――というカイトに残り数日でエイプリルフールとはなんぞやを教え、押しつけた役目がなんであるかも解き、来てしまった4月1日である。本年本日のウソツキ当番を任じられた、カイトである。

ところでエイプリルフールとは、なにがなんでもどうしても嘘をつかなければいけない日ではない。

もちろん、当番制を敷いてまで参加しなければいけない行事でもない。

愚者の誠実-後編-

――という、まっとうな概念が欠片も存在しない、一族代々からのオタクである杉崎家であり、へきるであり、そしてがくぽであり、カイトだった。

というわけで。

「あ、あの、あのあの、あの、マスターっ………おれ、ウソついても、いいですか?

勢いで乗りきろうとしたところを挫かれたカイトが、割り入って勢いを台無しにしたへきるにおずおずとお伺いを立てる。

「えっ、あっ、うんっ?!ごめんな、カイトどうぞどうぞ、ウソついてついて!!」

難しくも重要な任務に極限の緊張状態のカイトは、ここ数日間、ずっとぷるぷるのうさぎさん状態だ。追い詰められたねずみさんだ。かわいそうだ。とっととお役目を終わらせて、解放してあげたい。

しかしそもそもそこまでして参加するような、そうやって参加する行事であったろうかという基幹の問題が未だ、顧みられることなくあるのだが、だから顧みられないのだ。

諸々カイトに対しての負い目感が強いへきるは、基幹の問題は顧みないまま、中断してしまったことだけをぺこぺこ謝り、引き下がった。

実のところへきるは、自分が割りこんだ当初の目的も忘れている。が、忘れているのでやはり、どうしようもない。

一方カイトは、んっくんと咽喉を鳴らし、改めてがくぽに向かって立った。

「が、……」

出そうとした声が、緊張に掠れて潰れた。

きゅっと拳を握りしめたカイトはもう一度、んっくんと咽喉を鳴らして解し、床を踏みしめ立つ足に力を入れる。腰を落とすと、腹に力を溜めた。

「っがくぽっさぁあんっ!!」

殊更に大きな声を出すことで、怯える己を鞭打つと同時に、気合いを入れる。

最愛の恋人をきっとして見つめると、カイトはびしいっと人差し指を突きつけた。

「おれのっ、ウソっ見抜いてみろですぅうっ!!」

「まさかの初めっからやり直し?!」

一度は引っ込んだへきるだが、驚きを堪えきれずに叫んだ。

しかし諸々いっぱいいっぱいのカイトが再び挫かれるより先に、対峙するがくぽがにったり笑って、かもーんと挑発的に指招く。だから貴婦人だ、見た形は。貴婦人なのだが。

「善し、カイトどーーーーーーんと来るが良いっ!!」

「いやだからそれそうだったそれそれ!」

先に割り入った目的を思い出したへきるが、懲りずに叫んだ。

「なんか違わない?!ノリと方向性、それで合ってる?!」

4月1日である。エイプリルフール、もしくは愚者の日、詐欺師の聖日である。

とりあえず言えることがあるなら、『嘘』というものはそもそも、相手に真っ向から『騙す』と宣言してやるものではないということだ。

しかしカイトで、そしてカイトだ。

「っ、っっ、っっっ!!」

「しかもあんだけ勢いあったのに、そっこー詰まった?!ってかカイト、用意してたよな、ネタ?!」

顔を真っ赤にしてむふむふ鼻を鳴らし、悪戯にくちびるを喘がせるだけのカイトに、へきるが目を剥く。

がくぽは『主催』側に立ってはいけないから、今日、カイトがつく嘘は、カイトが自分で考えたものだ。へきるやへきるの両親などにヒントやアドヴァイスこそもらったが、最終的にはカイトが――

あやふやではなくきちんと一字一句まで考えて用意し、戦闘服も着用した。

くり返すが、ちょっと動くと簡単におぱんつが見えてしまうミニスカートが日常着化しつつある今日この頃、デフォルト服、長ズボンなスラックスはカイトにとって、戦闘服と同義である。なにしろどう動いても、おぱんつが見えない。

とにかくそうやって、準備万端、臨んだ今このとき――

の、はずなのだが、カイトは喘ぐばかりで言葉が言葉にならない。だからといって、極度の緊張からネタが飛んだわけではない。

『言えない』のだ。

心理的抵抗を、計算に入れていなかった――

「まあ、そこがカイトの良いところで、なにより愛いところぢゃ」

がくぽはぬる甘い採点を、相応しくやさしい顔つきでつぶやいた。へきる相手であれば容赦なくこき下ろしていただろうが、がくぽはカイトにだけは甘い。

が、すべてにおいてそうかというと、微妙なところだ。

もともとが嗜虐傾向なうえ、お子さま思考だからだ。配慮が不足することは否めない。ちなみに体は大人だ。これをして最悪という。

やさしく微笑んだまま、がくぽはサイドテーブルに手を伸ばし、紙製のカップを取った。もちろん空のカップではない。中身がある。

そもそも冷えたロイドの指すら冷やすそれを掲げて軽く振り、がくぽは詰まって進めなくなっているカイトを容赦なく追い立てた。

「ぢゃがの、カイト早うがんばらぬと、景品のアイスが溶けるみるくせーきぢゃの、そうなると。そうでなくとも、マスターの茶々で遅れておるし……うむ。大分、やわこいのう」

「俺っ?!てか、けぇひんんんっ?!」

「っっっ!!」

突然、思いもかけない責任の一端を負わされたへきるも叫んだが、それ以上に絶叫したのはカイトだった。いや、心理的にも表情的にも絶叫ではあったのだが、衝撃のあまり、声はむしろ出なかった。

蒼白となって見開く瞳に、がくぽがつまんだアイスカップが映る。

がくぽはカップをぶにぶにと押して弄ぶ。大した力を入れているようではないのに、カップは押されるまま、ぶにぶにと歪む。

中身はアイスだ。アイスとは、漢字で氷菓と書く。氷の菓子、凍った、硬いお菓子だ。ちょっとつまんだ程度で、ぶにぶに歪んだりしない。

しかし氷の菓子なので、温度変化により――

「ぁっ、あ……っ!」

カイトは暗闇に堕ちていく心地で、普段なら完璧に放り出している計算を亜光速で展開した。

冷凍庫から出した時間から今の時間までを秒数単位で割り出す。アイスの温度と室温の比較、割り出した時間経過から算出される、今のアイスの硬度――

「あっ………っっ!」

ぅるるっと、カイトの瞳が完全に涙滴を盛り上げた。視界は歪んで、がくぽが掲げるアイスのパッケージも見えない。

ぎゅっと目を瞑ると、涙滴が押し出されて頬を濡らした。閉ざされた視界に、記憶に残るアイスのパッケージが――がくぽの爪先まで美しい指にぶにぶに押されて無残に歪むそれだけが、鮮明に浮かぶ。

カイトは魂を振り絞り、絶叫した。

「あ、アイスなんてっアイスなんて、べつにキライだから、とけたっていいんですぅううーーーっっがくぽさんのこと、キライっていうくらいなら、アイスなんかいりませんもんんんんーーーーーっっ」

「なにぃっ?!カイトがアイスっ……っ!!」

床に頽れ、びやぁああと号泣するカイトを見つめ、へきるはその場に固まっていた。あまりの衝撃に、慰めに行くことも思い浮かばない。

『アイス好き』を通り越した『アイス狂』が、カイト――KAITOシリーズだ。間違っても『嫌い』だなどと言う日が来るとは、思っていなかった。

それこそ嘘でも、ウソツキの日の余興であってもそれはないと思っていたら、用意していた嘘を捨てても――

「アイスより、がっくん……だ………と…………?!これがっ、愛っ、………なのか……?!」

「ふっ」

ざわつき項垂れる、年齢=彼女いない歴=童貞年数のへきるを、がくぽは余裕綽々、笑い飛ばした。

ぶにぶに弄んでいた、溶けかけのアイスカップをサイドテーブルに戻すと、がっと拳を握る。

「愛ぃっっ!!」

――勝利の雄叫びである。その鼻から、ぼろっと赤いものがこぼれだした。興奮の鼻血である。

がくぽはティッシュを鷲掴みすると、形の良い鼻へ適当に突っ込んだ。

最低限の被害を抑える手立てを打ったうえで、かわいそうに号泣するかわいいかわいい恋人を、半ば飛びかかるようにして抱きしめる。

「よしよし、カイトさあ、いい子ぢゃの……」

「びぁあああんっ、がくっ、がくぽさぁ………っあいすぅぇえええええっ!!」

いつもだと、詰め物をしていても鼻血を吹くがくぽには怯えるカイトだが、今はそれどころではなかった。なにしろ、がくぽと天秤にかけたうえで、大好きなアイスを切り離したばかりだ。

せめてもがくぽは『掴んで』おかないと、さすがに崩壊する。ナニがとは明言しないが、いくらカイトでも、さすがに崩壊する――

その後。

傷心のカイトが全力で甘やかされ、慰められたことは、言うまでもない。

カイトは『大好きながくぽさん』のお膝の上でたっぷりのキスを与えられ、新しく冷凍庫から出したばかりでかっちんこっちんに硬く凍ったアイスをたらふく食べ、腹と心を存分に満たされた。

心身が満たされる幸福感の中、がくぽに全霊を懸けて誑かされたカイトは、ついさっきの『悪夢』をきれいさっぱり忘れ去った。

いつものことである。

ちなみに、誰にも慰めてもらえないまま放置されたへきるだ。

クリアまでにあと30時間はかかるはずであったテレビゲームを、勢い余った挙句、その日のうちにクリアしてしまった。

なにごとも集中力の勝利という。方向性はどうあれ。