明夜星カイト曰く、『ちょっとやってみせる』とはなにかといえばだ、当然、話の流れがある。

振りつけ、ダンスだろう。名無星がくぽと明夜星がくぽの曲の――

それで『ちょうどいい』というのは、やはり話の流れというものだ。自分(たち)で提案した振りつけの変更、上着の交換部分を実際にやってみせるという。

よりく、-69-

「やれやれ…」

キッチンから飛び出して行き、おとうとに組みついて追い剥ぎもとい、上着を強奪→違う、しかして上着を強奪にかかった明夜星カイトに、名無星カイトは小さくこぼした。

げに明夜星家、明夜星家げに、である。

明夜星カイトがおとうとのパートをやるのであれば、名無星カイトもまた、自らのおとうとのパートをともに踊らないといけないだろう。ひとりでは完成しない振りつけだし、なにより明夜星カイトは名無星カイトが付き合うものと、純然と信じて疑いがない。

まさに諦念を成型して服を着せたものと化し、名無星カイトもまた、キッチンから出た。出ながらエプロンを外し、上着を脱ぐ。

「おまえも寄越せ、ほら」

「兄…」

脱いだものは窓辺のいつもの椅子に投げ置き、名無星カイトは気負う様子もなくおとうとへ手を伸ばした。

いや、この兄が気負っていないなどいつものことであるが、しかしだ。かかしだ。まさにかかしの気分だ。ひどく脳みそがほしい。

戸惑って動かないおとうとへ、兄はしらりと横目を流した。

「俺に脱がされたいのか?」

「――っ!」

まあ、――効果は覿面であった。

なんというか、効果は覿面であった(くり返し言ったのは、大事なことだからではない。ほかの言葉を探したものの、そうとしか言えなかっただけだ)

名無星がくぽは早脱ぎ選手権があったなら間違いなく上位に食いこめるほどの速さで上着を脱ぎ、軽く折り畳みまでして、両手でもってそれを兄へと捧げ渡した。

で、兄といえばである。まったく当然のこととばかり、捧げ渡されたそれを鷹揚に受け取ると、開いて、袖を通した。

「………」

ふと眉が寄ったのはそこだが、追及の間はなかった。こちらもこちらでおとうとからの強奪――強奪に成功した明夜星カイトが、ぴょんこぴょんこと飛び跳ねながら呼んだからである。

「カイトさんっ、はやくはやくぅっ!」

「はいはい、よしよし…かわいくてつい、お持ち帰りしたくなるけどな、明夜星カイト。下の階から苦情が来るから。あんまり暴れるな?」

「えっ?!あ、そか?!ごめんなさいっ…っ」

非常に適当な雰囲気ではあったものの注意され、明夜星カイトはぴたっと動きを止めた(言う機会を逸してここまで来ているが、明夜星家は一軒家タイプの賃貸住宅に暮らしている。ために、こういった集合住宅における生活の注意点に疎い)

その明夜星カイトの前髪をぐしゃりと梳き撫でてやってから、名無星カイトはおとうとたちをカウンタにへばりつくように下がらせた。

欲しいスペースを考えるとまるで不足だが、致し方ない。この家は録音スタジオ(もどき)はあっても、ダンス練習までは想定していないのである(集合住宅、かつ1階ではなく上層階である。騒音対策もただではない。どこかにポイントを絞らなければ、それこそ第4話第12話の『資金不足』ネタが笑い話ではなくなる)

あれこれとやって最低限のスペースと安全を確保すると、名無星カイトは改めてといった感じでリビングに立った。左手側、棒気取りの妙な固さで立つ明夜星カイトへ顔を向ける。

♪-♪のあたりからでいいか?」

「……っ、っっ」

口を開きかけて慌てて閉じ、明夜星カイトはこくこくと頷いて答えに代えた。完全に『あつものに懲りてなますを吹く』である。仕方がない。KAITOにはそういったところがどうしてもある。

とはいえだ。そうでなくとも足場がよろしくない。スリッパだけでなく靴下まで脱いで裸足にもなったが、それもそれで馴れない。

これに加えておかしな精神的負荷まで抱えようものなら、怪我の可能性が倍々どんで跳ねる。目も当てられないとはこのことだ。

「昼間だからな。あんまりやるとまずいが、ちょっとならそこまで気にしなくていい」

「っ、はいっ!」

フォローというほどの熱量でもなくさらりと言った名無星カイトだが、明夜星カイトの表情はぱっと開いた。こくこくと頷く、その体からも棒じみた固さが抜ける。

そう、これぞ信頼の『カイトさん』効果である。あるいはカイトころり、カイトキラーの良い使われ方とでも言おうか――

明夜星カイトの様子を確かめながら、名無星カイトは自分も軽く、跳ねた。特に足首の状態を見つつ、ほぐす。

とはいえストレッチは軽いもので大した時間をかけることもなく、名無星カイトはすぐ明夜星カイトを見た。

♪-♪な?」

「はいっあ、ええと、下の階のひと、ごめんなさいっちょっとだけばたばたしますー!」

「うん、ここで言っても聞こえないからな。じゃ、行く。1、2、3、GO!

――で、実際である。

幸いにしてというか、『ばたばた』はほんとうに『ちょっと』で済んだ。分数単位ですらなく、秒単位だ。

彼らが再現しようとしたのは、曲のすべてではないからである。

曲の入り、イントロの途中から初めの歌唱、Aメロが始まる直前あたりまでのごくわずかな部分だけである。

ちなみにここは本来であれば、互いに背を向けていたところを→ターンして顔を合わせ、距離を調節→右腕同士をフェンシングの要領で打ち合わせ(明夜星カイト曰くの『いっち初めのクロス部分』である)→離れたらAメロ、名無星がくぽのうたパート開始……といった流れを予定している。

それで名無星カイトと明夜星カイトは、ここの初めの『→ターンして顔を合わせる』ところでまず、上着を脱いだ。その前のダンスパートで脱ぐ準備をしておき、くるっと回るところで袖を抜く→回り終わったらきれいに脱げているという流れである。

長い裾が、できるだけ大きく広がるように回ることが見映えのコツなわけであるが――

「――ふっわ、あせったぁーーーっ!」

「うん、よくがんばった

音の代わりに名無星カイトが唱えるリズムに合わせて踊りきったところで、恋人の上着に無事、身を包んだ明夜星カイトがへたりと座りこんだ。丈や尺の問題でわずかに余る袖をくしゃりと握りこみ、みぃみぃと口元に当てる。

名無星カイトのほうは相変わらず端然としており、みぃみぃ鳴く明夜星カイトの頭をくしゃりと、慰めに撫でてやった(ところで名無星カイトは明夜星がくぽの衣装、もどきではあれ軍服だ。上着だけでも、もとからの威迫がある。そうやると歴戦のつわものたる将校が、たまさか見つけたこねこを構っているというような――そういえばどこかでねこみみを使ったような気がするのだが、あれはその後、どこに片づけたのだったか)

ところで勇んで他人の振りつけに挑んだ明夜星カイトである。終わって、みぃみい鳴きながらへたるほど、なににそうまで『あせった』のか?

「ぅえーーーーーーいっ!!ブーラヴァなになにそれ、かっけえっカイトもだけどカイトくんも!」

「ですねえ。確かに難易度がちょっとアレですけど、見ごたえが出ますね、それ!」

――リビングのはるか彼方(所詮、日本家屋、『万ション』のリビングダイニングである。そこまでの広さはない、ソファの影でたまごきのこを栽培していたマスターふたりだが、さすがにこの位置だ。自分たちの長男がそろってやり出したことをきちんと見ていた。

それですっかり元気を取り戻し、ぱちぱちぱちと惜しみない拍手を贈るとともに歓声も上げた。立ち上がって歩いても来るから、スタンディングオベーション、最高位の感激を表していると受け取ってもいい。

しかし『マスター』から手放しの称賛を受けたロイドのほうだ。

「それはそうなんだけど~。ほんとにこれやるならちょっと、こっちの衣装は変えたほうがいいかもしれない~」

未だみぃみぃを引きずって情けなく袖を、もとい手を振ってみせる明夜星カイトに、名無星カイトも難しい顔で頷いた。

「俺の、こっちの…明夜星がくぽの衣装のほうはまだいいけど。そっちの、おとうと分の黒いのはスリム過ぎて…ソロ曲はそう激しく動かないからいいけど、こっちはけっこう動くしな。この振りつけでないとしても、もう少し余裕を持たせないと全体にきついぞ。KAITOの俺たちがふたりしてそう感じるんだから、【がくぽ】となると……ていうか明夜星カイト、おまえよく、あの動きのなかで腕、詰まらせないで通したな。天才か」

「あせったぁーーーですっおれえらいっ…って感じでありますっ!」

称賛なのか呆れなのか微妙な名無星カイトの言葉に、明夜星カイトはなぜか片手を額の前に掲げ、敬礼して返した(いや、なぜかというか、なにしろ今、名無星カイトは明夜星がくぽの衣装を着ている。上着だけとはいえ軍服、軍人スタイルだ。しかももともと妙な威迫がある。明夜星【がくぽ】とはまた別の意味で、さまになっているのである)

が、すぐに手を下ろすと床に突き、がっくりとへたれた。

「も、ほんとあせった…最後のさいごでやらかすかとおもった……自分でいいだしたのに、じゃなくて!

へろへろとつぶやいた明夜星カイトだが、すぐに顔を上げた。KAITOの常にない勢いに圧されつつも非常に熱心に『感想』を聞いてくれているマスターたちを、きっとして見る。

余る袖を(余るのはあくまで長さゆえであり、先から指摘する問題通り、身幅という点でいうならそうまで余っていない)ぷんすぷんすと振った。

「おれは今、『最後』だからまだ、いかったけど…ほんとはこれ、曲の初めのはじめでしょほんとにやるなら、振袖…とはいわないけど、ふたりとももうちょっと袖の広いのに衣装変えないと。アタマでつまづくことになっちゃう!」

「取り入れなくても、おとうとのほうは絶対的に変更だ。きつ過ぎる。動かない曲ならともかく、動く曲向きじゃない。だいたいがくぽ、おまえもおまえだ。着たらすぐわかったろ、なんで言わ……」

どうして自分のことで、しかもパフォーマンスの根幹に関わる大事な部分だというのに主張しなかったのかと。

おとうとを叱責しようと顔を向けた兄だったが、最後まで言いきれずに止まった。

つまり――つまりである。

マスターふたりが感激し、スタンディングオベーションまでしたのに対し、ご当人たる【がくぽ】たちはなにをしていたのかという話だ。

「いや、えっと…なになにこれ?兄さんがすごいのあのひとがすごいのなんなのちょっと…」

兄たちの演技が終わった瞬間、明夜星がくぽは感激するより狼狽していた。感激する隙などまるでなく、圧倒的に狼狽していた。珍しいほどだ、完全に狼狽しきっていた。

どれほど狼狽していたかといえば、カウンタに腰を預けて並んで立っていた名無星がくぽの袖をきゅううっとつまみ、頼み縋っていたほどである。

で、頼み縋られたほうの名無星がくぽといえばだ。最近、明夜星がくぽのおとうとみにやられ、いろいろ目覚めちゃったりしたりしている、ないしょのおにぃちゃんはといえばだ。

「どちらかではないなあ………両方、凄いだなあ……………うん。ほんとう、スゴいなあ………☆☆☆」

「ぅっわ、やっばっ?!」

悦びも感激もかけらもなく、図例として辞書や図鑑に載せてもいいほどの典型的な死んださかなの目で遠くを眺め笑う名無星がくぽに、明夜星がくぽは切れ長の瞳を見開いた。

次いですぐ引きつると頼み縋っていた袖から手を離し、名無星がくぽの襟首を掴み直す。がっくんがっくんと、首の経路が切れそうな勢いで激しく揺さぶった。

「あんたほんと、メンタル弱すぎなんだよっ戻って来いこのヘタレっ今回はひとりじゃなくて、俺といっしょでしょうがっ!」

――で、叱責のために名無星カイトが振り返ったのがちょうどこの、明夜星がくぽが名無星がくぽの襟首を掴んでがっくんがっくんやりだしたところであったと。

あまりにあからさまであった衣装の問題点ばかりに気を取られ、しばらくおとうとたちに構っていなかった。

なにが起こってこうなったのか、いくら察しの良さを称えられる名無星カイトでも咄嗟にわからない。

「ほ、ほぇえ…っ?!」

おとうとの声で遅れて顔を向けた明夜星カイトもだ。名無星カイトにわからないなら、もっとわからない

なんだかおとうとが恋人にらんぼーを働いているようにも見えるが、懸命に救助活動に励んでいるようにも見える。厳しい顔で声音だが、相手を思っての必死さが垣間見えるのだ。

ぅわあ、カイトさんのいうとおり、ほんとにふたりったらなかよしさんになったんだなあと、ほっこり――

したい気がするのだが、ほんとうに『ほっこり』していいのかどうかも、よくわからない。

判断がつきかねた明夜星カイトはどう動くべきか指示を求め、傍らにしゅっとして立つ名無星カイトを咄嗟に見上げた。

常に各方面からあれこれと頼られる名無星カイトである。今は軍服(もどき)まで着て、軍曹どころか将校の威厳をまとう名無星カイトである。

眉をひそめ、しばらくカウンタの騒ぎを眺めていたが、やがて重々しくこぼした。

「どうしてこう、情緒不安定が多いんだ…」