原罪値探究者が築く現在地
愛くるしい顔がなおのこと愛くるしく笑って、がくぽにフォークを差し出す。
「はい、がくぽ。あーん」
「あ」
「ぇへへ」
素直に開いた口に、トマトとフレッシュチーズが差しこまれる。もぐもぐと咀嚼している間に、カイトは自分にも同じものをつまんで口に入れ、顔を綻ばせた。
「おいしーね、がくぽ」
「ああ」
「じゃあ次ね。はい、あーん」
「あ」
カイトがベイクドポテトを差し出し、がくぽはやはり素直に口を開いた。
差しこまれて咀嚼する間にカイトが同じものをつまみ、うれしそうに笑う。背後に咲く花の効果も相俟って、笑顔の輝きはすでに奇跡レベルだ。
今朝の食事は、庭の四阿で摂っている。
といっても、夜型の貴族の生活は、朝が遅い。民衆ならばすでに昼と呼ぶ刻限に、朝と昼を兼ねた食事を摂るのが普通だ。
そういうわけで、外での食事にもちょうどいい陽気で、花もまさに見ごろだった。
爽やかでありながら甘い花の香りが辺りを満たして気持ちよく、テーブルに並べられた料理はどれもこれも美味い。
それも道理で、カイトの屋敷で働くコックは女王自ら選任した、いわば王宮お墨付きの料理自慢だ。
いや、子爵家の屋敷がそもそも、カイトのためにと女王が誂えたものなら、下男下女のひとりに至るまで、すべての使用人までもが、女王がカイトのためにと、自ら選任した人間ばかりだった。
国中の崇敬を集める女王にそこまで骨を折らせるカイトは世間的には、女王のもっとも気に入りの「情人」だ。
だがその肝心の「情人」は、一介の騎士に過ぎないがくぽに夢中で、耽溺中だった。
裏の顔としてカイトは、完璧を謳われる女王施政の唯一の瑕疵、決して捕まらない盗人、「怪盗始音」として暗躍している。
そしてある日、盗まれたハートを取り返すため、という意味不明な理由でがくぽを「盗み出し」、屋敷に連れ帰った。
以後。
がくぽは食事のときに、フォークもナイフも持ったことがない。下手をすると、グラスすら持たない。
すべてカイトが食べさせ、飲ませるからだ。
それだけでなく、カイトは屋敷にいる間は、なにくれとなくがくぽの面倒を見た。服の着せ替えもしたがるし、盗んで来て以降、屋敷に半ば軟禁状態のがくぽが退屈しないようにと本を読んでやったり、ゲームに付き合ったり。
最初は、まるで赤ん坊にでもするような扱いに抵抗があったがくぽだったが。
「ね、おいしいでしょ。もっと食べようね、がくぽ」
「相変わらず病気ね、貴方」
花の笑顔で言うカイトにがくぽが応えるより早く、冷たい声が割り入る。カイトの妹のひとり、ルカだ。
貴族によってそこはまちまちだが、カイト・ヴォーク・ア・ロイド子爵家の場合、食事はがくぽと妹たちを含めて、「家族」四人でいっしょに摂るのが通例だった。
つまり現在、ここにはがくぽとカイトだけでなく、ふたりの妹、ルカとミクもいる。
がくぽとカイトの向かいに並んで座るルカとミクの表情は、対照的だ。
ルカが呆れを隠しもしない醒めた顔なら、ミクは昼間から夢見る少女の、ぼんやりと緩んだ笑顔。
どちらがカイトの妹らしいかというと、だれもが躊躇いもなくミクを差す。
「そんな図体のでかい男なんか甘やかして、なにが愉しいのかさっぱりわからないわ。かわいげの欠片もないっていうのに」
「なに言ってるの、ルカちゃん」
つけつけと言う妹に、カイトはとろりと蕩けた笑顔を浮かべる。
「俺がなんのためにがくぽのこと、盗んで来たと思ってるの?身近に置いて、べったべったに甘やかして、ぐずぐずのどろどろのダメ人間にして、俺がいないと夜も日も明けない体にするために、盗んで来たんだよ?まだまだこんなの、序の口でしょ」
あらゆる意味で駄目な計画をうっとり語る兄に、ルカは瞳を眇めた。傍らで平然と、己の駄目人間化計画を聞いているがくぽを睨む。
「貴方、仮にも清廉を謳う騎士でしょう。なにか言いたいことはないの?」
がくぽは頷いた。
「カイトの望みだからな。俺は駄目になる気満々だ」
「お似合いのふたりだわね!!」
迷いも躊躇いもなく言い切ったがくぽに、ルカは吐き捨てる。そのルカの目の前に、フォークが差し出された。
「ルカちゃん、ルカちゃん、ミクもミクもぉ。はい、あーんして」
甘い声でさえずるミクは、おにぃちゃん子だった。おにぃちゃんが大好きな彼女は、おにぃちゃんが見せるいいところも悪いところもすべて、真似したがる。
生ハムとルッコラが乗せられたフォークをわずかに瞠目して見つめてから、ルカは兄たちに向けていた渋面を一転、やわらかく微笑むと口を開いた。
「あーん」
「ぅふふ、あーん」
ミクは至極満足そうに、ルカの口にフォークを差しこむ。
「ね、ルカちゃん。次はなに食べたい?」
「そうね…」
ルカは瞳を細めて、ミクを見つめる。
妹たちが自分たちの世界をつくって腐す気がなくなったことを確認して、カイトは改めてがくぽを見つめた。
微笑んで、フォークを振る。
「ね、がくぽ。次はなに食べたい?好きなもの、なんでも食べさせて上げる」
「カイト」
「ん?」
呼ばれて、カイトは微笑んだまま首を傾げる。
そのカイトを見据え、がくぽはくり返した。
「『カイト』だ。おまえが食いたい」
「………も、がくぽ………」
わずかに瞳を見張ってから、カイトは笑み崩れる。ナイフとフォークを繰って、大きなソーセージを一口サイズにすると、一切れをフォークに取り、がくぽの口元に差し出した。
上目遣いで顔を覗きこみ、いたずらっぽい色を閃かせる。
「だめ。今はごはん中なんだから、ごはんを食べるの。いっぱい食べさせてぶよぶよに太らせて、自力では移動もままならない体にしたいんだから」
「…」
がくぽは眉をひそめて、くちびるを引き結ぶ。
別に、ぶよぶよに太って云々はどうでもいい。カイトの望みが、がくぽを究極に駄目にして自分に隷属させることだとわかったときから、抵抗する気は失せている。
カイトの望みを叶えることが、がくぽの望みだからだ。
とはいえ失せてはいても、ひとつ、諦めきれないことがあった。
未だに、カイトの体を開かせてもらえていないことだ。
がくぽの「世話」の一環として、カイトは相変わらず、がくぽのものを舐めしゃぶる。最近はすこぶる上達して、愛らしさで補填する必要もなくなった。
ないが、口とそこはまた、全然別物なのだ。
その快楽を知ればこそ、体を開きたいと痛烈に望むのに、相変わらずの「待て」。
「…………おまえがいないと夜も日も明けない体にするのだろう。肝心のところを開かないで、どうする」
「もー…………」
そっぽを向いて吐き出したがくぽに、カイトはため息をつく。それでもその顔は、陶然と微笑んだままだ。
がくぽがこうして我が儘を吐くことが、カイトにとってはこれ以上ない悦楽らしい。
「その話はごはんのあと。ごはんのときは、ちゃんとごはんを食べて?」
「…」
宥めるように言われて、がくぽはくちびるを引き結んだ。
最近は欲求不満が募り過ぎて、それ以外のことを考えられない時間が多い。それはそれである意味、カイトの望むとおりの駄目人間だ。
別にいいが、納得いかない。俺を全部上げると言って、盗み出したくせに。
すっかり拗ねたがくぽに、カイトはフォークに刺したソーセージを振って、少しだけ首を傾げた。
それからフォークを自分の口元に運び、ソーセージを咥える。
「ん、ぁくほ、ぁい」
「…っ」
く、と突き出されたくちびるに、がくぽは思わず目を向け、ごくりと唾を飲みこんだ。
「ぁーん」
誘われて、がくぽは口を開くとソーセージを咥えた。口の中に入れついでに、カイトのくちびるが触れる。
ちゅ、と高い音を立てて離れたくちびるを眺めながら、がくぽは口の中のソーセージを咀嚼した。香草の具合といい、肉汁の加減といい、コックはいい仕事をしている。
カイトは至極満足そうに頷いて、料理の並ぶテーブルを眺めた。
「がくぽ、こっちの食べ方のほうがいい?だったら、今度からこうしよっか。それとも、っわきゃっ」
突如がくぽに抱え上げられて、カイトは小さく悲鳴を上げた。抱え上げられた体は、乱暴に料理を跳ね除けたテーブルの上に、横たえられる。
器用な手が破ることなく上質な絹のシャツを肌蹴て、胸を開いた。
「ぁん、がくぽっ。ごはん中だって………ひぁっつめたっっ」
肌蹴た胸に、がくぽは無造作にフルーツ入りのヨーグルトをぶちまけ、カイトは身を縮ませて悲鳴を上げた。
悶える体は、騎士として鍛えたがくぽから見ればあまりに華奢で、力ない。
やすやすと押さえこむと、がくぽはぶちまけたヨーグルトに舌を這わせた。
「ぁ、あん、ひぁっ、ゃ………が、がくぽっ?」
「こっちの食い方がいい」
「ぁあんっ」
フルーツをつまむついでに肌に咬みつかれ、カイトは仰け反る。その体はほとんどがくぽに押さえこまれていて、大きく身悶えることも赦されない。
「ぁ、がくぽ……っ」
ヨーグルトを舐め啜るついでに、がくぽは殊更にカイトの肌も舐め上げていく。牙を立てられ、まさに「食べられている」といった感があった。
カイトの吐息が艶めき、頬から肌蹴られた胸まで、全身がほのかな紅色に染まり上がる。
「ぁ、ぁん………あ、っぉ、いし?がくぽ、ごはん、おい、し?」
絶え絶えに訊かれて、がくぽは汚れた口元をべろりと舐めた。顔を上げて、うっとりと見つめてくるカイトを見返す。
「美味い」
「ぁは……っ」
その瞬間にカイトが閃かせた笑みはこのうえなく幸福そうで、がくぽは言葉も失って、しばらく見惚れた。
カイトの手が自分の胸の上を彷徨い、ぶちまけられたヨーグルトを塗り拡げていく。
「ね、いっぱい食べて、ね?おなかいっぱい、食べてね………っ」
「…」
陶然と吐き出すカイトを見つめ、がくぽは舌舐めずりした。
このうえないご馳走が、目の前にある。
「がくぽ……」
「残らず食ってやる」
ささやくと、がくぽは顔を沈めた。
「あたくしたちがいるってことを、完全に忘れてるわね、この愚兄どもが」
自分たちの分の食事はきちんと確保しておいて、ルカはぶっすりとつぶやく。
「まったく、お行儀が悪いこと」
男に組み敷かれて舐め回られ、嬌声を上げる兄を横目に、つぶやく感想が醒めた声でのそれだけだ。
そのルカの袖が、くいくいと引かれた。
「ね、ルカちゃん、ルカちゃん……あれ、お行儀悪いの?やっちゃだめ?」
「…」
きらきらと無邪気に輝く瞳で訊かれ、ルカは言葉を探してくちびるを空転させた。
少女らしいまろやかな頬をうっすらと紅色に染めたミクは、無邪気そのものの笑みでルカを見つめながら、首元のリボンを解く。ブラウスのボタンに手を掛けながら、強請る色でルカに笑いかけた。
「ミクも………ね、おにぃちゃんみたいに、ごはんになりたい。ルカちゃん、ミクのこと、いっぱい食べて?」
ぬめるように白い肌が、露わにされていく。
ルカは生唾を飲みこむと、うっとりと微笑んだ。
「もちろん、残さず食べて上げるわ、あたくしのかわいい金糸雀さん」