よりく、-13-

明夜星カイトにしても、返答を求めたものではない。ついうっかりだだ漏れた本音というものだ。

すぐに気を取り直し、未だ自分を抱えたままの恋人を振り仰いだ。

がくぽは?

「ん?」

端的な問いだ。しかも、話題があちこちにずれたあとでもあった。

それでもきょとんとしたのは一瞬で、名無星がくぽはすぐ、恋人からの問いの意味を理解した。

自分の兄と、恋人のおとうとの関係だ。名無星がくぽは知っているのかという――

「……っ」

「ん」

咄嗟に答えあぐね、眉をひそめた恋人の表情から、明夜星カイトは答えを読み取った。なにも言わないうちに頷くと、腹に回された腕をぽんぽんと、軽く叩く。

機微に疎いKAITOであるとはいえ、まったく常になにひとつとして察することができないわけではない。

なによりカイトはずっと、名無星がくぽとその兄の関係を聞いていた。名無星がくぽ自身の口から、聞いていたのだ。

恋人が、恋人となる以前、兄について話す様子を、カイトはよく聞いていた。見ていた。

自分と同じ機種、らしからずらしからぬとはいえKAITOだという兄について話す名無星がくぽを、大好きなだいすきなひとだったから、なおのこと、注意深く――

「でさあ、兄さん」

「ふきゃっ!」

「とゎっ」

少しの間、いろいろなものを忘れてふたりの世界に入りこんでしまった恋人たちは、唐突にかけられた声に小さく悲鳴を上げた(いや、いろいろ忘れたとはいえ、そうまでまずいことをしていたわけではないのだが)

咄嗟に両手を挙げ、互いに一歩ずつほど下がり、体を離す。

慌てて顔を向けたカウンタ、挟んでキッチンに、無遠慮に声をかけた明夜星がくぽがカップをふたつ持って立っていた。

それにしても微妙に滑舌が悪かった(実際のところ『でさあ』の部分はほとんど『れひゃあ』だった)のだが、さすがに遠慮が勝って言葉を噛んだのかと思えば、違った。その口には、菓子が挟まれていた。

くちびるに挟んで行儀悪くぷらぷらと上下に振りつつ、端からさくさくとかじっていたのだが、注意が自分へ向いたことを確かめると、残り少ないそれをさっくりすべて、口のなかに取りこむ。

どうやらこうなることを見越して、恋人たちが体裁を整えるまでの暇つぶしを持参したものらしい。さすがは明夜星がくぽである(ただし『さすが』にかかる意味は不明である)

「ああ、…そっか」

菓子を食べたなら、次は水分である。あるのはココアだが、とりあえずカテゴリ:飲料である。

片手に持ったカップに口をつけてずずっと啜ってから、明夜星がくぽは気がついた顔となった。口をつけていないほうのカップを、ことんとカウンタに置く。

「はいこれ、ニガイの

「ああ、すま…」

「『甘さ控えめ』!」

気まずさを抱えつつもなんとか平静を装った名無星がくぽが受けきらないうちに、コンロ前から声が飛んだ。

思わず目をやったロイド三人を、軽く振り返った名無星カイトが臆することなく受ける。

「『』」

――おそらく、大事なことなのであろう。もう一度くっきりはっきりと言って、またコンロに向かう。

カウンタへ顔を戻した明夜星がくぽは、なんとも言えない表情でキッチンを眺める名無星がくぽを見据え、口を開いた。

「コチラ、アマサヒカエメデゴザイマス」

「うちの兄が大変失礼を……っ」

とてもではないがまともに見返すことなどできず、名無星がくぽは片手で目を覆って天を仰いだ。

そんな【がくぽ】の様子を、明夜星カイトはひどく興味深そうに見ていた。

打たれ弱いメンタルの恋人を見る目には馴れがあり、対するおとうとを見る目には戸惑いが隠しきれず、揺れる。

たとえあまえんぼうのわがまま王子であるとはいえ、敏い性質であるおとうとだ。兄の戸惑いに気づかないはずもないのだが、きっぱり流した

ここのところの強さが恋人とは違うし、カイトが手塩にかけて育てたおとうとだ(多少、剣突したところで、兄がそうそう簡単におとうとを嫌うことなどないと、篤い信頼があるという意味でだが)

知らぬうちにくちびるを綻ばせ、明夜星カイトはおとうとを愛情深い瞳で見つめた。

「それで、がくぽ話って…」

え?

――さてそもそも、あなたは覚えておられるだろうか。いったいどうしたって明夜星家のきょうだいはそろって他家に上がりこんだのか、その理由を。

覚えていないというならだいたい第10話あたりを参照されると良いが、概要を言っておくと、明夜星がくぽが主張したのだ。少し話し合いたいから落ち着ける場所へ行こうと。

ついついあれこれと寄り道してしまったが、だから他家だ。用件によってはおとうとを引きずって辞し、自分の家に帰る必要もある

表情のやわらかさとは別に固い決意を抱く兄へ、しかしおとうとが見せたのはこころからの意想外の表情だった。

なにを言われているのか、さっぱりわからないという。

「え…と」

「………がくぽ?」

きょとんぱちくりと花色の瞳を瞬かせるおとうとは無邪気で愛らしいが、それはそれ、これはこれである。

明夜星カイトはそれでもにこにこと笑っていたが、そう、にこにこだ。またしても、にこにことしたにこにこ愛らしい笑顔である。

傍らに立つ名無星がくぽが、わずかに足を引いた。

明夜星がくぽといえば怯える様子もなく、にこにこ笑顔の愛らしい兄と対していた。

にこにこ笑顔の愛らしい兄を見て、傍らの逃げ腰な恋人を見て、リビングの奥のおくのほうに生えたナゾの白いキノコ的なものを見て、キッチンの内、コンロ前で小鍋を掻き混ぜている名無星カイトを振り返る。

兄へと顔を戻すと、明夜星がくぽはちょこりと首を傾げた。非常に愛らしかった

「なんの話?」

――それはもう、明夜星カイトのおとうと愛をまんまんなかで撃ち抜く愛らしさだったが、悶絶級の愛らしさではあったが、それはそれ、これはこれなのである。

明夜星カイトの笑みに、びしりとひびが入った。

「がーくー…」

ジョークだよ、兄さん。まだ練習中だから、あんまり上手じゃないんだ」

――さてこれに、兄はなんと答えたか?

「ああ、ジョーク……練習してるんだ、がくぽえらいね!」

傍らで恋人が目を覆い、天を仰いでいた。

が、明夜星家のきょうだいはまったく構わない。なぜならこれは通常営業というものであって、なんら意外性を持たないやり取りだからである。

なんだかんだあれ、明夜星カイトはおとうとを溺愛している。そして溺愛とは、こういうことだ――

さて、溺愛されている自分に自信満々たる明夜星がくぽである。波立った兄の気をうまく逸らしたが、それでさらに有耶無耶と化してすべてから逃げようとまでのオトコ気のなさではなかった。

あまえんぼうのわがまま王子とはいえ、明夜星がくぽはそうまで薄情な、意気地のない育ちはしていないのである。

そういうわけで明夜星がくぽは改めて、今度は名無星がくぽをじじっと見て首を傾げた

言いたくはないが、それはそれなりにとても愛らしかった――

で?

「――……………うちのウマシカ長、いや、あー…マスターが、なんぞやらかしたのではなかったか…」

無為かつ無闇と包容力に溢れているがために突き放すことができず、名無星がくぽはほとほと疲れきって答えた。

兄のやらかしにより相手への警戒ランクがだだ下がりした影響もあるが、こうして改めて対したときの、明夜星がくぽのおとうと度である。おとうと味であり、おとうと感である。

自分と同じ機種だと、まったく思えない

見た目は確かに『自分』そのものであるのだが、あまりにも中身が違い過ぎる――

で、なんの衒いもためらいもなくおとうとである、明夜星がくぽである。

「ああ。そっか」

まったくなんの事情もわからないというのに無茶ぶりされ、突き放せないまま断片情報を組み立てて答えてくれた義兄がかろうじて報われる結果として、ようやく『本題』を思い出した。

思い出したが、しかしである。かかしなのである。

明夜星がくぽは眉根にしわを刻み、壮絶にいやそうな顔でカウンタと、リビングの奥のおくの奥に生えた『きのこ』とを見比べた。

「っても、えー………ちょっと。いよちゃん……いや、あれ触るのヤだな。ぬとぬとしそう

――念のため補記しておくが、出宵が現在被っている『シェルター』はダンボールと布とでつくった、たまごのカラの模造品である。

たまごのカラであってきのこではないし、ぬとぬとはしない。ぬとぬとすることはない。

これが苦手とする相手への忖度ない評価というものであるのだが、大人としてはせめて、口に出さずこころの内にしまっておく分別は持ちたいものである。

ところで『あまえんぼうのわがまま王子』は分別ある大人に与えられる称号かという問題も勃発するわけだがとにかく、本音をだだ漏らした明夜星がくぽだ。

カウンタへ手を伸ばし、出宵が放り置いていた携帯端末を取った。画面を叩きながら振り返り、コンロの傍へ行く。

より正確には、そこで控えない甘さのココアをつくっている最中の名無星カイトのもとだ。

「ねえ、これ、ロックかかっちゃったんだけど」

念のため所有者を再記しておくが、出宵だ

マスターとはいえ、他人の端末だ。

端末を見て、さも当然と突き出してきた相手を見て、名無星カイトもさすがに眉をひそめた。

「マスターは…」

「ぬとぬとなんだよ、今。いよちゃんはたぶん、なんか、来世たまご茸に生まれ変わりたいんじゃないの?」

「ああ、あれ………まあ、旨いけど。なめこじゃ、ないんだな?」

なにもかもが意味不明な会話を難なく通じ合わせつつ、名無星カイトは諦めた様子でコンロの火を弱めた。一歩も引く気のない明夜星がくぽから携帯端末を受け取ると、迷う素振りも悩む様子もなく操作し、すぐ、返す。

素直に受け取ったものの、渡しておきながらで、明夜星がくぽは複雑な表情を名無星カイトへ向けた。

手の内、受け取った端末だ。ロックが解除されている

「もしかしてとは思ったけど、マスターのパスワ、やっぱり知ってるんだ……」

表情とともに複雑な声音で吐いた明夜星がくぽへ目もやらず、名無星カイトは小鍋からカップへココアを注いだ。

「さっきも言っただろ。証拠の証拠探しをする必要があることもあるって。押さえてないと探しようもないだろ」

「ええ…」

曰くの『さっき』とは第7話のことであり、確かにそう聞きもしたが、複雑な表情まま、明夜星がくぽはカウンタを振り返った。

目を合わせるのは、身を乗り出し気味にしている自分の兄ではなく、その傍らに立つ兄の恋人もとい、名無星カイトのおとうと、名無星がくぽである。

機敏に意味を読み取った名無星がくぽが軽く渋面となり、首を振って返した。横だ。知らないと。いや、表情と併せて読み取るなら、知るわけあるかくらいのニュアンスとなるだろうか。

どのみち同じである。

マスターとはいえ他人の端末パスワードなど、押さえておくものではないという。

「………あんたのおとうとは知らないらしいけど」

「あれはツメが甘い

「兄ッ」

さっくり言った兄に反射で咬みついたおとうとだが、すぐに口を噤んだ。ひどい渋面を、横に逸らすことで誤魔化す。

傍らで恋人が驚いたように顔を向けてきたこともあるが、もうひとりだ。兄の隣にいて、妙な懐き方をしている義弟のほうだ。

こちらは顔だけでなく体が動いた。半歩ほど出て、自らを盾とするような位置にだ。

だから自分の兄はそんな、【がくぽ】に庇われなければいけないほど弱くはないというのに――

「おまえもそうだけどな」

「え?」

一瞬の攻防に気がついたのか気がつかなかったのか、名無星カイトは明夜星がくぽへとカップを差し出しつつ、淡々と続けた。

「なんだかんだ、甘やかす。わかっていて目を逸らしてやることが多いだろ、【がくぽ】っていうのは。まあ、………ふたりがかりで抜け目ないってのもな。どこかに逃げ道を残しておかないと、マスターの発想はろくでもなくなる一方だし――バランスは取れてるんじゃないのか」

「………」

名無星がくぽは逸らしていた顔を驚きとともに兄へ戻し、明夜星がくぽもまた、目を見張って咄嗟に言葉が継げない様子であった。

うんうんわかるわかると、共感して頷いているのは明夜星カイトだけだ

それもそれで名無星がくぽには衝撃であり、困惑を隠しきれず、恋人と兄とをくり返しくりかえして見比べた。

「…で?

マスターの分。カウンタに置いといて。孵化したころには冷めて飲みごろで都合がい…ちょうどいいだろ」

複雑さが極まったがためにひどく曖昧に先を促した明夜星がくぽへ、名無星カイトはほこほこと湯気を立てる、ココアを注いだばかりのカップをさらにずいと、差し出した。

先にも述べたが(これも第7話である)、出宵は猫舌なのである。複数人分のココアは鍋でまとめてつくったほうが効率はいいが、こういった個々人合わせの温度調節が難しい。

カップを見て、明夜星がくぽが動きを止めていたのは一瞬だ。

「えー」

いかにも気が進まないという声を上げつつ、しかし素直に受け取る。

素直に受け取りつつも不満げな声を上げた明夜星がくぽの表情を迂闊にも確かめてしまい、名無星カイトは舌打ちしたい気分となった。

きらきらと輝いていた。

そのきらめきぶりで、どこからあの不満そうな声を出したと問い詰めたいほどだ。

見なかったふりでコンロに向かおうとした名無星カイトだが、もちろん、こんなにきらきらに輝いているときの明夜星がくぽが獲物を逃がすわけもないのである。

用は済んだとばかりに改めてコンロに向かおうとした名無星カイトへ、無遠慮に顔を近づけ、至近距離から覗きこむ。

より詳細に描写するなら、背を撓めてことさらに下から目線となり、きらきらきらきらと――

「『えー』……」

「はいは……よしよし……」

念押しにくり返したあまえんぼうのわがまま王子を、名無星カイトは呆れたように受けた。菓子鉢に移しておいた本日のおやつ、本来は自分へのお土産なのだが未だにひとかけらも口にできていないそれの、ふたつめの個包装を破る。

菓子をつまみだすと、期待に満ち満ちて待つあまえんぼうの口へ突っこむもとい、甲斐甲斐しく運んでやった。

「ほら、『お駄賃』。…食べたなじゃあ、運んで」

「んー………仕方ないなあ」

くちびるの先に菓子を咥えている明夜星がくぽの応えはほとんど『ひぁたあい』だったが、名無星カイトが咎めることはなかった。おまけとばかりに手を伸ばし、そんな明夜星がくぽの前髪をくしゃくしゃりとかき混ぜてやる。これはむしろ、褒めるしぐさだ。

「♪」

「あ、こら…」

ますますもって機嫌を上向かせた明夜星がくぽは、菓子鉢からさらにひとつくすねると、携帯端末に出宵のカップにと、いっぱいの手に器用に持ってカウンタへ向かった。

一瞬は声を上げた名無星カイトだったが、それ以上はなにも言うことなく見送る。

なぜなら明夜星がくぽがつまんでいった菓子の種類だ。あれはこの間買ったばかりの、明夜星カイトの好物だった――