おかしのいえのおかしなふうふ-03-

「まったくもって、ろくなことを考えん。貴様というやつは、本当に手の掛かる嫁だ!」

「あー、はぁい。ごめんねー、がくぽー」

ぶつくさとこぼすがくぽに、返されるのは反省の色が見えない表面的な謝罪だ。

誠意の感じられない謝罪だが、カイトも今回はそれなりに反省していた。つまり、現状だ。

がくぽの部屋は畳敷きで、フローリングよりも水分を吸い込みやすい。なにかをこぼしたときの後始末が、面倒なのだ。

だからレジャーシートを敷いて予防したつもりだったが、あまり意味はなかった。思った以上に、『おやつ』が『盛り上がった』からだ。言葉の妙だ。

単にひらりと敷いただけで押さえもしていない、うすっぺらく軽いレジャーシートは、激しい動きに当然、撚れて捻じれ、捲れて乱れた。

事後ともなれば、惨状以外のなにものでもない。

そしてカイトはというと、その後始末がつけられなかった。掃除が苦手だとか、スキルがないわけではない。

体が動かないのだ。

――なにかしらのものがぷっつんキレたがくぽに、容赦も加減もなく攻められた結果、一時的に処理限界を超えた。いくつかの回路が危険回避のために遮断され、体が怠すぎて、自力ではほとんど動けない。

落ち着きさえすれば勝手に復旧するレベルなので、慌てもせずに放っておいてはあるものの――

そのカイトを、がくぽが抱いて運んで風呂に入れて全身隈なくきれいに洗い、タオルでしっかり水気を拭いてやり、がくぽが寝間着としている浴衣を羽織らせて、再び部屋へと運んでやった。

その後はやはりがくぽが一人で、洗っても再度使うには抵抗のあるレジャーシートをゴミ袋に突っこみ、巻き添えを食らっていた二人の服に関しても数秒の検討の結果、同じくゴミ袋行きとし、畳を拭いて云々。

ちんぴらに喩えられるのが、がくぽだ。その説教は大体、カイトには言いがかりか難癖としか、思えない。

思えないので、すっぱり聞き流すし、誠意もなく口先だけで謝る。

しかし今日に関して言えば、わりとがくぽに正当性があった。せめてフローリングの、カイトの部屋でやればよかったのだ。

なぜ外したかと言えば、床面積の問題だ。カイトの部屋の半分以上は、ベッドや机、棚に占められている。狭くはないが、そういう意味で『使える』床が少ない。

対して、がくぽは布団を毎日こまめに、上げ下ろしする。布団を収納する押入れに、ほとんどすべてのものが収まっていて、同じ広さでも使える床の面積が段違いに多い。

「畜生、だめだな………鼻についた。換気出来たかどうか、わからん」

一通り、なんとか汚れを取ったがくぽは鼻を蠢かせ、眉をひそめる。終わってすぐに窓を開け、部屋の換気をしたものの、どうにもクリームの甘い香りが鼻について、取れないらしい。

クリームよりもその後の、情事のにおいのほうが濃厚だと思われるが、嫌いというのはそういうことだ。

「んー♪」

「………悩ましい嫁が。少しは反省しろ、貴様」

「ぅん、ごめんねー♪」

――先にも言ったが、今回はカイトもそれなりに、反省している。それでも、謝罪の言葉には誠意がなく、ご機嫌にはなうたまでこぼす。

体が動かない。

専門的に言えば諸々あるが、カイトの感覚に直すなら、『とろけちゃって、うごかない』だ。しあわせなのだ。

こんな、動けなくなるほど気持ちよくされるなど、蕩けさせられるなど、幸福の極みだ。大好きな旦那さまに、それほど求められた。

頭に花が咲いて、ちょっとしたハイ状態になっている。

「………手の掛かる」

ぼそりとつぶやいて、がくぽは風呂に入るために解いて垂らした髪を掬った。鼻をつけて臭いを確かめ、眉をひそめる。

鼻についているとしか、思えない。そもそも人間の髪とは微妙に違って、たばこの移り香だの焼肉のにおいだの、気にしなければいけないような素材でもないというのに。

「……………」

眉をひそめたまま、がくぽは一度、瞼を下ろした。くちびるを引き結んでしばらく止まると、諦めをつけて瞼を開く。

開いてまず見えるのは、壁に凭れて座り、本人が思う以上に蕩けきって笑うカイトだ。ご機嫌で、たまにはなうたがこぼれる。

軽く羽織らせただけの浴衣は乱れて、情交の痕も色濃い肌を徒っぽく覗かせ、悩ましい。

どうなったところで、悩ましいことに変わりはない。

不機嫌に引き結ばれていたがくぽのくちびるは緩み、険しく尖っていた瞳もやわらかな色を宿した。

がくぽが恋に恋い焦がれてようやく得た新妻は、難点もある。いちばんは、夫の言っていることをすっぱり聞き流すことだ。まったく耳を貸さない。挙句、余計な手間を掛けさせる。

概ね言って難点どころではないが、がくぽはそこも含めてカイトを溺愛していた。いや、むしろ――

「さて。気を取り直して」

「ん♪」

言葉にすることで、さらに気持ちの転換を図り、がくぽは換気のために開けていた窓を閉じた。

未だに体の自由が戻らないらしいカイトの前に行くと、腰を下ろす。壁に凭れるカイトに顔を寄せると、ご機嫌に綻ぶくちびるにくちびるを重ねた。

ちゅっと軽い音を立てて離れ、戻って今度はもう少し深く、重ねる。

「ん、ん………ん、ぁ………っんんっ」

差し込んだ舌は、覚束なく応えるカイトの舌に絡まり、じゅるりと殊更に唾液を啜り上げていく。

「ぁ、ふ…………ん、がく、……」

事後にするには多少、濃厚に過ぎるキスに、懲りることなく感覚を煽られたカイトは恥じらって笑う。

不自由ながらももじもじとするカイトに、がくぽはにっこりと笑った。

「え、なに、こわ」

「ぁあ゛?」

びしりと固まった挙句、非常に素直な感想をこぼしたカイトに、がくぽは軽く引きつった。しかしいつもほど、凶悪さは覗かない。

凶悪さはないが、詐欺師的に胡散臭い。

反射かなにかで逃げようと身もがくカイトだが、体は基本、ほとんど動かない。がくぽは容赦なく捕まえると、壁に凭れてようやく座っていた体をころんと畳に転がした。

「がくぽ?」

伸し掛かってくる男と、そこから香る、間違いなく漲る雄のにおいと。

まさかと瞳を見開くカイトの首筋に、がくぽは鼻を埋めた。

「ん、ぁ、………っ、くすぐ、んんっ」

ぴすぴすと、犬のように鼻を蠢かせてから、がくぽは起き上がる。その表情は、満足を刷いていた。

「………えと、がく、ぽ………?」

「戻った。やれやれ、手間が掛かった。ようやくだ!」

「えと、………………」

状況がわからない。――というより、あまりわかりたくないカイトの前で、がくぽはあっさりと浴衣を脱いだ。なぜ脱ぐのか。

時間的に、きちんとした着物に着替えてもなにかしら、無駄感がある。どうせすぐにまた、寝間着として浴衣に着替える。そういう時間だ。

――思考を逸らしているが、本当はカイトにもわかっていた。

濃厚さを増す、雄のにおい。

そしてなにより、脱いで露わにされたがくぽの、下半身。

「がくぽ………」

「食い直しだ。俺もよくまあ、堪えて甘いものを食ったしな。まさか厭とは言わせんぞ」

「いやって、えと、いやって、………いうか」

逃げ場を探して視線を彷徨わせるカイトの肩に手を置いて押さえつけ、がくぽは間近から、揺らぐ瞳を見据えた。

一言ひとこと区切るように、はっきりと告げる。

「いいか。俺は、甘いものは、嫌いだ」

「……………」

揺らぐ瞳が揺らぎながら、揺らがないがくぽを映す。

事の初めから、がくぽを捕えて離さない、焦がれに焦がれた瞳だ。この瞳が、愛情に満ちて己を映すことを、欲を浮かべて自分を見つめることを、どれだけ望んだことか。

陶然と見惚れる心地で、しかししっかりと見据えて逸らすことなく、がくぽはさらにカイトに顔を近づけた。

「唯一の例外が、貴様だ、カイト。俺が飽き足らず食いたい、食らい続ける甘いものは、貴様だけだ。貴様以外要らん。貴様こそが嗜好で、至高品だ。わかったら四の五の言わず、趣向を凝らすことなく、貴様を食わせろ」

「……………」

揺らぐ瞳は、なにがどうなっても揺らいでいる。それはカイトの弱さを表すものではなく、迷いに起因するものでもない。

蕩ける甘さと、過分な愛情に溢れて――

瞳は、揺らぐ。

「ん」

「良し」

こくりと素直に頷いたカイトに偉そうに返し、がくぽは首筋に顔を埋めた。ひくりと跳ねても、常と比べれば反応は鈍い。

構うことなく浴衣を開き、カイトそのままの肌に触れ、嗅いで、味わい、がくぽは微笑んだ。

甘い。

甘いが、胸が悪くなることもなく、頭痛が兆すこともない。それどころかもっと寄越せと、まだ足らないと、貪欲さを増して求めたくなる。

加減は必要だ。

動けない相手を求めるようなことも、そうそうしたくはない。

だとしても――

「ね、がくぽ、がくぽ………あのね、体を、反すでしょで、口に突っこんでいいよ俺、旦那さまのおしゃぶり………」

「いいから黙って食われろ加減と容赦と憐れみ!!」

「えー……………?」

なにかの標語らしきものを叫ばれ、カイトは眉をひそめた。そうとはいえ、現状。

「でも、がくぽ………俺今、ほんとになんにも出来ないし」

その『なんにも出来ない』相手に迫るがくぽを責めることなく、カイトはなにかしらの罪悪感に駆られている顔で言う。

駆られるべき罪悪感は、他にあるはずだ。

うっそりと顔を上げたがくぽは、いつものちんぴら様となり、カイトをぎろりと睨んだ。

「当たり前のことを言うな。『おやつ』が食う相手に、なにかするものか」

「………」

転がっていればいいと。

放り出すように言うがくぽをまじまじと眺め、カイトはちょこりと首を傾げた。

「あのね、がくぽ、時間………もうすぐお夕飯だし、おやつはもう………」

「ぁあ゛?!」

堅気として、決してやってはいけない凄み方をするがくぽに、カイトはとろりと蕩けて笑った。ほわんと朱に染まって、不自由ながらわずかに足を開く。

「ちゃんとぜんぶ、食べてね………お夕飯になったからって、途中で止めて、行かないで………」

それこそ当然だということを言われて、がくぽは偉そうに頷こうとした。

しかしぱっと瞳を見開いたカイトは、さらにふわわんと朱に染まると、曝け出したまま隠せない下半身をもぞつかせる。

「あ、でも、でもね………?!ガマン、するのも………いんらんえっちな奥さんの、しつけなら………がんばる………っ」

語尾にハートマークが見えた。それも大量に。視覚異常だ。

「貴様の言語選択能力と俺の息子!!」

「ふやっ?!」

唐突に叫ばれて、カイトは目を丸くした。

微妙に涙目になったがくぽは、転がるカイトをきりきりぎりぎりと睨み下ろす。凶悪だが、そこに胃痛が垣間見える。言い換えて、心痛が。

加えてはっきり見えるのは、新妻同様にひとの話を聞かない、反省皆無にして萎えることのない、逞しいご子息だ。

いや、萎える以前にむしろ、逞しさを増した。

「躾けるなら、そちらが先だとりあえず貴様は、加減と容赦と憐れみと慈悲の言葉を胸に刻め!」

「え、ちょ、なんか増えてない増えていってない、がくぽ?!」

「やかましいいいから躾けられろ、大人しくそれが済んだら、淫乱で淫猥で卑猥な嫁だろうが、肉嫁だろうが、なんでも望むままに躾けてやるわ!」

「えー…………………」

自棄を起こしているがくぽに、カイトは面倒そうに瞳を眇める。ふいと視線が逸れたが、すぐにぱっと輝いた。

がなるがくぽが、それでもいやな予感を察知したのはもはや、なにかの特殊能力かスキルか、さもなければ愛情だ。

「なんでもなんでもって、なんでも、がくぽ?!そしたら、そしたらね、俺………」

とろとろふわふわに蕩けたカイトは、がくぽが止める隙もなく、『なんでも』のご要望を吐きこぼした。

結論として。

「いいから貴様はまず、加減と容赦と憐れみと慈悲と慈愛の言葉を胸に刻めしかしその前に責任を取って俺のばか息子を慰めろそして終わったら今度こそ、貴様のその歪みきった知識がどこで得たものか、すべてつまびらかにしてもらうからな!!事と次第によっては、淫乱嫁になる程度で済むと思うなよ?!」

「って言われても、がくぽ。俺もう、みっつ以上になったから、覚えらんないし……っぁっ、ふぁっ、きゃぅうんっ」

抗議には心の耳を塞ぎ、がくぽは大馬鹿息子の後始末と、溺愛の甲斐に溢れる悩ましい新妻の躾に取り掛かった。