「………えあれ………?」

部屋の壁際に仲良く並んだカイトとレンの、背比べの判定をしていたリンは、鼻の頭に皺を寄せると目を細めた。

「カイトくん、背、……伸びてなくないこの間から半年近く経つのに、ぜんぜん……成長、止まっちゃってない?」

リンに胡乱げに訊かれたカイトは目元を染め、もじもじと俯いた。ほんのりとした上目遣いになると、照れたように笑う。

「ぇとね、あの………おっきくなるの、ちょっとだけ………おやすみ、してる、の。あんまりおっきくなっちゃうと、………お膝に抱っこして上げられなくなるって、がくぽさまに言われ」

CHIMÉNE-01

どかんと派手な音を立てて扉が蹴り破られた瞬間、がくぽは持っていた筆をべきりとへし折った。せめても幸いだったのは、先祖から代々続く領主の印章ではなかったことだ。

簡単にへし折れる材質ではないが、しかしあっさりとへし折りそうながくぽの様子でもあった。

領主の館だ。その執務室。

易々と蹴り破られていい扉ではない。ましてや中において、領主たるがくぽが執務中なのだ。警護に当たる衛兵の失点は馘首どころの話ではなく、断頭で済めばまだいい。

下手をすれば、一族郎党すべて道連れとしての断罪。

そのうえその蹴破った賊が、幼い身ともなれば――

「見下げ果てたわぁあっ、このどヘンタイ領主がぁあああっ!!」

「甲斐性も矜持もない、ヘンタイしか取り柄がないのか貴様ぁあああっっ!!」

「ぁああああっ、まったくもって貴様らはっっ!!」

扉を蹴破って怒鳴りこんで来た賊二人――二人とも子供とも言い切れないが、大人とも言い切れない、微妙な年頃だった――に、椅子から腰を浮かせたがくぽも負けじと叫び返した。

書類を積んだ机へ苛立ちも露わに拳を打ちつけ、遥かに目線の下となる賊二人を厳しく睨み据える。

「俺が過剰な情けを持ってカイトを里帰りさせてやるたびに、なんのかんのと理由をつけては、いちいち怒鳴りこんで来おって!!」

叫びながら、がくぽは脇で仕事を補佐していた家宰へ手を振り、下がるよう促した。

武芸の心得はないものの、せめて己の身を盾に領主を守ろうとしていた家宰だが、そのしぐさと叫ばれる言葉から、事態を飲みこんだ。

初めての話ではない。

領主の執務室へ侵入した二人の賊は、封じ森の魔女――最近迎えたばかりの、領主の妻の係累だ。

俗界には失われて久しい魔法をよくする一族で、道なき道を繋ぐことも自由だ。警護の失点は失点だが、対処の仕様がないところで、罪にも問い難い。

もうひとつ言うなら、彼女らを『賊』と呼ぶこともまた、本来的には赦されない。

たとえ不法侵入だろうと無断侵入だろうと、彼女たちに塞がれて『赦されない』場所はないことになっている。

街外れにある、太古の森を管理しているだけの一族だ。正式な身分もない。

しかし彼女たちに与えられた権能は、時として当地の領主たるがくぽを凌ぐこともある。

「そもそもな、いいか?!領主の妻というものは、そうそう里帰りを赦されぬ身だぞ帰るときは離縁されたときだと、それくらいのものをだな特別な温情でもって帰してやれば、毎回まいかい!!」

「盗っ人猛々しいとは貴様のことだわぁっ、このどヘンタイ!!」

「うちのカイトくんに手を出しておきながら、開き直りも甚だしいわ!!」

がくぽと机を挟んで対峙したのは、まったくそっくり同じ顔に背格好の、二人だ。声もほとんど同じで、見分けもつかないが聞き分けもつき難い。

そのそっくり同じ顔にはまだ幼さが残っており、婚姻可能年齢とされる十四歳にはおそらく達しているだろうが、大人とも言い切れない微妙な年頃だ。

しかし、領主として他を圧することに馴れたがくぽにも、まったく臆することなく負けじと怒鳴り返してくる。

現在、封じ森を管理する魔女の一族は、五人――それゆえの『五』魔女の呼称だが――そのうち、下の二人が双子だった。

こうもそっくり同じ見た目で、しかも年の頃も考えれば、この二人は末の双子だろう。

名前は、リンとレン。

冷静さを失って、逆上のままに叫んでいるだけのように見えつつ、がくぽはきちんと相手のことも観察して把握していた。

そしてリンとレンといえば、カイト曰く――

「ががが、がくぽさまぁあああっ!!」

がくぽと魔女の双子がさらなる舌戦をくり広げようとしていたところに、甘さを含むものの、非常に情けない声が響いた。未だ部屋の外だ。

がくぽもだが、双子も口を噤み、蹴破られた扉にぱっと目をやった。

ほんのわずかな間を置き、慌てて廊下を駆けるばたばたという足音が届く。次いで、肝心の姿が。

「がくぽさまぁあっ、ごめんなさぃいいいっっ!!」

「カイト!」

足音に相応しい、慌てた様子で駆けこんできたのは、カイト――がくぽがつい最近迎えたばかりの、かわいらしい『妻』だ。

慌てた様子とはいえ、カイトは警護に当たる兵と、扉の修繕の指示諸々を出していた家宰に軽く会釈して、執務室へと飛びこんで来た。よく知った顔なので挨拶することなく飛び込んでも止められもしないが、微妙におっとりとした反応だ。

ちなみにカイトを評して『かわいらしい』というときは、『新妻』ゆえに初心で愛らしいということもあるし、婚姻可能年齢ぎりぎりの、『幼な妻』であるがゆえに愛らしいということもある。

しかしがくぽ曰く、カイトは総体的に言って存在そのものが愛らしいの権化であり、理由は後付けに過ぎないのだという。

なににしろ、領主としては常識外れも甚だしく、二十歳過ぎまで独身を貫いていたがくぽが、溺愛して蕩けるように甘やかす妻だ。男だが。

――時代錯誤ながらも、子を産むことが第一義であり、それすら果たせばいかなる問題も概ね見逃されるのが、領主の妻というものだ。

まったく子を産む余地のない、男のカイトが『妻』として見逃されるのは、五魔女の係累だからだ。それが五魔女の持つ、権能というものだった。

補記するなら、正確にはカイトは五魔女の係累ではない。彼女たちが管理する封じ森で、魔女のひとりが得た木の実から生まれ、家族として育てられた。

人間ですらない。

「ふぇえんっ、がくぽさまぁっ!」

「まったく………っ」

見た目は人間の少年そのもののカイトは、べそを掻きながら、広げられたがくぽの腕の中に飛び込んだ。

きゅううっとしがみついて、ぐすぐすと洟を啜る。

未だ華奢な骨組みが折れないよう、しかし堪え切れない安堵と激情とともにきつく抱きしめたがくぽは、乱れたつむじにくちびるを落とした。

「がくぽさまぁ………っ」

「遅いわ。なにをしていた」

「ふぇん、ごめんなさぁ………っ」

ぐずぐずと洟を啜るカイトを詰りながら、がくぽは椅子に腰を下ろした。きつく背にしがみついていたカイトの腕は首に回り、肉が薄くきゅっと締まった尻が、がくぽの膝にちょうどよく収まる。

べそを掻きながら、カイトはちゅっちゅと、健気な様子でがくぽの顔をついばんだ。宥めるようでもあるし、赦しを乞うようでもある。

「リンちゃんとレンくんが、飛び出して行っちゃったから………ついでにキリにして、帰ろうと思って。めーこちゃんとルカちゃんとミクに、オイトマノアイサツして、……ました」

「………」

――べそべそちゅっちゅとしながら、カイトの言うことだ。

先に部屋に飛び込んで来たときの様子といい、なにかがおっとりしている。いわばこれが、封じ森時間とか、感覚とかいうものらしいが――

そこも含めてまた、がくぽはカイトを愛らしいと評する。

が、それはそれでこれはこれというもので、がくぽの秀麗な形をした眉は微妙にひそめられた。

その寄った眉間の皺にも、カイトのくちびるは触れる。だからと、解けることはない。

「ぁ、それで………めーこちゃんが、がくぽさまに。いつも過分なお土産を持たせていただきましてありがとうございます、お気遣い痛み入りますって」

「…………………」

「領主の妻として、未だ至らぬところも多い子でしょうが、末永くよろしくお願いいたしますって」

「……………………………」

「定型文を伝えておきなさいって、言ってました」

「よし腑に落ちた!!」

突き抜けた美貌を無残なまでに、眉間の皺を深くしていったがくぽだが、カイトの最後の言葉にぱっと表情が開けた。

つまり、溺愛して耽溺する新妻の実家との、関係だ。そういう間柄なのだ。

そしてそういう間柄といえば――

「カイトくん泣かせて………」

「しかも山ほど謝らせるとは………」

領主とその新妻がいちゃいちゃちゅっちゅとする、机を挟んだ向こう側。

響いて来たのは、地の底からか天からか、怒りとなにかに震える非常におどろおどろしい声だった。

膝に乗せたカイトにされるがままだったがくぽだが、ほとんど反射で手を上げる。ちゅっちゅと健気に降らせ続けていた口づけを止め、声の主へと顔を向けようとしたカイトの両耳を、塞いだ。

瞬間。

「「ヘンタイな上に暴君か貴様ぁあああっっ!!」」

「ふきゃっ?!」

「ちっ」

――手で耳を塞いだところで、この至近距離だ。あまり意味もなく、鼓膜を突き破ろうかという大音声に、カイトはがくぽの膝の上でびくりと竦んだ。首に回した腕にきゅうっと力を込めると、耳を塞ぐ手を振り払い、驚きに染まる顔をがくぽの肩口に埋める。

全力で頼り縋る幼い妻を抱きしめたがくぽは、行儀悪く舌を鳴らし、執務机の向こう側を忌々しく見やった。

「まだいたのか」

「いるわ、暴虐君が」

「帰るなんざひとっことも言ってねえわ、貴様」

無碍な物言いにも、大音声の主――双子の魔女は臆することなく言い返す。

ちなみに魔『女』と一括りにしてしまっているが、カイト曰く五魔女の末――五番目の魔女は、本来的には魔『女』ではないという。一族ではあり、魔法も使うが、少年、男なのだと。

しかし並んで立つ少女――双子のきょうだいとの見分けは、困難だ。ひとを見る目の厳しいがくぽですら、よくよく観察しなければ区別がつかない。声変わりもまだなのか、どちらがしゃべっても少女に聞こえて違和感がない。

「で今日はなんだ。どんな難癖をつけて、俺からカイトを取り上げようと企んでいる」

「が、がくぽさまぁ………っ」

本来は大きくて愛らしいだろう目をじっとりと据わらせ、睨みつけてくる同じ顔二つを、がくぽも負けじと睨み返した。膝の上のカイトを抱く腕には、折れよとばかりに力が入る。

抱いているのは未だ細い、成長途上の体だ。力加減をしてやらなければと思うが、どうしても力を抜くことが出来ない。

べそ掻き声を上げ、カイトは宥めるようにがくぽへと寄り添う。

そもそも、今日の騒ぎの発端といえば――

「それだ」

「だから、なんだと訊いて」

「それだって言ってる」

「だから………」

問答が終わりのない輪の中に入りかけて、がくぽは黙った。膝に抱えたカイトを見る。『それだ』と言って示される視線の先には、カイトがいた。

――そもそも五魔女が難癖をつけて怒鳴りこんでくるのは、間違いなくカイトの扱いに関してだ。単に示されたところで、理由など明らかになりようがない。

となれば必定。

「ぁの、あの、僕が………おっきくなってないって、それで………」

睨んでいるわけではないが、がくぽの目つきは鋭い。領主として他人を圧することが常態のため、普通にしていても眼力が違う。

見つめられたカイトはしどろもどろになって、結局俯いた。甘えてがくぽに擦りつくだけで、言葉が続けられなくなる。

「カイト」

「カイトくんがおっきくならないのは貴様のせいだ、このどどヘンタイ!!」

代わって口を開いたのは、双子の魔女だった。がくぽをきっと睨み据え、びしっと指まで差して断罪する。

「あ?」

「おっきくなったら膝だっこしてやらんと、言ったんだろうが、この甲斐性なし!」

「……はあ?」

「ちょ、リンちゃんレンくん………っっ!!」

顔を真っ赤に染めたカイトが、慌てて制止を叫ぶ。

そのカイトの顎を掴むと、がくぽは強引に自分へと向かせた。

にっこりと笑って、ちょこりと首を傾げる。がくぽはそういった形容の似合う年齢ではないはずだが、意外にも非常に愛らしいしぐさだった。

「………カイト?」

「ぁ、その………っぇ、と………っ」

「俺に膝だっこして貰えなくなるから、大きくならんと俺が、そなたが大きくなったなら膝に抱かんと、いつ言った?」

「ぇと、その………っ」

しぐさは愛らしく、笑顔だ。

しかし背後に、巨大な龍雲が見える。

なにかが非常に危険で怖いがくぽに問い詰められ、カイトはしどろもどろとなって瞳を潤ませた。