さて言っても(なにを言ったのかと思われたなら、小ネタ集の2024年2月14日分を参照されたい)、明夜星がくぽにも言い分というか、言いたいことというのがあった。
つまりである。
恋より遠く、愛に近い-日記版
彼方の星の沼るショコラ
「だいたい、『過ぎてかわいい』っていうならあんたでしょう、カイト?なんか最近っていうか、どんどんかわいくなってるけど。大丈夫なの?」
これを欲目という。さもなければ贔屓目だ。
そう言いながらあっさりぽいと明夜星がくぽに捨てられた名無星がくぽは、恨みがましく考えた。
なぜなら名無星がくぽの目には、兄が今までと変わりなく見える。今までと変わることなくしゅっとした立ち居振る舞いの、ひたすらに強くつよい兄だ。おっとりぽややんとして春の陽だまりにも喩えられるKAITOらしからず、その形容には『かわいい』よりも『格好いい』のほうがよほどにしっくりくる――
これを欲目という。さもなければ贔屓目だ。
それで、情人とおとうとと、身近な【がくぽ】ふたりから色眼鏡で見られている名無星カイトである。
いや、おとうとは声に出していないからともかく、少なくとも情人からは手放しで『かわいい』と称えられた名無星カイトである。
「はあ?『大丈夫か』はこっちのセリフだ。目が眩むにもほどがある」
――先ほどには、自分にバレンタインの贈り物を提示してきた相手のかわいさが異常レベルだと半狂乱で絶叫していた名無星カイトの返しが、これである。いや、別に付記すべきことが特にあるわけではない。しかしてくり返すなら、分厚い氷の膜越しのような名無星カイトの返しであった。これが。
とはいえ相手は明夜星がくぽである。まったくへこたれることはない。
まるでへこたれることもなく情人の傍らに行くと腰から全身を抱きこみ、わずかに首を傾げて覗きこんだ。
「そんなこと言ったってかわいいもの、あんた。少なくとも僕が最近あったKAITOのなかでは、いちばんだよ?」
「…………………はあ?」
芸能特化型ロイドに、目からビームを射出できる機能が実装されていないことは、幾重にも幸いであった。そういう、名無星カイトの眼光であり、眼力であり、目つきだった。
いわば情人からの熱烈な告白だ。もう少し陶然としたところでバチは当たらないはずだが、名無星カイトの反応は対極にあった。ひたすら冷たく、ひたすら固く、孕む熱は危うい――
触れればなにかなるという危惧を湛えて、名無星カイトは腰を抱く情人を見据え、ひたひたとくちびるを開いた。
「ほんとうに大丈夫なんだろうな、おまえ?なにが『いっちかわいい』だ。『兄さん』はどうした、『兄さん』は?」
地の底を這うような声で情人に糾しながら、名無星カイトは件の『兄さん』こと明夜星カイトへちらりと目をやった。踊っていた。
――もう少し、説明を付記しよう。つまり、明夜星カイトはいつから踊っているのか、どうして踊っているのかということだが。
それで、『いつから』と問うなら、おとうとがいつものように情人を、名無星カイトを自分だけのものとして独占しようとそばに寄って来たあたりからだ。おとうとがそこで名無星カイト、つまり情人を『かわいい』と手放しで称えた、そこから。
おにぃちゃんはいつだって心配なのである。
このおとうとはどうも、兄である自分を立てるあまり、ほかを疎かにしがちだ。
それははっきりきっぱりと自他ともに認める情人が見つかったあとも同様で、明夜星カイトはおとうとを溺愛する兄として、うれしいのは当然ながら、やはりひどく心配だった。
憧れの『カイトさん』は過ぎて鷹揚で、とても度量の広いひとではあるが、それでもいつか、いずれ、こんな扱いばかりするおとうとに愛想尽かしをしてしまうのではないかと。
なにしろ『カイトさん』は人気もので、ライバルも掃いて捨てるのでは追いつかないほどいるのだ。自分をこそ最上として愛おしんでくれる相手に事欠かないのであるから。
もちろんカイトはいつだっておとうとの味方であるつもりだが、それでもこんな扱いばかりしているようでは、いざ愛想尽かしをされたというとき、こころの底から慰めてやることができるかというと――
心配の深さの分、反動の喜びも大きい。
堪えきれず、明夜星カイトは踊りだしたと。
おっとり鷹揚を謳われるKAITO、その代表的な特性を持つ明夜星カイトだが、ダンスは激しかった。あとで階下の住人になにかしらフォローを入れねばと、名無星カイトがちょっと考える程度には。
おかげでなんだか毒気を抜かれた名無星カイトにである、毒気が抜ける前の毒々しい抗議を受けた明夜星がくぽだ。
切れ長の瞳を見張った。
「なに言ってんの、あんたは?それこそ『大丈夫?』って話だよ。兄さんなんか、とっくに殿堂入りしてるに決まってるでしょう。比べようないんだもの。いつまでもランキングに置いておいて、どうするのさ?」
――この、いかにも呆れたという風情で答えを返された名無星カイトである。
なんと答えたか?
「ああ、なんだ…」
その、紛れもなくこころの底から安堵したとばかりの答えを聞いた明夜星がくぽである。ふわりと蕩けるように笑うと、ようやく身を預けてくれた情人へくちびるを寄せた。こめかみに触れ、耳朶へと辿る。
くちびるが開き、食むように言葉が吹きこまれた。
「『なんだ』とはなんだ、兄よ………ッ」
――いっこうに人目を憚ることを覚えない情人たちがどう睦言を交わしたにしろだ、外側が本人たちほどに納得することはなかった。
で、呻くようにこぼしたのは名無星がくぽである。彼はカウンタに突っ伏し、完全に頭を抱えていた。
「『なんだ』とはなんだ、兄よ……ッ!なにゆえ『なんだ』だ………ッ!不満の表明ならまだしも安堵とは、何事かッ………ッッ!!」
機微に敏い【がくぽ】の特性を活かしに生かして正しく兄の反応を読み取りつつ、名無星がくぽはひたすら咽び泣いた(比喩である。表面は泣いていない。少なくとも表面は)。
その名無星がくぽの傍らに立ち、最終的には踊り止んだ明夜星カイトはちょこりと小首を傾げた。
自分だとて相当なブラコンではあるが、より以上に末期的にどのつくどブラコンである名無星がくぽへ、ぺこんと頭を下げる。
「ぇえっと…いつもいつもの重ね重ねで、おとうとがたいへん気を揉ましましまして………本日もたいへん申し訳ございません………」