高雅瑠璃卿
腰を落として、きゅっと拳を握る。すっと吸う、ひと息。
溜めて、刹那。
カイトのくちびるから、裂帛の気合いが吐き出された。
「がくぽさまっ!あいしてますあいしてますあいしてますっっ!!」
――否、気合いではなかった。愛の告白、睦言だった。
しかしカイトは腰を落として拳を固め、まるきり戦闘態勢としか見えない格好だ。くちびるから迸るのも、相手を圧迫するための気合いそのもので、闘気満々の声だ。
そんな態でカイトは座敷の中央に立ち、『愛の言葉』をくり返す。
「……てますあいしてますあいしてます、っしゃあっ!」
そして十度ほども叫ぶと、最後は本当に気合いの言葉で締めた。固めていた拳がしゅっしゅと鋭く音を立てて空を切り、架空の敵を高く遠くへ殴り飛ばす。
「よっしっ!!」
極まった拳をぐっと引いて身に寄せると、カイトは確信に満ちて頷いた。一度開いてからもう一度握り直し、爛々と輝く瞳で前、もとい架空の敵を見据える。
「言えるっ!今度こそ言えるっ!どっからでもかかってこいやぁっ!!」
――常に大人しやかで慎ましく、おっとりほわんと穏やかなおよめさまの面影は薄い。
いったいなにがしたいのか、周囲もカイト本人もまったく目的を見失うが、つまり、
「そうか、カイト?では早速、言ってもらおうか?」
「ぴぎゃっ?!」
ふんふんふんと鼻息も荒く気合いに満ちていたカイトだが、後ろから唐突に肩を叩かれ、情けなく飛び上がった。
カイトは元々が闇の生業、ねずみ小僧などをしていた身だ。これでいて気配に敏く、滅多なことでは易々と背中を取らせることはない。
例外を上げるなら、ただ一人。たった一人。
「がっ、……がくぽっ、さまっ?!」
「うむ」
飛び上がった勢いまま、ぐるんと光速で振り返ったおよめさまに頷いたのは、がくぽだ。
カイトがただ一人、背中を取ることを赦す相手――最愛にして唯一絶対の、旦那さまだ。
因業一族の長らしく、いつもは性悪さが先立つがくぽだが、今は素直で、神妙とも言い換えられる様子だった。
振り返ることで払われた手を懲りずに伸ばしたがくぽは、愕然としているおよめさまの腰を抱いて胸に寄せた。間近に顔を覗き込んで、しらりと告げる。
「さてでは、練習の成果を見せてもらおうか?俺に『愛している』と、言えるようになったのであろう?」
「みっ、み………っ?!い、いつ、いつから、どこ………っ!!」
全身を朱に染め、動揺も激しく言葉の覚束ないカイトの問いに、がくぽはにっこりと笑った。ことりと、首を傾げる。これもまた、いつもの性悪さとは打って変わった非常な愛らしさだった。
が。
「うむ。……………………わりとまったく、ことの最初からすべて、つまびらかに」
「ひぎ……っっ!!」
アレな理由でしていたソレな練習風景を、最初からがっつり見られていた。それも肝心要の相手に。
あまりの羞恥に意識を失いかけで泡を吹きそうなカイトに対し、がくぽは爽やかに善良な笑みを浮かべた。抱く腕に、わずかに力が込められる。
「さ、カイト………言ってくれ。俺に、俺のことを『愛している』と」
「ぅ、あ………っ………あ、あ、あぃっ、あ………っ」
促されるまま口を喘がせたカイトは、これ以上ないというほど、朱に染まり上がった。
一度、ひゅっと息を吸う。ぐっと、拳を固めた。溜めて、刹那。
「あ…………っアタマを冷やしてから、おととい来やがりますぅうううううっっ!!」
「がふっ!!」
叫びとともに、固めた拳が神速でもってくり出され、がくぽの鳩尾を容赦なく抉った。
予想して腹を固めていたがくぽだが、無駄だった。急所のつき方が、ツボを心得ている。素人の拳ではない。
もちろん素人ではないカイトは、腕が緩んだところで夫から離れ、だけでなく、ぅわぁああああんっと泣きながら座敷を飛び出して行った。
追うことも出来ず、無様にうずくまるだけのがくぽは、詰まる息をごほりと吐き出す。
つぶやいた。
「しまった………癖になったぞ」