一方、カイトだ。
元の座敷に戻ると、ぱたんと障子を閉めて、へたり込んだ。
陰淫夢香花噺-02-
「ふぁ…………ぅ」
小さく、吐息をこぼす。心なしか、熱っぽい。
吐いた息を追うように身を屈めて、カイトは足をもぞつかせた。
くん、と鼻を鳴らす。
甘い香り――今さっきまで、障子を開きっぱなしだった。花の香はそうそうすぐに消えるほどではなく、座敷を満たしている。
「どー………し、よ」
甘い香りを吸い込みながら目を閉じ、カイトはつぶやく。その足が落ち着きなくもぞついて、体の脇に置いた手が、きゅっと拳を握った。
「………だ、だめ。だめだめ、そんなの………が、がくぽさまが、いらっしゃらないのに………は、はしたない………」
もごもごとつぶやく頬が、ほんのりと染まっていく。
呼吸が熱を持ち、一度は握った拳が、開いて閉じてをくり返した。
「…………ん、ぅ………う。い、いらっしゃらない、がくぽさまが、悪い………ゆ、夢には出ていらっしゃったくせに、起きても帰っていらっしゃらないなんて………」
こぼす声が潤み、熱を孕んで滴る。
カイトは薄く瞳を開き、外の音を窺った。
静かだ。
――どこで誰がなにをしていようとも、少なくとも、およめさまであるカイトの座敷の周辺は、静かだ。
ひとはいない。
不要に寄れば、主のこれ以上ない不興を買う。
だから、よほどのことでもなければ、カイトの座敷にひとは寄らない。
気軽に寄るのは、肝心の主から面倒を見るようにと言いつけられている、彼の上の妹だけ。
その妹は現在、弟に掛かりきっていた。およめさまが起きたことも確認したし、しばらくは様子を窺いに来ないだろう。
「………ちょ、っと、だ、け………なら」
切れ切れにつぶやいて、カイトはそろそろと体を起こした。
うなじまで染め上げた状態で、惑いながら己の体へと手を這わせる。
「ちょ、ちょっとだけ………ちょっとだけ、だから………」
言い訳をつぶやきながら、カイトは足を崩した。着物の袷から手を差し込み、顔を背けて、下半身を探る。
「ん…………っ、ぁ、はぁ………っ」
布の上から撫でただけで、カイトのくちびるは甘い声を漏らす。
「ぁ、ん………っ、ん、ゃ………っ」
触れるまでは躊躇っても、触れてしまうともう、堪え切れなかった。
カイトは甘い声を上げながら、下着の中へと手を差し込む。それが不自由だとわかると、震える手で懸命に紐を解き、下着を取り去った。
のみならず、上に着ている着物の帯の締め付けも邪魔になり、ひどく苦労しながらも、帯も外してしまう。
重い帯が落ちて、はらりと着物が肌蹴られた。
「ん、ゃ………こ、んな………こんな、の………だめ、なのに………っ」
ひどく興奮している自分に、カイトはわずかな戸惑いをこぼす。
けれどもう、それしか考えられない。
体が疼いてうずいて、熱が篭もって苦しい。
吐き出して、楽になりたい。
思うのはそれだけで、止めたい手が止められない。
「ぁ、あ………っ、はぁ、ん………っ」
熱の篭もった吐息をこぼしながら、カイトは着物の中に手を差し込み、すでに硬く反り返っている自分のものを掴んだ。
「ぁあ………っふ………っ」
その瞬間に走ったのが、痺れるほどの快楽だ。
そもそもが日々、昼夜なく夫に開かれ、快楽を仕込まれている体だ。貞淑な性質ではあったが、同時にひどく敏感でもあった。
触れて走った快楽に、意識が一瞬で持って行かれてしまう。
「………っ、……っっ」
初めは恐る恐ると片手を這わせただけだったが、すぐにカイトは両手で己を掴み、扱いていた。
がくぽのものは何度も煽ったが、自分のものはあまり触れることがない。カイトの体でありながら、触れるのはがくぽの特権だ。
「………っぁ、ふ……ふ………っ、ゃ、やっぱり………俺、がくぽさまの、お手じゃない、と………っ」
懸命に煽っていたカイトだが、ややして苦しげにつぶやいた。
ある程度まで体が煽られるのだが、これという決定的な波が来ない。
来ないままに、熱だけが篭もって苦しくなる。
前々からそうだった。
想いを通じ合わせる前、嫁入りする前から。
奥手なこともあったが、特殊な生育環境にあったため、性情動に悩まされたことが少なかったのが、カイトだ。
自分で慰めることもあまりなく、いわばすべてにおいてほとんど初物であったのを、がくぽに仕込まれた。
外見こそ娘の形をしながらも、間違いなく男である証を扱かれ、擦られ、撫でられ――
――見てみよ。こうも反り返って、汁をこぼして。浅ましいな、カイト?娘でなど、ありはせぬな、そなた………間違いのう、男だ。
「ん、がくぽ、さま………っ」
募る快楽と、上手く吐き出せない熱と。
苛まれて、カイトの瞳に涙が浮かぶ。
そうやって初めて快楽というものを仕込まれたが、当時は常に傍にあったわけではない。
めおとでもなく、情人ですらなく、同じ長屋に住むだけの、赤の他人。
夜ともなれば、決してお互い出入りなどせずに――
そんなときにたまさか昼の熱が蘇って、自分で慰めようとしたことがある。
が、うまくいったことはない。
技巧が拙いということもあったが、なにかが物足らずに、熱だけが募り篭もって。
まんじりとも出来なかった夜が明けた翌朝に、わざとがくぽの傍に行って煽るような真似をし、篭もった熱を吐き出したこともある。
あまりに浅ましいと後悔に苛まれて、何度か同じことをした後には、自分で慰めようとすることを止めた。
慰めようとしなければ、そこまでひどい状態に陥らない。
なによりがくぽは、ほとんど毎日のようにカイトを求めた――
それから正式に娶られて、なおのこと自分で触れる必要がなくなった。
腹心として頼りにする妹から説教されるほど、がくぽはカイトに触れて離れないからだ。
欲求不満に陥るより先に、体力が底を尽きそうなのが、カイトの日常だ。
だというのに。
「ぁ………ぁう…………っ」
じんとした痺れが募って、カイトは呻いた。
我慢できない。
どうしてもどうしても、灯った火が消えない。
「ぅ、だ、だめ………そんな、これ以上………はしたない………ぃや、おこられちゃぅ………ぁ、あ、もぉ………っ」
今になれば、どうして自分で慰めただけでは満足できなかったか、わかる。
がくぽはカイトの雄に触れた初めから、後ろのほうも共に覚えさせていた。
前だけの刺激ではない、後ろも共に刺激されて、それで達するように仕込まれたのだ。
そうしてゆくゆくは、後ろだけでも達するように。
当時のカイトはそんなこととは思わないから、前だけを弄り、物足りなさにかえって熱を募らせた。
けれど今のカイトは、わかる。
自分が前だけではイけない体になっているのだと、わかる、けれど――
「ぁ、ぁあ…………だめ、だめ…………そんな………そこまで、したら…………ぁ、おこられちゃぅ………ん、がくぽ、さま………っ」
――ここは自分のためだけに開け。
それが、妬心の激しい夫からの厳命だ。
羞恥に悶えるカイトを面白がって、たまにわざと自分で弄らせたりするが、基本的には己以外が触れることを厭う。
いくらカイト本人とはいえ、夫の不在に、ひとりきりで弄ったと言えば――理不尽極まりないが、怒る、ような。
再三言うが、カイトの体だ。カイトの、体なのだが。
悋気に駆られたときの夫の厄介さときたら、愛があるないの問題では済まない。
命がけだ。
もちろん、それが本当に正当な怒りなら、カイトだとて大人しく引き裂かれる覚悟はしている。
しているが、大体においてがくぽの怒りは妄想過多か、さもなければ神経症から来るものだ。いわば、虐げられることが日常となった印胤家の人間に、特有のもの。
一時的な病の発作で大人しく引き裂かれては、後で我に返ったがくぽ自身すら危うい。
――厄介極まりないが、それでも愛している。愛おしい気持ちは募るばかりで、枯れも褪せもしない。
「ぅ…………っ、だめ…………っぁ、がまん、できな…………っ」
しかし今のところ問題は、夫への愛が尽きせぬ泉だということではない。
体に湧き上がる情動が、一向に治まる気配がないということだ。
「ん、がく、ぽ、さま………っぁ、ごめ、なさ………っ、ん、ぁ、ゆるし………っ」
うわごとのように不在の相手に容赦を乞いながら、カイトは片手を奥へと差し伸ばした。
反り返っても、決定的なものがないためにたらたらと汁をこぼすだけの自分で、手は十分に濡れている。
カイトはひくつきながら、伸ばした手で襞を撫でた。
そこに自分から触れることは、ない。
いつも、意地の悪い言葉で夫に促されて、淫らがましく振る舞えと強いられて、無理やりに。
「ん………っ」
畳に転がったカイトは、きゅっと瞳を閉じた。くちびるも噛むと、なにもしていないのにぱくぱくと物欲しげに蠢く場所に、指を差し入れる。
「ん………っ…………ふ…………っ」
差し入れた指を、そこは簡単に飲み込む。
ちゅぷりと浅いところを掻き回して、カイトの瞳から涙がこぼれた。
「ぅ、ん…………っ、ん………っ」
じゅぷ、と根元まで埋めて、それでもカイトの表情は歪んだままだ。噛み締めていたくちびるを開くと、忙しなく熱い呼吸をくり返す。
「め、だめ………っ、ぁ、ぅく………っ」
つぶやきながら、カイトは指の本数を増やした。じゅぷじゅぷと音を立てて掻き回し、きゅうっと締め付ける。
「ぅ、あ…………っぁ、ぁ…………っ」
呻いて、カイトはほろりと涙をこぼした。
その表情が苦悩に歪み、腰が悶える。
「ゃ、いや………っぃや、がくぽ、さま…………っ、ぃじわる、なさらないで…………ったらな………そんな、俺、足らない………っゆび、だけじゃ………っ」
朦朧とした意識の中、カイトは懸命に自分で自分を煽りながら、不在の相手を求める。
瞳からは涙が溢れて視界を霞ませ、口からは熱を持った吐息が忙しなくこぼれた。
両手は自分の雄と後ろとを責め、体を追い込もうとする。
それでも、足らない。
がくぽがしてくれたなら、足らないと啼きながらもきっと極みに達するが、自分では足らない。
「がくぽ、さま………っぉねが、ぃじわる………なさらな、で………っ、ぁあ………っ」
呻いて、カイトはぶるりと震えた。
もはや、はしたないだの浅ましいだの、そういった常識も貞操観念もない。
ひたすらに、この熱を吐き出したい。
吐き出して、楽になりたい。
その一心で、カイトは座敷を見回す。
およめさまのためにと、誂えられた座敷だ。
ここでがくぽと過ごすことも多く、そうとなると、必定――
「………っ」
正気を失ってぼやけていたカイトの瞳にも、瞬間的に光が戻る。
こくんと唾液を飲み込み、視線は座敷の片隅に置かれた長持ちを見つめた。
そこを開けたら、最後だ。
指で自分の後ろを慰めたどころの話ではない。