがカイトの様子を見て、医師の技を持つリリィを起こしに走ったのだ。
二度手間甚だしい。
なにより兄だとて、グミでは手当てが出来ないとわかっていたはずだ。
グミはカイトの世話を請け負ってはいるが、基本はお姫さまだ。読み書き裁縫こそ出来ても、専門的な医術の知識も技もない。
主に趣味の意味合いでそういったものを極めているのはリリィで、これまでだってなんだかんだと技を披露して、兄だって彼女の腕前は知っているはずなのだ。
それなのに、まず起こしたのはグミ。
いくら信頼がないとはいえ、危急のときに。
リリィの傍らには、やはり寝間着姿で、寝癖爆発状態のグミが座っている。
険しい顔の彼女もまた、妹の文句に付き合う気はないようだった。
「リリィ、早う見立てを申せ」
「…………ちくしょぉ」
急かされて、リリィは武家の息女としてあるまじき罵倒を吐く。
しかし布団に横たわったカイトの、熱に潤む瞳と目が合ってしまい、わずかに身を引いた。
熱に浮かされたねねさまもいやらしい。いやらしいが、そこはかとなく憐れさが誘われてしまうとか。
闇に名を轟かせる印胤家息女として、あるまじき感情だ。憐れみだなどと。
沽券に関わる以上に、存在意義にまで波及する。
「ちくしょぉ」
リリィは再びつぶやいてから、肩を竦めた。
「咽喉の粘膜が裂けてるわ。まっかっかの熟れ熟れよ。まあ、当然だけど」
「リリィ」
責める調子のグミを、リリィは頬を膨らませ、上目遣いに睨んだ。
「なによ、当然でしょ?あんな、屋敷中に響き渡るような声で一晩中、叫んでるのよ。咽喉ってそんな、強い器官じゃないんだからね。あんなことしたら、そりゃ、裂けるわよ。どこのおにぃちゃんのせいだか知らないけど」
「…」
いつもなら、兄への態度がなっていないと叱るグミも、今日は口を噤んだ。じっとりした目で、気まずく顔を逸らした兄を見る。
確かに昨夜は、常軌を逸していた。
屋敷に一晩中、悲鳴が響き渡っていることはある意味、印胤家の常態だが、相手が相手だ。
耽溺し、溺愛し、吐き戻しそうなほどに甘く愛しているおよめさまを、ああまで責め立てるなど。
「咽喉の炎症で、体まで熱を出してるのよ。まずは咽喉をなんとかしないと、熱も下がらないわ。薬湯はつくるけど」
普段からは想像がつかないほどきびきびと言い、リリィは少しだけ眉をひそめた。
「少なくとも、四、五日はしゃべっちゃだめよ。そうね、二日くらいは、ごはんも食べられないかも。……………重湯とか、葛湯かしら。固形物は飲みこめないと思うわ。痛いもの」
「五日も?!」
「二日も?!」
兄と姉の声が、悲痛に揃う。だが、微妙に言っていることが違う。
リリィは首を傾げたが、その違いを追求するより前に、グミに押し迫られた。
「二日もものが食えぬと申すのか?!体力をつけねばならぬときに、二日も!!」
「っだから、痛いったら!!薬湯はつくるけど、それを飲むのだってたぶん、大変よ!今、唾を飲みこむのだって、すっごく痛いはずなのよ!それくらい傷ついてるんだったら!!」
「っっ!!」
あまりの剣幕に慌てて叫び返したリリィに、グミは壮絶な顔でくちびるを噛んだ。
苦々しい顔をしている兄を、きっと睨む。
「今日という今日は勘弁ならぬ!!」
「グミ」
叫んだ妹に、珍しくもがくぽの腰が引けた。
構わず、グミは兄に向ってびしりと指を突きつけた。
「あにさま、しばらく、子作りは厳禁じゃ!!」
「こづくり?!!」
素っ頓狂な声で叫んだのはリリィだ。
もれなく、リリィもカイトの性別を知っている。兄がどれだけ励んでも、カイトは決して子供を生めない。
つまりグミが言いたいのは、性交禁止、ということだろうが、それにしても選ぶ言葉が言葉だ。
呆れるリリィなど構いつけず、グミはきりきりとがくぽを睨む。
いつもいつも、あにさまのことを立てよ、あにさまへの態度に気をつけよと弟妹に言い聞かせ、自ら手本として振る舞っている彼女らしくもない。
「…グミ」
「聞かぬぞ!!いいか、あにさま。日の光の下で、冷静になって、よっくとこれを見よ!!」
「っっ!!」
「わぉ」
グミは乱暴に布団を跳ね除けると、一度は着せたカイトの寝間着を、がばりと肌蹴た。
リリィが棚ぼたとばかりに身を乗り出し、カイトは熱のせいで赤い顔をさらに赤くする。
カイトの体は、あちこち花痣だらけだ。
古いものから新しいものまで、いくつもいくつもちりばめられ、消える日はない。ぬめるように白い肌に、その色はあまりに扇情的に映える。
だが、グミが言いたいのはそのことではなかった。
慌てるおよめさまを無視し、グミは肌蹴た胸元を指差す。
「これを見よ、あにさま!この、あばらの浮いた体を!!貧相にやせ細った、この憐れがましい体を!!」
「…………貧相というほどでは」
妹の剣幕に押されつつも、ぼそりとつぶやいたがくぽの言葉は、ある意味正しい。
女性ではないカイトの胸はもともと肉がないし、そもそもがそれほど肉のある体でもなかった。確かに若干、細った感はあるが、『貧相な』までつけて、やせ細ったとは言い過ぎな気がする。
しかしグミは、かえって怒りを煽られたようだった。ずいと身を乗り出す。
「いいか!!印胤家のおよめさまじゃぞ!!印胤家のおよめさまともあろうものが、あばらが浮いておるのじゃぞ!!天下に名を轟かせた印胤家にお嫁入りしたからには、三界の珍味に贅沢三昧と、およめさまにはぶくぶくと肥え太られても、なんの不思議もないというに」
「肥え太ったねねさま……………は、ちょっといやだわ…………」
リリィが脇で、ぼそりとつぶやく。
身を引き気味にしているがくぽとて同感だし、カイトとしてもぶくぶくとまで肥え太るのは遠慮したい。
グミは周囲の反応をまるで気にせず、拳を握る。奥歯がぎしぎしと軋んだ。
「わかるか、あにさま…………およめさまのあばらが浮いているという、その一事でな。印胤家には、およめさまひとりの養い口もないらしいと、噂される原因になるのじゃぞ。貰ったはいいが、およめさまひとりを食わせることも出来ぬらしいと。引いては、およめさまを貰った、あにさまの甲斐性が足らぬとまで行くのじゃ。つまり、あにさまの甲斐性が疑われるのじゃ!!」
「っっ」
さすがに、痛恨の打撃の連続だった。
たとえ噂でも、カイトが不幸な目に遭っているのは我慢がならない。噂であっても、しあわせでいて欲しいのだ。
そのうえに甲斐性が疑われるとなれば、連打攻撃が決まり過ぎて、瀕死状態だ。
よろめいて布団に片手をついたがくぽはすでに負け犬状態だったが、グミの追撃は緩むことはなかった。
「なにゆえおよめさまが斯様にやせ細られたか、原因がわかるか、あにさま。どこぞの、およめさまに耽溺するあにさまがな、夜も昼もなく、およめさまを構いつけては精を搾り取られるからじゃ。常に腰砕け状態のおよめさまは動き回れぬゆえ、体が衰えられる。寝たきりの病人の肉が落ちていくと、同じじゃ。しかも疲れ切っていて食が細られ、一食一食、満足にお食べにもならぬ。二重三重になにが悪いか、わかろうな?!」
叩きつけられる言葉に、がくぽはうっそりと顔を上げた。がりりと頭を掻き、天を仰ぐ。
睨みつけるグミへ視線をやり、しかし大して考える間を置くでもなく、肩を竦めた。
「わかった。しばらく控える」
「っ」
「ええええ?!」
あまりにあっさり放り出された答えに、カイトは瞳を見開いたが、開くなと言われた口を開くより先に、リリィが叫んだ。
「ちょ、本気で?!おにぃちゃん、本気で?!!」
「二度も訊くな、鬱陶しい」
「大事なことだから二回訊くのよ!!」
なぜかリリィのほうが動転して、泡を食った顔でグミとがくぽを見比べる。
兄の答えを聞いてもグミは険しい顔のままで、緊張が緩む様子はない。
「え、グミちゃん、それっていつまで?!いつまでおにぃちゃんはお触り禁止なの?!」
「落ち着け、粗忽もの」
「いたっ」
組みついてくるリリィの額に、グミは容赦なく手刀を落とす。
険しい顔のまま、なぜか当事者である兄より慌てている妹を睨んだ。
「お触り禁止とは言うておらぬ。子作りを控えろと言うておるだけじゃ」
「だから、いつまでよ?!」
「およめさまの体に肉が戻られるまでじゃ」
「っっ!!」
卒倒しかけたのは、今度もなぜかリリィだった。一瞬だが本気で気を失いかけ、ふらりと揺れてから兄へと視線をやる。
苦々しい顔のがくぽは、しかし、前言を撤回するようなことはなかった。
「わかった」
「おにぃちゃぁあああああんっっっ?!!!」
がくぽがあっさり放つ応えに、リリィの絶叫が轟いた。