恋より遠く、愛に近い-第70話-
情緒不安定にもなろうというものだ。
そうでなくともKAITOは実は、情緒不安定製造機の異名を持つ。ロイド草創期に生まれ、物難いプログラムの傾向が強いくせに、発想や言動が逐一突飛で、発点も不明だが着点も理解できないことが多いという――
逆にロイド草創期であればこそ、ラボが張りきって『よりニンゲンらしいタラント』(『タレント』ではない。『タラント』のほうだ)を夢いっぱいに目指してしまったがための弊害などと言われるが。
だから、今の即興の振りつけである。
先にも言ったが、明夜星カイトも名無星カイトもどうしてKAITOでありながら『関係ない曲』の振りつけを覚えているのかというのがまずあるわけだが、さらに積み重ねて問題がある。
なんで踊れる。
――という。
確かにロイドだ。『芸能特化型』ロイドである。
とはいえやはり、見たことがあることと覚えていること、実際に踊れることの間に乖離があることは人間と同じだ。
ほかのタイプのロイドよりは呑みこみも早いし習得度も高いが、相応の練習を必要とすることは変わらない。
のに、どうして踊れる。しかもKAITOが。
――という。
なによりかにより、即興の振りつけだ。難易度もあるが、即興である。『即興』だ。
明夜星カイトと名無星カイト、このふたり、いつどこで打ち合わせをしたか。
――という。
突発的におとうとたちが雪崩れこんできて、突然に『おてほん』を見せることとなった。
なんなら、第67話からここまでの会話をすべて振り返ってもらってもいいが、交わした会話はほんとうにあれだけである。なにも端折っていない(であればこそ、こうまで話が長引いている。随所でもう少しずつでも端折ればこの話全体がまず、こうまで長引くことはなかった。はずである。と、信じている)。
ざっくりした話はしているが、どちらがどう動き、どこでどう上着を交換するかという詳細は詰めていない。はずだ。
だというのにどちらも互いの動きに意想外を見せることなく、きれいに合わせた。
肝心の上着の交換部分など、それこそマジックショウばりのスムースさだった。ふたりが一歩離れてターン→上着を着たときにようやく、『ああ、上着の交換が済んでいた』と気がついたほどの。
しかしだ、これに関してここまでで出てきたことといえばだ、『♪~♪』、『クロスのとこ』、『ばー、ぱぱっ』――
なんだろう、あれか。KAITOにのみわかって通じる暗号だの信号記号だのというものがあるのか(ない)。
いったいいつどこで詳細を打ち合わせ、即興でああまでかみ合わせたのか。
――という。
そうでなくとも劣等感が強いと評されている名無星がくぽである(その程度は随所で垣間見られるものの、第33話から第34話での明夜星がくぽ評が特に詳しい)。
明夜星がくぽですら度肝を抜かれるほどのことであれば、名無星がくぽのメンタルなど微塵と消し飛ぶ。
まったくもって、デキの違うきょうだいを持つとタイヘンなのである(兄はKAITO、おとうとは【がくぽ】である。もちろん、そういう意味ではないが、そういう意味もある)。
が、しかしだ。かかしである。そう、このおとうとはいい感じにかかしではあった。
要するに馴れている。チートな兄に。
むしろ兄がチートでなかったことがないのだから(あくまでも個人の感想である)。
「衣装はな、それを言いだすより先に暴走した明夜星のという猪突猛牛がいてな。そちらをまず止めねばならなかったのだ」
違う。『明夜星の』こと明夜星がくぽは猪突猛牛ではなく、ころもこ毛玉ボール期のこいぬである。
――こいぬであるはずなのだが、名無星がくぽは完全に力負けし、止めることもできずに跳ね飛ばされていたので猪突猛牛というのもあながち閑話休題。
がっくんがっくんと揺さぶられていた名残りで未だ明夜星がくぽに襟首を掴まれ、吊るされたまま、名無星がくぽは兄の叱責へ横柄に答えた。
言い方以前に、姿勢である。体勢と言おうか。これこそ道化もいいところだ。
しかしなにが気に入ったのかその体勢まま、名無星がくぽは腕を組み、首を傾げて明夜星がくぽを見た。
「今のな。――もうあと二、三か所で取り入れよう。そのほうが意味が出る」
「ぇええ…っ、ちょっとあんた、失礼なだけならともかく…」
こちらもこちらで、明夜星がくぽもなにが気に入ったのか名無星がくぽの襟首から手を離すことなく、渋面で睨みつける。
明夜星がくぽが渋る理由とは単純に、難易度だ。
兄たちは(なぜか)非常に軽々とやってのけたが、実際のところ、そう難易度の低い動きというわけではない。
そうでなくとも曲、歌唱の難易度が高いのだ。なんのせいといって、つい、意地を張ってがんばってしまった『KAITO進行』のせいでだが(KAITO進行なんぞやと思われたなら、第35話を参照されると良い)。
「自信なし子のくせに急にスイッチ入るよね、あんた…それともヤケでも起こしたの?」
「自棄など起こさん。きちんと計算した。っゎぶっ!」
なんだかお偉そうに返され、明夜星がくぽは募った苛立ちまま、掴んだ襟首をがっくんと揺さぶった。冷たい瞳で、吊るしたままの名無星がくぽを睥睨する。
「俺がまだあんたのこと吊るしてるの、忘れないように。で?計算して、どこに入れるって?」
「ん、あー…」
――名無星がくぽの意図はともあれ、明夜星がくぽには明確な意図があっての吊るしであった。然もありなん。でなければ続けまい。なにしろそこそこ負担が大きい。
わずかに言い淀んだ名無星がくぽだが、もう一度がっくんがっくんと揺さぶられるより先には思いきった。
「サビ前の…ハモり→俺パート→サビ入りの部分だ。俺パートの前に交換を済ませておきたい」
「はあ?だってあそこの振りつけだと…しかもなんでそんな、中途半端なとこ」
どうにも適当なことを言われているようなので揺さぶりますとばかり、襟首を掴む明夜星がくぽの両手に力が入る。それを不自由ながらも下目に見て、ただしあとひと言分くらいは猶予をもらえそうだと判断し、名無星がくぽは明夜星がくぽを真正面から見据えた。
その花色が、瞳が、堪えきれずにくしゃりと歪む。それは羞恥であり、屈辱であり、同時になにより――
信頼。
「うたえないとは、言わんぞ。決して言わん。――が、実際、難易度が高い。ので、保険がほしい」
「は?」
なんの話かと眉をひそめ、しかしすぐ、明夜星がくぽも思い至った。
サビ入り直前の名無星がくぽのパートといえば、あれだ。馴れていても苦戦する、まさに『KAITO進行』のうちでももっともひねくれた――
第35話でも少し話題となった。サビ前のもっとも繋ぎに気を遣う部分で、よりにもよって入れやがったと。
「そうするとおまえが『白』で俺が『黒』、おまえが浮いて俺が引くだろう。うたう…『音源』は俺ゆえ、すべてとはいかんにしても、能う限りの注意をおまえのほうに逃がしたい」
『逃がしたい』というのは、気弱な言葉だ。弱音だ。咄嗟に選んだ語彙から発露する、根本的な自信不足だ。
難易度はわかるし、明夜星がくぽとて共感しないわけではないが(同情すらするが)、それでは乗り越えられないものがステージにはある。
「あんたね」
「あとは俺がおまえを見たい」
揺さぶって気合いを入れたものかどうか、迷うそぶりを見せた明夜星がくぽへ、名無星がくぽはKAITOであればきょとんとして理解できないほどの速さで畳みかけた。
とはいえ言い方だ。速さはともかく、こちらのほうこそ本題という――
「――はあ?」
【がくぽ】であってKAITOではないので聞き落としはしなかったものの、であればこそ明夜星がくぽは壮絶にいやそうな顔となった。襟首を掴んでいた手も離れ、だけでなく背も仰け反って距離を取る。
「なにそれ?気持ち悪いんだけど」
――態度といい、返す言葉といい、大人としての社会常識がかけらも感じられない明夜星がくぽである。なぜなら明夜星がくぽである。
名無星がくぽも今さらこの程度でへこたれたりはしない。以上に、ここまでの付き合いできっと、この相手はこういったふうに返してくるだろうと予測もつけていた。
だから名無星がくぽは、笑った。むしろ清々したとばかり、解放された襟に指をかけて整えながら、笑う。
「この間の練習のときにな、たまたま気がついたんだが…おまえの振りに合わせると、音が出しやすい。もちろんずっとガン見しているわけにはいかんが、要所要所で確認して合わせられるだけでも、ずいぶん、楽だった。ゆえにできるだけ見やすい状態であってくれれば、楽ができるなと」
「………」
重荷を吐き出しきったとばかりの、名無星がくぽの表情だった。未だ請けるという答えは得ていないわけだが、しかし『言えた』ことがすでに成果という。
つまり――つまり、明夜星がくぽは頼られているわけである。
もちろんこの根っからのおとうと気質は、頼られることを好まなかった。そのうえに頼ってきた相手だ。恋敵(元)である。
そう、(元)だ。補足のはずであるのに、今回もっとも重要であるのは()のうちに選んだ言葉だ。つけようと思った()書きのほうだ――
しばらく渋面で名無星がくぽを睨んでいた明夜星がくぽだが、その表情まま、首を巡らせた。
先の位置で座りこんだままはらはらと、当人同士の話し合いを見守ってい(てくれ)た兄、明夜星カイトと目を合わせる。
片手を上げるとびしっと、名無星がくぽを指差した(理由がなんであれ、本来、こういったふうにひとを指差してはいけない)。
「――だって。ガン見できるように、できる?」
「ぇと……っ」
問いに、まさか話を振られると思っていなかった明夜星カイトはぎょっと身を引き、瞳を瞬かせた。問いを呑みこみ、咀嚼して、考え――
相変わらず傍らにしゅっとして立つ名無星カイトをちらりと見て、明夜星カイトはおとうとへ顔を戻した。
「で、きる。だいじょーぶ!」
緊張は窺えたものの、力強くこっくりと頷いて返す。
兄の答えを受け、明夜星がくぽは手を下ろした。同時に名無星がくぽへと顔を戻す。
「――だって」
「いや、それは、そこまで……いいのか?」
「いいでしょ。タイヘンなのはわかるもの。それであんたが自信持ってうたえるってなるなら、いいよ、俺は」
思いがけない展開にうまく言葉とならなくなった名無星がくぽへ、明夜星がくぽは気負いもなく答えた。大したこともないと流して、しかしふと、眉をひそめる。
「だってアレさ、別にあの部分のことじゃないかもだけど、でも、この前会ったとき、主催のひとにもすごい、同情されたよ?『えまのんのんったらまた、血も涙もないうたをつくったもんだよねえ』って…親しい仲っていうのもあるかもだけどさ、感想がまずそれって、けっこう、すごくない?」
――つまり主催側も基本、【がくぽ】マスターなのである。彼らがどういった音階や進行を苦手とするか、相応に把握している。
本人たちのロイド(【がくぽ】である)からもそういった評判が返ってくるから、なおさらだ。
で、さて、そう評されていると聞かされた当人である。
えまのん(主催は『えまのんのん』と呼ぶが)こと、出宵である。名無星カイトと名無星がくぽ、名無星家ロイドきょうだいのマスターである。
出宵は精いっぱいにニヒルな笑みを浮かべ、気まずい顔を逸らした。
「いーよいーよ。どーぉせボクはオニなんですよーだ」
「いや、マスター…」
ケッと吐きだしたマスターへ、名無星カイトが声を上げた。それも珍しくも、マスターの卑下を全肯定するのではなく、否定するようなものの言いだしであった。
まあ、なににしてもお子さまと地頭、そしてマスターの気分は損ねないにこしたことはないと昔から言う(もしくは地震カミナリ火事オヤジに続く五番手だ)。それでさすがに、珍しくもフォローに入ろうと――
「鬼の目にも涙という言葉は知っているか?あとな、大江山の鬼…酒呑童子だったか。とにかく源頼光に斬り飛ばされた鬼の首から血が噴き出している絵巻物がある。確か文章でもはっきりそう、書かれていた。――わかるな、マスター?鬼には血も涙もあるっていうのが、俗説なんだ。それでマスター、なんて言われたんだった?」
――まあ、おそらくあなたにとっては想定内の展開であったことだろう。きっとこうなるだろうと、むしろ想定していたに違いない。あなたは慧眼である。展開に新鮮味が足らないのではない。
そう、フォローではなかった。
いや、確かに『鬼ではない』と主張はしている。『鬼ではない』というのが名無星カイトの主張のメインではあるが、しかしである。かかしも極まれりである。
この場合、『鬼である』と肯定されたほうがまだずっと、ましであった。そうではないだろうか?
さて、対する出宵の反応である。どう返したか?
――いったいそんなこと、あなたはほんとうに知りたいだろうか?
確かに言えるのは出宵はうちの子カイトの主張を、その含まれた意味、方向性というものを、正しく理解したということである。
そういったわけでいろいろ見てはいけない、聞いてもいけない一幕から全員がなんとか意識を逸らし、名無星がくぽはぎくしゃくと、兄の傍らに腰を落としている恋人へ視線を巡らせた。
明夜星カイトもやはり戸惑いつつ恋人を見返し、しかしすぐ、はたと気がついた顔となった。あぶおぶと、腰を浮かせる。
「あっ、でもっ!あの、『うたいやすくしたい』ってことなんだよね?そしたらちょっと、時間、かかるかもっ!あの、ぇと、ほんとにずっとガン見してるのがいいのか、それともポイントだけ見たほうがラクなのか、ポイントだけならどことどこなのか………いくつか試してもらうことになると思ってて、それでもしかしたら、結局、今のまんまってなる可能性も」
「いや、それこそ俺は構わん。どのような結末となろうが、むしろ有り難いが…」
「うたい手が『そう』してれば、視線誘導にも一役買うだろ。より有効だ」
「………」
端然と割り入った兄を、名無星がくぽは花色を揺らがせて見た。兄は見返さない。どこか彼方へと視線をやり、おとうとと見合うことをしない――
いや、ほんの一瞬、わずか刹那だ、ちらりと、横目を寄越した。
【がくぽ】であって敏いということもあるが、たとえどれほど不仲であろうとも、きょうだいには違いない。名無星がくぽはそれで兄の意を汲み、恋人へと視線を戻した。
戸惑いは未だ強く、消しきれず、己の不甲斐なさも相俟って、とてもではないが恋人をまともに見るなど――
『恋人』だ。
守るだけの相手ではない。後ろに隠す姫でもない。
彼は時に盾とも剣ともなる、名無星がくぽと手を携え歩くと決めてくれた相手だ。
兄の強さはない。
けれど決して弱くない――強い。
「力を貸してもら………ほしい、カイト」
頼らせてくれと真摯に願った恋人に、明夜星カイトはなんと答えたか?
「お力たてられて、うれしー!ですっ!」
――いろいろ、混ざった。
いろいろ混ざったが、浮かべた笑みであり、ぴょんと飛び跳ねて抱きついてきた体だ。背に回された腕の強さに、擦りつく頭に、名無星がくぽは恋人の想いを読み取った。
守られることは嫌いではない。
頼りにもしている。
けれど、それでも、守られるばかりでは、頼るばかりではいたくない。
なぜなら後ろに隠されるだけの姫ではなく騎士ではなく、ともに並び歩いて先へ行くと決めて成った恋人であるのだから。
「………頼りにしている、カイト」
抱きつく体に腕を回し、名無星がくぽは万感をこめ、恋人の耳朶に想いを吹きこんだ