カイトががくぽに望むことは、ひたすらに「駄目人間となること」だ。

究極の理想形としては、自力ではベッドから起き上がれないほどにぶよぶよと肥え太り、上から下からすべての世話を、カイトに頼まなければいけない状態だという。

「がくぽがね、ごはん食べるのでもおトイレするのでも、ぜぇえんぶ、『カイト!』って、俺のこと呼びつけて、『さっさとしろ!』って、めーれーしてくれるのがいーの。『愚図愚図するな、こののろま!』って怒鳴りつけながらね、でもでも、俺がいないとぜっったいに生きていけない体なの…………!!」

カイトは胸の前で手を組み、頬を紅潮させ、瞳をうるるんと潤ませて、熱っぽく語った。

がくぽの感想は、一言に尽きる。

愛らしい。

俗悪なる華族の悪逆たる家僕

理想へとひた走るカイトは、せっせとがくぽを甘やかす。少なくともがくぽはここ最近、自分でフォークとナイフを操って食事をしたこともないし、衣服の着せ替えもほぼほぼ任せきりだ。

あとは風呂とトイレと寝るところさえ任せれば、カイトの理想形には大分近くなるだろう。

カイトの理想の自分となることに特に異論がないがくぽは、ほとんど彼の言うなりだった。とはいえまだ、トイレを任せるのには微妙な抵抗があって、やらせていない。

だが風呂と寝るのを任せるのには、抵抗はない。むしろ是非にも任せたい。

しかしこちらの二点に関しては、カイトのほうに抵抗があった。

未だに、がくぽの前で服を脱がないカイトだ。

風呂となれば裸にならずにはおれないし、共寝をすれば、無防備なところで服を開かれるかもしれない。

主に体を見せたくない、という理由で、カイトは自分の理想形に自分で近づけないという、ジレンマに陥っていた。

「………っふっ」

がくぽは鋭い呼気を発して、剣を振るう。

相手がいるわけではないから、基本の型をさらっているだけだ。それでもその顔は真剣だったし、振るわれる剣は鋭く重い。

おまえの剣には、心がない。

騎士団で常々言われた、がくぽの剣技だ。

――誰のために振るっている剣なのか、誰のために振るいたい剣なのか、自分で自分が見定められていない。おまえはただ、教えられた型をなぞるだけの、人形だ。

そう叱られた。

厳しい評価だ。

だが、がくぽは大して衝撃を受けもせず、拗ねることもなく、発奮することもなかった。

その通りだと思っただけだ

騎士団に属するからには、その剣は王に、現在で言えば女王のために振るわれる。

もっと個人的な感情を言えば、たとえば恋人や、妻や、子供などといった、守りたい相手のために。

そうでなければ、理想とする、憧れの騎士の誰かに近づきたい、と願って。

がくぽには、そういった願いの一切がなかった。

そもそも騎士になったのが、家の慣例だったから。それだけだ。

辛うじて貴族を名乗る、小貴族である家は代々、男はすべて騎士となることが、暗黙のうちに決められていた。長子は言うに及ばず、次子も三子も、何番目であろうとも。

それ以外の道など認められていない家で、騎士になることだけを目標に生きてきた。特に理想とするものもなく、それが誇りとなることもなく。

厳しい父に反発したわけでもない。思慕の情もないが、父に対してなにか激情を抱いたことはない。

それ以外に特にやりたいこともなく、やれることもなく、だから道なりに歩いた。

それががくぽの騎士道というもの。

「っはっ」

振るう、剣に添うように、汗が飛ぶ。剣先は鋭く、大気を切り裂いて歪ませる。

背後に、カイトを想う。

振るう剣に、なにを思うこともなかった。恋人も、家族も、剣を下賜した女王のことも。ただ、振るえと命じられたなら、命じられたように振るうだけの剣。

今は、カイトを想う。

いつも夢見がちに、潤んでいる瞳。

甘く綻び、笑みを絶やさないくちびる。

掴めば折れそうな、細い手足。

組み伏せることの容易い、華奢な体。

その、がくぽと比べるとあまりに頼りない体で、王国を揺るがす希代の大犯罪者、怪盗始音などということをしている、彼の安否を。

ここまでずっと捕まらなかった以上、あんな頼りない体でも、それなりに体術を極めていると考えていいだろう。

だから、本当にはがくぽの助力など必要ないかもしれない。

けれど、思う。

守りたい。

盾となり、剣となり、彼の身命を守りたい、と。

思う剣は鋭さを増し、重さを増し、速さを加え、錬成されていく。

強く、つよく、素早く、強く、守るため、守り抜くために!

「あー、がくぽみっけぇ!」

「…」

甘い声が背後から響き、がくぽはぴたりと剣を止めた。荒い呼吸を意識しながら、静かにしずかに鎮めていく。

「もぉお、なんで剣の稽古なんてしてるのぉっそんなことしたら、体が引き締まっちゃうじゃん!」

「誰のせいだ」

非難の声を上げながら走り寄って来たのは、カイトだ。一応、眉をひそめてはいるが、その顔は楽しそうに笑っている。

がくぽは稽古用の剣を地面に刺し、上着を脱いで上半身を曝け出した。汗だくだ。

がくぽが剣を振るっていた裏庭の一角は、大木に囲まれて影が多く、比較的涼しい場所だ。それでも、これだけ身を入れて鍛錬していると、体中から汗が拭き出す。

普段着として与えられた絹ではなく、鍛錬用にと着ていた、木綿のシャツだ。いくらでも洗濯できる。

遠慮することなく、がくぽはそれをタオル代わりにして、体を拭いた。

「そんなにタイクツもうゲーム飽きた?」

「血が逸る」

「んえ?」

傍に来て身を屈め、ことさらに上目遣いで訊くカイトに、がくぽは吐き捨てた。

あやすような微笑みを浮かべているカイトを、じろりと睨み下ろす。

「誰かがいつまで経ってもヤらせてくれないからな。体が疼いて、遊戯ごときでは発散しきれない」

「発散しきれないって…………」

カイトは瞳を丸くして、がくぽを見上げる。屈んでいたのを元に戻すと――それでも、がくぽよりは大分小さい――、くちびるに指を当てた。

ややして、べろりと舌を出す。

「溜まってるなら、舐めて上げるって言ってるのに」

「…………おまえな」

閃いた舌に瞬間的に生唾を飲みこみ、それからがくぽはさらに苦い表情になる。

汗まみれになった上着を地面に放ると、カイトに正対した。身を屈め、顔を近づける。

「口とアレが比べものになるか。出せばいいというものではない」

「………」

欲に歪む顔で言われ、カイトはきょとんと瞳を瞬かせる。

べろりと出していた舌を引っ込めると、わずかに身を引いた。

「えっと……」

「おまえも男なら、わかれ。確かに口もいいが、アレとは比べものにならないだろうが」

「えっとぉ………」

カイトはさらに身を引く。気まずそうに瞳を伏せるのに、がくぽは容赦なく顔を近づけた。

「怖じ気たか」

「………………っていうかぁ」

責める言葉に、カイトはきょどきょどと落ち着かなげに瞳を移ろわせた。

「わかんないもん、そんなこと言われても………………口とアソコって、そんなに違うもの?」

「はっ?!」

問いに、がくぽは純粋に瞳を見張った。

なにを言っているのだろう、この子爵さま。仮にも、女王陛下の「情人」を務めながら。

それとも、女王ともなれば口になど咥えないから、感覚の違いがわからないとでも。

「カイト、おまえな」

「だってしたことないもんしたことないから、そんなこと言われても、違いなんかわかんないし………っ」

「………」

その「したことない」は、どういった意味での「したことない」なのか。

カイトは裏の噂でもってまことしやかに、女王もっとも気に入りの「情人」の地位を確立している。

実際、夜に出掛けていく回数も多いし、そのすべての夜に怪盗が跋扈していたわけでもないから、確かに女王の元に忍んでいるのだろうと、憶測するが。

「………………そんなに、ちがう?」

気弱な瞳に訊かれて、がくぽは眉をひそめた。

「違う」

「………」

言い切られて、カイトは瞳を揺らす。葛藤に揺れてその手が伸び、迫るがくぽを拒絶するように、裸の胸を押した。

「……っ」

「………カイト」

分厚い胸板に触れたカイトの顔が、一瞬で溶け崩れる。くちびるから、堪えきれない吐息がこぼれた。

「ぁ、がく、ぽ………ぉ」

「……っ」

熱っぽく呼びながら、蕩けたカイトの顔が近づく。伸びた舌が、手を追うように胸に触れ、漲る肌を舐めた。

「ん…………んん………っ」

「カイト………」

「ぅん………んちゅ………」

カイトの手ががくぽの背に回ってしがみつき、汗を掻いたことで塩味の増した肌を舐め辿る。

裸には剥かれないカイトだが、がくぽに対しては常に発情状態だった。容易い刺激で、すぐにそちらのほうへと飛んでしまう。

「んん…………ふぁ、んちゅ………ちゅ………」

「カイト…」

がくぽはごくりと生唾を飲みこみ、縋りつくカイトへと手を回す。手触りのいい絹の上から、その細い体を撫でさすった。

「ぁあ……ん………っゃん、ぁ、がくぽぉ………っ」

「っく………」

頽れそうになりながら、カイトはがくぽの胸に咬みつく。応えるのは、鍛え上げられた筋肉だ。

ぶよぶよに太って身動き取れない肉塊にしたい、と語るカイトだが、この逞しい筋肉に包まれることも嫌いではなかった。

いやむしろ、軽く触れるだけ、見るだけで、発情してしまう。

「ぁん………ぁあん………っ」

切なく啼く腰が、がくぽに擦りつけられる。布越しにもわかる、熱の感触。

がくぽはくちびるを舐め、カイトの下半身へと手を伸ばした。布の上から小ぶりな尻を撫で、掴んで割る。

「ぁあっ、んっ、ぁ、がくっ」

「いい子にしろよ……」

ほとんど祈りのようにつぶやき、がくぽは膝が笑って立てなくなったカイトを支える。わずかに体を開くと、ズボンのボタンへと手を伸ばした。

「今、楽にしてやる………」

「んくっ」

ささやきながら、くちびるを塞いだ。息継ぎの間もないほどに激しく蹂躙しながら、カイトの下半身を探る。

緊張のあまりに、指が震えた。何度も虚しくボタンを引っ掻き、そしてどうにか外すことに成功する。

よし!

心の中で快哉を叫んだ瞬間、おそらく油断が生まれた。

「ん、めっ!!だめ』、がくぽ!!」

「っぐっっっ!!」

慌ててくちびるをもぎ離したカイトの悲鳴に、体が固まる。防ぎきれなかった絶対命令、「コマンダー・ヴォイス」だ。

不自然に固まったがくぽの腕から飛び出し、ある程度距離を開けたところで、カイトは地面にへたりこむ。

「………あ、あっぶな…………」

「かー………いー………とー……………」

「あ、………えーっと……………」

怨讐がましいがくぽの声に、カイトは笑った。必殺、笑って誤魔化せだ。

愛らしい。

浮かぶ言葉はその一言に尽きて、けれどそう思えば思うほどに。

「えーっと…………………えとえと、その…………っく、口で…………」

気まずそうに瞳を伏せて、べろりと舌を出すカイトに、がくぽはきりきりと眉をひそめた。

カイトを守りたい。

この愛らしいの具象化を、具現化した愛らしいを、全身全霊でもって。

けれど、剣を振るう意味はそれだけではない。

強い精神が欲しい。

誰よりもなによりも、強い精神が。

「コマンダー・ヴォイス」に負けない、神代の英雄のごとき強さが。

「……………ねね、がくぽ………」

上目遣いで宥めるように見上げてくるカイトに、不自然に固まったままのがくぽは瞳を閉じた。

呪縛を解く方法は簡単だ。「だめ」と言われた行動を諦めればいい。

従うものには利かない、それが「コマンダー・ヴォイス」。

そろそろと息を吐きながら、「諦める」。

「っ」

呪縛が解けて、一瞬、地面に膝をつきそうになった。しかし寸でのところで堪えて、立ち上がる。

座り込んだままのカイトを無視して地面に刺した剣を取ると、鈍い光を見つめた。

「がくぽ」

「しばらく鍛錬を続ける。いやなら体を開け。開くまでは止めない」

「ぅぐっ」

葛藤して頭を抱えるカイトを背中にし、がくぽは腰を落として剣を構えた。