言うまでもなくあれは、敗者の背であった。自分の気まで挫かれるかどうかに関わらず、あまりじろじろ見るものではない。

よりく、-68-

そういうわけでマスターたちのことは一度、放り置くとしてだ、本題である(本題である。間違ってはいないはずなのだが、なにか別に、より以上に大事な本題を忘れているような気がするのはなぜだろうか)

改めてカウンタ向こうに立つ【がくぽ】を眺め、名無星カイトは眉をひそめた。

やはり、名無星がくぽが『影』だ。サポートと言えば聞こえはいいが、今回の主旨上、それではだめなはずである。ふたり主役で、どちらも立たなければ。

けれど並んで立って、この近距離で見てすら、名無星がくぽは一歩引いて見える。

実のところ問題の根幹は、カラーだの装飾の数だのではない。キャラクタだ

その方法や由来はともあれ、自分に自信満々の明夜星がくぽと、なにかとチートスキル持ち(本人未公認)な兄に眩み、自主的に霞んできた名無星がくぽと――

「おまえたち、立ち位置って…」

「このままだよ。僕が左。あんたのおとうとが右」

「そうだな。何度かクロスはするが、基本の立ち位置はこうだ。俺が明夜星のの右側で、明夜星のが俺の左側。兄から見るなら、向かって左が俺で右が明夜星のと言ったほうがわかりいいか?」

「ふぅん…」

適当に頷きながら、名無星カイトはちらりと傍らの明夜星カイトへ視線をやった。

【がくぽ】に悪気がないことはわかっているが、今の説明だとKAITOはどちらが右で左かというのが混線し、理解不能に陥る可能性が高い。

しかし幸いにしてと言おうか、明夜星カイトはそこには引っかかっていないようであった。だからといって、どうせ聞いてもわからないと流していたそぶりもない。

なにかに気づいたといったような表情で、瞳を瞬かせていた。

読み取った名無星カイトはちら見するのでなく、完全に明夜星カイトへ顔を向けた。

ほぼ同時に明夜星カイトも名無星カイトへ顔を向ける。こちらはなにも様子窺いなどしていない。顔を向けたら『カイトさん』とぴったり目が合って、揺らぐ瞳を意想外に見開いた。

その明夜星カイトの驚きが鎮まるのを待つことなく、名無星カイトは口を開いた。

チェンジしたいんだよな。イケるか?」

「ぇと、ぇえっと?」

驚きの処理に続き、言われたことを呑みこんで理解する間を挟み、明夜星カイトの表情はぱっと輝いた。

「あっ、市松じゃなくて、オセロ?!ぱたぱったんぱたん?!イイとおもうっますっ!」

輝きながら、こくこくと頷く。

つまり同意がもらえたわけだが、名無星カイトの表情が晴れることはなかった。

しかし今度は明夜星カイトが名無星カイトの反応に構うことなく、物理的にきらきらぴかぴかと光り輝きながら(そんなわけがない。錯視か幻視である)片腕を上げ、リズミカルに動かしてみせる。

「えと、初めの、♪~♪のとこっ。あそこがいっち初めのクロスでしょだからそこで、ばー、ぱぱっって」

「ああ、あそこ。………ああ、なるほど。そうか。それなら不自然でも自然?」

「んっあー、そうっじゃないです。♪~♪『ああ、そういう企画?』って説明にもなるし、初めの掴みっていうか、見せ場にもなるし」

「だな」

一寸待て、兄。すまんがカイトもだ」

「ん?」

「え?」

キッチン内の兄ふたりだけでさくさくと話が進み、さすがにここで名無星がくぽが割って入った。

なにしろ『兄』だ――名無星がくぽ兄の話ではない。単体ではなく、名無星カイトと明夜星カイトの兄連合の話、あるいは世間一般の『兄』というものの話である。

『兄』というものは放っておくとおとうとの考えなどそっちのけで結論を出し、しかもこの調子でさくさくと準備まで進めてしまうものなんである。

明夜星がくぽも言ったらやるが、『兄』も言ったらやる。いや、下手をすると言わずにやる。いいんだと思ってたと、彼らは常にとても無邪気に言う――

まるで悪意なく他意もなく、おとうとの意思をきれいさっぱりなきものとして無視できるのが『兄』というものなんである。

そろって、それこそとても無邪気な目をカウンタに向けた名無星カイトと明夜星カイトの前で、声を上げた名無星がくぽは額に手をやって押さえていた。どうやら一度は治まった頭痛がぶり返しているらしい。

そして今回の場合、頭痛こそ兆していないものの、傍らに立つ明夜星がくぽもなんだかとてもいやそうな目を兄連合へ向けていた。

まず、慎重に口を開いたのは名無星がくぽである。

「チェンジで、市松…オセロ、かつまりソロ曲はこれでやって、コラボ曲のときには上着のみ取り替えろということか、明夜星のと、俺のと……俺が、上は白の下は黒で、明夜星のが、上は黒の下は白と」

あの会話から、ここまでていねいに組み立てて説明できるところにまで落としこむのだから、名無星がくぽの苦労性ぶりが知れるというものであるが。

「だっておまえたち、サイズおんなしだろ」

おとうとを苦労性に育てた(つもりはない。むしろどうしてこう育ったかが知りたい)兄、名無星カイトといえば、しらりと言い放った。

サイズが同じであるのだから、交換したところで問題なく着られるだろうと。

異論はない。なにしろサイズが同じというか、そもそもどちらも【がくぽ】、同一機種である。カスタムもしていないからスリーサイズまですべて寸分の狂いもなく一致しているが、しかし問題はそこではない

「いや、しかし兄…」

「だいたい、ダサいんだよ。『黒と白の対比』だろ無難だけど、使い古されてボツ個もいいとこだ。ワンマンならまだいけるけどな、今回は違うだろ。印象が完全に沈んで残らない」

「ぐっ…」

ばっさりと容赦なく切って捨てられ、名無星がくぽは口に棒でも突っこまれたような顔でわずかに身を引いた。

責任監修:名無星出宵&明夜星甲斐である。先述の通り、ファッションは素人である。

とはいえ責任を押し被せることなく、名無星がくぽは兄の容赦ない指摘を呑んだ。『そう』とは思いつつも、強く主張しなかったことは確かだからだ。それこそ無難に逃げた自覚がある。

「だからって上着だけ取り替えて出ろって、それもなんか、ダサくない白と黒だから色の取り合わせは問題ないけど、逆に色が問題ないぶん、ダサさが別の意味で際立つっていうか。だったらやっぱり…」

黙ってしまった名無星がくぽに代わり、口を開いたのは明夜星がくぽだ。兄のみならず恋人の提案でもあれば、名無星がくぽが遠慮して言いにくかったところを、溺愛されるおとうと特権できっぱり言ってのける。

とはいえそれで結論として手を伸ばした先だ。カウンタである。カウンタカウンタにはなにがあったか?

――なにがあるにしろ、その手はなにも掴むことなく、名無星がくぽが伸ばした手に遮られた。

叩き落としこそしなかったものの、名無星がくぽは珍しいほど強い意思をもって明夜星がくぽと対した。

さらに、ひと言だ。

却下だ」

「…」

「きゃか」

「………」

もしも名無星がくぽの言いが一度で終わらず二回聞こえたとしたら、あなたがそれをとても大事だと思っているからだ。そう、あなたも名無星がくぽと同じほど、それを大事なことであると。

しばし見合った花色の瞳同士だが、今回、折れたのは明夜星がくぽのほうだった。先に目を逸らすと、再びキッチンへ顔を向ける。

「それとも、なに今着てるのじゃなくて、色違いのおそろい衣装を新調してとか、そういう…」

珍しいことだが、明夜星がくぽの受難はもう少し続いた。

つまりだ。兄たちの提案を別方向から解析した、その結論を言い終えるまでもなくである。

「「ちがう」」

――名無星カイト、明夜星カイト、ふたりに口をそろえて却下された。

とはいえ意図したものではなかったらしく、声がそろったことに名無星カイトのほうは明夜星カイトへ意想外の視線をやっていた。

ところで言われたのは明夜星がくぽなのだが、並びにいる名無星がくぽだ。こちらもこちらで煽りを食ってぎょっと、口をそろえた恋人と兄とを見た。

そういったわけで、【がくぽ】ふたりに名無星カイトにと、意想外の視線を三対も受けたわけだが、明夜星カイトが構うことはなかった。

キッチンからカウンタへ、ぐっと、身を乗り出すようにして言葉を続ける。

「同じにしちゃ、だめ、絶対ちがわないと…ちぐはぐにするの、わざと!」

ぷるぷると首を横に振りながら強く言って、乗り出していた身を引いた。それで両腕を胸の前で大きく交差させる。『×』の形だ。ただし『バツ』、ダメ出しの延長ではない

「今回の全体コンセプトって、『クロス』でしょただ別のひととか、別のおうちとかにプロデュースを頼んだっていうんじゃなくて…だから振りつけでも『クロス』を意識して、あちこちに入れてたよねそれを衣装でもやるっていうだけの話なんだけど」

そこまで言って、明夜星カイトはちらりと名無星カイトを見た。視線を受け、ふわりと目元を緩めた名無星カイトにこくんと頷いて、再びカウンタ向こうにいるおとうとと恋人へ、揺らぎながらも確信をもって強い瞳を向ける。

「色違いでも、同じデザインの衣装をただ取り替えたんだと、いかにもって感じになるでしょ。それこそ、ダサさの極みだも。それに、興味がないひとだと、『ただそれだけ』で終わっちゃう可能性が高いし…じゃなくて、『なにあれ?』って、できるだけ違和感持ってほしい」

真剣に言う明夜星カイトに、名無星がくぽと明夜星がくぽは顔を見合わせた。

ひとが興味を持つきっかけは多々あれ、『違和感』はトップに入る理由のひとつだろう。違和感を抱いたから記憶に残るし、記憶に残っているから検索や情報収集もする――

ただし違和感にも良し悪しはある。良い違和感は良い結果に結びつくこともあるが、悪い違和感が良い結果をもたらすことは少ない

いくらおっとり鷹揚でも、こういったことを言いだすくらいだ。明夜星カイトもそこはきちんと理解していた。

見合わせた顔をまた戻した名無星がくぽと明夜星がくぽがそこを指摘するより先に、こくんと頷く。

「でも初めっから取り替えてあると、それはそれで『クロス』イメージで『わざと』っていうこっちの意図が伝わりにくいとこあるでしょだから、初めにステージに立ったときは衣装このまんまで…『あれ、このふたりってさっき、別々で見たんじゃなかったっけなんでまた、今度はふたりで出てきてんの?』っていうとこ……その『違和感』から始めて」

言って、明夜星カイトは片腕を上げた。先に、名無星カイトと『打ち合わせ』をしたときと同じだ。上げた腕をリズミカルに動かしてみせる。

「初めの、イントロのとこの…♪~♪、あるでしょあそこの振りつけが、この曲だといっち初めの『クロス』だよね。だからそこをちょこっとだけ変えて、上着脱いで→交換して→着て『衣装クロス』って。目の前で『わざわざ』そうするんだもの、なにか意味があるのかなって、興味持ってくれるひともちょっとは出るでしょ」

「ああ…」

「あー…?」

そこまで説明され、ようやく名無星がくぽと明夜星がくぽは、明夜星カイトの腕のリズミカルな動きがなにかを理解した。

多少、簡略化されてはいるが、振りつけだ。曰くの小節部分の。

しかしどうしてこうも、普段敏い彼らの反応が鈍いのかといえばだ。

「………言いたいこと理解した。、カイト…」

「兄さん、振りつけ覚えてる『俺たちの』だよ曲の構成とか、それだけじゃなくて…振りつけまで?」

――つまりネックは、説明してみせた明夜星カイトがKAITOであるということなのである。

ロイド草創期に生まれたKAITOは、現今の主流型から見ればずいぶん低スペックであり、記憶容量にも限界があった。現在では改良も進み、記憶容量も処理速度も実は最新型とそうは変わらなくなっているのだが、とにかく初期段階ではいろいろ限界があったし、制限も多かったのである。

その低スペック時代の名残りが随所に見られそうでないとそこで確立されたKAITOという個性、『キャラクタ』がうしなわれる)、たとえば複雑な計算をすぐに放り出したり、記憶や記録といったものを非常に渋ったりする。

結果、言動がまさにあほの子にしか見えなくなるため、これらはまとめて『あほの子機能』などと通称されていたりするわけだが。

KAITOもそれを知っているが、しかしいやなものはいやなんである。あほの子呼ばわりのほうがまだいいという、――根の深さが窺える話ではないか。

くり返し言うように、明夜星カイトは『らしいKAITO』である。代表的なKAITOと言おうか――

あほの子であることに、むしろ誇りと矜持を持っている(そう、誇りと矜持はあほの子であるところに懸かっている)

その、いつものKAITO基準で考えたときにだ。

いくら同じアルバムに入っているとはいえ、最愛の恋人と溺愛するおとうとの曲とはいえ、自分がうたうわけでも踊るわけでもないものの振りつけを覚えているというのは――

録り終わったところで発売前の今の時点であるなら、サビの部分をうろ覚えしてくれていただけでも、愛の深さに感涙を堪えきれないほどだというのに。

その問いに、明夜星カイトはひどくきょとんとした表情を返した。それで、ごく当然と頷く。

「んもちっ!」

――いやだから、『もち』とはどういうことだ。明夜星カイト、KAITOでありながら、『もち』とは(念のため解説しておくが、『もち』とは『もちろんその通りです』といった意味合いの言葉の省略形である。もち米を蒸して搗いて成型した加工食品のことではない)

元気よく答えてから、明夜星カイトはようやくはたと、思い至った顔となった。そうでなくとも大きな瞳をこぼれそうなほど見開き、カウンタ向こうの仮想ステージに立つおとうとと恋人とを見比べる。

「ああっ、わかったっ――信じてないっ?!信じてないでしょう、おれが覚えてるって……ほんとだもっちゃんと覚えてるし…いいよっちょうどいいから、ちょっとやってみせるっ!」