「疲れてんだな」
へきるはきっぱりとつぶやき、軽く肩を揉んだ。
日がな一日パソコンに向かって、にやにやしているのだ。
目も霞むし、肩も凝る。
100%ビーフハンバーグ:30%豚挽き増量中-05-
そのうえがくぽは、カイトといるとずっと暴走しっぱなしだ。母親がいようと父親がいようと、――外であろうと。
おとといはホームセンターで、五個ワンセットの箱ティッシュをダース買いした。ついでに、ロイド用通販サイトで、鼻血用の血のりもダース買いした。
母親は外国製の強力洗剤を買った。ある意味理解があるうえ、協力的だ。鼻血を止めろと強要はしないのだから。
そして父親は、家にいる時間はずっと、がくぽとゲームをしていてくれる。暇にしておくと、カイトを構って悲劇だからだ。
こちらもこちらで理解があって、協力的だ。世の父親は、こうまで子育てに積極的ではない。少なくとも、日本においては。
変態オタクで救いようもないが、いい親には恵まれた。
それでも、疲れはする。
ため息をつくへきるに、カイトはちょこりと首を傾げた。
「お疲れなら、マッサージしましょうか?」
「どこを?!!」
亜光速で訊き返し、へきるはまた、自分の頬を張り飛ばした。
男にする質問ではない。
それ以前に、女性にする質問でもないが。たかが『マッサージ』の一言で、思考が飛躍し過ぎなのだ。
いくら変態でオタクで、常々妄想と電波に思考を乗っ取られているとはいえ、最近のこの――カイトに対する思考の傾向は、あからさまにがくぽに引きずられている。
「落ち着け俺。落ち着くんだ俺。男相手に童貞喪失するくらいなら生涯童貞のほうがましだ。生涯童貞………………………しょ……っっ」
「ま、ますたぁああ?!」
自分で唱えた呪文に激しいダメージを受けて、へきるは布団に沈んだ。
比べるものが極端過ぎた。生涯童貞は、いくらなんでも重い。
「だ………っ」
「ぅくぅく、マスタぁ」
「だいまほうつかいに、なれる、かな………っ。いやむしろ、賢者クラス…………っっ」
「ひ、ぅ、うええっ」
カイトがしゃくり上げる。
へきるは深いため息をついた。
いみじくもがくぽが言っていた通り、泣いているカイトはかわいい。
そんなことを認めるのはもはや、魂が乾涸びているが、かわいい。
だからといって、頻繁に泣かせているようではマスター失格だし、カイトの精神衛生にも良くない。どうせ啼かせるなら、
「だからそれがダメなんだっつうのっっ!!」
「ひぐっっ」
叫んで、へきるは布団に頭を叩きつける。痛くはないが、何度もくり返すと目が回って、気持ち悪い。
「ぅおえ」
「まひゅらぁああ………っ」
とうとう呂律が回らなくなったカイトが、しゃくり上げながら、布団に伸びたへきるの頭を撫でる。丁寧に持ち上げると、自分の膝の上に乗せた。
「ひぃざまくるぁあああああああ!!」
「ひぎっ?!!」
イっちゃった目で叫び、へきるは跳ね起きた。
がくぽ云々の問題だけではない気がしてきた。
カイトの言動ひとつひとつが、罠だ。少なくとも変態オタク歴=年齢=彼女いない歴の人間には、あまりにも刺激的過ぎる。
カイトはどこからどう見ても男だが、おっとりしていてやさしい――ポイントは、ここだ。
『おっとりしていてやさしい』
変態オタクであるために、慢性的に人生にやさしさが不足しているへきるにとっては、身に沁みすぎる。
この際男だっていいじゃない、だってやさしいんだもの。だ。
「か、カイト………っ」
心理的に満身創痍状態で、へきるはカイトに正対して座ると、肩に手を置いた。
「やさしいの禁止」
「ええ?……………ええええええ?!!」
カイトとしては、特にやさしくしていたつもりはない。そんなものを禁止されたところで、どうしたらいいかわからない。
やさしくしてはだめということは、マスター相手に暴力的に振る舞えと?
ロイドのプログラムの性質上、果てしなく無理だ。がくぽはよく、へきるの頭を平手で払っているが、せいぜいあんな程度だ。
「ぅ、ぅくぅく」
「カイト……」
小さくしゃくり上げるカイトに、へきるも辛そうに眉をひそめた。
「ツライ気持ちはわかるが、堪えてくれ。おまえはもっと、自分を大切にすることを覚えろ。いいかカイト、いくらロイドだって言っても、おまえはかけがえのない存在なんだぞ。そんなに容易く、身を売ったらだめだ」
まだ身は売っていない。勝手に買われそうになっているだけだ。
カイトはうるうるに潤んだ瞳で、『いのちをだいじに』を真剣に説くへきるを見つめた。
言っていることが『まったくわからない』のだが、マスターが自分のことを心配してくれているのは、『なんとなく』わかる。
ごく頻繁にイカレているとしか思えない言動を取るマスターだが、カイトのことを大事にしていてくれるのは確かだろう。
言いだすことが突拍子もないのはもうこの際、仕様だと考えて。
がくぽだとて、再三再四言っていた。
救いようもなくどこまでも変態オタクの泥沼地獄だが、うたわせる腕は確かで、掛ける熱意も申し分ないと。
試しに、と言われて何度か合わせてみたがくぽの声は、確かにきれいだった。
なによりも、がくぽは全身で楽しんで、生き生きとうたっていた。
うたうことが悦び=ボーカロイドだ。
それでもマスター如何によっては、うたうことが嫌いになることもある。
けれどがくぽは、見ているこちらも引きずられるほどに、のびのびと楽しそうにうたっていた。
医者が匙を投げつけ、見捨てて逃げ出すほどにマスターが重度の変態オタクでも(註:がくぽ談)、それがすべてでいいと思う。
「いいか、カイト。自棄を起こしちゃダメだ。確かに初めはツライから、逃げ出して安易な道に走りたくなるもんだよ。でもそこでほんの少しだけ。ほんの少しだけ、踏みとどまれば」
熱を込めて語るへきるは、力強く頷いた。
「どんなツンデレキャラも、必ずオチるから」
「……………………………ぅきゅ」
ちょっとうっかり、考え事をしている間に、話が本格的に理解不能になっていた。
目点のカイトに構うことなく、へきるは拳を握って力説する。
「キャラコンプのためには、どんなに嫌いなツンデレだって、避けては通れないだろ?今時ツンデレキャラがいないゲームなんて、絶対存在しないし。でもだからっていって、コンプを諦めて放り出すとか、そもそもゲームをしないとかって自棄を起こしたらダメなんだよ。コンプによって出現する隠しキャラとか」
「あ、あのあの、マスター!」
「ん?」
「な、なんの話でしょう?!」
慌てて訊いたカイトに、熱弁を振るっていたへきるは、固まった。
いたたまれない沈黙が、しばらく続き。
「…………………………なんの、話………だっけ……………?」
「ふぇえ」
不審そうに訊き返されて、カイトは泣きべそを掻いた。
「いやいやいや、待てまてカイト。そう結論を急ぐな。俺はつまり………そう、ええと、つまり――」
泣きべそを掻くカイトをあやしながら、へきるは懸命に話の端緒を探る。
そう、そもそもは『いのちをだいじに』という話だった。
どうしてそんな話になったのかといえば、つまり。
「カイトあのな、やっぱり、結論を急ぐな」
「えっと………」
唐突に始まった話に、カイトは瞳を潤ませてへきるを見る。
小動物を思わせるつぶらな瞳に、へきるは手を伸ばし、カイトの頭をよしよしと撫でてやった。
「がっくんのこと、嫌わないでやってくれるのはうれしいんだ。カイトにとってはイっちゃってて、飛んじゃってて怖いひとでも、俺にとってはやっぱり、弟っていうかさ。大事なんだよ、がっくんのこと。だから、嫌わないでくれるのは、うれしいんだ」
「ふにゅ」
いいこいいこと撫でられて、カイトはねこのように瞳を細める。
無防備な表情に、へきるは小さく苦笑いした。
「でもな、だからっていっていきなり、『好きだからどうなってもいい』までぶっ飛ぶのは、ちょっと…………さすがに、急ぎ過ぎ。そうでなくても、今の様子なんか見てると、どう考えても、『好き』っていうより、『怖い』が暴走してるし」
「っそんなことっ」
細めていた瞳を見開くカイトを、へきるはますます、乱暴なくらいに荒っぽく撫でた。
「カイトのこと、そこまで追い込んじゃったのは、俺たちだよな。うん、がっくんだけでなく、俺も反省する。だからさ――だから、もうちょっと、あとちょっとだけ、時間をくれよ。カイトはツライだろうけど」
「つらくなんかないです!!俺、だって、ほんとに…!」
「うん」
必死な色を浮かべて縋りついてくるカイトをやさしく見つめて、へきるは頷く。
「健気に尽くされると萌えるよな」
「はぃ?」
「萌えるっつーか、むしろもう、燃えるよな」
「ま、マスター?」
話題について行けないカイトに構わず、へきるは深く頷いて拳を握った。
「やっぱツンデレより、デレデレだよな。そんでびっちだったら言うことはない。健気なデレデレびっちがご奉仕」
「ま………?!」
「そうか、つまりメイド!だからメイドなんだな………!!」
へきるはなにか、悟り的なものを開いたらしい。
こういう場合、がくぽだと適当にツッコむことで軌道修正が図れるのだが、カイトはまだ、マスター相手にツッコむことが出来なかった。
ただ、目を白黒させてへきるを見る。
悟り的ななにかを開いたへきるは、力強く拳を握って立ち上がった。
「次の衣装はメイド服!王道萌えで行こう!!」
「…………っマスター!」
もしかしてその『次の衣装』とは、今日の撮影に続く、自分の?
引きつるカイトに構わず、へきるは確信を持って頷きながら、部屋から飛び出して行く。母親に新しい衣装を依頼しに行くのだ。
しかし扉を閉める直前でひょいと顔だけ戻し、おろおろしているカイトを見た。
「早まっちゃダメだぞ、カイト。恋ってもっとこう、甘酸っぱいもんだ。恐怖とは違うからな。恐怖のドキドキと、ときめきをカン違いしちゃダメだ。俺といるのがいくら窮屈でも、もうちょっとだけ、な」
「マスター!」
だから、マスターといるのが窮屈なわけではないと。
カイトの言葉を聞くことはなく、へきるは行ってしまう。
閉まった扉を悲しげに見つめ、カイトは自分の胸に手をやった。
違うのだろうか。
がくぽのことを考えると、騒ぐこの想いは。
締めつけられるように苦しくなって、思考が乱れて。
だって、杉崎家蔵書の少女マンガで読んで得た知識によれば、これは間違いなく。
「…………………ちがう、の、かな…………」
つぶやいて、瞳を閉じる。
「なにが、ちがうんだろう………………」
起動して、一週間。
カイトが得た情報は少なく、偏りが激しい。想像の翼もまだ、生え揃わない。
けれど、確信はある。
「きれいだろぉな、メイドのがくぽさん…………」
『おかあさま』の作る服の傾向も、それを着こなすがくぽにも、なにも疑問はない。
間違いなく杉崎家カラーに染まりながら、カイトは膝を抱えた。
「…………………ぎゅって、してほしー………な」
つぶやきは小さく、自分にすら、届かない。