恋より遠く、愛に近い-第1話-
「好きだ、カイト……いや、愛しているんだ、おまえのことを」
「がくぽ……っ、おれもがくぽのこと、すきっ……だいすきっ!!」
――というような感じで、ちょっとした紆余曲折を経たりしたりし、ここにまた新たな【がくぽ】とKAITO(芸能特化型ロイド/VOCALOIDの男声型シリーズ、神威がくぽとKAITOのことだ)のカップルが誕生したのであった。
さて話は、ここから始まる。
『ここ』だ――あったりしたりした彼らの恋仲となる以前、出会いからの紆余曲折ではなく、その果てに結ばれた、ここからだ。
とはいえまったく直後というわけでもなく、この日からひと月ほど経てからではあるが。
なぜか?
――実は彼らの紆余曲折は未だ終わっておらず、どころか、むしろここから始まってしまったお話があったりしたりするからである。
それで、そちらのほうが、彼らの両想い前の紆余曲折より、はるかにおもしろいからと――
言ったのがどちらのマスターであったか、責任の所在は明らかとしないでおくが。
責任の所在は棚上げとしておくが、しかし『どちらのマスターか』という、これだ。
通常、単数形であるはずのロイドマスターが複数形で語られることについては、この問題の主要なところにも非常に関わってくるので、述べずにおくわけにはいくまい。
つまりである。
今回、ご成約もといご成婚もとい両想いに至った【がくぽ】とKAITOとは、それぞれ所有するマスターが違うのである。
なるほど。ご大層に前振るまでもない、単純な話ではないか?
――本来であれば。
ところでその、マスター同士の関係である。仲良しの度合いとでも言い換えようか。
状況によってはこのふたりの、あったりしたりした紆余曲折がロミオとジュリエット的な色合いを帯びる可能性もあったマスター同士の仲であるが、これはなかなかによろしかった。
――だから、やはりご大層に前振るまでもない話なんである。推して知るべしという。
もしも『よろしからず』であり、ロミオとジュリエット的展開を引き起こす要因となるのであれば、がっ飛ばすなどとんでもない。まずこのふたりの、あったりしたりした紆余曲折をこそなによりも語らねばならなかっただろう。
それが平然と飛ばせる時点で言うまでもないという話だ。
そういうわけで関係性においては問題のないマスターふたりについて、先に(軽く)紹介しておく。
まず【がくぽ】のマスターだが、名を名無星出宵‐ななほしいざよい‐といい、ボーカロイドマスターとしての活動名は『えまのん』(名字の名無=NONAMEの逆読みである)という。
次にKAITOのマスターだが、名を明夜星甲斐‐あかるやぼしかい‐といい、ボーカロイドマスターとしての活動名は『カイトラ』(名前の『甲斐』から、かの戦国大名:武田信玄公の異名『甲斐の虎』をもらった)としている。
年齢は甲斐のほうが、出宵よりおよそ十歳ほども年上であるのだが、なにしろ出会ったきっかけがきっかけだ。
たまたま出かけたボーカロイドマスターの集いで、たまたま近くにいたからたまたま話してみたなら、なんと持っているボーカロイドがたまたま、まったく同じだったという。
そこから話が弾み、転がり、――
年の差はあっても、馬が合ったというか、息が合ったというか、とにかく出宵と甲斐とは気が合ったのである。
なにしろ未だ出会う前、完全に己の好みのみに忠実に、誰への忖度もなしでそろえたボーカロイドが、まったく同じであったわけなのだから。
さてここで、あえて復唱しよう――あるいは、復習しよう。なんにしろ振り返りであり、再確認である。
今回、晴れて祝杯もとい祝言もといの両想いへと至ったのは、名無星家の【がくぽ】と、明夜星家のKAITOであった。
芸能特化型ロイド/VOCALOID:神威もしくは神威がくぽと、芸能特化型ロイド/VOCALOID:KAITO――
異機種である。
しかして出宵と甲斐は、『まったく同じボーカロイドを持つマスター同士』として、意気投合したのであった。
そう、もはやわざわざ明言するまでもないことだが、せっかくなので明言しておこう(なにが『せっかく』であるのかはまったく不明だが、とにかくなにか、せっかくだ。そう言うとなんであってもなんだかいいことになると相場が決まっている)。
つまり、出宵も甲斐もボーカロイドを二体所有していたのである。
しかもその構成はKAITOと【がくぽ】とを各一体ずつであり、なおかつ兄:KAITOにおとうと:【がくぽ】という、内訳までまったく同じであったという。
そう、名無星家の【がくぽ】も明夜星家のKAITOも、ごく身近に『相手』がいるにも関わらずそうではなく、わざわざ他家の『相手』を選び、恋仲となったと。
うん絶対、『このあと』のほうがおもしろいでしょとマスターは口をそろえて言い、それで話の始まりは名無星家の【がくぽ】と明夜星家のKAITOの馴れ染めからではなく、彼らがめでたく序盤戦を乗り越え、両想いに辿りついたところ、それが周囲にもそこそこ浸透した、ひと月あとからとなったわけである。
そういえば今、先に棚上げとした責任の所在がなし崩しで明らかとなってしまったりしたりしたが、とにかく話は『ここ』から始まる――
「あ」
「え?」
会場から控室へと戻るべく、廊下を歩いていた明夜星カイト(これは本来、『~家のカイト』が正しい表記である。が、たかが二文字、されど二文字で面倒違う→『家の』を省略し、『所有マスターの名字、あるいは活動名+通称』=『明夜星カイト』のような表記を一般とする)は唐突に声を――わりと明確に指向性のある、『自分に対しての』とわかる声を上げられ、きょとんと瞳を瞬かせた。
おっとりとした風情で声のしたほうへ顔を向ければ、ちょうど控室から出てきたところと思われる同機種、KAITOがいた。衣装の感じからして、今日の演者のひとりだろうか。
所属(大概は事務所などのことではなく、単に所有するマスターの違いを差す)によって、同機種であっても少しずつ、顔つきや言動、まとう雰囲気が違ってくるのが汎用型ロイドというものだ(そういった微々たる違いから個々人を見分けるのがまた、汎用型ロイドである)。
そういった意味でカイトはなんとなし、このKAITOに覚えがある気がした。明確に『誰さんのところの』とまでは思い当たらなかったのだが、まったく初対面の相手という気もしなかったのである。
が、明夜星カイトがなにかしらの記憶に行き当たる前に、声を上げたKAITOのほうが動いた。
「ちょっと待ってろ」
「…え?」
きびきびと言い置いて、控室に戻る。
一般に旧型機と呼びならわされる、ボーカロイド初期型でスペックの低かったKAITOシリーズは、おっとりとした性分に育ちやすいのが特徴だ。
動きもおっとりしていれば、言うこともおっとりしていて、当然、考えもおっとりしている(ただしこれは思考速度、あくまでもスピードのことであって、考え方、方向性のことは含まない。あえて強調しておくが、KAITOというシリーズとうまく付き合うためには、この差を理解することが非常に重要である)。
それでよく、春の陽だまりに喩えられるわけだが、とにかくKAITOシリーズといえばおっとりしているものと相場が決まっている。
対して、今のKAITOである。
言い方といい、動きといい、ずいぶん機敏な印象が強かった。KAITOとしては若干、珍しいタイプである。
――ので、ならばなおのことよく印象に残ってすぐ思い出せそうなものなのだが、『知っている』気はするのにどうしてか、肝心のところがぼんやりしていて思い出しきれないという。
ぼんやりとしていっこうに思い当たらないというのに、いやでも知っているはずという、気配だけが妙に強い。
「ええー……」
なんだろう、気持ち悪いなあと、カイトは眉をひそめ、彼が入って行ったドアを見た。
すぐ脇の壁にネームプレートが掛かっていて、当然、文字が書かれている。文字はもちろん、名前だ。グループ名であったり、活動名であったり、単に所属名であったりとさまざまだが、とにかく今日、この控室の使用権を持つ――
今日のイベントはいわゆる『KAITOオンリー』であり、明夜星家のみならず、多数の所属からKAITOを演者として集めて開催されたものだ。
主催組は別として、基本的に控室は一組一室ではなく、何組かずつでまとめて与えられている(しかしKAITOである。おっとりさんである。『控室』ならまあいいよねーと、あちこちの控室に関係のないKAITOが入りこみ、まったりしている。あるいはネームプレートがあってすら迷子となって自分の控室に辿りつけないKAITOが、まあここも『控室』だしいっかーと、やはり適当な控室でまったりしている。おかげで所在が把握しきれない運営スタッフが狂乱していたりもするが、KAITO系イベントではあるあるである。むしろこれがなければKAITO系イベントではないとすら言う。大丈夫、愛だ。被虐趣味の集いではない)。
その、プレートに書かれた名前である。くり返すが、複数の――
はずが、ひとつだけであった。
おかげでくっきりはっきりよく読めるが、主催家のそれではない。
確かに非常に鷹揚な性質の明夜星カイトであるが、主催家の名前を思い違いや取り違いはしない。そういうところはしっかりしている。なぜなら『おにぃちゃん』だからである(より正確に言うなら、『おにぃちゃん』とは『そう』いうものと、明夜星カイトの内で定義されている。である)。
だがしかしである。かかしである。
どう見返しても書かれているのはひとつだけであるし、なにより書かれている文字である。
名前、名字である。
「えっ…」
「待たせた。はい」
「え、ぁ、はいっ?!」
現実がカイトのうちに沁みこみ、認識から理解に至ったまさにその瞬間、ドアが開いた。そして最初の印象と変わらず機敏な動きで、先のKAITOはカイトの前に、きれいに包装された箱を差し出した。
カイトにとってはドアが開くとほとんど同時と感じられたタイミングだったが、彼はきちんと両手で箱を差し出していた。丁寧だ。
なにより流れるような動きが、とてもきれいだ。
「ふあっ……」
同機種とは思えない動きにうっかり陶然と見惚れてしまったカイトに、KAITOは箱を差し出したまま、軽く頭を下げた。
「おとうとが、たぶん、絶対的に迷惑かけて…かけるから。だからってこれで買収するつもりも、できるとも思ってないから、――遠慮せずに、もらってくれ」
「え?」
同機種だ。KAITO特有のやわらかな声ではあるのだが、なんだかカイトと違ってきびきびとした話し方であるし、なにより有無を言わせない妙な迫力がある。
圧されるまま、頭を下げつつさらに差し出された箱を反射で受け取ってしまったものの、カイトは再びきょとんとして首を傾げた。
――おとうとが、迷惑かけるから。
心当たりがございません。
カイトはきょとんとしながらまじまじと、改めて目の前のKAITO――覚えがある気はするのにどうにも思い出しきれない相手を見る。
そのカイトに、相手もまた、軽く瞳を見張った。同じようにカイトを見直し、わずかに眉をひそめる。
「おまえ、明夜星カイトだろ?おとうとのカレシ。そう聞いてるんだけど」
「あ゛…っ」
自分はなにか思い違いをしているかと確かめられ、カイトはようやく、記憶に行き当たった。同時に、血の気が引くとはこういうことかという感覚に襲われる。
ロイドだ。正確に言って人間のような血管や反応はないのだが、とにかく気持ちだ。気分だ。感覚で、――
最悪だ。とてもまずい。
なんだか覚えがある気はするのだけれども誰だかわからない相手が誰であるのか、カイトはようやく思い至った。
そもそも、彼が再び出てくる直前に確認したプレートに書かれていた名前である。
『名無星』
そこで一瞬、相手の正体に思い至ってはっとしたのだ。
はっとはしたものの、しかし刹那に続いたあまりにきれいな動きのほうに気を取られ、きれいさっぱり忘れ去った。
大丈夫、――これは明夜星カイトの頭のデキを心配するほどのことではない。おっとりさんなKAITOの通常営業のうちだ。あるあるだ。もはやわざわざ取り沙汰するもののほうこそが阿呆扱いを受けるくらい、日常的なことだ。
が。
なんで忘れたの自分と、箱を受け取った姿勢まま固まり、カイトは珍しくも自分を責めて泣きだしそうだった。
目の前のKAITO――『名無星カイト』である。
確かに、こうして顔を合わせたり、話をすること自体は、初めてだ。
初めてだが、話としてはよく聞いていた。誰からといって、だから、『おとうと』からだ。
彼の、『名無星カイト』の『おとうと』、つい先ごろ想いを通じ合わせ、晴れてカイトの『カレシ』となった、名無星家の【がくぽ】から。
――同じKAITOとはいえ、兄とおまえはまったく違うぞ。それこそ呆れるほど違う。
言い訳をしようと思えば、できる。
たとえば、話には聞いていてもきちんと顔を合わせるのはこれが初めてだとか、そもそもカイトのカレシは通常【神威】がくぽと名乗るし、彼のマスターのことは活動名で『えまちゃん』(正しくは【えまのん】である)と呼んでいたから、『名無星』という姓に若干馴染みが薄かったとか、とかとかとかしいとおかしかし。
しかしてカイトにも、よくわかっていた。言い訳のしようなどないのだと。
なぜなら同じ条件であるはずの名無星カイトは、ドアから顔を出した刹那に、たまたま通りがかったKAITOを『明夜星カイト』、新しく『おとうとのカレシ』となったKAITOであると見分けたのだ。
しかもたぶん、今日、カイトが――明夜星カイトも演者の中にいることを知って、わざわざこんな、きちんと包装した贈り物も用意してくれていた。ここでたまたま会うことがなかったら、もしかして終わったあとにでも、控室まで挨拶に来てくれるつもりだったのかもしれない。
もちろんカイトは、なにも用意していない――『それ、うちの兄も出るやつだな』と、事前にカレシから聞いていたというのに、『へえ、じゃあ会うかもね』で終わらせてしまって、挨拶に行くという発想がなかった。
挙句、こうしてたまたま顔を合わせたとき、カイトは改めて懇切丁寧に説明されるまで、そもそも相手が誰だか思い至ることすらできなかったのだ。
カレシの家族との初顔合わせとして、最悪を極めていることは疑いようがない。
そもそも、事前に話だけ聞いていたカレシのお兄さんの性格というのがある。
――キビしい。
らしいのである。恋人はしょっちゅう、ぼやいている。あんなにキツくて兄はほんとうにKAITOなのかと。
それがどの程度ほんとうかどうかはともかくとして、とにかく今すぐなにかしら言うなりやるなりして挽回に努めなければならないことだけは、明白だった。
明白だったが、ここ最近になくあまりに過ぎた自分のやらかしぶりに、カイトはぷっちりパニック状態に陥って固まり、なにもできなくなっていた。
いやいやいやそんな場合じゃないからとにかくお礼いって謝っていやちがう謝ってからお礼いってぅえぇええええーーーいっth……――
思考を高速で空転させるカイトを、名無星カイトはしばらく見ていた。しばらく待っていてくれたのだが、カイトは回復できなかった。
どうやらだめだと判断したらしい名無星カイトの瞳が細まり、眉がきゅうっとひそめられる。
「おまえ、KAITOにしてもずいぶんとろいな。大丈夫か?」
「ぇうっ!」
相変わらず、きびきびとした話し方の名無星カイトである。きびきびしているというのはつまり、きついということだ。
相手を不愉快にさせ、とても怒らせた予兆に、カイトはひゅっと竦んだ。