裸の体になにを纏うでもなく、起き上がったがくぽは布団の上に胡坐を掻いた。
ぐったりと意識を失ったカイトの体を膝に抱え上げ、近くに放り出してあった煙草盆から、煙管を手繰り寄せる。
徒夢繚乱恋噺-02-
「わかってたけど、鬼畜だなあ、がっくん」
「…」
のそのそと布団の傍に寄って来て、呆れたように感想をこぼす義妹に応えず、がくぽはカイトを抱えたまま、器用に火を入れた煙管を咥えた。煙を吸い込み、吐き出す。
「おにぃちゃん、そんなんで体持つの?」
「余計な世話だ」
心配しているというより、下世話な好奇心といった声音で訊かれて、がくぽは吐き出した。
そもそもは、この闖入者がなければ、ああまで酷く攻め立てたりしなかったのだ。ただ、ゆるやかな快楽に蕩けさせて、甘く啼かせただけで済んだというのに。
自分が妬心の制御が出来ない自覚こそ持ったが、だからなんだという話で、一向に制御できるようにならない。
カイトが拒んだのが、きょうだいに見られて痴態を晒すのがいやだ、という意味だとわかりはするのだが、自分よりきょうだいを選ぶのか、と――
「………くそっ」
「ふっひゃひゃ」
「………」
思わずこぼした悪態に、ミクが遠慮なく笑った。だからそもそもは――
睨みつけるがくぽに、ミクはにやにやとした笑みを浮かべたままだ。
「いいんじゃないの?おにぃちゃんは愛されてるなって、ボクは安心するよ」
「…………余計な世話だ。それより、そなただ。いったい、何用あって……」
言葉の途中で、がくぽは煙管を咥えた。腕の中の体を抱え直す。
「ん………」
小さく呻いて、カイトが瞳を開く。まずがくぽを映した瞳が、ほんわりと和んで微笑みを浮かべた。
なにもかもを赦して受け入れる瞳に、がくぽも笑う。自分ではいつもの通りに笑っているつもりだが、傍から見ると、ずいぶんと気弱に。
「カイト」
「がくぽさま……」
呼びながら額にかかる前髪を梳き上げてやると、くすぐったそうに笑って、くちびるが寄せられた。煙管を咥えたがくぽのくちびるの端に、触れるだけの口づけが与えられる。
「よしよし…」
「ん…」
がくぽは一度、くちびるから煙管を離す。煙をあさっての方向に吐き出すと、強請るくちびるにくちびるを寄せた。軽く吸い付いて、舐める。
「ん、にが……」
「そなたは甘い」
「んふ………」
カイトが満足するまで、感覚を刺激し過ぎない、やわらかな口づけをくり返す。
「ぇへ……」
「よしよし」
かわいらしく笑って擦りついてきたカイトの肩を撫で、がくぽは再び煙管を咥えた。
「あーうんうん、仲睦まじいねえ。ボクはほんっとに安心したよ、おにぃちゃん」
「って、わっ?!ミク?!!」
「わー、ボク本気で忘れられてたー」
するりと入って来た妹の声に跳ね上がったカイトの体に、ミクはあさっての方向を向いて笑った。
さっきまで見られるのいやとかなんとか、意識していてくれたのに、ちょっとしたらこれだ。
「っわ、わわっ」
「落ち着け」
膝の上で暴れる体に、がくぽは億劫そうに手を伸ばし、跳ね除けていた掛物を取って掛けてやる。
肌が隠されると、カイトはとりあえず落ち着いた。
きちんと気を遣ってくれたがくぽの胸に、一度、ねこのように擦りつく。がくぽはぴくりと一瞬、眉を痙攣させたが、素知らぬ顔で煙管を咥えた。
「で、えーっと、ミク………いったいどうしたの、こんな刻限に?っていうかそもそも、俺と会っていいの?」
「そうだ。そなた確か、里外に嫁に行ったきょうだいとは会えぬ身ではないか。百何条ある掟による定めで」
「ああうん、まあそうなんだけどね」
兄たちの問いに、ミクはへらっと笑った。
ミクとカイトは、夜陰に乗じて悪人から財宝を盗み、それを貧民にばら撒くことを生業とする、ねずみ小僧一族の一員だ。いや、カイトに関しては過去形で語るべきだろう。
カイトはがくぽと恋仲になって「嫁」に行った時点で、ねずみ小僧失格となり、今後里に出入りするべからずの身となっている。
がくぽと添い遂げるまでのすったもんだといい、今、カイトと家族を隔てる決まりといい、ねずみ小僧一族の一派、くりねずみ一家には掟が多い。これをして一家のものは、「忘れちゃいけないけど忘れがちな」という定冠詞を付けて内容を語るのだが。
その、忘れちゃいけないが忘れがちな掟には、一族外の男の元へ嫁に行ったものは、以後一切里に帰れない、家族と会ってもいけない、というものがあった。
そのため、カイトはがくぽのところに嫁入りした時点で、家族とすっぱり縁を切った――はず、だった。
それが、なぜか、ミクがここにいる。
誰よりも掟を遵守しなければいけない、くりねずみ一家のお屋形であるミクが。
へらっと笑ったミクは、人差し指を立てて、くるくると回した。
「あたらしー掟つくったよ☆
『第327条、掟の71条に関する例外規定。ただし、嫁に行った元ねずみ小僧が男の場合、71条の摘要除外とする』
……つまり、『嫁』に行ったのが男だったら、会っちゃだめっていうの、ナシってこと」
「……」
がくぽは半眼になって、カイトの肩に顎を乗せた。指が、軽く煙管を振る。
カイトはわずかに瞳を見張ってから、首を傾げた。
「ねえ、それ、『同性の元に嫁に行ったものは除く』にしたら、めーちゃんにも会いにいけないかな?」
「カイト……」
めーちゃんことメイコは、カイトとミクの姉だ。やはり江戸で恋仲の相手が出来て里抜けした身で、こちらも一応、掟によって会うことが出来ない。
里から江戸へと出向した一族が、一人前となるまでの世話係の任を負っているから、出向してきた里者とは会うことが出来るが、ミクのようにお屋形となってしまうと、会う道はない。
嫌いあって別れた家族でもなし、会える道があるならつくりたいのが人情だ。
そう願ってのカイトの無邪気な提案に、がくぽは眉をひそめた。
情は情だが、掟がそんなに軽々しくてどうするのか、と――
嗜めるより前に、ミクがぱん!と膝を叩いた。元々大きな瞳がさらに大きく見開かれ、興奮して身を乗り出す。
「おにぃちゃんは天才かっっ?!!おうち帰ったら早速、掟の336条として、新たにそれを書き加えとく!!」
「うん、よろしくね、ミク」
「……………」
忘れちゃいけないが忘れがちな掟――が、なぜそうまで数を膨らませたのか、理由の一端が垣間見えた。
がくぽは呆れて視線を流し、煙管を咥える。
「で、まあ、それはそれとして………じゃあミクは、遊びに来たの?」
首を傾げたカイトに、ミクは打って変わって渋面になると、首を振った。頭の上で結われた髪が、動きに合わせて大きく揺れる。
「違うよ。さすがのボクでも、そうそうお屋形業を放り出して、江戸に遊びになんか来られない。そうじゃなくて、――ルカちゃんを、連れ戻しに来たんだ」
「ルカちゃん?!!」
「ん?」
素っ頓狂な叫び声を上げたカイトに、がくぽは煙管を咥えたまま視線を流した。抱く腕を少しだけずらし、肌を辿って、さっきも散々弄った、カイトの胸の突起をつまむ。
余韻が残っているカイトの体は、素直に跳ねた。
「っぁんっ」
かわいらしい悲鳴を上げたカイトに、がくぽは至って平静に訊ねる。
「ルカとは誰だ」
「も、がくぽさま……っ」
「ん?」
アレなやり方で意識を自分に向けさせて訊いたがくぽに、カイトはくちびるを尖らせた。
文句を連ねる口調で責めるように名前を呼んで、首を伸ばす。煙管を咥えるくちびるの端に、軽く触れるだけの口づけをした。
文句じゃないんかい!と一瞬畳に沈みかけたミクは、一種の土下座状態で、大きく肩を落とした。
「いいなー仲いいなー、うらめしい一文字変えてうらやましい」
「一文字変えても、『羨ましい』にはならぬよな?」
あさっての方向に煙を吐き出してから落ち着いてツッコみ、がくぽはお返しで、カイトのくちびるに軽く触れる。それから改めてカイトの瞳を覗きこんだ。
「身内か?」
問いに、カイトは困ったように眉をひそめた。言いにくそうに口ごもり、悄然と項垂れる。
「…………妹のひとりなんですけど。……その、いろいろあって、家出中で……………長らく、行方がわからなかったんです」
不明瞭な声音で、もそもそと言う。
言い方は気になるが、カイトの口調には心配がにじみ出ている。がくぽは手に持った煙管を軽く揺らした。
「それはまた…心配だな」
「はい」
これにははっきりと頷き、カイトは未だに沈みかけて奮闘中の妹を見た。
「ルカちゃん、見つかったの?どこにいるの?元気なの?他人様にご迷惑お掛けしてない?」
矢継ぎ早な問いに、ミクは体を起こすと、肩を竦めた。
「吉原にいた。花魁やってるよ」