恋より遠く、愛に近い-日記版
つぁるとりっしゅりーべの痛いおなか
名無星がくぽの兄、名無星カイトが端然と、表情も変えずに物事を流すのはいつものことだが、今は少し違った。
表情が変わらないというより、非常に珍しくも、しんだサカナのような目と言おうか。
つまりである。
「あ、それ、わかるかもっ!」
「なにっ?!」
過保護な恋人の、今日も今日とて過ぎ越した庇護下から抜け出し話に混ぜてもらえた明夜星カイトは、ぴっかんと光り輝いて頷いた。
主にその眩さに目を眇めつつ、しかし名無星がくぽは愕然として恋人を見た。
カイトの、KAITOの『わかる』ほど基軸のずれた『わかる』もないわけだが、それはそれとしてだ。
話題だ(詳細というほどでもない詳細が気になる方は小ネタ集の2023年11月20日分を参照されよ)。
明夜星カイトが同意を示した話題は、名無星がくぽの兄、名無星カイトが供したものだ。
曰く、『脱ぐより脱がせるほうが得意』だという。
兄とは違い、無垢で無邪気な恋人が同意を示せるような話題では決してないはずだ。だというのに――
愕然とする恋人に構わず、明夜星カイトはうんうんうんと頷いた。
「ネクタイでもフリルでもリボンでも、なんでもそうだけど…ひとのだったら、着せるのも脱がせるのもできるんだよね。髪もそうだけど」
「ああ、そういえば兄さん、俺の髪のセットとかもよくしてくれるし…自分で着るのだとプレーンノットもできないのに、俺とかマスター相手にだったら、ゴルディアスの結び目かってくらい複雑な結び目もすいすいやってくれて」
「うん。だって見えるも」
「複雑過ぎて結局、脱ぐときも兄さんに手伝ってもらわないとなんだけど」
「でも、すぐ脱がせて上げてるでしょ?自分でもどうなってるのかわかんないーとか、いったことないはずだけど…」
「言ったことないね。逆に、兄さんがこんな簡単に脱がせるのに、なんで俺、自分でできなかったんだ?とか思うことばっかりで…」
さて、宴もたけなわもとい、話が弾む仲良しきょうだい、明夜星カイトと明夜星がくぽであるが。
「そういう意味では………たぶん絶対的に、決して、そういう意味では………っ」
ない、と。
余程言いたい、いや、いっそ叫び、喚き散らしたい気分の名無星がくぽであったが、懸命に耐えていた。
じゃあどういう意味なのと、義弟はともかく恋人に訊かれたとき、答えたくないからだ。名無星がくぽは、その兄曰く、純真無邪気な恋人に非常に夢見がちなのである。
よってゆえに、この場合、恨みがましいのはこんなろくでもない話題を供してくれた兄だ。兄が供する話題に四の五の言わずに済んだこともあまりないわけだが、それにしても七面倒なものを振ってくれたものである。
そういった抗議を山盛りにした目を向けたおとうとであったが、その拗ねて眇められた花色はすぐ、意想外に見開かれた。
だから、兄だ。
KAITOころりのKAITOキラー、あらゆるチートをごく端然とこなし、滅多なことでは表情も感情も揺るがせることのない(※個人の感想である)名無星カイトがだ。
確かにそういった意味では表情も感情も揺らいではいなかったが、その理由だ。強固さゆえに揺るがせられることがないというのではなかった。
しんだサカナの目だ。
あまりに強い衝撃を受けて堪えきれず崩れたあとの、ただもう地べたに転がるしかできないものの、力なく、虚ろな。
「……………兄?」
意想外のあまり、思わず声をかけてしまったおとうとへ、兄はゆっくりと首を巡らせた。無防備に見開かれ、常にない兄の様子に動揺をあらわに、いつもと比べれば稚気じみたおとうとの表情を、じっくり眺める。
稚気じみた、子供っぽい、幼い――
だとしてもだ。
名無星カイトはこっくり、頷いた。
「おまえはちゃんと、理解したな………」
「っ」
はっとして、名無星がくぽは兄を見た。兄もまた、おとうとをじっと見返し、もう一度、こっくり頷いた。
ゆっくりのっさりと片腕を上げ、名無星カイトはぐっと、自分の左胸を押さえた。
「なんでだろうな……………久々に、本気で、胸が痛む………」
悔悟に苛まれるがごとき兄のつぶやきを、犬猿のと評されてもいい間柄のおとうとはしっかり受け止めた。
弱々しくうなだれるような兄から目を逸らし、自分たちと同じ機種ながら、あまりにも違う明夜星家のきょうだいへ視線を流す。
それは錯覚だ。幻視であり、現実のものではない。
わかっていても、眩さに目がいたむ気がする。どうしても、正視し続けられない。
目を細め、名無星がくぽはこくりと頷いた。
「世界はまだまだうつくしい………そういうことだろう、兄よ?」