恋より遠く、愛に近い-第66話-
ところでそもそも今日はいったいなにをして、名無星家のキッチンに名無星カイトと明夜星カイトが並び立つこととなったのかという話を先にしておく。
ざっくり言えば、今日の明夜星カイトは付き添いであり、もっとざっくり言うと荷物持ち要員であった。
そんなにもなんの荷物を運んできたのかと言えば、ステージ衣装(の候補)である。
誰のかと言えばおとうとたち、【がくぽ】分の――
覚えておられるだろうか。最前あったKAITO関連のイベントを(今が何話であるかはともかく、あれは第1話のことであった)。
同様に近々【がくぽ】関連のイベントがあり、明夜星家と名無星家の【がくぽ】も各それぞれ出演することになっていた。
これはコラボどうこうの話が出るより先に決まっていた仕事であり、つまり個々参戦だ。
が、タイミングである。アレだったら今回のコラボ曲もやってみないかという追加のお誘いを主催側からいただいたのである。
発売諸々の日程を考えると、願ってもないタイミングでのお披露目だ。しかももとより予定していた各個人参加は参加として、プラスアルファで時間をもらえるわけである。
こんないい話を逃す手はない(逃すマスターはたとえ指紋声紋虹彩遺伝子がすべて一致したところでマスターではないと、名無星カイトは言った。誰からも反論はなかった。いや、明夜星がくぽがかろうじて、なんでそんなわかりきったことを今さら言うわけ?とごく不審げに返した)
それで――まあ、コラボ曲までやるのであれば、衣装だ。
そもそもは個人参戦のつもりだったから、衣装コンセプトにしろなんにしろ、もともと決めていたものが明夜星家と名無星家とでてんでばらばらなのである。
状況によってはそれで合わせるが、コラボ曲のコンセプトを考えると今のままでは厳しかろうという話になった。
そう、こうなった以上、今回はもともと予定していた各家を主眼の参加ではなく、コラボ曲のほうにこそ主眼を置いて参加したいのである。
なにしろ発売直前の大事な時期だ。盛り上げたい。なぜならそれで回収額が変わる(なんだか夢も希望も一瞬で醒めたと思われたなら、第30話を参照されるといい。もともとなかったことが思い出せるかと思う)。
そういうわけで、個人曲の雰囲気も壊さずコラボ曲の雰囲気にも合う衣装、つまり曲ごとの大幅な衣装チェンジを要さず、諸々の負担がかからないもの――
で、あれこれと持ち寄って衣装合わせをしているという本日である。
名無星カイトと明夜星カイトは先にも述べた通りキッチンにいるが、カウンタを挟んですぐのリビングダイニングには名無星家と明夜星家のマスターに【がくぽ】も勢ぞろいし、やいやいとやっている。
主に喚いているのは名無星出宵と明夜星がくぽであり、叫ぶのは名無星がくぽ、そこにたまにざくっと、明夜星甲斐の声が入る――
ココアをつくるといういつもの名目でそうそうにキッチンへ逃れた名無星カイトの読み通り、打ち合わせは紛糾していた。
なにしろ指向するものが違うところで(嗜好ではない。思考ではもっとなく、まさか指向である)、個性も主張も強い手合いばかりが集ったのである。紛糾しなかったらむしろ、彼ら全員を病院(ロイドはラボ)に叩きこみ、精密検査を受けさせるところだ。
だからあれが紛糾しているのはいいとして、そう、むしろ『都合がいい』――
こういった、微妙にも過ぎる会話をするのであれば。
それで話は戻って、名無星カイトである。たとえば彼が明夜星がくぽへの『イタズラ』を継続しようと思ったのは、きちんと明夜星カイトに焚きつけられたからだった。
あの日、あのとき(第54話である)、名無星カイトは明夜星がくぽの膝の上でそのうたごえを聞きながら、不本意にも寝落ちした(さすがに疲労が蓄積し過ぎて、過負荷で駆動系が灼き切れそうだった。仕方がないと諦めてモードの切り替え処理をし、仮眠に落ちたのである)。
そこから、目覚めた瞬間だ。
――おはよ、カイト…
吹きこまれた声は甘く、注がれる眼差しもまた、蕩けるように蕩けて甘ったるかった。
あまえんぼうのわがまま王子であるくせに、このときの明夜星がくぽは前半が削げてただひたすら王子であり、頼みとするに足りるものがあって、なにより熱があった。
これで『そう』でないなら、『そう』であるものなど存在しなくなるというほど。
なんだおまえ俺のこと好きかと思ったのである。
『ならば』やらなければと――
で、気がついたら手が出ていたわけである。
手というか口というか、しかし舌を捻じこんで掻き回してやっても好きにさせてくれるし、拒む様子がいっさいない。どころか、応じるような気配もあった(戸惑いか不慣れかで、たどたどしくはあったが)。
さすがにマスターがふたりもいる前だ。ほどほどで離れてやったが、いなければそのまま押し倒して食らっていただろう愛らしさであり、従順さでもあった。
――そうしていたら、話はもっと早かっただろう。
そう思う。きっとそこで終わっていたからだ。
けれど『そう』までしなかったから話は続いて、その後だ。
たとえば、忙しかろうとも合間を縫って落ち合うというのは、どちらからともなく始めたことだった。そういえば今日、この近くで仕事だと聞いたなと、ふと思いついた名無星カイトが顔を出したのが始まりだったような――
そう深い考えがあって始めたわけでも、やっていたわけでもなかった。少なくとも名無星カイトはだ。
気がついたら体が動いており、明夜星がくぽも拒まないし、同じようにしてくる(そう、深く考えずにやっていた。名無星がくぽと明夜星カイトと、その他周囲すべてが青褪めるほどの調整力と行動力を見せつけながら、実はなにも考えていなかった。これぞもっとも青褪める事実という)。
そもそも、噂は静かに回っていた。
その以前、数か月、名無星カイトは誘いをかけられても断るようになっていた。一度きりというこれまでの約束を先に持ちだしても、しかし断る。
もしやして本命ができたのではと騒ついていたところで、これがトドメとなったと。
はっきり言わないが、なにも言われないが、機微に疎いKAITOですら読み取れるほどの濃厚な空気を醸すふたりである。だからこうなる前に誰か、ひと目を憚ることをふたりに教えておくべきであったというのに(どのみち無駄であったろうことはわかっている。ふたりともに聞く耳など持たなかっただろう。なぜならふたりして自分たちを『そう』と認識していないのだから)。
で、外堀が先に、完全に、意図しないまま土砂利と埋められて、肝心の本人たちである。
焚きつけられ、煽られて咄嗟に手を出してしまった名無星カイトだが、実は途方に暮れていた。
このあとがどうしたらいいものか、わからなかったのだ。
明夜星カイトが言うとおりに明夜星がくぽが自分を好きだと言うなら、名無星カイトはやらなければと思う。
思うが、思うとこれ以上、体が動かない。
――それでいいのか?
問う声があり、止まず、強い。
『それで』というが、そもそもなにを指しているかすら不明な『それ』であるというのに、名無星カイトの体は覿面に固まり、動かなくなってしまう。先が続かない。
だとしても手を出された明夜星がくぽのほうが追って求めたならきっと抵抗もなくやるだろうと思うのに、あの意味不明を成型して服を着せたもの、あまえんぼうのわがまま王子ときたら、追うことはしないのだ。
拒まれないことで味を占めた体が、手が、ほんの些細な隙を見つけると明夜星がくぽへ伸びるようになった。傾き、求めるように。
曰くの『イタズラはしている』だ(といっても、『イタズラ』の範疇である。触れるのはくちびるくらいで、たまに趣を変えて指をしゃぶるくらいの。名無星カイトにとってはまさに児戯、『イタズラ』でしかない)。
で、名無星カイトがしている間、明夜星がくぽはやはり拒まない。容れて、そのときは確かに離れがたいと、離したくないと思い、願う気配すらするというのに――
名無星カイトが離れたら終わりだ。
追わない。熱の上がった体を押しつけもしなければ求めもしない。いや、そもそも熱が上がっていないのではと確かめたこともある。きちんと反応していた。
ならばと――
ならない。
互いに止まって、進まない。
進まないのであればいっそ離れればいいのに、離れることを考えつかない。考えられない。
手詰まりもいいところで、今日だ。
明夜星カイトである。
一ヵ月前、口を出すなとさんざん言い聞かせたというのに甲斐もなく、ぴよっとかわいいくちばしを突っこみまくってくれたこねこである(ねこにくちばしはない。わかっている。けれど名無星カイトは『そう』喩えざるを得ない状態なんである)。
その結果がこれであるのだからもう、毒を食らわば皿までというものだ。責任を取ってもらおうと。
もちろん八つ当たりだ。鋭敏を謳われた名無星カイトの思考もいい加減閊え、詰まって、ろくなことを思いつかなくなっているのである。
その最たるものといえば、もういっそ誰か、適当なのの誘いに乗って寝てみようかという――
あれは、明夜星がくぽは、名無星カイトにほかの手垢がつくことを赦さず(ここは非常に【がくぽ】らしい思考だろう)、もしもそうしようものなら、共風呂で隅から隅まで洗うと宣言している(ここは微妙である。まず『もしもそうしようものなら』という発想がないのが【がくぽ】だからだ。ふつう、『もしも』であってすら『させない』んである)。
裸に剥いて、それこそ隅から隅まで洗えば、今の状況であればいやでも進まざるを得ないものがあるはずであるし――
もちろん、そんなことはしない。これは悪手中の悪手であると、名無星カイトにもそれくらいの分別はあった。今は、まだ。
『今はまだ』だ。
それですら求める結果が得られないかもしれないと、おそれるこころが勝つからだ。『今はまだ』。
なぜなら相手は明夜星がくぽ、意味不明を成型して服を着せたものである。思う通りにことが運ぶなど、滅多にない。
それでもあとひと月もこんな状態が続いたならどうなることか、ちょっと自分に自信がなくなってきている名無星カイトである。
「えーーーっと………?いくわかんないんですけど、それもう、『すきです』っていったら終わりにならない?んです?」
鍋にうすく張った湯のなかに、名無星カイトは例のごとくざくざくとココアパウダーと砂糖を放りこんだ。使っているのはやはり例のごとく計量スプーンだが、すりきるでなし、計量しているのかしていないのか『やはり』判じつかない。
で、その適当にいい加減で(適当だ『が』いい加減なんである)放りこまれたココアパウダーのだまを懸命に潰しつつ、明夜星カイトが首を傾げる。
「やるやらないとかより先にそっちのほう済ませたら、気持ちがすっきりすると思うんだけど…」
「………少し違うな」
「『ちがう』」
作業台に腰を預け、カウンタ向こうの騒ぎを眺めるでもなく眺めつつこぼした名無星カイトに、明夜星カイトはさらに首を傾げた。ほとんど作業台に伸し掛かるようになっていた姿勢を戻し、名無星カイトの横顔をまじまじと眺める。
「え?もしかしてカイトさんは、あれです?先に告白したほうが負けとか気にする?んです?」
きょとんとした声での問いに、名無星カイトは傍らへ首を巡らせた。眉をひそめ、揺らいでも澄んだ瞳の明夜星カイトをまっすぐ、見返す。
「なんだそれ…負けたほうが女役とか、そういう話か?なら俺は別に、どっちでもい…」
「そっちこそちがうぃますぅううっ!それじゃおれががくぽ、抱かないといけないくなるでしょうっ!」
一瞬で美事なほど真っ赤に染まり上がった明夜星カイトの叫びに、名無星カイトはわずかに顔をしかめ、片耳を塞いだ。『そんな大声を出さなくても聞こえる』のジェスチュアでもあるが、つまりだ。
このカップルの場合、名無星がくぽから明夜星カイトへ告白し、それはそれとして性行為、セックスの際は名無星がくぽがいわゆる男役固定、明夜星カイトは女役固定であると。
名無星カイトとしては、お互いが同意であるなら別に言いたいことなどないわけだが、ひとつだけいいだろうか。
「おとうとのそういう、生々しい話はあまり聞きたくない」
「おれらって、いいたくなかったれすぅうう………っ」
すっと視線を脇に逸らして吐き出した名無星カイトへ、明夜星カイトはぐすべそと洟を啜った。見える範囲の肌という肌を赤く染め(ということは見えない範囲も相応に染まっていることだろう)、頭を抱え頽れてだ。
この場合、確かに明夜星カイトも誤爆しているが、誘ったのはどちらであるかというところもある。
「だいたいおれらって、ぁくぽのそんな、いくらカイトさんととはいえ、あんまりなまなましーこと想像したいくないしぃい……っ」
「よしよし…だまを潰せ、明夜星カイト。まだ全然…いや、先は長………あー、すっきりするぞ?」
「ぇうぅうう………っ」
微妙に鬼めいた発言を誤魔化しきれないまま、名無星カイトは頽れた明夜星カイトの頭を撫でてやった。
恨みがましく見上げたものの反論はなく、明夜星カイトはよろよろと立ち上がる。生まれたばかりの仔鹿が立ち上がるシーンを思い出し、名無星カイトは緩むくちびるを誤魔化すため、考えるふりで指を当てた。
よろよたと立ち上がった明夜星カイトといえば、健気そのものだった。改めて小型の泡立て器を持つと、素直に鍋へ向かう。
ちみちみちまちまとだまを潰す作業を再開しつつ、ちらりと名無星カイトへ視線をやった。
「じゃ、『ちがう』って、なんです?なにが?」
「ん?」
改めて問われ、名無星カイトもまた、明夜星カイトへちらりと視線をやった。ほんのわずかにくちびるが逡巡を見せ、しかし思いきってようやく、開く――
開こうとした、そのときだ。
「カイトっっ!!おまえのおとうとになにか言ってくれっ!あいつ、俺のこと道化にする気かっ?!」
命からがらの様相で名無星がくぽがカウンタにへばりつき、叫んだ。