こんこんと、ドアがノックされました。

「マスターがくぽ……ああ。やっぱり、ここに……」

カイトです。

女さんのためのブリオッシュ

ヒメハナは、がくぽといっしょに、お母さんのお部屋にいました。

ここにいるのはヒメハナとがくぽだけで、いないのはカイトだけです。ドアがノックされたら、それはぜったいにカイトです。

そうじゃなくて、ヒメハナがいいたいのは、カイトのクセのことです。

ヒメハナの部屋ならドアを閉めますけど、お母さんとお父さんがいないのに二人の部屋に入るときは、ドアを開けておきます。

そうしなさいっていわれてはいませんけど、なんとなく、そうしているのです。

それで、もしもがくぽだったら、開いているドアはノックしません。『見ればわかるだろうが』と、いいます。

ヒメハナも、そうです。中にいるひとだって外のひとが見えるのですから、ノックしません。

でもカイトはぜったい、ノックします。

なんでときいたら、『なんででしょうねドアだからですか?』と、じぶんでも首をひねっていました。

「動くな、マスター!!」

「っっ!!」

ヒメハナはカイトを見つけると、どうしても飛びつきたくなります。

今日も思わず立ち上がって、お部屋に入ってきたカイトにかけよりそうになりました。

それをきびしく止めたのは、がくぽです。

ヒメハナはあわててしゃんと背中を伸ばして、目の前の鏡台をのぞきこみました。ヒメハナを見てから、鏡の中のがくぽを、おそるおそると見ます。

「………だめになっちゃった?」

「俺がそんな下手か。大丈夫だ」

「はぁあ………」

ほっとして、ヒメハナはふかぶかといすにしずみこみました。

目の前の鏡にうつるのは、ふつうの服に、かみの毛だけはお姫さまになった、ちょっぴりヘンなヒメハナです。

学校から帰ってきたヒメハナと、がくぽの今日のおあそびは、お姫さまごっこでした。

ヒメハナは女の子なので、お姫さまごっこは大好きです。でもお姫さまごっこが好きなのは、女の子だからという理由だけでは、ありません。

がくぽとやると、その日によってぜんぜんちがうお姫さまごっこになるので、とってもおもしろいのです。

ふつうに、ヒメハナがお姫さまになって、がくぽが王子さまだったことも、たぶん一回はありました。

でもがくぽがいちばん気に入っているのは、ヒメハナがムチを持ったお姫さまになって、がくぽはワルモノのドラゴンになるというものです。

ヒメハナがムチでワルドラゴンがくぽをたおすこともあるし、ヒメハナもワルイお姫さまになってムチを振り回して、ワルドラゴンがくぽといっしょに、セカイセーフクすることもあります。

あとはワルドラゴンがくぽから、聖なるお姫さまのヒメハナが、カイトを守るというゲームもよくやります。

他のゲームだと負けてくれるがくぽですけど、このゲームだけは、ヒメハナのことを本気で負かして、カイトを手に入れます。

そういうお姫さまごっこがいちばん多いですけど、ときどき、『お姫さまみたいになる』お姫さまごっこというのも、やります。

今日は、それでした。

がくぽは、お母さんの鏡台のまえにヒメハナを座らせると、かみの毛をお姫さまみたいにしばりはじめました。

何回かやったことがありますけど、ほんとうにお姫さまみたいな、すごい頭になります。

がくぽは男のひとです。ボーカロイドの場合、『男声型』というのだそうです。

よくわかりませんが、とにかく、男のひとです。

なのに、とってもきれいにかみの毛をしばれるんです。

しかも、ほかのひとのかみの毛だけじゃなくて、じぶんのかみの毛もできるのです。

「お姫さまごっこですか、マスターここまで凝った髪型にするなんて」

「ね、すごいわよねヒメハナ、ほんもののお姫さまみたい!」

「ですね、とってもかわいいです。………」

いってから、カイトの目が泳ぎました。そっぽを向いて、口を押さえます。肩がぷるぷると、ふるえていました。

ヒメハナはまだ鏡台に向かっているので、カイトに背中を向けています。でもこっそり笑っているカイトも、ぜんぶ鏡にうつっているので、ちゃんと見えます。

見えていますけど、カイトがこっそり笑っていても、ヒメハナはちゃんと理由がわかっているので、怒ったりしません。

笑うのをやめたカイトは、また鏡ごしに、ヒメハナのことを見ました。ちょこりと、首をかしげます。

「でもその髪型だと、お洋服が合いませんね。お洋服は、日本の普通の女の子ですから。どうせですから、ドレスを出してきましょうかこの間の、お母様のお土産とか」

「ああ、それはいいな」

うなずいたのは、がくぽです。

ヒメハナのお母さんは、『せいがくか』をしています。よくわかりませんが、世界中のいろんなところで、うたをうたうのがお仕事です。

それで、ステージ衣装といって、とってもハデなドレスをいっぱい持っているし、パーティに呼ばれることもあるそうで、やっぱりドレスをいっぱい持っています。

ヒメハナは日本で、ふつうの女の子の生活をしています。発表会のある習いごともしていないので、ドレスを着るのは、おたんじょう日会くらいです。

でも、がいこくから帰ってくるお母さんがいちばん持ってくるおみやげは、ドレスです。

もらった日は、一日それで過ごしますけど、あとは、ええと………そう、タンスノコバヤシです。

ヒメハナはどんどん大きくなるし、一回着ただけのドレスがいっぱいあるのは、とってももったいないです。

とはいっても、日本のふつうの女の子のヒメハナに、ドレスを着なくちゃいけない日なんて――

「あれだったら、今日の髪のデザインやカラーとも合っているしな。ふむ、珍しくもタカコがいい仕事をした」

タカコというのは、ヒメハナのお母さんの名前です。ヒメハナのお母さんの名前は『きわ』だったと思うのですけど、がくぽは『タカコ』と呼びます。

ヒメハナが、ヒメハナのことを、『ヒメハナ』って呼ぶみたいな感じだそうです。

たのしそうにうなずいたがくぽに、ヒメハナはちょっと首を曲げました。鏡ごしじゃなくて、じかにがくぽを見ます。

「じゃあ!」

「着替えたらいい。カイト」

「うん。用意する。…………けど」

うなずいたカイトですけど、かゆいけどかけないときみたいなヘンな顔で、がくぽを見ました。

「…………がくぽのサイズのドレスは、ないよ貴和って日本人としては大柄なほうだけど、さすがにそこまでじゃないし」

「んああ………まあ確かに、タカコのサイズは無理だな。後で電話したときに、俺用のドレスも土産にしろと言っておくか。ノリノリで、すごいものを買ってきそうだ、タカコなら」

「…………っ」

今度はヒメハナが口を押さえて、肩をぷるぷるさせる番でした。

そうなのです。

今はヒメハナのかみの毛をいじっているがくぽですけど、まずはじぶんのかみの毛をむすびました。

「お姫さまごっこだろうお姫さまと王子さまごっこでもなし、ならば俺も姫になるのが当然だろうが」

そういって、お姫さまの頭に。

でもおようふくは、いつもの着物です。

とっても………………とっても…………………………………とぉおっても、ヘンです!

ヘンなのに、すっごくすっごくすっごく、せかいいち、きれいです!!

せかいいちきれいだから、もっともっともぉおっっっと、ヘンです!!!

「…………カイト?」

「ぅん」

ヒメハナがぷるぷるしている間に、カイトがほんわりとほっぺたを赤くしてました。

ふしぎそうにがくぽに呼ばれて、こっくんとうなずきます。

「男なのにドレスってどうかと思うけど、がくぽだったらすっごくきれいだろうなって、思って………」

「……………」

「……………」

まっかになっていうカイトに、がくぽはきょとんと目を丸くしていました。

ヒメハナも、ドレス姿のがくぽを想像します…………………………………………想像できませんでした。

きょとんとしているヒメハナとがくぽを置いて、カイトはあわてたみたいにドレスを取りにいってしまいました。

カイトがもどってきたときには、ちょうどヒメハナの頭も終わっていました。そのうえがくぽは、おけしょうもしてくれたのです。

もう首から上は、ヒメハナはほんとうにお姫さまです。

「ほらいいぞ。行け、マスター」

「うんっありがとう、がくぽ!」

がくぽに背中をぽんとおされて、ヒメハナはいすから下りるとカイトの前に行きました。

ヒメハナはもう、ヒメハナひとりでおようふくを着られるし、ぬげます。

でも今日は、頭の形をこわさないようにしなければいけなくて、とってもむずかしかったので、ぬぐときからカイトに手伝ってもらいました。

ドレスはフクザツなおようふくでやっぱりむずかしいので、着るのもカイトに手伝ってもらいます。

「はい、マスター。立派なお姫さまですよ」

「うん、ありがとう、カイト!」

鏡を見るとほんとうに、お姫さまにしか見えないヒメハナがいました。

鏡の中では、カイトとがくぽがにこにこしているのも、見えます。がくぽの頭はまだ、お姫さまで――

「……………そういえば、カイトはがくぽ、カイトは?」

「ん?」

「え?」

ヒメハナはぱっとふりかえるとがくぽのそばに行って、着物をきゅっとつかみました。

「ヒメハナとがくぽは、とってもきれいにできたでしょうでも、カイトはカイトは、かみの毛みじかいから、できないヒメハナとがくぽと、おそろいはムリ仲間はずれなの?」

「…………」

「え、いや、その、マスター!」

あわてるカイトは、がくぽとちがうので、お姫さまの頭はいやかもしれません。

でも、女の子のヒメハナだけじゃなくて、カイトよりずっと大きながくぽでも、こんなにきれいになるんです。

カイトだったら、きっともっと――

見てみたいのですけど、カイトはかみの毛がみじかいのです。えりに届くか届かないかで、みつあみだってできません。

「お気遣いはありがたいですけど、俺はっええと、その、がくぽほどきれいでもないし、そんなっ!」

「カイトか」

カイトは大あわてでしたけど、がくぽはにんまりと笑いました。今日はお姫さまなのに、ワルドラゴンがくぽの笑い方です。

「ちょ、がくぽっ!」

「任せろ、マスター。さすがは将来のいい女候補、いい気遣い、そして応えるに足る信頼だ。なに、髪の毛の短さ程度、なにほどのこともない。俺が立派に、カイトを姫にしてやろう!」

「「がくぽぉおおっ!!!」」

ヒメハナとカイトの声がそろいました。ヒメハナは歓声で、カイトは悲鳴でしたけれど。

ヒメハナは、ちょっとワルイことをしたかもしれないと思いました。

でもがくぽはとってもゴキゲンで、あわてているカイトを抱き寄せて、耳に口を近づけます。にんまりにやにや、ワルドラゴンがくぽの笑い方で、です。

「逃げるなよ、カイト。俺が信じられないか誰が見てもうっとりする、世界一の美姫にしてやる」

「ううううううれしくないっ!!がくぽのことは信じてるけど、だからなおさらうれしくないぃいっっ!!」

「そうは言うが、カイト。おまえがそんなに嫌がったら、提案したマスターが気まずいだろう他愛ないお遊びだぞこの姿でパーティに出かけろと言うわけでもなし、俺たち身内が見るだけだ。なにをそうも、ムキになる?」

「あ……………」

「ぇえっと…………」

がくぽの声は、とってもまじめでした。声だけは。でも、顔はワルドラゴンがくぽです。

ヒメハナのことを見ていて、がくぽの顔を見ていないカイトには、それがわかりません。

たぶんここは、ヒメハナがマスターとして、ワルドラゴンになってしまったがくぽをたおして、カイトに、いやなことはしなくていいのよって、いうべきです。

いうべきですけど――

だって、がくぽがこんなにきれいになったんです。カイトだったらどれくらいきれいになるのか、ヒメハナは見てみたいです。

見てみたいけど、カイトがいやがることをお願いするのも、だめです。だめですけど、見たいのです。

ぐるぐるしてしまって、うまく言葉にならないヒメハナに、カイトの耳に口を寄せているがくぽは、にったりと笑いかけてきました。

ワルドラゴンです。とってもワルドラゴンです!

ヒメハナはワルドラゴンがくぽをたおして、カイトを守らないといけません――が。

がくぽとゲームをするとき、ヒメハナがカイトを守る役になることもあります。

でも、ワルドラゴンとワルお姫さまが協力して、カイトをワナにはめることも、あるのです…………。

「ぅ…………ん。えと、…………そーだよ、ね。遊び、だし………今日は、お客様の予定も、ないし…………」

じーっと見つめるヒメハナとがくぽに、とうとうカイトがそういいます。

ちょこんと首をかしげると、おそるおそるみたいな感じで、笑いました。

「ちょっとだけ、なら…………」

「よしマスター今だ!!」

「はいっっ!!」

「え?!!」

その瞬間、がくぽはワルドラゴンからグンソウになって、叫びました。ヒメハナも、お姫さまからサントウヘイになって、ばしっとケイレイします。

「さあカイト!」

「はいカイト!!」

「えっえっ?!えええっ?!!」

がくぽがカイトの腰を抱いて動かし、ヒメハナはカイトを座らせやすいように、いすを動かします。

目を丸くしているカイトは、ヒメハナとがくぽの動きが早すぎて、ついていけないみたいです。

ちゃんといすに座らせると、がくぽはすぐにクリームを取って、カイトの頭にぬり始めました。これでもうカンタンに、やめた、なんていえません。

わくわくしながら見ているヒメハナに、がくぽが腰をかがめて、ちょっと顔を寄せてきました。ひそひそ声で、いいます。

「マスター、タカコのクロゼットだ。入れるな?」

「えうん、もちろんよ?」

お母さんのクロゼットなら、カギもかかっていません。ただ、ドレスや宝石なんかがいっぱいあって、カイトでもおかたづけができない場所なので、あんまり入らないだけです。

きょとんとしたヒメハナに、がくぽはもっと顔を近づけて、聞こえるぎりぎりのひそひそ声でいいました。

「青いドレスだ。十月三日。わかるな?」

「…………」

ヒメハナは、目をぱちぱちさせました。

がくぽのいっていることが、わからないのではありません。十月三日にお母さんが着た、青いドレスを探せって、いっているんです。

どのドレスかもわかるし、クロゼットに行けば、きっと見つけられますけど………。

「マスターはまだ、小さいからな。大人のサイズなどわからんだろうが、他はともかく、アレならイケる」

「………!」

イケる、といって、がくぽはいすに座って固まっているカイトのかみの毛を、ちょんとひっぱりました。

つまり――

「行けるか、マスター」

「いえっさぁっ!!まかせてっ、がくぽっ!!」

「え、ちょ、マスター…………がくぽっ!!これ以上、なに悪巧みしてるのっ?!!ねえっ?!!」

お姫さまからサントウヘイになったヒメハナは、またびしっとケイレイして、お母さんの部屋を飛び出しました。

後ろでカイトが不安そうにさけんでいて、もしかしたら、ワルイコトかもしれないと、ちょっとだけ思いました。

でも。

「はっはっは、なにをそう怯えている、カイト遊びだ遊び。あ・そ・び。はっはっはっはっはっ」

「なにそれキャラ違うがくぽっ!!いやだその笑い!!絶対なんか誤魔化されてる俺ぇえええ!!!」

「はっはっはっはっは!」

がくぽはまだ、ワルドラゴンです。

そしてヒメハナもやっぱりまだ、ワルお姫さまなのです。

ヒメハナはカイトの悲鳴にこころの中でごめんなさいしながら、お母さんのクロゼットに飛び込んで、ドレス探しを始めました。