恋より遠く、愛に近い-第14話-
未だキッチン側とはいえ、カウンタへ戻った明夜星がくぽを迎えたのは、ひどく複雑な表情を晒す名無星がくぽと、ご復活の愛らしいにこにこ笑顔の兄であった。
然もありなんである。途中とちゅうともあれ、最後のおとうとの振る舞いだ。いかになんでも傍若無人が過ぎる。
「がーくー…」
「これなんだけどさ、兄さん。兄さんはもう、話、聞いてるの?」
「んんっ、んっ、んんんっ?」
――しかして案の定というもので、兄がなにを言うより先に、おとうとが口を塞ぎにかかってきた。
やられた明夜星カイトの呻き声が複数回に分かれたのは、おとうとの『口塞ぎ』がやはり、複数回、複数個に渡ったからである。それもこの短いうちに!
周到とはこういうことを言うわけだが、なぜにこうも周到であったかといえば、兄のするまっとうな説教から逃れるためである。明夜星がくぽ、あまえんぼうのわがまま王子である。
といった感じで結論も出たのでいいとは思うが、念のためリプレイを見ておく。
持ってきた出宵分のココアをカウンタへ置いた明夜星がくぽはまず、くすねてきた菓子の個包装を素早く破ると、兄の口に中身を捻じこんだ。
これがひとつめの『んんっ』であり、さらに間髪入れずで、名無星カイトにロックを解除してもらった携帯端末を突きつけた。あわや鼻先がぶつかるかどうかという近さにだ、『突きつけた』=結構な勢いでだ。
これがふたつめの『んっ』であり、反射で仰け反ったときに漏れた鼻声で、そしてみっつめの『んんんっ?』というのは、突きつけられた画面内に並ぶ文字への――
いつもはきらきらと輝き光る瞳を近視眼のように眇め、明夜星カイトは画面に並ぶ文字列を眺めた。
読めないわけではない。
読めるが、読めるからこそというか、読めるのに意味が取れないからというか。
「あんたもだよ。どっちでもいいけど、先にこの話を聞いてたひとはいないの?」
「なに?………なに?」
どこのどなたさまだというおえらい態度で促した明夜星がくぽに(ところでもしこれを問われた場合だが、明夜星がくぽは『兄さんのおとうとさまに決まってるでしょ』と、ごく当然の顔で即答して返す)、名無星がくぽはわずかに眉をひそめた。
眉をひそめたがとにかく促されるままに画面を見て、読み、そう、読める。読めるのだが、読めるからこそ――
携帯端末の画面サイズには限りがあり、前後のやりとりが若干不明だが、とにかくその場所を抜粋するなら、マスター同士で話し合い、ロイドを交換しましょうと言っている。
いや、だからといって、マスター権限まで含めたそれではない。そこまで重大なことではなく、単に、スキルアップのため、互いのロイドにうたわせてみたいとか、そういった話なのだが――
「コラボとかそういうんじゃなくて、きょうだいごと取り換えて、つまり、俺たちからすれば『マスター交換』っていうか」
「知らんぞ」
説明を足した明夜星がくぽに、応えたのは名無星がくぽだ。唸るように応えた名無星がくぽの顔は相応しく厳しく、同時に、不快さが見えた。
それはおそらく『生理的』に類される不快さだ。理屈ではない。
もう少し言うなら、明夜星甲斐に対する嫌悪感でもない。明夜星がくぽは名無星出宵がまずそもそも苦手だが、名無星がくぽは明夜星甲斐にそこまでの苦手意識を抱いていない。
それでも抱く『生理的』な不快さの由縁がなにかといえば、だから、自分たちが『ロイドである』ということだ。
『マスター』という、第一義に設定される相手に関わることであればこそ、反射的に拒否反応が出る――
「ふんふん?ふんふふ………ふふん、ふんっ?」
「兄さん?」
対して明夜星カイト、KAITOだ。
名無星カイトが【がくぽ】ほどには嫌悪感を示さなかったように、明夜星カイトもまた、さほどの不快感を表さなかった。
むしろひどく興味深そうに画面を読みこみ、挙句の果てにはおとうとの手から端末を取って、あれこれと弄り始める。
しつこいようだが、出宵の端末だ。他人の端末である。
しかし遠慮もなく、もっと言うなら容赦なく、明夜星カイトは端末を操作し――
「あ、もしも……じゃなかったや。ええっと、え、あー……しもしもー?しもしもー!おれ、おれおれー」
――どこぞへ電話をかけた。
「っちょ、兄さ?!」
「カイト?!」
なんの意味も見出せないが、くり返す。出宵の端末だ。他人の端末である。使用許可も取っていない。
おそらく文面に熱中したあまり、視野狭窄に陥ってやらかしていると思われるが、だから電話だ。
コンロに向かったまま漫然とカウンタの話を聞き流していた名無星カイトだが、次の瞬間、思わず振り返った。
つまり、明夜星カイトの電話だ。話す内容だ。どうぞお聞きください。
「うんそう、サギ……詐欺?れおれお…らいおんはーと?きんぐ?えっとなに………あ、そっか?えまちゃんのだこれ。だから『ボクボク』いわないといけなかったってこと?そっかあ……そだよね!カゼ引きで声変わっても、おれ⇔ボクは変わんないもんね!失敗しっぱい……じゃあかけ直すね、マスター!」
電話した相手はどうやらマスター:明夜星甲斐であったらしい。あったらしいが、徹頭徹尾の、その会話だ。中身だ。
しかも明夜星カイトはそのまま、ほんとうに終話操作しようとした。いったいなんの目的で掛けたのか。
名無星カイトは振り返ったまま、唖然と明夜星カイトを見ていた。傍らに立つおとうと、名無星がくぽもまた、愕然とした様子だ。
ひとり平然としていたのは(ただしこれはあくまでも比較級の話である)、明夜星がくぽである。
さすがにこの兄のおとうとだ。馴れがある。若干の呆れは醸したものの、そこまで意表を突かれたというわけでもないらしい。
そういうわけで明夜星がくぽが、ためらいもなく通話を切ろうと動いた兄に一歩先んじて手を伸ばし、止めた。
きょとんとした顔を上げた明夜星カイトへ、明夜星がくぽは首を振って見せる。横だ。正気付かせるための。
「本題忘れてるでしょう、兄さん。なんでマスターに電話したの」
切電を止めるのみならず、明夜星がくぽはついでに端末を操作し、通話をスピーカに切り替えた。その途端、爆笑が――たまたま拾って響いてきたというのとは違う音量の笑い声が、端末から轟く。
それもそれで、名無星家のきょうだいには思いやられる話ではあった。
つまりだ、明夜星甲斐とはやはりマスターの、出宵の友人なだけはあるという。あの会話で爆笑しているのだとしたら、いい性根ぶりだとしか言えないではないか。
さていい性根といえば、そういうマスターを持った明夜星カイトである。
おとうとにたしなめられたわけだが、このおにぃちゃんはとてもきょとんとしていた。
「え、『なんで』?えと、……そういえば、なんで?」
「ぇえ……ちょ、兄さ……」
――つい先ほど、おとうとがこのネタをやったばかりだ(ほんとうについ先の、第13話である)。
まさにこのおとうとにして、この兄ありだ。
いや、逆だろうと、名無星カイトは眉間のしわを揉んだ。
このおとうとにして→この兄の順ではない。おとうとはこの兄に倣っただけだ。反面教師ではなく、取りこんだ。あるいは模倣した。
このまま関心を持っていることがばれるとまずいことになる予感がした名無星カイトは、耳は残しても体はコンロへ戻した。
いや、実際、未だ火にかけたままのココアはそうそう目を離しておける状態ではない。ので、決して逃げたとか逃避したとか逃亡したとかいうことではなく――
そうやって名無星家の兄が賢明さを発揮したのに対してだ、機敏さと聡明さを謳われる機種たるおとうとである。名無星がくぽである。
兄が指摘したとおり、ツメの甘さを露呈していた。
しばし見合った明夜星家のきょうだいは、そろって名無星がくぽへ視線を向けたのである。
そう、先におとうとのほうがやらかした際、苦慮しながらも筋道を正してくれた――正せてしまった名無星がくぽ、面倒を面倒とも思わず、いや、思いながらもつい背負いこんでしまう、甘い男。
「あのね、がくぽ…」
「で?」
「………っ」
――なんで俺を見る?!
と、よほど言いたかったに違いない名無星がくぽだが、言わなかった。言うというより叫びたかっただろうが、呑みこんだ。
相談もなくいきなり動いておいて、どうして自分が答えられると思うのかとも問い質したかったに違いないが、そんなことをしたりして時間を無駄にすることはなかった(言えなかったともいうが、言うことを堪えたことは確かであるので、言わなかったとしておく)。
きつく眉をひそめた名無星がくぽは完全に苦行僧の様相を呈していたが、今回頼ってきたのは恋人でもある。オプション付きだが、――
このオプションがまた、厄介だった。時々刻々、厄介さを増していく厄介ぶりだ。
その厄介さというのは、単に恋人のおとうとであるというだけに因らない。おとうとでありながら実兄へ想いを寄せていたという、つい先までの理由にも因らなくなってきている――
「マスター同士で勝手に『ロイド交換』だか『マスター交換』だかを企んだことに、なんぞ申したいことがあったのではないか、カイト…」
「あ、そっかぁ」
諸々甘いところだらけのおとうとが苦悩しながらも筋道を描き出してやったのを、名無星カイトは憐れみとともに聞き、頼りがいのある恋人が今回も難なく助けてくれたことに、明夜星カイトは感激の声を上げた。
「そうだったそうだった。イヤガラセ済んだから、それでついうっかり、満足しちゃったよね!」
「いやが…っ、満足ッ?!」
――おそらく、無邪気かわいいコイビトに夢見がちなおとうとの絶句する様子が伝わり、名無星カイトはコンロに向かったまま、小さく首を振った。
無邪気かわいいとは実はそういうことなのだが、肝心なところで目を逸らす癖のあるおとうと(第13話を参照されよ)には、まだわかるまい。せめてこの先、もしも夢破れたとき、無為と相手を傷つけるようなことにならなければいい。
おとうとの未熟に頭を痛めつつも手を止めることはなく、名無星カイトは残りひとり分、今まさに渦中の渦たる明夜星カイト用のココアの仕上げにかかった。
とはいえ、『甘いものが好き』らしい相手用に甘みを足していくだけのことだが、しかしだ。
名無星カイトはちらりとカウンタを見やり、菓子鉢からひとつ、個包装を取った。先に明夜星がくぽがくすねていった、明夜星カイトの好物だ。間にクリームを挟み、表側には隙間もないほど満遍なく、精緻な模様のアイシングが施され、目にも綾な。
が、よく考えよう。焼き菓子、クリームインの、アイシングデコだ。
「………これで、掛けることのココアが、『ご褒美』」
菓子をぱっくりと口に放りこみ、ざくざくざくと咀嚼した名無星カイトの顔色が、微妙に落ちる。
名無星カイトとて、甘いものは好きだ。焼き菓子とココアのセットは、おやつの定番でもある。今の菓子だとて、おいしいと思う。固めかと思ったクリームは案外とろりと蕩けていたし、だから『しかし』だ。だがしかしだ。
それはそれの、これはこれなんである。『限度がある』と言えばいいのか。
名無星カイトは少しばかり途方に暮れて、とりあえず火を止めた。すでに砂糖を足してしまったココアを見て、そっとカウンタを振り返る。
このココアを供する相手、カウンタ向こう、未だマスターと愉快な通話中の明夜星カイト――
『へえ、えまのん家に、みんな?またずいぶん、大所帯な……君たち、手土産とかなにか、持ってった?』
「うん、それはもち…ぅん?もちもち??つりーおぶもちもちきもち?あれがくぽ、がくぽは」
「兄さん、いいからさっさと本題。それひとの端末でしょ。ひとんちの通話料なんだから」
「無料アプリだよ、がくぽ。えっとね、マスター?がくぽはなんにも持ってきなかったみたい。みひとつ?」
『ああじゃあがくぽ、がくぽはカラダで』
「マスター、それ以上言ったら俺、ちょっとたのしいこと始めるけど、いいんだね?」
『他人様のおうちで、これ以上たのしいことされてもなあ……私がまったくつまらない。すでに今、わりにはぶんちょ感で拗ね気味だっていうのに、君たち今日、おうち帰ってきてくれるんでしょうね?まさかそのままみんなでキャンプファイヤで夜を明かしてリンボダンスフォークロアバトルが佳境』
「どこでなにをさせる気だ、甲斐!すまんカイト、いいから本題に……っ」
――一部訂正する。『明夜星甲斐とロイドたちの愉快な通話』が正しい表現であったようだ。
まあ確かにと、名無星カイトは少し考えた。
無料アプリを使用しているなら、通話料はかからないかもしれない。だから無料アプリと呼ぶのだ。
ただし無料であるのはだいたい『通話料』のみであり、それ以外の諸費用は別のところから別の形で引かれていることも多い。
そこは個々人の契約状況にもよるため一概には言えないが、しかし確実に言えるものがある。端末の充電だ。これは全員が絶対的に喰われる。
その金額がどの程度のものになるかの計算も置くとして、しかし蓄電量はこの瞬間も確実に減っているだろう。しかも『通話』というのは、アプリ如何に因らず、なかなかに消費が激しいものだ。
というわけで多少は気にしてあげてほしいものだが、それもこれもすべては出宵の、日頃の行いの成果というものではある。
そう、日頃の行いというものは実に大切なものなのである。
こういったところでほんとうにものを言う。
こころの内で懇々とマスターに言い聞かせた名無星カイトの耳に、構うことなく続いていた明夜星カイトの、はきはきとした主張が届いた。
「でねマスター?話聞いたんだけど。それであのね、うたつくってって。おれとカイトさんでうたう」