リビングの床に正座した未那が、後ろから箱を取り出す。
中身を手に乗せると、ソファにふんぞり返って座っているメイコへと、そっと差し出した。
「メイコさん、これ………………」
「ふぅん?」
未那の手に乗っているのは、鮮やかな赤色のピンヒールだ。
偉そうに見下ろすメイコを、未那は潤んだ瞳で見つめた。
「これで踏んでください!!」
ふみ→ふみ↓
「……………………………………………………」
永遠に近い沈黙数秒。
「メイコさん………………!!」
「ふっ」
期待に満ちた瞳で見つめる己のマスター、被虐趣味を隠しもしない未那に、メイコは鼻先だけで笑った。
手を伸ばすとピンヒールを取り、素足に履く。
ぴったりだった。
それもそのはずで、メイコ狂が高じて、元々は兄のロイドであったメイコを奪い取った→譲り受けた未那だ。
メイコの体のサイズは、すべてミリ単位で把握している。
優美な線を描く足を、メイコはしげしげと眺めた。白い肌に、赤い色があまりに鮮やかに映える。
履き心地から言って、安物ではない。それなりの店で買われた、高級品だ。
その高級品を――
メイコは足を上げると、未那の頭へと振り下ろした。
「この変態がっっっっ!!」
「ぃぎゃっっっ!!」
容赦なく頭を踏まれ、床に激突した未那が悲鳴を上げる。
構わず、メイコはヒールで未那の頭をにじった。
「こんなことだけのために、こんなたっかいもの買ったりして!!あんたってほんっとにしょうがない子ね!」
「ぃぎひぎぃぎゃぎゃぎゃぎゃっぁああああんっ、ぃたいですぅうううう!!」
「この駄マスターが!!」
メイコは無表情で未那の頭をにじる。
未那の上げる声は、悲鳴を通り越して嬌声だ。
痛いはずなのだが、それがすべて快感に変わってしまう真性の変態さん、それが未那だ。
「たっだいまーって、っぎゃぁあああああ?!!」
ヘッドフォンをしたままだったために騒ぎを聞き漏らし、のうのうとリビングに入って来たカイトは、そこで展開されていたアレな光景に、身も世もない悲鳴を上げた。
メイコが顔を上げ、情けない悲鳴を上げるカイトを見る。
「あらカイト」
「あらカイトじゃないよめーちゃんめーちゃんめーちゃん!!なにしてんのなにやってんのなにやらかしてんの!!未那ちゃんからすぐに足をどけてぇえええええ!!!」
轟く絶叫に、メイコはかすかに眉をひそめた。
***
未那の部屋の床に、カイトと未那はわざわざ正座して相対した。
ちなみにメイコはリビングで、大事な習慣である昼ドラ鑑賞中だ。
「あのね、未那ちゃん………」
「はいです」
きりっとした顔のカイトに対し、未那は悄然と項垂れている。
カイトは未那の兄のロイドだ。元々はメイコもそうだったが、こちらは狂奔する妹を面白がった→憐れんだ兄によって、メイコも了承のもと、未那へと所有権が移った。
兄のロイドとはいえ、カイトは未那のことを実の妹のようにかわいがっていたし、未那のほうもカイトを、もうひとりの兄として慕っている。
ひとつ屋根の下に暮らす仲だ。
もちろん、隠す気ゼロの未那の性癖も、よくよくわかっているが。
「いくらなんでも、ロイドに『マスター』の頭を踏ませないでください」
「敬語ですか………………」
未那は悄然とつぶやく。
普段はフランクな話し方のカイトだ。それが敬語を使うのだから、余程だ。
「それもわざわざ頭を踏ませるために高い靴買うとか、心の底からやめてください、ほんとに」
「どこまでも丁寧……………」
未那は項垂れて、カイトとの間に置かれた赤いピンヒールを見る。
確かに高かった。
適当な安物を買ったわけではない。きちんとした専門店で、足のサイズをこと細かに指定してつくってもらった、特注品だ。
もちろん、メイコは同伴していない。同伴していなくても、逐一サイズに困ることはない――兄が妹に、ロイドを譲渡しようと考える由縁だ。
「……………頭を踏ませるために、買ったわけじゃないんです」
深く反省しつつ、未那は力無くつぶやく。
「ほんとは、こっちの……」
言いながら、未那は立ち上がるとクロゼットに行き、中から鮮やかな緋色のドレスを取り出した。
透けるサテン地を幾重にも重ね、スカートには細かくプリーツを取った、ボリューム感と軽さを兼ね備えたフォーマルドレスだ。
「それ………」
カイトが言い差して、口を噤む。未那は頷いた。
「はい。今、つくってる最中です。仮縫いまで出来ましたから、あとちょっとです」
未那は服飾系の専門学校に通っていて、デザインから縫い上げまで、一通りの作業がこなせる。
その未那が、メイコのためにとつくっているのが、今取り出した鮮やかな緋色のドレスだった。
「このドレスと合わせて、メイコさんにプレゼントするつもりだったんです」
再びカイトの前に正座し、未那は膝に置いたドレスを撫でる。サイズは以下略。
「今、調声中のうたが、きちんとお披露目出来るレベルにまでなったら…………このドレスと、ヒールをプレゼントして、それを着てうたうメイコさんを動画にして、皆さんにご視聴いただくつもりだったんです」
「………未那ちゃん…………」
メイコに狂って譲り受けたものの、未那はボーカロイドに関しては初心者だ。そもそもがデザイン畑の人間で、音楽に関しては聴く以外の興味もなかった。
それでも、ボーカロイドを譲り受けたからには、立派にうたわせたい。
大好きなメイコだから、思いきりうたわせてあげたい。
そう考えて、がんばっている最中なのだ。――実を結ぶ日は、そう近くはなさそうなのだが。
「だったら、なんで…」
わずかに表情を和らげて訊いたカイトに、未那はこっくんと頷いた。
「ヒールを見ていたら、踏まれたい欲求を抑えられませんでした」
「……………………未那ちゃん…………………」
良くも悪くも欲求に素直なのが、未那だった。
今度はカイトが悄然と項垂れ、いくつになっても欲望を抑えることなく、真っ正直に生きる「妹」に頭を抱える。
だが、カイトが言葉を見つけるより先に、部屋の扉が勢いよく開かれた。
「だったら早くそう言いなさいよ!」
「っめーちゃん?!」
「メイコさん!」
昼ドラ鑑賞中のはずのメイコだ。
メイコはずかずかと部屋に入って来ると、瞳を見張る未那を、胸を反らして睥睨した。
「ほら、マスター!ぼやぼやしない!あんたほんっきで機械音痴なんだから、暇があるなら全部の時間をあたしのために注ぎなさいよ!あたしのために使う時間だったら、いくらでも付き合ってあげるんだから!」
「めーこさぁああああ…」
「ヘンな声上げない!」
「いだっ」
感激に潤んだ声を上げかけた未那の頭を、メイコは軽く払う。悲鳴を上げても、未那はうれしそうだ。
無邪気に笑み崩れる未那に、メイコも笑う。
「ほら、さっさとしなさい!」
「はいです!」
未那は立ち上がり、ドレスをクローゼットに戻す。
いそいそと調声の準備に入った未那と、それを愉しげに眺めるメイコを見やり、カイトは肩を落とした。
「…………結局めーちゃんは、未那ちゃんに甘いんだから」
「なにか言った?!」
「なんにも言ってません!」
きりっと睨まれ、カイトは背筋を正す。ぴょこんと跳ねるように立ち上がってから、首を傾げた。
「…………がくぽに会いたくなったかも」
仲の良いふたりにあてられたらしい。
ぼそりとつぶやくと、もう一度未那とメイコを見て、ふんわりと微笑んで部屋から出て行った。
「ほら、マスター」
「はいです」
調声のためには、専用のソフトの入ったパソコンとメイコを、ケーブルで繋ぐ必要がある。
髪を掻き上げて、首の後ろにあるジャックポッドを晒したメイコに、未那はケーブルを構えた。
「………………」
「マスター?」
そのまま凝固する未那に、メイコは振り向くと訝しげな視線を送る。
息を詰めていた未那の顔が、みるみるうちに赤く染まり上がった。
「め、メイコさんのうなじ……………後れ毛………………ったまりませ…………っっっ!!」
喘ぎあえぎ告げられる内容に、メイコはきりきりと眉間に皺を寄せた。
「あんたって子は…………!!」
「め、メイコさんの穴に…………い、いれちゃうなんて………っはぁはぁはぁはぁはぁ!!」
「いっつもいっつも、馴れもせずに……………!そこで止まっちゃうから、いつまで経ってもまともに調声出来るようにならないんでしょうが、この駄マスターがっっっっ!!!」
――機械音痴とかデザイン専攻とか関係ないところで、メイコがまともにうたえるようになる日は、遠いらしい。