恋より遠く、愛に近い-第71話-
「まったくもって嫌になるよね。誰の前でもすぐにいちゃつくんだから!」
よしどの口がそれを言うのか!
――と、友人知人家族の九割九分から確実にツッコまれる感想を吐きだしつつ、明夜星がくぽはカウンタから離れた(残り一分?言うまでもなく彼ら自身、『お互い』だ。この二人だけは決してそう言わない)。
カウンタというか、要するに『誰の前でもすぐにいちゃつく』(わけではない)恋人同士からというのが正確だが。
カウンタから離れた明夜星がくぽは、相変わらずしゅっとして立つ名無星カイトのもとへ自然と行き、そして自然と腰に手が回って、自然と抱きこんだ(大事なことは二度言う。三度言うのは真実だからだ。つまり真実、明夜星がくぽの動きはすべて気負いなく、『自然』だったということである)。
抱きこんで、しかし明夜星がくぽはすぐ、腕の力を緩めた。体もあえかに離し、改めてといった調子でしげしげと、自分の衣装であったものを着る名無星カイトを上から下から見る。
笑った。小さく、穏やかに。
「珍しくも、『着られてる』って感じだね?あんたはいっつも、どういう服でもちゃんと着てるってイメージなんだけど……サイズが合わないから?」
「……そうか?」
なにとも明確にせず返し、名無星カイトは抱えこまれる範囲で可能な限り、自分の姿を眺めた。
確かに袖が余る。袖というか、おとうとの衣装と違い、この衣装は身幅のゆとりも十分だ。軍服であることを考慮し、肩パッドも入っている。そのぶん余計に、些細な体格の違いで大きく着崩れて見える。
ただし少なくとも、名無星カイトは明夜星カイトよりは着こなしていた。同じKAITOでなぜという話だが、姿勢といおうか、持つ雰囲気といおうか――
さらに但し書きを付け加えておくならだ、たとえば名無星がくぽにしても明夜星カイトにしても、この名無星カイトを見て『着られている』とは露ほども感じなかった。
やはり兄、なんでも着こなすと、やっぱりカイトさんってばかっこいいと。
しかし明夜星がくぽはなんだかひどく上機嫌に笑い、名無星カイトのこめかみに頬を擦りつけた。
「かわいく見える。こういうのもたまにはいい…」
「それは『自分の』っていう欲目かなあとマスター、愚考致す次第。フィルターなし目にはふっつーにかっこいけめんですよ、カイトくん。使う予定ないですけど逆に悪用予定もないということで、あとで写真ください」
「「っ?!」」
そこで唐突にかかった声に、明夜星がくぽと名無星カイトはともに驚き、振り返った。
まあ――いいのである。驚いたためにむしろ互いをしっかり抱きしめ、庇護し合うように動いただとか、そういう、細かい動作の逐一は。
声をかけたのは明夜星甲斐であり、その手には暗色系の衣装を三着ほど抱えていた。それでぎょっと振り返ったふたりを淡々と見返し、続けるわけである。
「時も場所も場合もなくいちゃついてるとこに割り入って正直自分の勇者度に自信しかないので後程馬房とか馬場的なとこを探して訪れて蹴られてきてみる予定ですがつまりご条件に合いそうな衣装をいくつかピックしたつもりなんですよね…最終的なとこをご相談に乗っていただきたくホースアタック的にお伺いしたわけでありまして」
「なんか拗ねてるの、マスター?もう一度、アタマから言ってくれる?なに?」
眉をひそめて問い返しつつ、明夜星がくぽは名無星カイトの腰をわずかに引いた。足は半歩ほど出て、名無星カイトを後ろに、自分を盾にして庇う形を取る。
いつものスタイルであると気がついた名無星カイトこそ眉をひそめ、明夜星がくぽを見上げた。
『自分の』――と。
思うより先に手が上がり、名無星カイトは明夜星がくぽの胸を押した。離すよう促しながら、自分からも身を引く。
一瞬、拒むように指先に力を入れた明夜星がくぽだが、一瞬だ。どこを見ているかよくわからないにしても、少なくとも自分のほうを見ていないことだけははっきりしている名無星カイトを見て、手を緩めた。
自分から求めて、叶えられたことだ。
だというのに理不尽な気分が募り、名無星カイトは微妙に恨みがましい目を明夜星がくぽへ向けた。くちびるが開き、――
一拍遅れて、ため息のように吐き出す。
「おまえは過保護なんだ」
告げるというより、誰か、自分にでも言い聞かせるようなものの言いだった。
それで言って、名無星カイトは応えを待つことなく甲斐へと向き直る。が、開きかけた口はまた、一拍遅れた。
今度はさして複雑な事情もない。視線を戻した先、甲斐である。なんだか目頭を押さえ、上向いていた。
「………わさびでも食べたのか」
「うん、それなら押さえるのはもう少し下かな、カイトくん」
もぎゅもぎゅと目頭を揉みつつ、甲斐はひどく端然と返した。
まあ、だから甲斐の姿勢である。言うとおり、ほんとうにそうであるならもう少し下のほう、鼻を押さえるとは思うが、わさびを食べて当たりどころが悪く、粘膜を刺激されたときのしぐさによく似ていたのである。
で、甲斐である。目頭をもぎゅもぎゅと揉むのを止めると、はぁあああと大きく息を吐いた。
「いやなんか、がくぽがちゃんと大きくなっていたりしたりしたことに気がついたものでちょっと、感慨無量で…男子三日会わざれば括目して見よとは言いますが、毎日見てると逆に気がつかなかったりってこと、あるじゃないですか………」
「へえ…なんかタイヘンなんだね、『マスター』って…」
感慨無量というか、なにか非常に遠くを見つめる瞳となった甲斐に、明夜星がくぽは完全な棒読みで返した。同時に手が伸びて、一度は解放した名無星カイトの腰を掴む。
引き寄せられた名無星カイトといえば、これには抵抗しなかった。しなかったというか、できなかったと言おうか。
今度のは『盾』だったからだ。名無星カイトが、明夜星がくぽを守(らされ)る。
それが証拠に明夜星がくぽは引き寄せた腰からすぐ手を離し、名無星カイトの背を覆うように抱えこんだ(いつもの背後霊状態だが、こうすると『なにか』との間に名無星カイトというワンクッションを挟むことになる。そう、名無星カイトは過保護にされる対象ではなく、遮蔽物の扱いなのである)。
それを拒む理由はむしろなかったので容れて、名無星カイトはただ、遠くを眺める甲斐に頷いた。
「そういえば明夜星甲斐、おまえはマスターより年寄りだったな。人間は年を食うと涙もろくなると聞いた」
「ごっぷ……っ」
吹き出したのは背後霊だ。
その背後霊違う→明夜星がくぽのマスター:甲斐といえば、この失礼も極まる名無星カイトの発言にも落ち着き払って、こっくりと頷いて返した。
「それな。私にもそう信じていた時期がありました………しかし実際年を食ってみて理解というか実感しましたけど、年を食うっていうのは枯れるってことなのですよ。水分が抜けてくから放っておくと肌がかさかさしわしわしてくるし、髪の毛は静電気と乾燥でばちばちうねうねに広がるし、ドライアイも年々進行して夕方になるともう、目がしょぼしょぼしぱしぱでものが見にくいったら…」
明夜星甲斐の主張は未だ続いているが中断し、要旨を記す。
――枯れ枯れ老齢のドライアイ=乾き目なンだから、おいそれと泣いたりなンかしないンだからねッ!
ドライアイとはそういった症状を引き起こすものではない。
しかして要旨を記すなら、明夜星甲斐は感慨無量となったことまでは認められるが、それで泣きそうにまでなったことは認め(られ)ないという。
矜持の置きどころがまったくもって不明である。羞恥はどこへ向いているのか。
名無星カイトといえば、理解したうえでツッコミを控えてやった。面倒であったというのが本音だが、そういった本音をだだ漏らしにしないだけの分別は備えているのである。
そういうわけでオトナの分別を発揮した名無星カイトは、未だ続いていた言い訳を聞き通してやることなく、ざっくり遮った。
「で?――その、腕にかけた衣装は?うちのおとうと分か」
「ああ、ええはい。です」
さすがの敏さを発揮した名無星カイトに、甲斐もさっくりと乗って来た(遮られたところで構わない。というより、明夜星甲斐がこういったものの言いをするときは遮り待ちである。と、その所属ロイドふたりは口をそろえて言う)。
「同じテイストで袖広め、かつゆとりめスリム!……は、あったんですけど、燕尾っていうよりさらに『夜会』色が強くなって」
「それくらいがいい。こいつも着るんだし」
衣装を掛けていた腕を軽く持ち上げて示した甲斐に、名無星カイトはあっさりと頷いた。
背後にびたりとくっついていた明夜星がくぽの顔面を押して体を離させると、名無星カイトは甲斐の腕から一着取った。振り返ると、不満たっぷりに見つめてくるあまえんぼうのわがまま王子の体に当て、サイズ感を確かめる。
大人しくサイズを見させてくれるものの、明夜星がくぽはあくまでも不満そうだった。
「あいつをごてごてのぼてぼてに飾りたいっていうなら協力はするけどね、なんで僕の体使うの」
「だっておまえたち、サイズおんなしだろ」
不機嫌に訊かれてもまるで動じず、名無星カイトはきっぱり返した。
内心、こいつはどういう情熱でもってそうまでうちのおとうとをごてごてのぼてぼてに飾りたいのかと首を捻りつつ、一着目を甲斐に返すと、二着目をまた、明夜星がくぽの体に当てる。
「――顔もおんなしだしな」
「あのね」
ぽつりと続いた言葉に、明夜星がくぽが眉尻を跳ねさせる。口を開き、烈火の言葉が――
「ああそれ。もうひとつ相談したいことっていうのが、うちの子のほうの衣装なんだけど」
「うん?」
――タイミングよく口を挟んだマスターに気勢を削がれ、明夜星がくぽは口を開いただけで言葉はなく終わった。
フォローすることもなく、名無星カイトは甲斐へと顔を向ける。
甲斐といえば、うちの子がくぽも名無星カイトも見ていなかった。先にKAITOがダンスを披露したあたりを眺めつつ、目を細め、顎をさする。
「交換のとき、けっこうめに上着を振り回すじゃないですか。広げるっていうか…きれいにフレアするようにってことと、万が一の場合の安全対策ってことを考えると、徽章とか、最低限に抑えてあんまり装飾がないほうがいいのかなあと」
「ああ…」
生地は羽のように軽いよりは一定の重みがあったほうがきれいに広がるが、重ければいいというものでもない。ごてごてのぼてぼてに飾りつければおかしなふうにでこぼこと波打ち、きれいに広げるのは難しくなる。
あるいはなにかのきっかけで距離を誤ったときなどに、誰かを傷つける危険性もある。今回の振りつけだと交差も激しいし、微妙といえば微妙――
だが、なるほどと頷いた名無星カイトはすぐ、首を横に振った。
「それより飾緒を追加できないか。徽章だけより、見た目のグレードがかなり上がるだろ」
「上がりますけど」
「ちょっと、あんた…」
地味にするなどもってのほか、むしろ胸に飾り紐を追加して派手に着飾らせろと求められ、甲斐は不審げな表情となった。
とはいえ、実際にやってみせた側が言っているのである。正直、ファッション以上に振りつけは自信がない甲斐だ。
そういうわけで、怪訝な顔をしつつも甲斐は自身の携帯端末を取り出した(飾緒付きの衣装が手元にないことは記憶している。ので、レンタルかなにかでないか、探すためだ)。
信頼を置いて引いたマスターに対し、明夜星がくぽである。その派手にごてぼてとされた(そこまでではないはずである)衣装を実際に着て、本番のステージに立たなければならない側である。
「あんたそれまず、僕が着るんだってこと、わかってる?交換するのはコラボ曲のときだけだし、それだって途中で交換したりするから、結局ほとんど僕なんだからね?」
「?そうだな?」
なにが論点となっているのかがわからず、名無星カイトは瞳を瞬かせ、明夜星がくぽを見返した。
臆することなく受けた明夜星がくぽは、そのままつけつけと続ける。
「僕を飾ったりしたら、あいつがもっと霞んじゃうでしょう。一瞬程度の衣装交換じゃ、ちっとも取り返せない。だからいいんだよ、僕はそんなに飾らなくても」
――さて、この明夜星がくぽの主張に、名無星カイトはどう返したか?
「………………おれ」
しばらくじっと、じっっっっっっっと明夜星がくぽを見ていた名無星カイトだが、ややしてようやく口を開いた。
胸の前というか、みぞおちのあたりで両手をお祈りの形に組み、さらには小首を傾げての下から目線の上目遣いで、である。
そうやって、ぽそっとこぼした。ぽそっと。
「はではでにめだってかっこいーがくぽ、みたいなあ………」