「疲れてんだな」

へきるはきっぱりとつぶやき、軽く肩を揉んだ。

日がな一日パソコンに向かって、にやにやしているのだ。

目も霞むし、肩も凝る。

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そのうえがくぽは、カイトといるとずっと暴走しっぱなしだ。母親がいようと父親がいようと、――外であろうと。

おとといはホームセンターで、五個ワンセットの箱ティッシュをダース買いした。ついでに、ロイド用通販サイトで、鼻血用の血のりもダース買いした。

母親は外国製の強力洗剤を買った。ある意味理解があるうえ、協力的だ。鼻血を止めろと強要はしないのだから。

そして父親は、家にいる時間はずっと、がくぽとゲームをしていてくれる。暇にしておくと、カイトを構って悲劇だからだ。

こちらもこちらで理解があって、協力的だ。世の父親は、こうまで子育てに積極的ではない。少なくとも、日本においては。

変態オタクで救いようもないが、いい親には恵まれた。

それでも、疲れはする。

ため息をつくへきるに、カイトはちょこりと首を傾げた。

「お疲れなら、マッサージしましょうか?」

どこを?!!」

亜光速で訊き返し、へきるはまた、自分の頬を張り飛ばした。

男にする質問ではない。

それ以前に、女性にする質問でもないが。たかが『マッサージ』の一言で、思考が飛躍し過ぎなのだ。

いくら変態でオタクで、常々妄想と電波に思考を乗っ取られているとはいえ、最近のこの――カイトに対する思考の傾向は、あからさまにがくぽに引きずられている。

「落ち着け俺。落ち着くんだ俺。男相手に童貞喪失するくらいなら生涯童貞のほうがましだ。生涯童貞………………………しょ……っっ」

「ま、ますたぁああ?!」

自分で唱えた呪文に激しいダメージを受けて、へきるは布団に沈んだ。

比べるものが極端過ぎた。生涯童貞は、いくらなんでも重い。

「だ………っ」

「ぅくぅく、マスタぁ」

「だいまほうつかいに、なれる、かな………っ。いやむしろ、賢者クラス…………っっ」

「ひ、ぅ、うええっ」

カイトがしゃくり上げる。

へきるは深いため息をついた。

いみじくもがくぽが言っていた通り、泣いているカイトはかわいい。

そんなことを認めるのはもはや、魂が乾涸びているが、かわいい。

だからといって、頻繁に泣かせているようではマスター失格だし、カイトの精神衛生にも良くない。どうせかせるなら、

「だからそれがダメなんだっつうのっっ!!」

「ひぐっっ」

叫んで、へきるは布団に頭を叩きつける。痛くはないが、何度もくり返すと目が回って、気持ち悪い。

「ぅおえ」

「まひゅらぁああ………っ」

とうとう呂律が回らなくなったカイトが、しゃくり上げながら、布団に伸びたへきるの頭を撫でる。丁寧に持ち上げると、自分の膝の上に乗せた。

「ひぃざまくるぁあああああああ!!」

「ひぎっ?!!」

イっちゃった目で叫び、へきるは跳ね起きた。

がくぽ云々の問題だけではない気がしてきた。

カイトの言動ひとつひとつが、罠だ。少なくとも変態オタク歴=年齢=彼女いない歴の人間には、あまりにも刺激的過ぎる。

カイトはどこからどう見ても男だが、おっとりしていてやさしい――ポイントは、ここだ。

『おっとりしていてやさしい』

変態オタクであるために、慢性的に人生にやさしさが不足しているへきるにとっては、身に沁みすぎる。

この際男だっていいじゃない、だってやさしいんだもの。だ。

「か、カイト………っ」

心理的に満身創痍状態で、へきるはカイトに正対して座ると、肩に手を置いた。

「やさしいの禁止」

「ええ……………ええええええ?!!」

カイトとしては、特にやさしくしていたつもりはない。そんなものを禁止されたところで、どうしたらいいかわからない。

やさしくしてはだめということは、マスター相手に暴力的に振る舞えと?

ロイドのプログラムの性質上、果てしなく無理だ。がくぽはよく、へきるの頭を平手で払っているが、せいぜいあんな程度だ。

「ぅ、ぅくぅく」

「カイト……」

小さくしゃくり上げるカイトに、へきるも辛そうに眉をひそめた。

「ツライ気持ちはわかるが、堪えてくれ。おまえはもっと、自分を大切にすることを覚えろ。いいかカイト、いくらロイドだって言っても、おまえはかけがえのない存在なんだぞ。そんなに容易く、身を売ったらだめだ」

まだ身は売っていない。勝手に買われそうになっているだけだ。

カイトはうるうるに潤んだ瞳で、『いのちをだいじに』を真剣に説くへきるを見つめた。

言っていることが『まったくわからない』のだが、マスターが自分のことを心配してくれているのは、『なんとなく』わかる。

ごく頻繁にイカレているとしか思えない言動を取るマスターだが、カイトのことを大事にしていてくれるのは確かだろう。

言いだすことが突拍子もないのはもうこの際、仕様だと考えて。

がくぽだとて、再三再四言っていた。

救いようもなくどこまでも変態オタクの泥沼地獄だが、うたわせる腕は確かで、掛ける熱意も申し分ないと。

試しに、と言われて何度か合わせてみたがくぽの声は、確かにきれいだった。

なによりも、がくぽは全身で楽しんで、生き生きとうたっていた。

うたうことが悦び=ボーカロイドだ。

それでもマスター如何によっては、うたうことが嫌いになることもある。

けれどがくぽは、見ているこちらも引きずられるほどに、のびのびと楽しそうにうたっていた。

医者が匙を投げつけ、見捨てて逃げ出すほどにマスターが重度の変態オタクでも(註:がくぽ談)、それがすべてでいいと思う。

「いいか、カイト。自棄を起こしちゃダメだ。確かに初めはツライから、逃げ出して安易な道に走りたくなるもんだよ。でもそこでほんの少しだけ。ほんの少しだけ、踏みとどまれば」

熱を込めて語るへきるは、力強く頷いた。

「どんなツンデレキャラも、必ずオチるから」

「……………………………ぅきゅ」

ちょっとうっかり、考え事をしている間に、話が本格的に理解不能になっていた。

目点のカイトに構うことなく、へきるは拳を握って力説する。

「キャラコンプのためには、どんなに嫌いなツンデレだって、避けては通れないだろ今時ツンデレキャラがいないゲームなんて、絶対存在しないし。でもだからっていって、コンプを諦めて放り出すとか、そもそもゲームをしないとかって自棄を起こしたらダメなんだよ。コンプによって出現する隠しキャラとか」

「あ、あのあの、マスター!」

「ん?」

「な、なんの話でしょう?!」

慌てて訊いたカイトに、熱弁を振るっていたへきるは、固まった。

いたたまれない沈黙が、しばらく続き。

「…………………………なんの、話………だっけ……………?」

「ふぇえ」

不審そうに訊き返されて、カイトは泣きべそを掻いた。

「いやいやいや、待てまてカイト。そう結論を急ぐな。俺はつまり………そう、ええと、つまり――」

泣きべそを掻くカイトをあやしながら、へきるは懸命に話の端緒を探る。

そう、そもそもは『いのちをだいじに』という話だった。

どうしてそんな話になったのかといえば、つまり。

「カイトあのな、やっぱり、結論を急ぐな」

「えっと………」

唐突に始まった話に、カイトは瞳を潤ませてへきるを見る。

小動物を思わせるつぶらな瞳に、へきるは手を伸ばし、カイトの頭をよしよしと撫でてやった。

「がっくんのこと、嫌わないでやってくれるのはうれしいんだ。カイトにとってはイっちゃってて、飛んじゃってて怖いひとでも、俺にとってはやっぱり、弟っていうかさ。大事なんだよ、がっくんのこと。だから、嫌わないでくれるのは、うれしいんだ」

「ふにゅ」

いいこいいこと撫でられて、カイトはねこのように瞳を細める。

無防備な表情に、へきるは小さく苦笑いした。

「でもな、だからっていっていきなり、『好きだからどうなってもいい』までぶっ飛ぶのは、ちょっと…………さすがに、急ぎ過ぎ。そうでなくても、今の様子なんか見てると、どう考えても、『好き』っていうより、『怖い』が暴走してるし」

「っそんなことっ」

細めていた瞳を見開くカイトを、へきるはますます、乱暴なくらいに荒っぽく撫でた。

「カイトのこと、そこまで追い込んじゃったのは、俺たちだよな。うん、がっくんだけでなく、俺も反省する。だからさ――だから、もうちょっと、あとちょっとだけ、時間をくれよ。カイトはツライだろうけど」

「つらくなんかないです!!俺、だって、ほんとに…!」

「うん」

必死な色を浮かべて縋りついてくるカイトをやさしく見つめて、へきるは頷く。

「健気に尽くされると萌えるよな」

「はぃ?」

「萌えるっつーか、むしろもう、燃えるよな」

「ま、マスター?」

話題について行けないカイトに構わず、へきるは深く頷いて拳を握った。

「やっぱツンデレより、デレデレだよな。そんでびっちだったら言うことはない。健気なデレデレびっちがご奉仕」

「ま………?!」

「そうか、つまりメイドだからメイドなんだな………!!」

へきるはなにか、悟り的なものを開いたらしい。

こういう場合、がくぽだと適当にツッコむことで軌道修正が図れるのだが、カイトはまだ、マスター相手にツッコむことが出来なかった。

ただ、目を白黒させてへきるを見る。

悟り的ななにかを開いたへきるは、力強く拳を握って立ち上がった。

「次の衣装はメイド服王道萌えで行こう!!」

「…………っマスター!」

もしかしてその『次の衣装』とは、今日の撮影に続く、自分の?

引きつるカイトに構わず、へきるは確信を持って頷きながら、部屋から飛び出して行く。母親に新しい衣装を依頼しに行くのだ。

しかし扉を閉める直前でひょいと顔だけ戻し、おろおろしているカイトを見た。

「早まっちゃダメだぞ、カイト。恋ってもっとこう、甘酸っぱいもんだ。恐怖とは違うからな。恐怖のドキドキと、ときめきをカン違いしちゃダメだ。俺といるのがいくら窮屈でも、もうちょっとだけ、な」

「マスター!」

だから、マスターといるのが窮屈なわけではないと。

カイトの言葉を聞くことはなく、へきるは行ってしまう。

閉まった扉を悲しげに見つめ、カイトは自分の胸に手をやった。

違うのだろうか。

がくぽのことを考えると、騒ぐこの想いは。

締めつけられるように苦しくなって、思考が乱れて。

だって、杉崎家蔵書の少女マンガで読んで得た知識によれば、これは間違いなく。

「…………………ちがう、の、かな…………」

つぶやいて、瞳を閉じる。

「なにが、ちがうんだろう………………」

起動して、一週間。

カイトが得た情報は少なく、偏りが激しい。想像の翼もまだ、生え揃わない。

けれど、確信はある。

「きれいだろぉな、メイドのがくぽさん…………」

『おかあさま』の作る服の傾向も、それを着こなすがくぽにも、なにも疑問はない。

間違いなく杉崎家カラーに染まりながら、カイトは膝を抱えた。

「…………………ぎゅって、してほしー………な」

つぶやきは小さく、自分にすら、届かない。