「ある日森の中くまさんに出会ったのですそして渡された白い貝がらの木の実がぱっかん開いたと思ったらなんとそこにはちっこかわいい手乗りカイトくんがいたではありませぬか!!」
寝台の脇に座って無表情で言う相手を眺め、がくぽはちょこりと首を傾げた。突き抜けた美貌の持ち主で、語られるときには間違ってもかわいいとは表現されない。
しかし意外にかわいいしぐさで、遠慮のないことを言い退けた。
「『渡された』?『強奪した』の間違いではないのか、五魔女の三番目」
ÉGÉRIE-08
朝になって、というより昼近くになって目覚めたがくぽの傍ら、寝台脇には、封じ森の五魔女のひとりが座っていた。つまり、カイトのきょうだいだ。
彼女は椅子に腰かけていたわけでも、寝台に伸し掛かっていたわけでもなかった。
寝台脇の床に、猿のような座り方でいたのだ。たまに街中で、多少道を踏み外した若者が同じような格好で座っているのを見かけるが、五魔女だ。
正式には身分らしい身分はないが、一応上流階級に類される。まさかこの座り方はない。
さらに言うと、ぱちりと目覚めたがくぽを認めた瞬間に始まった話が、意味不明も極まった。さすがはカイトの係累――念のために言うと、がくぽのこの感想は多少、間違っている。
目覚めた瞬間だ。
起き抜けにされた意味不明な話の、とりあえずもっとも気に掛かった部分で返したがくぽに、五魔女の三番目、ミクの長い髪がぶわりと膨らんだ。まるでねこやら獣の耳だ。
頭の両脇で高く括られているのは、一応髪の毛のはずなのだが。
しかし五魔女だしなと、微妙な感想を抱くがくぽに、わさわさと髪を膨らませたミクは真っ赤になって叫んだ。
「強奪したのはキミのほうですこのぜつりんだいまおぉおおおううぅうっっ!!」
「っっ」
大音声だった。しかも少女のかん高い声だ。
耳が痛んで、がくぽは顔をしかめた。
咄嗟に窺うのが、己の腕の中、未だに眠りを貪る相手だ。
鈍いのか、疲れ切っているのか、さもなければ大物なのか、ぴくりともしない。
安堵しつつ、がくぽは瞼にかかっていた前髪をやわらかに梳き上げてやった。さらりとした感触の髪は、軽く梳いてもあっさりとまた、垂れてしまう。
「………困った子だ」
微笑んでつぶやき、額にくちびるを落とす。
ひょいと顔を上げると、ぶるぶるわなわなと震えて次の罵倒を繰り出そうとしているミクに軽く肩を竦めた。
「概ね否定はしないが」
「自覚があるのはいいことですそこは認めますが開き直りも甚だしいので相殺ですこのヘンタイしきよくまおぉおおううぅうう!!」
「………」
どちらにしても叫ばれる運命だった。
多文節をひと息に叫んだミクは、膨らんでいた髪の毛をすとんと落とした。癖もなく、きれいでまっすぐな髪だ。
「ちなみに私もキミの推測を概ね否定しません」
「………やはり善良なくまから、強奪したのか」
罪深いと慨嘆したがくぽに、ミクはくわっと目を見開いた。
「キミに責められる謂れも概ねありません!」
くまからカイトを『強奪』したのはミクだが、巡り巡って結局、がくぽがミクから『強奪』している。
「………本人の同意は得た」
「カイトくんを何歳だと思し召しですか領主」
「…………………」
訊かれたくないことを訊かれて、がくぽの目が泳いだ。
カイトから、はっきりした数字を聞いていない。出されたのは個人名で、説明もあやふやだった。
「……昨日が誕生日だったそうだな」
「木の実からぱっかん出てきた日ですが誕生日には相違ないでしょう?」
「そこを否定する気はない」
無表情に連ねられて、がくぽはため息とともに応えた。聞きたくない、知りたくないこともあるが、放っておけないこともある。
すべて後の祭りだとしても――
「そなたがカイトを得たのは、いつの話だ」
「去年です」
「ぐ………っっ」
ある意味予想通りだったが、予想以上に衝撃を受けてがくぽは呻いた。健やかに眠る相手を抱く腕に、力が入る。
無表情のまま、ミクは淡々と連ねた。
「木の実がぱっかんした当初は本当に手乗りカイトくんで初日のお風呂はお茶碗でした洗わずに取っておいてあります」
「ひと息に言えばなにもかも誤魔化せると思うなよ、五魔女の三番目?!」
畏怖される対象の五魔女だが、三番目であるミクはまだ、少女だ。十代後半だったとは記憶しているが、どちらにせよ骨が細く、華奢だ。
その彼女の手に乗る大きさだったというのだから、相当だ。いや、そもそもが木の実の中にいたというし、いったいなんの木の実かはともあれ、小さかったのだろうとは推測できる。
「………それにしても」
拾ったのが去年で、そのときには手乗り。
そして誕生日だという昨日には、ぎりぎり婚姻適齢期に見えた。
「このままいけばあと数か月後には私のおにぃちゃんだったというのにどこかの変態性欲魔王が」
「そこが意味不明だ。いや、そなたの説明が一から十まで、ほとんど意味不明だが」
無碍なことを言ったがくぽは、再び寝台脇の床に猿か道を外れた若者のように座ったミクを見た。
「おにぃちゃんになるとは、なんだ?カイトはいったい、なんなのだ」
「………」
人間ではないのは、確かなのだろう。
意味不明な話だが、カイトが人間ではないというのはわかる。
狂おしく訊いたがくぽに、ミクはじっとりとしけった目を向けた。恨みがましい。本人の同意があったにせよ、カイトを奪われたと、相当に怒っている。
めげることなく見返し、がくぽは辛抱強くミクの返事を待った。
ややしてミクは無表情に戻り、淡々と告げた。
「知りません」
「なに?」
「木の実から生まれておにぃちゃんになると言うのでおにぃちゃんが欲しかった私は家に連れて帰りました終わり」
「そなたな………………」
――普通は、それでは済まない。
思ったものの、がくぽは反論しなかった。
封じ森は、普通ではない。普通ではないゆえに封じられ、守りとして五魔女が置かれているのだ。
封じ森で起こったことが普通ではないからと言って、怒るほうが本来はどうかしている。
だとすれば、あと気がかりなのは――
「一年で、ここまでの大きさに育ったのだろう。だとするなら、カイトの寿命は、あと………」
眠る相手をきつく抱きしめて吐き出したがくぽに、ミクは感情のない目を向けた。
ことんと、落ちるように首を傾げる。
不可思議さを問う動きだったが、がくぽの目は狂おしくカイトを見つめるばかりで、ミクに向いていなかった。
しばらくの沈黙ののち、ミクは唐突に首を戻した。五魔女としてあるまじき座り方から、すっと立ち上がる。
「クサさのあまりにさぶいぼものの結論を吐きましょう後で覚えているとよろしい」
「なに?」
顔を上げたがくぽに、ミクは無表情で吐き出した。
「真実の愛が続く限りは失われるものはなにもない」
「………」
五魔女、魔女だ。少女であっても、ミクは常人ではない。
厳かに吐き出されたのは託宣であり、つまりはそれがカイトの寿命だった。
表情のないミクを見つめ、がくぽはカイトを抱く腕に力を込める。
「いくらどうでもクサくないか。よく真顔で吐けるな、そなた」
「後で覚えていろと言いました見なさいこのさぶいぼ」
ずいっと突き出された細い腕は、確かにぶつぶつと粟立っていた。
それでも言わなければいけないこともある。
微妙に憐れむ視線になったがくぽに、ミクはさっと腕を引っ込めた。
「カイトくんが起きたら要るものがあるなら取りにいらっしゃいと伝えてくださいというかなくても帰って来なさいと」
「わかった。要るものがあると言ったら、使いを送る」
「………」
じっとりした目を向けたミクを、がくぽも負けじと見返した。
「一度帰したが最後、どうにも二度と戻って来る気がせん」
「………………」
じっとりと見合ったものの、先に目を逸らしたのはミクだった。わずかに眉をひそめる。
「カイトくんをどうして泣かしたいものですか」
――がくぽの元には帰さないと言えば、カイトが泣くと。
わずかに困惑して、がくぽは眠るカイトに視線を戻した。
目が合って、がくぽはその瞬間に心奪われた。奪われたのだ――強奪云々を言うなら、がくぽにすれば正確なところは違う。
がくぽがカイトを強奪したのではなく、カイトががくぽを強奪したのだ。
抗おうにも、抗いきれないほどに心奪われ――
「カイトは、どうして………」
「後で後悔させてやりますがクサくて失神もののことを言って上げましょう」
がくぽが皆までつぶやかずとも先を読んで、ミクが口を開く。
顔を向けたがくぽに、ミクは無表情に告げた。
「真実の愛とはそういうものですまる」
「………………」
しばしミクを見つめてから、がくぽはそっと口を開いた。
「失神しそうだと言うなら、家宰に休む部屋を用意させるが………」
「ご配慮無用です死んでも家に帰ってから失神します」
「死んだら失神の必要もないと思うが」
――顔色を青くしている相手に無情なことを言って、がくぽはカイトに目を戻した。
「ん、ん………?」
ぷるぷると瞼が震え、小さく呻き声が上がる。
がくぽが息を呑んで見守る中で、カイトはゆるゆると目を開いた。
「ふや………」
「おはよう、カイト」
「ん、ぁ………はよぅ、ございます、がくぽさま………」
微笑んだがくぽに、まだ寝惚けているようなカイトは不明瞭な声で挨拶を返した。
「今、そなたの………ん?」
きょうだいが来ていると言おうとしたがくぽだが、口を噤んだ。いない。
五魔女だ。
そもそも領主の寝室に、領主が寝ているにも関わらず客を通すような阿呆はいない。初めから無断侵入なのだ。
そして五魔女だ――
「……………」
「ん………」
やれやれと肩を竦めたがくぽの首にカイトの腕が伸びて絡まり、くちびるにちゅっと吸いついた。
とろりと舐められ、がくぽはすぐさま、カイトに伸し掛かる形に変わった。突き出されていた舌を絡め取り、逆にカイトの口の中に押し込む。
「ん、ん………っ、ぁ、ふぁんっ」
「………仕方のない。そなたについてはまだ、わからぬことばかりだが………こういう挨拶の仕方を、どこで覚えた?まさか、家族相手に常態だったのではないだろうな?」
起き抜けからするものではない、貪るような口づけをたっぷりと堪能してから詰ったがくぽに、カイトはこてんと首を傾げた。主に酸欠が手伝って、またもや夢の国に舞い戻りそうな様子だ。
「………目の前に、がくぽさまがいて………だから、口づけ、ました。したら、だめ、………ですか?」
「俺限定か」
瞳を細め、がくぽはつぶやいた。上機嫌だ。現金という。
眠り込みそうになりながら答えを待つカイトの額に、がくぽはくちびるを落とした。
「だめではない。俺を見たなら、口づけろ。妻として、良き習慣だ」
「ん、はい………」
顔じゅうにくちびるを降らされて、カイトはくすぐったそうに体を竦める。
ふんわりと目元を染めると、恥じらいながら上目でがくぽを見つめる。
「………忘れたら、おしおき、す………します、か?」
「……………そうだな」
束の間瞳を見張ったものの、がくぽもすぐに微笑んだ。蠱惑的な、相手を誘う笑みだ。
笑みの形のくちびるは、とろりと蕩けて見入るカイトのくちびるに近づく。
「そなたはまだ幼い。教えることが、多くあるのだろうな。仕置きをすることも、また……」
「ん………んっ」
つぶやきは、重なったくちびるに消える。
未だ覚束ない応じ方のカイトは、呼吸も上手く出来ない。
貪られてくったりと力が抜けたところで離れ、がくぽは濡れたくちびるを舐めた。
「しかしこれだけは、忘れるな?たとえ仕置いたとしても、俺はそなたを誰よりも愛している、カイト。俺のかわいく愛しい、幼い妻」
FIN