恋より遠く、愛に近い-第2話-
もちろんすべて、カイトが悪い。
相手の半分どころか、三分の一、四分の一も、気を遣えなかったのだから、いわば自業自得だ。
自業自得だが、自業自得だからなおのこと、つらい。
だってこれは、カイトの評判を貶めるだけではない。おとうとの新しいカレシはろくなもんじゃないと、恋人の家庭内での立場も悪くしてしまうかもしれないことだ。
名無星がくぽはとてもやさしい、いいカレシなのだ――
そんなつらい思いをさせたくてなった恋人ではないというのに、むしろしあわせにしたくてなった恋人だというのに、なった途端、カイトのせいでつらい思いをさせてしまう。大好きな、だいすきな恋人に!
血の気が引くかどうかは未知数だが、ロイドも処理限界を超えれば回路がトぶので、視界が暗くなることは実証されている。まあ要するに、意識を失うということだが。
そういう、パニックのあまり処理限界を超えて回路がトびかけ、視界が狭まりつつあるカイトを、名無星カイトは眉をひそめたままわずかにかがんで、覗きこんだ。
「ちゃんと、イヤなことはイヤって、言えてるか?なんかいろいろ、ぼやっとしてるうちに無理強いされたりしてないだろうな」
「ふぇ?」
――なんだかまったく意想外のことを言われ、これはこれで処理限界を超えており、カイトは再び固まった。
内心ともあれ、傍目にはおっとりきょとんと首を傾げたカイトだ。名無星カイトは同じ背丈だというのに(なぜなら同機種、同じKAITOである)、小さい子でも相手にするような姿勢で、そんなカイトに対した。
「すぐには言えなくても、あとからでも言えてるか?てか、腹がもやもやしたのを、まあいいやで投げたりしてないだろうな」
「え……っと」
カイトはしぱしぱ瞬きし、きびきびと確認してくる名無星カイトを見返した。
つまり、――つまりだ。
名無星カイトは明夜星カイトの不作法は気にしていない。自分が粗末に扱われたということについては、どうやらいっさい大事としていないようである。
『とろい。大丈夫か』というのはだから、カイトを罵倒した(『とろくさ過ぎるんだけど、おまえのアタマは大丈夫なのか』というニュアンスのことである)のではなく、恋人からもしも無体を強いられたとき、対応が遅れに遅れて身を守りきれていないのではないかという。
心配だ。
罵倒ではない。叱責でもない。注意――は、若干含んでいるかもしれないが。
が、カイトがいやな思いをしたり、不本意な目に遭っていないかと、案じてのものだ。
カイトがここまで重ねに重ねた不調法は、むしろ不問だ。なんでだ。
いろいろ意想外が重なり過ぎて処理限界超えもいいところだったが、そう、超えてしまったので、カイトはかえって深く考えることを『投げ』、結果、冷静さを取り戻した。
きょとんとしながらも、断固として言う。
「だいじょぶ。がくぽ、やさしいもの。おれのいやがることなんか、しないから」
「でもあいつ、勢いにノせて押しきる癖あるだろ」
「ぅくっ」
短い『断固』だった――
ほとんど間髪を入れず返され、カイトは咄嗟に言葉に詰まった。だからスペックが低いのだ。勢いにノせてかかられると処理が間に合わず、咄嗟に詰まる。
しかもカイトは言葉に詰まったのに、名無星カイトはそのまま、ぽんぽんぽんと続けてきた。
「おまえみたいのって、押しきられるとそこで処理放り出すだろ。まあいいやって。いくないんだよ。がくぽの…おとうとの学習が止まるだろ。『そう』なるだろ。押しきればいいことになるのかって。そのうちほんとにまずいことしたとき、おまえは取り返しがつかないくらい傷つくかもしれないし、――『恋人』にそんなことしたら、あいつだって無事に済まない」
「………」
カイトはぱちりと瞬いて、今日何度目か、改めて名無星カイトを見た。
初め、名無星カイトはおとうとに対する信頼度が低いように思えた。いや、――たぶん、ここは確かだ。
信頼度はとても低い。
そもそも名無星家のきょうだい仲はあまり思わしくないと、恋人からも、そのマスターからも聞いている(ひとの家のことをとやかく言わない自分のマスター:甲斐ですら、『まあ、あのきょうだいはちょっと、ゴルディアスくらい、こんがらかっちゃったよね』と表現した)。
だから、つまり、――
うまく言えないが、名無星カイトは自分のおとうとを快く思わないあまり見当違いに責めているように、カイトには初め、感じられたのだ。
『やんちゃ』なおとうとだからきっと、カイトにも『やんちゃ』な振る舞いで迷惑をかけているだろうと。
だから『そんなことはない』とカイトも反論した。
だってほんとうに、そうだ。名無星がくぽは、この兄にしてこのおとうとありというような、しょうしょう野性味も醸す(ちょっと荒っぽいというか、ぶっきらぼうなところがあるということだ)男だが、カイトのことはなんだか、こわれものでも扱うように扱う。
カイトだとて男なのだし、もう少し荒っぽくても平気だと言うのだが、兄と比べるととてもそうは見えないと、やわらかに微笑んで――
とても、とてもとても大事にしてくれるのが、がくぽだ。
少し歯痒いほど、ていねいに、やさしくしてくれるのが、カイトのカレシなのだ。
きっと家族には見せない姿だろう。
『兄とカイトは違う』というのががくぽの口癖だし、兄に見せる姿とカイトに見せる姿は、対するのが同じKAITOであっても、きっとまったく違う。
だから、心配はいらないのだと、カイトは伝えた。
おとうととしてどれほど『やんちゃ』であっても、恋人にはやさしくできる男だからと。
が、『見当違い』はどうやら、カイトもだったようだ。
確かに、名無星カイトのおとうとへの信頼度は低い。これは一面、仕方がないと、実はカイトも理解できる――
なぜなら明夜星カイトもまた同じく、おとうとを持つ兄だからだ。
おとうとにもきっと外では外用の顔があって、きちんと取り繕えているだろうとは思っても、やはり心配で、やきもきしてしまうのが兄というものだからだ。
だからカイトだとて、そういう意味ではおとうとへの信頼度は低い。たぶん、周囲の誰よりも、いちばん――
ただ、信頼度が低いということと、相手を嫌うということは、まったく別だ。
名無星カイトは、もちろん、カイトが傷ついて苦しい思いをすることも心配している。
が、それによって自分のおとうとが傷ついたり苦しい思いをすることも、とても心配している。
どうして心配するのかといえば、好意があるからだ。それによって自分が迷惑を掛けられることを心配しているのではなく、おとうとをかわいいと思っているから――
とてもとてもかわいがっている、大事なだいじなおとうとであればこそ。
『かわいいおとうとだ』とはっきり言われなくても、カイトには伝わった。
察しが悪いのがまた、おっとり系KAITOを語るうえで外せないなによりの特性のひとつなのだが、これは察した。伝わった。理解した。
なぜなら同じKAITOである以上に、彼は同じ、おとうとをかわいいと溺愛する兄同士であるからである(むしろこちらのほうが、絆としてはより強い。手縫い用の木綿糸と注連縄を比べるようなものだ。単純な強度だけでなく、太さからもう、違うのである)。
そう、名無星カイトはおとうとを単に『かわいがる』だけでなく『溺愛』すればこそ、結婚するわけでもない単なる『恋人』を相手に、わざわざ菓子折りなど用意したりするのだ。
そしてそれを不自然だとも思わず、迷いなく実行する。
たとえ(肝心のおとうとを含む)周囲の評価がどうであれ、名無星カイトとは明夜星カイトと『同じ』どブラコン違う→おとうとを溺愛するおにぃちゃん仲間なのである!
――まあ、正しいといえば正しい直感だ。
ロイドに直感が働くかどうかは未だ結論の出ていない議論だが、旧型機であって物難いプログラムの傾向が強いはずのKAITOのほうがむしろ直感様のものを見せると、もっぱら評判である。
そうやって結論を得たカイトの表情が、ようやく緩んだ。ここまでずっと強張り気味であったものがゆるゆると緩み、笑みに崩れる。
「だいじょぶ。――ありがとう」
「………」
心からくつろぎきった、強固な信頼に基づくほんわりほわわんとした笑みとともに言われ、名無星カイトはさらにきゅっと、眉をひそめた。
ひそめたが、それ以上、なにか言おうともしなかった。屈んでいた姿勢を直す。
少し距離を取り戻して、カイトはようやく、受け取った箱を見た。
菓子折りだ。――しかもカイトがとても好きなブランドの、特に気に入りの菓子だった(アイスの次に好きと答えるのだから、相当である)。
包装紙からブランドを、貼られたシールから具体的な中身を読み取って、カイトの表情は堪えもきかず、ぱっと華やいだ。
「これ、おれの大好きなやつ!すごい、どうして?!」
思わず弾んだ声を上げたカイトに対し、名無星カイトのほうは相変わらずの調子で、淡々と答えた。
「おとうとに訊いた」
「がくぽに?わざわざ、訊いてくれたの?!んですか?!」
きらきらと輝く瞳で見つめたカイトへ、名無星カイトは逆に不可解を返した。
「すでに迷惑かけてるか、これからかけるからって、詫びなんだぞ。おまえが嫌いなものとか、好きか嫌いかわかんないものとか渡してどうするんだよ?」
「ふゎわぁあ……っ」
――その、『迷惑をかけているおとうと』というのは誤解なのでおいおい解いていきたいと思うカイトだが、今はとにかく、ひたすら感動していた。
恋人から聞いていた限り、名無星カイトというのはKAITOにしては厳しい、きつめの性格という印象だった。
それで実際会ってみて、確かに言い方などは少しきついところもある。動きが機敏だし、感情をあまり表にせず淡々としているところも、その印象を強める。
けれどそれをはるかに凌駕して、――
やさしい。
やさしくて、その表し方がもう、なんというか――
「へええ、『迷惑料』?」
「ぷぎっ?!」
「んげっ…」
突然割って入ってきた声に、カイトはツブされるコブタのような声を上げ、名無星カイトは非常に小さい声で、――とてもとても小さかったが、しかし確かに呻いた。
ちなみにカイトがツブされるコブタのような声を上げたのは、実際、軽くツブされたからである。なににといって、背後から伸しかかって来た相手にだ。
ではその、背後から無遠慮に伸しかかって来た相手である。いったい誰であるのか?
「タイヘンだ、兄さん。だったら兄さんも、お返ししないといけないね?」
「が、っくぽっ!」
――【がくぽ】は【がくぽ】でも、明夜星カイトのおとうとの【がくぽ】、神威『明夜星』がくぽである。
ところでおとうとはしらしらと、非常に軽い調子で言っているのだが、カイトはほんとうに今、『タイヘン』であった。
ぎりぎりのところでツブれきらないよう支えてくれてもいるが、おとうとは結構な荷重を兄へかけてくれているからである。
正直、カイトよりがくぽのほうが体格がいい。恋人もそうだが、おとうともだ。それもそうだ、なにしろ恋人とおとうとは同機種、同じ【がくぽ】なのだから。
とにもかくにも絶対にツブさないでくれるという信頼はあるが、重いものは重いのである。撥ねのけようにもうまくホールドされていて、体がまるで自由にならないし――
「ちょっとっ……っ」
「……おい。そのくらいにしとけ、おまえ……」
ぷるぷるしながらも懸命に振り返ろうとするカイトの声に重なるように、名無星カイトも声を上げてくれた。
言葉は乱暴だが、怒るとか叱るという声の上げ方ではない。ずいぶんきつさのやわらいだ、――いや、逃げても仕様がない。はっきり言おう。
呆れた響きが強かった。
ソウDEATHヨネーーーッッといった調子で、カイトは内心、本気で泣きが入った。
先からなんだ。なんなのだ。きょうだいそろってやらかしまくりだ。
カイトのやらかしはもちろんカイトが悪いが、なにもそれにおとうとまで参戦して便乗してくれなくてもいいではないか。
確かに明夜星家のきょうだい仲はとてもいいが、非常に良好だが、おとうとは頻繁に兄のまねをしたがるが、それとこれとは別だ。まったく別問題だ。
おにぃちゃんのやらかしは反面教師にするものであってまねしちゃだめと、常々言い聞かせているというのに!
少し顔を上げたがくぽは、おそらく名無星カイトを見た。きっとしばらく見合って、――
「はいはい」
いい加減な返事とともに、ようやくカイトから少しだけ身を浮かせた。
浮いて軽くなったカイトがまず確認したことといえば、菓子折りだ。取り落としこそしなかったものの、持っていた手に咄嗟に力が入った。
贈ってくれた相手がまだ目の前にいるというのに抱き潰してぐしゃぐしゃにしようものなら、さすがに泣く。堪えきれる気がまったくしない。身も世もなく泣き喚く。
すでに涙目だったカイトだが、幸いにしてというか、包装はそこまでよれていなかった。
束の間ほっと安堵してから、カイトは今度こそきっと瞳を尖らせ、背負ったままのがくぽを振り返った。
「がくぽっ」
「だって兄さん、いつまで経っても帰って来ないから。これはどこかで迷子になったか、アイスに釣られて知らないひとについていったか、とにかくろくでもないことになってるんだろうと思って」
「くうっ……っ」
――非常に救われないことに、おとうとは真顔だった。ここまでわりとふざけた感じであったものが、一瞬で本気になった。兄を誤魔化そうとしての演技ではない。さすがにカイトでも見分けはつく。なぜならひとつ屋根の下に暮らすおとうとだ。それもとても仲の良い。
がくぽは本気で、ひたすら本心から兄を案じて――
これで怒れなくなるのが、明夜星カイトだった。
おっとりさんだからというのもあるが、なにより彼は、おとうとを溺愛していた。こんなかわいいこというなんてと、つい、きゅんきゅんしてしまう。
きゅんきゅんにときめいて、そして流してはいけないものもすべて、濁流の勢いで押し流す。
結果が、このおとうとである。
上手に兄の口を塞いだおとうとといえば、すでに興味の対象が移っていた。カイトが後生大事に抱えている箱のほうである。
「ああ、兄さんの好きなやつ……まめだな。そしたらやっぱり兄さん、兄さんもお返しがんばらないと」
「えっ、あ、ぅんっ!もちろんっ」
ほとんど反射で頷いてから、カイトはあぶおぶと慌てて首を横に振った。
「あ、えと、だからって、めーわくかける気まんまんとかじゃ、ないけどっ!」
言いながら、名無星カイトを見る――見ようとした。
いなかった。