桃源神楽家
がくぽの前に正座したカイトは、わずかに背を撓めた。殊更に上目遣いとなると、うっすらと頬を染め、もじもじと夫を見つめる。
おねだり顔だ。
「あの、がくぽさま………おねg」
「よし、わかった。良いぞ」
「え?」
――皆まで言うどころか、おねだりを始める前に了承された。
きょとんとしたカイトは、撓めていた背を戻す。しぱしぱと瞳を瞬かせ、正対して座るがくぽに困ったように首を傾げた。
確かにがくぽは聡明さで抜きん出てはいるが、それにしても――
「ええと、がくぽさま………俺がなにをお願いするつもりなのか、わかって言っておられます?」
念のために訊いたカイトに、がくぽはまじめな顔で頷いた。
「知らん。が、そなたが殊更に強請ることを断る選択肢が、元々ない。で、なんだ?」
「がくぽさま………」
なにかしらがっくりしたカイトだが、なにかしらだ。なににがっくり来たのか、カイトにもよくわからなかった。
がっくりきたまま、しばらく口の中で言葉を転がしたカイトだが、がくぽが痺れを切らすより先に気を取り直した。
再び目元を染めて甘ったるく夫を見つめると、おずおずと要望を吐きこぼす。
「あの、がくぽさま………がくぽさまはいつも、俺のことを尊重してくださって、『そなた』と丁寧に呼んでくださいますけど……その、それが悪いとか、嫌だとかいうのでは、全然まったくないんですけれど」
「ふん?」
遠慮しいしい言うカイトの言葉はまだるっこしく、結論が遠い。がくぽはわずかに瞳を細め、もじもじと躊躇うカイトを眺めた。
カイトはさらにふわふわと、頬からうなじまでを朱に染めると、潤みながら熱っぽくがくぽを見つめた。
「あの……っ一度、一度だけで、いいんですけどっ………。その、俺のこと、……長屋とかの旦那さんがおかみさんを呼ぶみたいに………『おまえ』って、呼んでみて貰えませんか?」
「……………お…………、………か?」
請うたカイトに、珍しくもがくぽは戸惑う表情になった。表情だけでなく、腰も引け気味になっている。
カイトはわずかに慌てて、開いた距離を詰めるようにがくぽへと身を乗り出した。
「一回だけ………一回だけ、ですから!あの、その……がくぽさまは、生まれたときからお武家さまでいらして、そんな乱暴な言葉、使いつけないでしょうけど……。俺は里にいたころからずっと、そういう暮らしで………。旦那さんがおかみさんを呼ぶっていったら、『おまえ』だって、その、………丁寧に大切に扱ってくださるのは、うれしいし、………でも」
結局、気持ちを言葉にしきれず、カイトは尻すぼみに口を閉じた。代わりに、じじっと夫を見つめる。
じじっと、じじじっと、じじじじz
「…………わか、った。男に二言もない、ゆえ、な………」
元々、断る選択肢がない。先にも言いきったが、実際、ないのががくぽなのだ。
ゆえに断りようもなく、応と答えるしかない。が。
今さらなにをと言われるのは承知だが、カイトに対して乱暴な真似はしたくない。身体的にもだが、言葉遣いひとつとってもだ。丁寧に大切に、愛情だけに浸けこんで蕩かしたい。
しかしそもそもがカイトからの要望で、そして断る選択肢が存在しないのだ。
期待に染まって見つめるカイトを微妙な表情で見返し、がくぽは閊える咽喉を開くため、軽く咳払いした。
形よいくちびるが、言葉を押し出す。
「カイト………おまえ、少しぅ」
「はい、あなたぁ」
――がくぽに呼ばれた瞬間、カイトはまさに花開く笑みを浮かべた。背筋こそ伸びていたが、声も蕩けて滴る蜜が如くだ。
しばし呆然と見入ったがくぽだが、ややして天を仰いだ。
「ふっ」
軽く笑う。
次の瞬間。
「って、がくぽさまっ?!がくぽさまっ、あ、じゃなくて、あなたっ?!あのっ、だいじょうぶ……っ」
仰け反って座敷に倒れたがくぽに、カイトは慌てて腰を浮かせ、にじり寄る。
口元を押さえたがくぽは、おろおろと覗き込むカイトをぎろりと睨み上げた。
「ようも夫を嵌めたな、カイト……っ?!それほどに俺が鼻血を吹く姿を見たいのか?!」