恋より遠く、愛に近い-第67話-
で、さて、あとからずかずかと追って来た(推定)加害者たる明夜星がくぽの言である。
「道化ってあんた、失礼!失礼だからねっ?!ちょっとケバいかもしれないけど、コーデするのは俺なんだからダサくなるわけないでしょうっ!」
両手に花ならぬ、両手になにか――こう、非常にカラフルポップな羽根飾りだの花輪だのよくわからないモール調のものだのをこんもりと抱えて追って来た明夜星がくぽを、名無星がくぽはまったく余裕のない、完全に追いつめられた表情で振り返った。
「やかましいっ!その取り合わせでダサくならんかったら奇跡以上に絶望しかないわっ!おまえのその自信はいったい、どこから来るっ?!」
この窮鼠もとい、名無星がくぽの問いに、ころもこ毛玉ボール期のこいぬ、明夜星がくぽが返した答えである。聞いてください。
「自信っていうか、単に、『イケる!』以外の思考処理を禁じるだけだけど?むつかしいことないでしょう」
だからあんたもできるよねと、つまり、むしろとても平静に返して来た。
ご存知だろうか。こういうのを無茶振りと言う。
咬みつくことに失敗した窮鼠、名無星がくぽはほとんど本気の涙目となり、カウンタへ体を戻した。
「カイトぉお~っ!」
「ぇぅっ、あ、そのっ、うちのおとうとがかさねがさね…って、あのっ、でもがくぽっ!むつかしくないのはほんとだからっ!ねっ?!」
「兄ぃ………っ」
「ここで俺に振るか、おまえは…」
あぶおぶとカウンタに駆け寄った明夜星カイトは、最終的にはなんというか、恋人ではなくおとうとの肩を持った。ことになった。
それで、犬猿のと評されても仕方のない兄に縋ってくるからもう、このおとうとはかわいいのである(大丈夫、『かわいい』だ。間違っていない。実のところ名無星カイトも相応に不憫である)。
できれば巻きこまれたくないと作業台から動かなかった名無星カイトだが、こうなると仕方がない。どうしてもしわの寄る眉間を揉みつつカウンタへ、明夜星カイトの隣に歩いた。
その名無星カイトの前へ、明夜星がくぽもずかずかとやって来る。
「ちょっとカイト、あんたからもあんたのおとうとに少し、言って聞かせてっ!こいつすぐ、僕の後ろに隠れるっていうか、影になるような衣装とかアクセとかばっかり選ぶんだけどっ!むしろメインって誰かわかってんのっていうっ!」
意訳する。
『おにぃちゃんちのおとーと、イケナイんだよっ!おにぃちゃん、ちゃんとしかってっ!』
――意訳する必要もない、ことに難解なこともない明夜星がくぽの言い分であるが、これはつまり、名無星カイトの思考上にはこう意訳されたという補足である。
明夜星がくぽとは、名無星カイトと立って並ぶとむしろ目線が上となる相手なのだが、なぜかしばしば腰のあたりを見下ろしている気分になる。さもなければ足首あたりだ。
然もありなんというもので、これは大きく見えても所詮、ころもこ毛玉ボール期のこいぬであった。かわいいったらない(大丈夫、棒読みである)。
ところで補足ついでに(かつ、名無星カイトが逃避している間の穴埋めとして)ここで少し、現在の名無星がくぽと明夜星がくぽのスタイルについても説明しておく。
本日は打ち合わせなわけだが、衣装というのは眺めながら話し合っても、実際に着て並んでみないとはっきりしない部分も多い。ましてや『音』ならともかく『見た目』となると、全員が若干、得意分野とは言い難い。
口頭イメージだけだと迷子になるか暴走するか、暴走したうえで迷子になるか、迷子になったうえで暴走するかのどれかである。
そういったわけで名無星がくぽも明夜星がくぽも、すでにベースとなる衣装は身に着けていた。
名無星がくぽのほうは古式ゆかしい夜会服モチーフの、シンプルな黒ベース衣装である。全体の煌びやかさは不足するものの、長い直毛とも相俟ってスマートさが際立つ出で立ちだ。
対して明夜星がくぽは軍服モチーフの白ベース衣装であり(ただしモチーフであって軍服そのものではないので、上着の丈が膝まで届くロング丈であるなど、実用には向かない)、すでに徽章なども飾られているため華やかで、体格もよく見える。
――まあ、こうして並べてみれば、明夜星がくぽが叫んでいたこともあながち、いつものわがままだけではないことがわかる。
ベース色の問題もあるが、全体に名無星がくぽが大人し過ぎるのである。
ピンで、ひとりでステージに立つ分にはそこまで見劣りするものではないのだが(そこでまで見劣りするのであれば、含まれる問題が大きく変わってくる)、隣に明夜星がくぽが立ったときだ。
これは確かに影になる。
後ろに引いているわけではなくとも、引いているように見えるだろう。どうしても実際より小さく映る。
それは確かなのだが、ならば明夜星がくぽの腕に抱えられているあの、こんもりと、カラフルポップな集合体を――きっとすべて使う気ではないだろうが、それでごてごてと飾り立て、派手にけばけばしくすればどうにかなる問題なのかというとだ。
「ぇえっと、ぇと、とにかくね、がくぽ、ちょっと落ち着いて…おうちじゃないんだし、そんなおっきー声、出さないの。おにぃちゃん、ちゃんと聞こえるから…」
まったく意識しないままおとうとの肩を持ってしまった(ことになった)明夜星カイトだが、彼はただ溺愛するだけのだめおにぃちゃんではない。珍しくもひどく興奮しているおとうとを、きちんと嗜めた。
その兄へ、おとうとはやはり珍しいほどきっとした目を向ける。つけつけと返した。
「なんか知らないけどちょうどいいところにいるね、兄さん?ここで会ったがなんだっけ?とにかく百でも千でも万でもなんでもいいけど、ちょっと胸の前で両手組んでお祈りポーズして。それで首、右でも左でもいいから傾けて、こいつの目、見ながら言って。『おれ、ハデハデにめだってカッコイーがくぽ、みたいなあv』。はいっ!」
「お……――れ、って、だからちょっと落ち着いてったら、がくぽ……!」
処理を放り出す、つまり聞き流す瀬戸際の、限界ぎりぎりの速さで畳みかけられ、ついうっかり釣られかけた明夜星カイトである(彼だからではない。KAITOにはこういう、勢い押されると呑まれてどんぶらこっことだだ流されてしまう傾向がある)。
が、すんでのところで思い止まった。
今回の場合、これで害を被るのは恋人である。ゆえに愛の力と言ってもいいかもしれない(いわば目の前で『仕込み』を見たというのに【がくぽ】ともあろうものが害を被るのかと、もしも疑問に思われたのであれば、むしろ【がくぽ】だからだと答えておく。目の前でこうまできっぱり仕込みを見せられてすら絆されるのが、【がくぽ】なのである。ばかなわけではない。情が強いとはそういうことだ。紙一重ということは否定しない)。
明夜星カイトはつい組んでしまった手を解き、傾げた首を項垂れさせて、頭痛を堪えるように額を押さえた。
さて、すんでのところで愛の力に負けたおとうとの反応である。
「ち…っ」
「舌打ちするな、貴様。この卑怯者が…」
隠しもせず舌打ちをこぼした明夜星がくぽを、本気で命からがらとなりかけた名無星がくぽは非常に恨みがましく睨んだ。
しかしまっとうに責められたところで、明夜星がくぽである。むしろ胸を張って名無星がくぽを見返した。
「はあ?この程度で卑怯?甘っちょろいこと言わないでくれる?卑怯っていうのはね、当日の瀬戸際になって衣装全部入れ替えられてて問答無用でもうそれ着るしかないとか、――ああなんだそっか?そうしたらいい…」
「いいわけあるかああっ!!」
いわば売り言葉に買い言葉の、反射で返していたものだ。しかし我ながらこの案が気に入ったらしい明夜星がくぽは、非常にすっきりした顔で踵を返しかけた。腕にこんもりもっさり、後生大事に後生大事なアレらを抱えこんで、である。
なにがこわいと言って、『そう』言った以上、明夜星がくぽは『そう』するということだ。【がくぽ】に特徴されるサムライ気質、義を重んじて卑劣を厭う性質がどうにもうすい。
震撼する名無星がくぽは立ったままながらカウンタに肘をつき、頭を抱えた。
これが最愛する恋人のおとうとでなく、兄の子飼いでもなければ、もう少し対応の方法もあるというものを、――
なによりこのひと月ばかりの付き合いで、自分までこの相手が『おとうと』のような気がしているから、なおのこと悪い。完全に手詰まりだ。
だから【がくぽ】は紙一重ものに情が強いのである。
相手は自分をいっさい兄などとは思っていないだろうに、義兄とすら思っていないだろうに、けれど名無星がくぽはもう、明夜星がくぽが『かわいい』。
同じ機種を相手にそんなことを思うのはどうかしているとしか思わないが、しかも初めは恋敵として警戒すらしていたはずであるのにだ、けれどもはや否定しようもなくかわいい(ので、実は『メインはあんた』と立ててくれようとしているのも、ちょっとうれしい。困るし、兄として立ててくれているわけではないのも理解しているが、やはりちょっとうれしくなってしまうのである。大丈夫、不憫だ。憐れみ給え)。
かわいいがしかしだ。かかしだ。田んぼの真ん中で叫びたい。なにかは不明だが、なにか叫びたい。少なくとも愛ではないことだけははっきりしている、なにか――
「あー…よーしよし。いい子だからこっち来ぃ…おいで、おまえ。とりあえず腕のものをちょっと置いて、ほら」
実兄と義兄と、ふたりがあえなく撃沈し、名無星カイトはようやくほんとうに諦めをつけた。逃避に遊んでいたころもこ毛玉ボール期のこいぬに別れを告げ(きゅんきゅん鳴き縋られ、胸が痛いったらなかった)、現実のこいぬもとい、明夜星がくぽをその揺らぐ瞳に映す。
それで非常に適当な声を上げつつ、踵を返した明夜星がくぽへゆらゆらと手を振る。
伝説のセイレンでも再現したような妙に蠱惑的な動きに、顔だけ振り返らせた明夜星がくぽはきゅっと眉をひそめた。突き抜けた美貌を無為に、思いきりぶすくれた表情となる。
「誤魔化そうったって、そうはいかないからね」
「はいはいよしよし。いいから来い、騙されたと思って」
騙す気しか感じられない、適当にも過ぎる名無星カイトの声であり、表情であった。
明夜星がくぽはますます眉をひそめたが、振り切って行くことはしなかった。ぶすくれた表情ままながらも素直に体を返し、カウンタの前に戻る。
腕に抱えていたものも言われるがまま大人しくカウンタへ置くと、向こうから伸びる手へとわずかに身を乗り出し、顔を寄せた。
面倒臭さを前面に、目を眇めていた名無星カイトの表情が緩む。くちびるも綻び、自分もまたカウンタへ一歩寄ると、明夜星がくぽの前髪を梳き上げ、わしゃくしゃと掻き撫ぜた。
「よしよし…」
蕩けるような笑みとともにつぶやく名無星カイトを、わしゃくしゃと掻き撫ぜられる隙から明夜星がくぽは鋭く睨み返した。
「だから誤魔化されないってば。仕様がないから、撫でさせてあげてるだけだから」
「はいはい、よしよし…」
「だーかーらー………ちょっとは僕の話も聞いてよ、あんたは、まったく…」
適当に適当を重ねて応じながら、名無星カイトはしばらく明夜星がくぽの頭を撫でた。そうやっているうち、険を含んで鋭かった明夜星がくぽの瞳もなんだかんだと丸みを帯び、細められる。
自分からもすりりと撫でる手に懐いてきたところで、名無星カイトは名残り惜しさに重みを増す手をそっと、離した。離しても、じっと追って見つめる花色の瞳、その眦をなだめるように撫で、今度こそ完全に手を引く――
「こういうところだな………」
「うん、こういうところですー…」
「っ?!」
――カウンタを挟んで仲良く頭を抱えていた(こういったものを仲良しと表現するのは、不適切である。こころが痛む)はずの名無星がくぽと明夜星カイトのなんとも言い難い視線があり、名無星カイトは思わず、足を引いた。
それは生温いと言おうか、微笑ましいと言おうか、とにかくなんとも表し難い視線だった。
しかもである。
咄嗟に怯えて足を引いた名無星カイトに構うことはなく、恋人たちはカウンタを挟み、居住まいを正した。まずは明夜星カイトがぺこりと、頭を下げる。次いで、名無星がくぽが。
「毎度まいど、うちのおとうとがご面倒をおかけしたまして…」
「こちらこそ不肖の兄がご迷惑をお掛けしまして…」
「いえいえこちらこそ…」
「いえいえ滅相もない…」
名無星カイトと明夜星がくぽ相手ではなく、名無星がくぽと明夜星カイト、お互いに向かってぺこぺこと頭を下げ合う。恋人同士とも思えない他人行儀な表情であり態度でもあるが、息が合っていて仲は良い。
仲は良いのだが、つまりだ。
「釈然としない…?」
「気持ち悪いっ!なんなのふたりともっ!なんか失礼なんだけどっ?!」
せっかくなだめた明夜星がくぽがまた、きいきいと叫ぶ。が、こちらもこちらで若干、腰が引けていた。
それを確かめ、名無星カイトはふるりと首を振る。気を切り替えると、まずは【がくぽ】の間を縫ってリビングへ視線を飛ばした。
そもそも今日の話し合いである。おとうとたちふたりきりでしていたわけではない。マスター、おにぃちゃんたち以上の『保護者』が同席したうえでやっていたのだ。
その保護者もとい、マスターたちはいったい、どうしたというのか?
「だからこのたまごきのこがね、保温性はもちろんなんだけど、案外、防音遮音にも優れておりまして…」
「へえ、高機能…高性能……いかにもぬとつきそうな外観もポイント高い…」
「ダンボールと布だからぬとついたら終わりなんだけど、明夜星さんちはなんでかみんな、そう言うねえ…」
「そもそもたまごきのこ、ぬとつかないんですけどねー…」
せっかく切り替えた気がぐじぐじと崩れそうになり、名無星カイトはすぐ、目を逸らした。
しかし一応、状況は説明しておく(説明せずともだいたい、伝わったような気はしているのだが)。
出宵と甲斐ははるか彼方のリビングのソファ、さらにその奥手に置いた出宵専用簡易シェルター、通称:たまごきのこの前に座りこんでいた(たまごきのこなんぞやと思われるのであれば、第12話や第13話あたりが詳しい)。
ふたり並んで座りこんで、それで、なにをしているのか?
――逆に訊きたい。逃避以外のなにに見えただろうか。
そもそもふたりとも、『音をつくる』ことには長けているが、ファッションはそこまで強くない。通常であればスタイリストなど、外部に依頼する。さもなければそういったひと通りのこともプログラミングされているロイド頼みという。
そう、それで今回、頼みとしたロイドである――