カラヴィック理論
仕事で厭なことがあったから癒せ、と。
(おそらくは)仕事帰りに自宅にも寄らず、カイトの元に直行してきたがくぽだ。
実のところこれは、よくあることだった。がくぽはなにかと理由をつけては、友人でご近所さんでもあるカイトの元を訪れ、『癒されて』いく。
「あのね、がくぽ……っ」
「入るぞ、カイト」
「はいどうぞ。って、ぁぅうっ」
――勝手知ったる他人の家という。
迷うこともなくカイトの部屋に辿りついたがくぽは、しらりと告げて中に入った。
なんの荷物だというのか、がくぽの肩に担がれ、ダイニングから強引に攫われたカイトだ。
諸々言いたいことが山盛りあって、ここまでの道中にも抗議的なものをしていたのだが、がくぽが堪えることはなかった。担がれているのだから、抗議は耳元だ。聞き逃しようもない距離だというのに、右から左の華麗なスルーぶり。
そのうえ、しらりと告げられて、思わず素直に受けてしまう自分――
なにかに疲れて口を噤んだカイトを、がくぽは丁寧にベッドへと下ろした。だからと放すことはない。
すぐに傍らに座ると膝の間に抱え込み、家だからとマフラーを外して無防備に晒していたカイトの首元に擦りついた。仕種は大型犬が甘えるのにも似ている。
しかし大事なことを言うと、がくぽは決して犬ではない。
「んっ、がくぽ………っ」
「カイトはいつも通り、なにもせずとも良い。俺が勝手にする」
「がくぽっ……」
くすぐったいと身を捩るカイトをがっしり抱え込み、すりすりと擦りつきながら、がくぽはふっと笑った。擦りつかれるのとは違う気配に、カイトの背筋に痺れが走る。
「ああ、否。たまに、『がくぽ大好きvvv』とか言ってくれると良いな」
「っ………」
求められて、かえってきゅっとくちびるを噛んだカイトだが、がくぽが気にすることはない。『厭なことがあった』とはとても思えない、上機嫌ぶりだ。
笑うくちびるは擦りつく延長線のように、さりげなく、しかし確かな目的を持ってカイトの首を這い、やわな肌をちゅくりと音を立てて吸う。
「っが、くぽっ!」
「実のところ、それだけでも良い」
びくりと大きく震え、声を上げたカイトに、がくぽはこくりと頷いた。肌を染め、瞳を潤ませてじっと見つめるカイトを、微笑んで見返す。
「名前を呼ぶだけでも、十二分に良い――もっと言うなら、莫迦だの阿呆だの死ねだの、罵倒でも全く構わん。それがカイトなら。カイトだというだけで」
「が……く、ぽ………」
救いがない。しかもがくぽは穏やかな微笑みとともに、茶化す風情もなく言い切るから、さらに救いも逃げ場もない。
打つ手を失って、カイトはただ、ぐすりと洟を啜った。
がくぽの手は、抱え込んだカイトの体をやわらかに辿る。服の上からだ。くすぐっているにも、慰撫しているにも似ている。
だが――
「ぅ………ん…………っ」
「思い出したか」
押し殺しきれない鼻声とともに、きゅっと目を閉じて身を硬くしたカイトに、がくぽは瞳を細めた。
穏やかな笑みが、うっそりとしたものに変わる。花色の瞳が熱と欲を含んで、抱え込む相手を眺めた。
ちろりとくちびるを舐めると、がくぽは再びカイトの首筋に顔を寄せた。
「カイトはなにもせずとも良い。俺が勝手にするゆえな」
ささやいてから、がくぽはふっと笑った。朱に染まりながらも緊張から筋張る肌に、くちびるを押しつける。ちゅくりと啜り、牙を立ててから、つぶやいた。
「否……抵抗したければしても構わんし、いくらでも罵倒してくれて構わん。すべてがカイトだというだけで、俺にとっては等しく癒しゆえ――な」