問いの形式は取っていたが、名無星がくぽは明夜星がくぽへ問いかけたわけではなかったし、ゆえに答えも求めていなかった。
求めたところで、およそろくでもない答えが返ってくるだけだと、ここまでに予想もついている(そのろくでもなさが、予想をはるかに超えたろくでもなさであろうというところまで含めてだ)。
恋より遠く、愛に近い-第33話-
だから明夜星がくぽがくちびるを開いても声を出すより先に、名無星がくぽは首を振った。横だ。
それで、笑いを治めて明夜星がくぽを見返す。
「甘えがあることを認めよう。いなければ身を正すが、前にするとどうしても甘える――ひとに言われねばそれがどれほどだらしのないことか、律せぬ己の未熟さが腹立たしいな」
素直に悔恨を吐きだした名無星がくぽを、明夜星がくぽといえば非常に気味悪そうに見ていた。子供である。大人の態度では決してない。
それでその、子供らしい感じに口ごもりながら、明夜星がくぽはぼそりと吐きだした。
「それがきょうだいってもんじゃ、ないの。距離が近すぎるとたまに、境界があやふやになるんだよ。よくあることでしょ」
――言うなら、敵に塩だ。明夜星がくぽともあろうものが、さすがにフォローに入ったのである。
つまり、合格したということだ。
おまえになにがわかると、定型で撥ねつけていれば明夜星がくぽはフォローに入らず、亀裂は決定的になっていたことだろう。
が、名無星がくぽは明夜星がくぽを容れた。
容れた相手を内側から裂き割るような性質の悪さを、明夜星がくぽは持たない。それがたとえ、自分から初恋を奪った敵であろうともだ。
甘ちゃんだと、言える。
しかし兄はそう言わなかった。『甘ったれ』だと評した。ではきっと、これは相手の度量の広さゆえであろうと、名無星がくぽは解する。
情に流されてそうするのではなく、度量の広さゆえに理を持ってそうする――
「だとしてもだ。いつまでも甘えていていいことにはならん。――そう言いながらもな、すぐになにもかもを改めるのは難しいとは思うが…おまえの言ったことを常にこころに留めておこう」
時間をくれと真摯に返した名無星がくぽへ、明夜星がくぽはどう返したか?
「ぅえぇえええ………っっ」
――だから明夜星がくぽは、基本、ころもこ毛玉ボール期のこいぬなんである。
敵にまっすぐ向かっていくことは得意だが、折れられてしまうとどうしたらいいのかまるでわからない。ちょっとしたパニックだ。
壮絶に顔を歪めて失礼な擬音を吐き出し、でありながら泣きそうに揺らぐ花色に、名無星がくぽはつい、くちびるが緩んだ。
腹は立つ。
腹は立つが、――
「予想しとくべきだった……俺が迂闊だった………あのひとのこと、あれだけのことで容れられなくて弾かなきゃいけないようなケッペキ相手に、完ッ全にやらかした………っ」
リビングチェアの上で頭を抱えて丸まる明夜星がくぽのつぶやきを拾い、名無星がくぽは今の一幕で凝ったような気がする肩を軽く動かした。ロイドなので鳴るわけもないと思うのだが、やはり凝っている気がするので、こきこきと鳴っているような錯覚がある。
ちなみにその、『凝った肩を動かしたならこきこきと音がする』というのは、マスター:出宵に聞かせてもらった。兄とともに出宵の肩に耳を寄せて聞き、ほんとうに機械音のようなそれに、いっしょになって驚いた記憶がある。
――なんだ、タガが外れてたのか?だからか、マスター…!
――いやちょっと待ってカイト!カイトカイトカイト、なにが『だから』?!なにその『我発見せり』的表情?!いや待ってやめて、やっぱいわないでぇえええ!!
驚いた挙句にこぼした兄の、なにかを悟ったというあの目つきと、まさかの感想に打ちひしがれるマスターと。
思い出して緩みかけたくちびるを、名無星がくぽは懸命の努力で引き締めた。だけでなく、軽く顎も上げて傲岸さを装う。
「ひとを病的扱いしている場合か。おまえだとて同じではないのか、明夜星【がくぽ】」
つけつけとした口調で指摘してやった名無星【がくぽ】を、丸くなっていた明夜星【がくぽ】は腕の隙間から覗いた。
なんだか恨みがましくも見えるが、明夜星がくぽである。きっとこの、『隙間から覗く』というファクターによってそう見えるだけだろうと、いろいろ馴れてきた名無星がくぽも判断した。
だから平然と、流す。
流された明夜星がくぽといえば、それでもしばらく腕の隙間からじいっと、じじじいっと名無星がくぽを見ていた。
が、やがてほどなく飽きた(なにしろそうたいしておもしろい遊びでもない。ことに、名無星がくぽがすっかり落ち着いてしまった今となっては、なおさらだ)。
飽きたので腕を解き、顔を上げる。少しばかりぼさついた髪を整えることもなくそのままで、ふんと、傲岸に鼻を鳴らして返した。
「まあ、俺も【がくぽ】だからね。本来的に好かないよね、そういうタイプは」
「………」
無為な反発を食らうのではなく、非常に大人しく素直に容れられたわけだが、名無星がくぽはまるですっきりしなかった。
理由はわかっている。しかも身勝手も極まる。自分は容れられず、手酷く撥ねつけておきながら、――
つまり、名無星カイトである。名無星カイトの行状の話である。
天然チートスキル、KAITOころりでKAITOキラーな名無星カイトは、だけでなく、そのKAITOらしからずらしからぬ敏さなどから一歩浮き出た存在感を放っており、ほうぼうから人気だった。
ほうぼうから人気で、引く手数多であり、そして本人にそういったところの倫理観が少しばかり、薄かった。
結果、人間もロイドも、男女の別も問わず、誘ってきた相手とはほとんど断らずに寝た。
ただしひとりにつき、一度きり――なぜかといえば、『本気ではない』からだそうである。
――みんなやさしいんだ。だから悪いだろ、そんなんでずるずる関係続けたら。
一聴、清らかしいことを言っている。しかし一度であれば断らず寝るのである。抱かれるにしろ抱くにしろ、こだわることもなく。
こういった行状をどう捉えるかということに関しては、個人の感覚に因るところが大きい。
マスター:名無星出宵といえば、KAITOころりでKAITOキラーというチートスキルがどうやっても如何ともし難いものであると諦めたところで、概ね、カイトの行状に関しては投げていた。恨まれて刺されるようなことだけしなければ、もうそれでいいと。
対して、名無星がくぽだ。おとうとだ。【がくぽ】だ。
一般に、【がくぽ】というシリーズは物難いサムライの気質を宿し、貞操観念にうるさいものだった。
なかには遊び人を気取るものもあるが、根本的には厭う。ことに想いを寄せた相手にはそれが激化しがちであり、迂闊に恋愛などすると、そうでなくとも難しい精神バランスが常に崩壊と背中合わせという。
名無星がくぽは、名無星カイトに想いを寄せたわけではなかった。
その前に破れたからだ。
尊敬する兄だった。こころの底から憧れていた。旧型ロイドだなどと、虚仮にする要素はどこにも見当たらない、ひたすら完璧な兄だった。どうして新型であるはずの自分のほうがこうまで未熟なのかと、いつでも愕然とした。
――それだけであればいずれ、思いは過ぎ越して兄をこそ生涯の相手として見るようにもなっただろう。兄のほうは自覚しきらずとも、すでにおとうとへ想いを懸けていたのだから。
けれどそう、想いを懸けていたとしても、誘われれば断らなかった。
自覚しきれていないとしても想いはあったというのに、おとうともまた、あえかに気配を感じるほどだったというのに、兄が他人からの誘いを断ることはなかったのだ。
どうしてと詰れば、だから、どうせ一度だけなんだしと返した。
なにが問題であるのか、名無星カイトにはうまく理解できないようだった。感情が裏返って激昂に駆られた名無星がくぽも、うまく説明できなかった。
それで『始まる』前に、名無星家のきょうだいはきょうだいで続いていくことが確定したのであった。
どうあっても名無星がくぽには、『そう』いう兄を容れられなかったからだ。
いわば失恋状態でよぼよぼしている名無星がくぽを拾ったのが、もとい出会ったのが、明夜星カイトという――
だがまあ、この話はこの話であり、すでに終わったことでもある。
のでさっくり割愛し、反って、明夜星がくぽへ話を戻す。
そう、明夜星【がくぽ】、名無星【がくぽ】と同じ、物難いサムライの気質を持って貞操観念にうるさい――
物難いサムライ気質をほんとうに持ち合わせているのか、あるとしたならどこまで構成要素に含まれているものか、非常に疑問の多い明夜星がくぽではあるが、とにかく【がくぽ】には違いない、明夜星【がくぽ】である。
自ら、言った。
己も【がくぽ】であれば、そういった行状は好まないと。
それは拒絶だ。名無星がくぽが名無星カイトへ、おとうとが兄へ向けたのと同じ、――
これを危惧したから、おとうととはいえ他人が本来言うべきではない兄の性向について、名無星がくぽは先に明夜星がくぽへ告げたのだ。あとで関係が深くなってから知るようでは、きっと自分と同じ轍を踏むと危ぶめばこそ。
なにより兄は、明夜星がくぽを腕によりをかけて甘やかしていると言った。それがどういった感情からのどの程度の意味であるかは名無星がくぽには読みきれなかったが、しかしお気に入りであるということは確かだろう。
そのお気に入りに、手塩にかけている相手にまた、おとうとと同じような手酷い拒絶を向けられる――
身勝手は百も承知だ。
だとしても、それによって兄が傷つくのは耐え難い。
身勝手は百も承知だ。それでもただ、耐え難い――
けれどと、名無星がくぽはもやつく腹を堪えながら、明夜星がくぽを用心ぶかく見た。
ほんとうに『同じ』だろうか?
だとしたなら、どうして笑っているのだろう。それもひどく機嫌よく。
ご機嫌と迷いなく言える笑みは、まるでチェシャーキャットのようだ。そうだ、チェシャーキャットの笑みだ。ただ笑みなのではなく、どうしても裏を勘繰りたくなる。
そもそも名無星がくぽが兄の行状を知ったときには、笑うどころではなかった。自分に向けてくれた愛情はなんだったのかと、地面が抜けたような心地となったものだ。
良くも悪くもそれが【がくぽ】という機種なのである。
良くも悪くも――そのはずだが。
案の定と言おうか、明夜星がくぽは機嫌を崩すことのない軽い調子で続けた。
「でもさ、俺はなんであんたがそうまでだめだったのか、ちょっとよくわかんないな。だって言ったら過去のことだし、『兄』でしょう?自分より先に出てるんだもの、そりゃ、経験だって先に行ってるものでしょう」
「あれがそういうレベルか」
ほとんど反射的に返してから、名無星がくぽはシュールストレミングか、サルミアッキキャンディかを口元に運ばれたような顔となった(もしもあなたがこれらの愛好者であるならば、この喩えはきっと名無星がくぽが示したのとはまったく反対の意味に取られるに違いない。もうひとつ補記するなら、決して愛好者ではない名無星がくぽがそれを口に突っこまれたなら、顔芸だけの話では済まない。ので、それらは口元に止まり、口のなかには突っこまれないのである)。
案の定だった。
「へえ…なるほど。そうなんだ……?ぇえと、うん、――モテるんだねえ、あのひと…」
微妙に引き気味に、明夜星がくぽがつぶやく。
諸々疑いや謎はあれ、明夜星がくぽも確かに【がくぽ】である。情報処理能力が高い。
名無星がくぽが返した言葉やらその反応速度やらやらやらから、名無星カイトの行状をある程度まで正確に読み取った。それで、さすがに引いた。
引いたが、名無星がくぽがなにかしら、挽回的なものを探して墓穴を深くするより早く、戻ってきた(これはほんとうに、双方にとってなによりも幸いなことであった)。
戻ってきた明夜星がくぽは、ちょこりと小首を傾げてみせた。無邪気であるのはともかく、おそろしいことにそれは、小動物のしぐさと同じほどには無害で、愛らしく見えた。
「それでもやっぱりさ、どうしてあんたがだめだったのか、俺にはわかんないな。だって、――」
そこまで言って、明夜星がくぽは一度、口を噤んだ。ことここに至って、なんだか疑わしそうに名無星がくぽを見て、上から下からといったふうにまじまじと眺め、さらになぜか、(若干ではあるが)またもや身を引く。
「おい?」
情報処理能力がたいして高くなかったとしても、いやな予感を抱かずにはおれない明夜星がくぽのしぐさだ。ましてや名無星がくぽは【がくぽ】であり、情報処理能力の高さは折り紙付きだった。
眉をひそめ、こちらこそ若干足を引いて腰を落としてと、思わず臨戦態勢を取った名無星がくぽに、明夜星がくぽは非常にいやそうに口を開いた。
「あんたさ、実は結構、劣等感強いでしょ。コンプレックスのカタマリでしょ。自分に自信、ぜんっぜん!ないでしょう!」
表情こそひたすらいやそうだったが、指摘する明夜星がくぽの声音は自らへの信頼に満ちて、つまり自信満々であり、大変力強いものだった。