フリィヤィの止まり木
「ん?」
目の端に紫煌の枝垂れが掠めた。
と、カイトが思った次の瞬間。
「かーいーーとーーーぉおおおーーーー」
「ぷぎゅっ!!」
自分より体格のいい相手に、背後から遠慮なく伸し掛かられ、カイトは堪えようもなく潰れた。
そうでなくとも無防備だと言われるカイトだが、今は殊に油断しきっていた。自宅のダイニングだ。テーブルに向かって、妹のミクとともにまったりと、お茶とおしゃべりを愉しんでいる最中だった。
リラックス時間で、しかも自宅なのだ。だるだるに油断していてなにが悪いという話だが、それにしても。
「が………がく、ぽ?」
「あーーーーーーーーー………」
体格差を考慮せず伸し掛かった相手は、ご近所さんに住む友人、がくぽだ。
カイトがどうにか上げた声に、ため息にも似た音だけで答える。
がくぽがいつやって来たのか、そもそもどうやって家に入って来たのか――諸々疑問はあるが、カイトは詳しく聞ける状態ではない。
いきなり背後から伸し掛かられて驚いたこともあるし、当初ほど体重は掛かっていないものの、相変わらず重みに潰されているということもある。
さらに言うならこの友人、単に伸し掛かっているだけではないのだ。腕を回して、がっしりと抱え込んでいる。
いや、もはや『抱え込む』というレベルではない。締め上げているに等しい力加減だ。
「いらっしゃーい、がっくーん。今日はどーしたの?」
あぶおぶと、力なくもがくのが精いっぱいなカイトに変わって、声を上げたのは向かいに座っていた妹、ミクだった。
動揺の欠片もない表情と態度だ。兄にすっぽり覆い被さっている闖入者へ、ぷらぷらと軽く片手を振って問いかける。
全身でカイトにしがみつくような状態だったがくぽだが、この問いにようやく顔を上げた。
面白そうに眺めているミクへ、秀麗な眉を思いきりひそめてみせる。
「仕事でそれはもう、それはそれはもう、すっっっっっっっっっごく!!………厭なことがあってな。癒されに来た」
「ああ。抱きまく?ライナスケット的な」
「応」
「み、ミク………がくぽっ………」
平然と会話を続ける妹と友人だ。カイトはうまく言葉にならず、無為と口をぱくつかせた。
なにかを抗議したい。もしくはどこかに訴えたい。が、いったいなにから。そしてどこになにを。
――所詮はツッコまれ属性でボケ体質なKAITOシリーズ、カイトだ。
抵抗も抗議すらもままならず、潰されているしかない。
「と、いうわけで」
「んぁっ」
弱々しくあぶおぶとしているカイトをちらりと見やり、がくぽは体を起こした。急になくなった圧力の反動から、カイトはダイニングテーブルと抱擁を交わしかける。
その寸前で、元凶であるがくぽが助け起こした。しかしそれで終わらない。
がくぽはカイトの脇に手を入れると椅子から持ち上げ、反すと軽々としたしぐさで肩に担ぎ上げた。ほんのひと瞬きほどでのことだった。
カイトだ。これでいて、成人男性だ。確かに、がくぽよりわずかに体格は劣るが、きちんと相応の重みがある。
――が、がくぽに関係はない。動きは非常になめらかで、淀みがなかった。
「一寸借りる」
「へ?かり……」
「はいはーい、毎度。ツケときま」
「応」
「え、ちょ、み……っ?!がく…………っっ?!」
そして相変わらずカイトを置き去りに、さっくさっくと続いて先に行く、友人と妹の会話だ。
確かに二人は最新型で、自分ひとりが旧型とはいえ――思考も反応も追いつかないうちに、(妹に)身売りさせられたカイトは、呆然として固まった。
「きちんと掴まっておれよ。易々と落とす気はないが」
大人しいのはいいことだとばかり、がくぽは肩にカイトを担いだまますたすたと、ダイニングから出る。向かう先は、カイトの部屋だ。
「ちょっと待って、がくぽ!!」
――大体がくぽが階段を昇り出したあたりで、ようやく事態に追いつけたカイトの、きちんと文になった悲鳴が響いた。
その後は距離と遮蔽物の関係で、明確には聞こえない兄とその『友人』の応酬をお茶請けに、一人ダイニングに残ったミクはずるずると、お茶を啜った。こきりと、首を傾げる。
「バレてないと思ってんのかなあ………」