ÉGÉRIE-02

きれいな晴れ着姿だが、純粋に女性ものとも言い難いのが、カイトの衣装だった。

上着は完全に、女性ものだ。しかし腰を覆うひらりとした巻き布の下には、膝まである下穿きを身に着けている。

地方にも因るが、巻き布の下にさらに下穿きを合わせるのは男の衣装だ。

問題があるとするなら、膝丈の下穿きは子供のものだということだ。完全なる成人男性となると、がくぽのようにくるぶしまでを覆い隠す。

膝に乗せた体は、骨が細く、軽かった。

まだ成長途中なのだと、それだけでもわかる。

わかるが、この場にいる以上、少なくとも結婚可能な十四歳以上――

「………だといいがな」

「はい?」

思わず遠い目になってぼやいたがくぽに、膝の上で甲斐甲斐しく給餌してくれていたカイトが無邪気に首を傾げる。

十四歳はちょうど、成長期のただなかだ。成長期の子供は多様に過ぎて、一概に年齢を計れるものではない。それは、遠目にすら男女の別やある程度の領民の顔の見分けをこなすがくぽですら、同じだ。

会場に集められた相手の雑多さを見れば、家宰の追い詰められようもわかる。

老婆を連れ込んだくらいだ。未だ結婚年齢に到達しない年頃の、幼子も――

「………ぞっとせんな」

「えと、りょうしゅ、さまぁ、っ」

「…………ふ」

遠い目から虚ろになっていくがくぽにさらに首を傾げたカイトだが、はっとして口を噤んだ。

もごもごとくちびるを蠢かせ、瞳を彷徨わせる。

がくぽは笑って、そんな相手の顎に手をかけた。

「俺のことは『領主』ではなく、名で呼べと言ったな忘れたか?」

「ぅうん。ぁ、いいえ…………えと、がくぽ、さま」

「いい子だ」

「ぁ…………」

舌足らずに呼ぶ相手に、がくぽは笑みの形のくちびるを落とした。眦に触れると、反射で閉じた瞼がぴくりと震える。

やわらかでなめらかな肌の感触を十分に楽しんでから、がくぽはくちびるを離した。

「ぁふ………っ」

「………やれやれ」

ほっと息を吐くカイトは耳からうなじまで赤く染め、膝の上でもぞもぞと身じろいで恥じ入る。

眺めながら、がくぽは嘆息した。

恐ろしいので、保身のためにも十四歳以上であると仮定し、カイトという相手を考えた場合――

未だに口調が幼く舌足らずなのは、緊張のためだろう。領主の膝に乗せられ、給餌しているのだ。あまり筋肉で鎧われていない体は本来はやわらかいはずなのに、強張ったままだ。

初めに感じた通り敬語も話しつけないようだし、緊張で呂律が回らない――として、それらを加味しても、ぎりぎりだ。

なにといって、諸々すべてのことが。

「あ、あのっ、ぁ………ええと、あの、これっ。えと、これも、おいしかった、えと、おいしかったです」

「そうか」

恥じらいを吹き飛ばそうと、カイトは大分残量の少なくなった皿から腸詰を選び、がくぽに勧める。

がくぽは微笑んで、軽く口を開いた。

寄越せと強請るしぐさに、カイトは肉叉を繰ってがくぽの口に腸詰を運ぶ。

すでに冷めているが、屋敷の料理長は熟練だ。こういった宴の料理は冷めてもおいしいように、香辛料や火加減に十分注意して仕上げている。

冷めてしまった腸詰でも、咬めば上質の脂が口の温度で溶けて飛び出し、香辛料がその脂のしつこさを爽やかに洗い流して、飽きない。

「美味かったか?」

「はい、とっても。………おいしく、ないですか?」

「いや。美味い」

問いに心配そうに返されて、がくぽは微笑んだ。ずっと染まったままのカイトの頬がふわんと赤みを増し、瞳が甘い熱に蕩ける。

見つめながら、がくぽは脂に汚れたくちびるをちろりと舐めた。

追い詰められた家宰が集めた相手の中には、男も混ざっていた。その中の一人が、おそらくはカイトだ。

カイトは料理の卓に張りついて、楽しそうに食事をしていた――が、ふと振り返って、がくぽを『見た』。

目が合った。

場所的にあり得ないことだと思うが、がくぽにはそうとしか言えない。

目が合って、一瞬きょとんとしてから、にっこりと――

「………そなた、なにゆえここに来た?」

「なんで、ですか?」

ほとんどの男が、まるきり女性の衣装を着ていたのに対し、カイトは最小限だ。

年齢や性格的なものから来る容貌を考えると、女性ものの晴れ着を着れば、がくぽでも見分けが難しいほどの美少女に変貌しただろう。

花飾りがひとつつけられただけの短い髪を弄びつつ訊いたがくぽに、カイトは束の間不思議そうにしてから、困ったように俯いた。

「りょ……がくぽさまが、ずっとここに、いらっしゃるから………こんなにおいしいごはんがあるのに。きっと食べられなくて、おなかが空いているだろうなって思って」

「ん?」

こぼされた言葉に、がくぽは髪を弄んでいた手を止めた。俯く相手の表情を見ようと、軽く屈む。

覗き込んだがくぽを、カイトは恥じらう横目で見返した。

「ごはん、食べさせて上げたいなって、思って………気がついたら、ここにいて」

「ああ。なるほど。そうではない」

「え?」

納得と否定を同時にやってのけたがくぽに、カイトは顔を上げた。苦笑しているのを認めて、心配そうに眉をひそめる。

眉間に刻まれたあえかな皺もかわいらしいと瞳を細めつつ、がくぽは再びカイトの短い髪を弄んだ。

「『この部屋』に来た理由ではない。『この宴』に来た理由だ。………まさかなにも知らぬでは、あるまい?」

「あ………っ」

かみ砕いて説明され、理解が及んだカイトの頬が羞恥にほわりと染まった。

くちびるで触れたい欲求に駆られ、がくぽは苦い笑みに誤魔化して歯を食いしばり堪える。

膝に座るカイトは、がくぽの葛藤にさっぱり思い及ばない。頬を染めたまま、小さく首を竦めた。

「あの、僕。今日、たんじょうび、なんです」

「………たんじょうび?」

意想外の答えに、がくぽはカイトの髪に指を絡めたまま止まった。

カイトははにかんだ――微妙に困った色も含んだ笑みのまま、こっくりと頷く。

「はい。それで、きょうだいが、お祝いしてくれるって言って」

「………ああ」

「ちょうど今日、領主さまが宴を開いて………ごちそうも出るって聞いて……。領主さまのとこのごちそうなんて、こんなこともなければ食べられないし……とっておきのごちそうを、僕のたんじょうびの、お祝いの料理にしちゃえって」

「…………………」

言いながら多少気まずげになったカイトから、がくぽは微妙に目線を逸らし、ため息を咬み殺した。

なにを考えて、領内の女性はこうも節操なく招かれるままに集まったのかと、そこも悩みの種だったのだが――

謎のひとつが解けた。

領主の妻という、玉の輿を真剣に狙っている乙女もいるだろう。

だが、普段なら入れない領主の屋敷を見てみたいとか、ごちそう目当てで来ているものも、かなりいると見た。

「物見遊山だな」

「えと………」

「だからそう、足元を見られるような計画を立てるなと、普段からあれほど」

「ごめんなさい」

がくぽが説教していたのは、ここにいない家宰だ。がくぽにはそういう癖がある。先もひとりきり、飽きることなく怨嗟を垂れ流していたように。

もちろんそんなことは、カイトにはわからない。膝の上で小さくなって謝ったが、それでがくぽは我に返った。

「なにゆえ、そなたが謝る?」

「だって………」

詰るように訊いたがくぽに、小さくなったままのカイトはきゅるんと潤んだ上目遣いを向けた。

びくりと、がくぽの体が硬くなる。

構うことなく、カイトはすぐに瞳を伏せた。

「りょうしゅさま、の………大切な、宴でしょ僕の、おたんじょうびのお祝いとか………勝手に、しちゃって」

「善意の理解にも程がある!」

「え?」

「いや……」

総毛立って叫んでから、がくぽはすぐに思い直した。

領主だ。領民ではない。

単なる成金が、金に飽かせて妻を買おうとしているのとは、違う。そこには自分たちの命運も掛かっているのだ。自分たちと、自分の子孫たちの。

がくぽが思うよりは、領民にとってこの宴は、それほど恥晒しなものでもないのかもしれない。

それなりに大切な意味を含んだ――あくまでも、がくぽが思うよりはという、その程度だが。

腰を落ち着け直してから、がくぽはふっと微笑んだ。

凄みさえ含んだ笑みを向けられて、きょとんと見つめていたカイトがほわりと赤みを増す。そのわりに体は引け気味で、がくぽに腰を抱えられて密着させられなければ、膝から落ちていたかもしれない。

「ぁ、その………」

「『領主さま』では、ないな俺のことは、なんと呼ぶ?」

「ぁ、あ………がくぽ、さま………」

「そうだろう時々に忘れるなど、そなたは悪い子だな………」

「ぁ、ん…………」

笑うがくぽのくちびるがこめかみに触れて、カイトはぴくりと震える。きゅっと瞼を閉じて竦みながら、手ががくぽの衣装を掴んで縋った。

こめかみから瞼に、鼻筋にとくちびるを辿らせて肌の感触を楽しみつつ、がくぽはカイトの膝に乗っていた皿をさりげなく退け、傍らの小卓に置く。

無意識にも、邪魔がなくなったことがわかったのだろう。カイトは自分から体を寄せて、擦りついて来た。

「………料理は、美味かったか?」

「ぁ………はい」

「ならば、なによりだ。誕生日おめでとう、カイト」

「ん、ぁ………っ」

耳朶にとろりと甘く吹き込まれ、カイトはぶるりと背筋を震わせる。

上がる声は熱っぽく蕩け、支えていてやらないと崩れた体が膝から落ちそうだ。

がくぽはやわらかにカイトを抱き、耳朶にくちびるを這わせた。

「で、カイト………そなた、いくつになった?」

実際のところ、かなり気が逸っていた。肝心なのは、そこだ。

意識して焦る声を抑え、殊更にゆっくり訊いたがくぽに、カイトは蕩けきったまま満面の笑みになった。

「ええと………リンちゃんとレンくんと、おんなじくらいって」

「は?」

それまでの雰囲気もなにもすべて吹き飛ばし、がくぽの声は訝しさに思い切り歪んだ。

出て来る固有名詞が唐突だ。そもそも誰で、それはいったいいくつなのか。

問いに答えていないも同然なのだが、カイトは気にすることなくほわほわと笑う。

「ミクが、カイトくんたぶん今それくらいだって。あともうちょっとしたら、僕、ミクとおんなじになって、追い越して、おにぃちゃんになります」

「み……おにぃ…………」

意味不明も極まった。

戸惑いながらくり返し、がくぽは一度、忘れ去っていた宴の会場へと目をやった。

追い込んだのはがくぽとはいえ、家宰のやることには腹が立つ。領民がわりと物見遊山な気分で、気軽に楽しんでくれているかもしれないとはわかったが、業腹は業腹。

怨嗟を思い出すことでかえって思考に落ち着きを取り戻し、がくぽは膝に抱くカイトへ視線を巡らせた。

料理の載った卓に張りつき、カイトは楽しそうに食べていた。

その傍らにいたのは――

「どうにも、聞き覚えのある名が出てきたような気がするな」

己にすら聞こえるか聞こえないかの声でつぶやき、がくぽはカイトをしっかりと見据えた。

「訊いておらなんだ。そなた、どこに住む、『なんの』カイトだ?」

「ん、えと、『なんの』?」

がくぽの問いがわからず、カイトは束の間瞳を瞬かせる。問われたことに理解が及んでいない表情のまま、ちょこんと首を傾げた。

「棲んでるのは、森です。森の外れ――街のはしっこに、森があるでしょうあの森の……」

「封じ森の、五魔女の係累か!」

たどたどしく説明される途中で叫び、がくぽはばったりと椅子に凭れた。

がくぽの治める領地、その街の外れには、広さもわからない森がある。

いや、見た目にはわかる。どこからどこらへんまでだろうと。

わからなくなるのは、迷いこんだ場合だ。

封じ森にはその名の通り、太古の魔法で『封じ』が掛かっている。魔法の渦中にあるのだ。

入れば感覚が狂い、道も狂い、歩けども歩けども果てがない――

その森を古くから監督し管理しているのが、一般に『封じ森の魔女』と呼ばれる血筋だ。

今は五人姉妹で治めているため、まとめて封じ森の五魔女と呼ばれる。

そのうちの三番目の姉妹が確か、名前をミクと――

「あの、がくぽさま姉妹、五人じゃないです………レンくんは男の子なので」

「知らん。女しか見たことがない」

「えええ………っ?!確かにレンくん、リンちゃんと双子で、そっくりだけど……っ!」

無碍に言われて、カイトは瞳を潤ませる。

構うことなく、がくぽは改めてカイトを眺めた。

「………女しか見たことがない。男はいなかった」

「ええとだから、レンくんが」

「五人だ。上から確か、メイコにルカ、ミク――末が双子。そなたを見たことはない」

「………はい」

詰るよりも説いて聞かせるように言われ、カイトも反論もせずに頷いた。

「だって僕、この間ミクに拾われて、孵化したばっかりですから。おにぃちゃんになるって言ったら、ミクが、ちょうどおにぃちゃんが欲しかったからおいでって、言ってくれて」

「孵化」

揺れる瞳を漫然と眺めながら、がくぽのきれいな形のくちびるが妖しい笑みに歪んでいく。

「封じ森で拾われ、『孵化』したそして拾ったのは、五魔女のひとり………」

「あ、あの、りょうしゅ、さま」

「だとすれば、そなたは人間ではない」

断じられて、カイトはむしろ不思議そうな色を宿した。きょとんとして、無邪気に頷く。

「はい。人間じゃ、ないです。さっきも言いました。おにぃちゃんになります」

「好都合だ。――意味はさっぱりわからんが」

わりと救いのないことを言い切り、がくぽの笑みは妖しさを増した。美貌と相俟って、それこそ魔女のようだ。

「人間ではなく、女でもないが、しかしなにかしら封じ森産。そして五魔女の係累――文句をつける勇があるものがいまい。なによりも………」

がくぽは笑んだまま、膝にちょんまりと収まっているカイトの顎に手を掛けると、顔を固定した。

「ところでカイト。そなた先にも、また……」

「え………ぁ。あ、ん………っ」

飛んだ詰り先に瞳を見開いたカイトだが、すぐに瞼が下りた。きゅっと閉じられた瞼を、くちびるがやわらかに辿っていく。

辿るくちびるは頬を撫で、カイトのくちびるの端を掠めて離れた。

「………ぁ………」

どこか残念そうに瞼を開いたカイトに、がくぽは微笑む。漫然とではなく、明確に相手を蠱惑する意図を持って。

「ふぁっ」

思うつぼでぶるりと背筋を震わせたカイトの瞳が、蕩けて曇る。眺めながら、がくぽはそっと顔を寄せた。

「俺のことは、『領主さま』ではなく、名前で呼べと言っているな仕方のない」

「ごめ、な………」

「しかし今日はそなたの晴れの日というし、鷹揚に赦してやろう。そのうえに、誕生日にこれ以上ない、贈り物をしてやる」

「え………?」

ぴたりと額を合わせられて、瞬くカイトのまつ毛ががくぽのまつ毛に掠る。

懸命に見ようとするカイトに笑って、がくぽはわずかに顔を傾けた。薄く開いたくちびるに、事態に追いつけないカイトのくちびるが飲みこまれる。

「ぁ……っ」

「そなたを俺の妻とする、カイト」