よりく、-15-

「「は?」」

奇しくも【がくぽ】の声がそろった。

声は出さなかったものの、名無星カイトも思いきりカウンタへ顔を向けた。

同席するロイド三人が三人とも、明夜星カイトの発言に意想外を表明したわけだが、明夜星カイトはまったく気にしない。どこを見ているかよくわからないが、とにかくナナメ上のほうへ視線を向けたままだ。

さて一方、依頼されたほう、明夜星甲斐にとっても、この話はずいぶん、意想外であったらしい。

が、その『意想外』の理由だ。現場にいないため、当然の誤解をして返した。

『あれなんか、思ったよりずいぶん、話が進んだんだ?』

――つまりだ、端緒である『ロイド交換』のところはすでに了承され、さらにその先として、両家コラボまで話が進んだのかと。

もちろんまったく、進んでいない

どころか、端緒も端緒、もっとも初めのところから、未だまるで動けていない状況である。言うなら現状は、ようやく関係者全員が話を聞いたばかりという程度。

それも断片だ。詳細を説くべき相手は現在きのこ、いや、たまごのカラを被っており、孵化待ちという体たらく。

だというのにいきなり、明夜星カイトはマスターへ電話をかけ始めたのである。それで、せめて孵化待ちの相手に代わって詳細な説明を求めるのかと思えば、今のところその気配もなく、誰にとっても急な要求だ。

いったい彼のなかでなんの話がどのくらい進んでしまったのかというのは、それこそ奇しくも全員が抱いた懸念だった。

ただ一応、現状認識そのものは、明夜星カイトも同じではあったらしい。

音声通話なので相手には見えないのだが、ぷるぷると首を横に振って甲斐の誤解を否定し、少しこわい顔になった。おにぃちゃんとして叱るときの、お説教顔だ。

「ううん、ぜんっぜん。おれ今ちょうど、聞いたばっかりだよ、マスター。がくぽはなんか、えまちゃんにきいた………えまちゃんにきいたんだよね、がくぽ今…今さっき、おれたちが来る前……ああうん、そう。………ね、マスターがくぽなんか、ぷんぷんだから。この子、人見知りなの、マスターだって知ってるでしょおにぃちゃんとセットでひとりっきりじゃないっていっても、『音』のことって、ボカロにとってすっごく大事なとこなんだから。どうして先に、マスターからお話ししておいて上げないの」

『ええと、ひと……いやいやいや、ええとあの、それは単にタイミングというか、そういうだけの話であって、深い理由とかはないんデスケレドモ』

しどもどと答える甲斐だが、名無星カイトはほかごとに気を取られて聞き流した。なににか?

いや、なにかもなにも、明夜星がくぽが人見知りであるというのは、名無星カイトにとってまったく初耳であった。青天の霹靂に近い。思わず、明夜星がくぽを見てしまった。

そもそも出会ったときというか、こういった付き合い方になる、きっかけがきっかけだった。

名無星カイトとそう親しくもないというのに、明夜星がくぽは急に押しかけてきて、自分を甘やかせと喚き散らしたのである。

――あんたのおとうとのせいで、俺は兄さんに甘えられなくなったんだからね。あんたのおとうとの不始末なんだから、あいつの兄である以上、あんたが責任をとって、俺を甘やかせ。それがスジってもんでしょ!

いやもう、いやもう――その押しかけ方とこなれた因縁のつけ方、論理の超展開ぶりに、まさにそういうスジのものかと思ったほどだ。

意味不明が極まったカイトは唖然として抵抗することもできず、言われるがまま、強請られるままに明夜星がくぽを甘やかしてやり、→至ル今。

「………ん?」

しみじみと蘇った記憶に違和感があり、カイトは眉をひそめた。

ロイドの記憶だ。ログだ。人間の記憶とは違うから、なにかとなにかが混ざって改竄されるといったことはない。状況によって受ける印象は変わるかもしれないが、そういった意味で蘇る記憶は常にひとつだ。

いや、そうだ。『状況によって受ける印象が変わる』。

一人称だ。

――あんたのおとうとのせいで、『』は兄さんに甘えられなくなったんだからね。あんたが責任をとって、『』を甘やかせ…

ふたりきりで過ごすことが多かったがために、見落としていた。深く気にしなかった。

そうだった。初めのころ、明夜星がくぽの一人称は『俺』だった。それがいつの間にか、『』になっていたのだ。

それに、今日だ。今だ。ほかの相手には『』と言うくせに、名無星カイトを相手にするときだけは『』と言う。

いったいいつから――どうして――

とはいえ、状況である。

名無星カイトがさらに深く記憶に潜る暇はなかった。なにしろ明夜星カイトの(愉快な)通話は未だ続いているのである。

『そうとはいえおっしゃることもごもっともだと思イマスので…』

「でねマスターやりたいんだったら好きにしたらいいとおれはおもうんだけど、好きにするならおれはカイトさんとうたいたいので、曲ちょうだいませって。いい曲!」

マスターの謝罪も言い訳もいっさい聞かず、つまり容れることなく、明夜星カイトは自分の要求を突きつけた。

これを甲斐が容れるか容れないかで、そちらの要求を容れるか容れないかも判断すると、そういうことなのだろうが、しかしだ。

『うーーーんと…、カイト君っていうか、たぶん、そこにいる全員……まあ、発端であるえまのんは抜かすけど、とにかくロイドみんな、今、話を聞いたばっかりなんだよねで、がくぽがぷんぷんだよって<マスターに言う>ってことは、カイト、この話って一度、棚上げしようってことでしょうそれなのに?』

首を捻るさまが見えるような甲斐の言いだったが、それにしても読解力と理解力だ。名無星家のきょうだいは、言いたくないがそろって感心していた。

確かにマスターとロイドで主従関係にあり、ともに暮らす家族でもあるわけだが、それにしても明夜星カイトのあの説明でここまで状況を解し、かみ砕いて問い直せるところが明夜星甲斐、常人ではない(だからきっと出宵とも話が通じてしまうのだと、ここまで考えたのはさすがに兄のほう、名無星カイトだけだが)

諸々の理由から注視されている明夜星カイトだったが、彼が自分のペースを崩すことはなかった。暗に断っているようにも聞こえるマスターの問いにも、あっさり返す。

「マスターおれはね、『カイトさんとうたいたい』の。だからこれからカイトさん口説くので、口説くためのいい曲ちょうだいって、いってます」

「兄さん…」

「カイト、っ」

言い方こそあっさりしているものの、明夜星カイトの声音には意思の強さが見えた。はきはきと明るいし、まるで頑是ない子に言い聞かせるようなおっとり感もあるが、まったく譲る気配はない。

こちら側の【がくぽ】ふたりが物言いたげにはしたものの、結局、言い淀んで黙ったのも、それが原因だろう。

このおっとりとした明夜星カイトの強さに抗せるだけの意思を、咄嗟に示せないのだ。

まあ【がくぽ】だから仕方ないと、薄情に考えたのは名無星カイトだ。

そういう見切りが早いから、負けん気の強いおとうととすぐ喧嘩になるのである。そんなにすぐ諦めてくれるなよと。

一方、向こう側の甲斐も少しだけ沈黙し、やはりまた、首を傾げているのが見えるような声音で返してきた。

『やっぱり順番がおかしくないかな、カイトこれから口説くのに、先に曲をかくの今、実際にはどういう話になってるかがちょっと、見えてこないんだけど。それ、…ええとまあ、こういう言い方はどうかと思うんだけど、でも、あえて訊くからね、カイト――どれくらいの勝算なのそれ』

当然の慎重さを発揮した甲斐に、そのロイドもまた、少しだけ慎重な口ぶりとなった。

慎重と言おうか、相変わらずあっさりと明るく、折れず、譲らないものの、声音だけはおとうとに対するときのようになった。おっとりとやわらかく、言い聞かせるそれだ。

「『だから』先に、マスターに曲をかいてもらうんでしょあのね、おれ、ただなんか、なんでもいいから曲かいてって、いってないよね、マスター。『いい曲』って、いってます。でしょう?」

それは確かに言っている。言っているが――

いろいろ相俟って頷き難い同意を求めて、けれど相手の反応を待つことなく、明夜星カイトははきはきと『自明の理』を続けた。

「マスター、おれもだけど、カイトさんもボカロだもの。『いい曲』ならうたいたくなるのは、とーぜんの心理ってもんです。そりゃ、………おれの実力だけで、カイトさんが選んでくれたら、うれしいけど。でもまだ、そこまでじゃないもの。おれの実力も、カイトさんとの仲も………でもでもでもぜったい叶えたいから、まずマスターに『いい曲』かいてもらうのいうでしょ、マスター。『立ってるものはマスターでも使え』って」

正しくは『立っているものはでも使え』である。さらに言うなら、あまり『正しくない』ということをほのめかすときに使う格言でもある。

さてこれに、その、こき使われそうな予感芬々たるマスターはどう返したか?

『あれこれ、カメラは使ってないはず……なんで私が立ってるってわかったんです、カイト?』

――こちらこそ、映像はない。そう主張する甲斐がほんとうに立っているのか座っているのかは、想像の範囲でしかない。

だからこれが場を和ませるためのボケであったのか、誤魔化したいなにかを誤魔化す意図のものであったのかは、わからない。

わからないが、なんであれ、甲斐の声音からは怒りや腹立たしさといったものは感じなかった。むしろ、ひどくたのしげな――

「だからね、マスター」

いいよ、カイト』

さらになにか説得の言葉を続けようとしたロイドを、甲斐は笑って止めた。

『いいよ。いいです、いいでしょう、カイト――君にはいつも、お世話になっています。そこまでたってのリクエストなら、お応えしないわけにはいかないでしょうなにより、私がいい曲をかけばいい曲なんだからきっと口説き落とせるって、信じてもらえているってことだし…マスター冥利に尽きるというものです。これにもし応えないなら、マスターの名折れもいいとこだ』

そこまでは笑って言った甲斐だが、ふと、まじめな声になった。

『とはいえやっぱり、いい曲指定っていうのがな……当然の要望ではあるんだけど、ネックですね。ちょっと時間ください。ほかの仕事との兼ね合いもあるし』

「うん、だいじょぶありがと、マスター!」

若干、期限を不明確にされたわけだが、明夜星カイトはにっこり笑って容れた。マスターが『やる』と言った以上、きっとやってくれるという信頼あってのことだ(もちろんこれが名無星出宵であり、名無星カイトであったなら、このあとに念書を交わすこととなる。信頼がないというのは、そういうことだ)

そうやって信頼を示してくれたロイドへ、マスターのほうはまだ、どこか不安げだった。しかしその、不安の由来だ。理由だ。

『あの、それで、君たち今日、おうち帰ってくるよねカイトもだけど、がくぽも。まさかみんなでそのまま夜の博物館にいって大好きな絵のなかにオーパーツ的とじ込み付録』

「どこかにイっているのはおまえの頭ではないのか、甲斐…」

「昨日たぶん、寝てないからだよ、マスター」

「なに?」

ぼやいた名無星がくぽに応えたのは通話中の恋人ではなく、同じく傍観者である明夜星がくぽのほうだった。

微妙に険しい顔を向けた名無星がくぽを見返すことなく、兄と端末を見つめたまま、肩を竦める。

「なに言ってんだって話。帰ってこないの、自分のほうだし」

「………なに?」

今度ははっきり険しい顔となった名無星がくぽへようやく視線をやり、明夜星がくぽは軽く鼻を鳴らした。

「納期がつがつでカンヅメなんだよ、ここ三日くらい。まともに帰ってきやしない。で、疲れたし逃避したいしが極まって脳みそひっくり返って、今カンヅメになってる場所が『おうち』――なのに兄さんも俺も帰ってこないっていうんで、べそってるんでしょ」

「おい……」

ざっくりと酷い内容を(この場合の『ひどさ』の理由は多岐に渡るので逐一解説しないわけだが、当然、明夜星がくぽの説明の仕方と内容も含まれる)言い捨てた明夜星がくぽに、名無星がくぽは気忙しい表情で、明夜星家のきょうだいを見比べた。

おとうとのほうもいい加減馴れた様子で平然としているが、兄もだ。

「マスター、おれが好きなのすぽんずぼぶだからだいじょーぶだよじゃ、お仕事がんばってね!」

――わあすぽんずぼぶ好きなのかなんだそれかわいいな!

といったふうに名無星がくぽの思考が大それたことにもとい、大いに逸れたのはもちろん、逃避だ。どいつもこいつも本筋をまっすぐ進むより、あっちこっちに行くほうが好きなのである。

なにより明夜星カイトだ。好きなものがなんであってもいいが、なにがどう大丈夫だというのか。

話がかみ合っていないとしか思えないし、よしんばかみ合っていたとしてもだ、根拠がまったく不明である。むしろあの世界観に紛れこんだなら『大丈夫』という概念がまず真っ先に崩壊するのではないかと思うのだが、しかし明夜星カイトか――

大丈夫な気がしてきた。

とにもかくにも用が済んだらぽい→違う、そう告げるや、明夜星カイトはあっさり通話を終わらせたのであった。