勝訴メドージア

「カイト、愛している」

「ほえ?」

傍らに立つがくぽが唐突に吐きこぼした言葉に、カイトはきょとりと瞳を瞬かせた。

他に誰か――自分以外のKAITOシリーズがいるのかと。

どこか抜けた思考で辺りを見ても、確認するまでもなく、『他のKAITO』などいない。なにしろここはカイトが住む家で、この家にはKAITOシリーズはカイトしかいないのだ。

それにしても、唐突だ。何度でもくり返すが、唐突なのだ。

時間が空いた、相手をしろと押しかけてきたがくぽに、カイトは時計の針が差していた数字から判断して、まずは昼食を作ってやり――

テーブルで向かい合って座り、いっしょに食べて、シンクに洗い物を放り込んだ。そこでがくぽが、自分のほうが几帳面だから向いていると主張して、皿洗いを始めた。

強調しておくと、気の置けない仲でご馳走になったからせめてとか、突然に押しかけて迷惑を掛けたからこれぐらいはという、殊勝な心がけの申し出ではない。

あくまでも理由は、カイトよりも几帳面で、きれいに汚れを落とすから自分の方が皿洗いは向いているという、その一事に尽きる。

カイトには特に反論もなく、また、こういったがくぽの対応にも馴れていた。なにしろご近所さんのよしみと言っては、毎日のように急襲をかけて来る相手だ。

今日は家族がいなかったためカイトの家だったが、いる家族によっては、がくぽは『借りていく』と言って、自分の家にカイトを『拉致』することも頻々――

それはそれとして、カイトだ。

がくぽの隣に立ったカイトは、水切りかごに積まれていく皿を布巾で拭いては、食器棚に戻していた。がくぽの仕事は主張の通りに几帳面で、しかし非常に手早い。カイトが拭いて片付けるより、がくぽが洗い終わって積んでいく皿のほうが、圧倒的に多い。

競争しているわけではないので、カイトはのんびりしたものだ。座って見ているより隣に立っている方が話しやすいからと、その程度の理由で隣にいるせいもある。

そうとはいえ、たまに会話はあっても、とりとめもなく他愛もない世間話だ。

それも多くはカイトから話を振り、がくぽの返しは短く、挙句にすぐ終わる。がくぽの応えは『会話』ではなく、『答え』だからだ。

話題に於いてなにが正解であり、誰がどうすれば正しかったのか、どれをどうすれば間違いがなかったのか――

的確な答えと言えば聞こえはいいが、がくぽの返答は容赦がなく正当に過ぎ、現実離れして理想的だ。邪険にされているわけではないのだが、ある意味で取りつく島もない。

相手によっては不快だろうが、カイトはがくぽのこの、『取りつく島もない正当な答え』が面白くて、好きだった。自分にはまったくない発想だからだ。

しかもがくぽは答えても、議論して、説き伏せようとまではしない。カイトがわかっていないふうに、『そうなの?』とうすらぼんやり応えても、不愉快に陥ることもない。

あくまでも、こうだろうと投げて、終わりだ。

押しつけられるものがなく、さらりと流しても赦されるがくぽとの他愛ない会話の時間は、カイトにとってはとても楽しくて、好きなものだったのだ。

その、会話の――とりとめもなくカイトが思いつくままに振っていた話題の、どれにも掠ることがなく。

しかも、カイトから振るのが常態だというのに、がくぽから口を開き、言葉を吐きこぼしたと思えば――

『愛している』?

「んと、………」

追いつけない思考がありありとわかる、空白に落ちた無防備な表情で、カイトはがくぽを見上げる。

見返してくる顔はいつもの通りに落ち着いて、美しかった。

しかも気が利くのもいつも通りで、きょとんとしたあまりに諸々疎かになっているであろうカイトの手から、滑り落ちる前に皿を取り上げる。

ばかばかしいことには、皿をつまむ指先の動きひとつ取っても、がくぽは洗練されて優美だった。

もしもいつもと違うことがあるとするなら、確かに落ち着いた雰囲気なのだが、浮かぶ自嘲の笑みに、美しい顔があえかに歪んでいることか。

「がくぽ?」

「言いたくなった。ゆえに、言った。愛していると。………愛している、カイト」

「………」

間違いようもなくきっぱりと、明瞭な声音でくり返された。ゆっくりと言葉を区切る言い方は、念を押すようでもある。

カイトはことりと小さく、首を傾げた。追いつけないのは思考もだが表情もで、未だにぽかんきょとんとしている。

がくぽは、友人だ――親友と言い換えてもいいが。

気の置けない男同士で、ご近所さんで、仕事仲間で、ときどき商売敵。

そして、友人。

「………『好きだ』じゃ、だめなの『大好き』じゃ?」

「駄目だな」

訊いたカイトに、がくぽは即答を寄越した。間隙はなく、迷いも躊躇いもない。

表情はやわらかく、言葉も静かに――ただ、譲れない、譲らない意志の強さをはっきりと通して。

それはたとえば、ひとの機微に疎く『鈍い』傾向のある旧型の、KAITOシリーズ――カイトであっても、さすがに気がつかずにはおれないほどの。

「そっか。ダメなのか………」

なにか感心したように、カイトはつぶやいた。ひどく感に入ったようではあったが、その声は自分の耳にすら届かないほど、小さくあえかなものだった。

こっくりと頷くと、カイトは顔を上げ、じっとがくぽを見つめた。

カイトの、湖面のように揺らぐ青い瞳は、ひとを不安定な気持ちに陥らせやすいらしい。なんでもなくとも罪悪感を掻き立てられると、目を逸らされることが多かった。

しかしいくら見つめてもみつめても、がくぽの視線は気まずく逸らされることはない。

「………ん」

穏やかに、けれど意を通して見返してくる花色の瞳に、カイトは再びこっくりと頷いた。

手が伸びて、がくぽの頬を撫でる。

瞬間、震えても無抵抗にされるがままの、その態度にカイトのもう片手も上がり、がくぽの首に回った。

「かぃ………っ」

「ん」

顔の位置を合わせるように引き寄せると、カイトはがくぽのくちびるにくちびるを重ねた。

カイト――KAITOシリーズにはデフォルトで、挨拶のキスの習慣がある。

しかしくちびる同士を重ねるものは、『挨拶の』とは言わないはずだ。ましてや、舌まで絡めるようなものは。

「……っ」

思いもしなかった反応に、切れ長の瞳を面白いほど丸くして、がくぽは固まった。

ただし、ほんのわずかな間だ。

「カイト……っ」

「ん……っふぁ、んぷっ、ぁ、がく………っ」

すぐさま上がった腕がカイトの腰に回り、肩を押さえ、きつく抱きこむ。受け身だったくちびるから、舌が伸び――

「ふ、ぁ………」

「……」

ややしてくちびるが離れると、カイトは詰る色を含んで尖る瞳を、がくぽに向けた。穏やかでおっとりした気質のカイトには、珍しい目つきだ。

抱きしめる腕は強く、けれども見つめるばかりで、がくぽから言葉はない。

カイトは痺れて覚束ない舌を繰り、そんな彼に短い問いを吐き出した。

「……でがくぽは、コトバだけで、まんぞく、なの?」