Dear My Brother-Part1
寝室として使う畳敷きの部屋に正座させられた→したがくぽは、生真面目な顔でこっくりと頷いた。
「話は分かった、カイト。そこを踏まえてひとつ、頼みがある。一寸、我のことを『おにぃちゃん』と呼んでみては貰えぬか」
「はっぁ?!」
「兄者?」
――話は分かったと言ったがくぽだが、求めたことはこれまでの流れから完全に分断している。発想元がまるで不明だ。
並んで正座させた→したがくぽとがくの前に仁王立ちしていたカイトは目を丸くし、隣に座っていたがくも、きょとりとした顔を兄へ向けた。
二人の反応にも、がくぽが怖気ることはない。生真面目というか、いつもの通り、端然としている。
そのまま、くり返した。
「『おにぃちゃん』だ、カイト。呼んでくれ」
「ちょっと……」
端然としてはいるが、頑として譲らない気迫がある。ついでに、なにか非常に熱心な気配もだ。
懇々たるお説教中だったカイトだ。
今の説教のどこをどう切り取った挙句の道草だと困惑しきりだし、だからお説教中だった。兄弟並べて懇々と。
毒か薬かもわからない道の草を食っている場合かという話だが、がくぽだ。『がくぽ』だ――一度言い出したら、聞かない。そこのところが解決するまで、頑として譲らないし動かない。
ので、今後のためにもきちんとお説教を沁み込ませたいなら、とりあえずいっしょに道の草を食ってやる必要がある。
だからといって、なにも食い尽くすまで付き合う必要はない。溺愛する嫁がひと口ふたくちお相伴してくれれば、大体が落ち着く。
「まったくもう、なんなんだ。ちゃんと僕の話を聞けってのに、このおばか!」
いい感じに割り切りがいいカイトは、時間を無駄にすることをしなかった。軽く罵倒を吐きこぼしただけで、それ以上ごねない。
どころか、仁王立ちしていたものからへちゃんと腰を落とし、がくぽの前に座る。背を撓め、殊更に下から覗きこむ形となり――
「理解しておらぬはずだが、理解に富んでおるな、嫁?!」
サービス精神旺盛としか言いようのない体勢となったカイトに、がくが震撼して叫ぶ。そのがくを、カイトはきろりと睨んだ。
「嫁呼ばわりするなって、いっつも言ってる、がくっ!まったく、おまえたちはほんとにちっとも、僕の話なんか聞かないんだから、おばか亭主どもが!」
――まあ、嫁呼ぶなと言うカイトが、嫁呼ばわりする兄弟を亭主呼ばわりだ。ここの抵抗については、つまり、一種の様式美的ななにかだ。
それはそれとして、がくぽであり、カイトだ。
様式美のお約束をこなしたカイトは再び、がくぽに向き直る。上目遣いで覗きこみ、小動物的なしぐさで、ちょこりと首を傾げた。
「おにぃちゃん?」
会心の一撃だった。
らしい。
「兄者っ?!」
「ぅっわあ、がくぽ………」
隣に座っていたがくと、お向かいのカイトが揃って仰け反る程度には、がくぽは悶えた。より正確に表現するなら、萌え悶えた。
まずは仰け反って拳を握り、なにかに快哉を宣言。次いで戻した体を突っ伏し、湧き上がり吹き出る激情にぷるぷると震え――
「………ん?」
カイトはここで、異変に気がついた。
がくぽはあまり感情表現が激しいほうではなく、ここまであからさまに――わかりやすく悶え回ることなど、ほとんどない。
対して、どちらかといえば素直に感情を露わとするのは、弟のがくだ。
が。
「兄者?いったい如何した?何事だ?」
――素直に困惑を表してはいるが、しかし『困惑』であって、がくは兄の萌えに同調していない。
同時起動の同型機が、がくぽとがくだ。だからといって思考の同期まではしていないのだが、やはり同型機といおうか、二人の思考経路や嗜好には通じるところが多かった。
ために謎の以心伝心を発揮しては、一卵性双生児ばりの阿吽の意見の一致を見ることが概ねなのだが――
どうやら今回、がくには兄の萌えポイントがさっぱり不明らしい。
がくぽがこれだけ自分を律せず悶えるのも珍しいが、そこまでの感情をがくが共有できない。
「………うーん。ほんとにおまえたちちゃんと、『兄弟』なんだなー」
兄弟の異変を観察し終わったカイトは、どこか感心したようにつぶやきつつ、胡坐を掻く姿勢に変えた。お説教中の厳しい表情から打って変わり、おもしろがる様子が窺える。
そこまでの余裕などないのが、がくだ。
がくにしても、兄がここまで反応するものに自分がまるで感興を覚えなかったことなど、経験がない。兄の言動すべてに同意できるわけでもないが、そうであっても、なにがどうでどう判断したという、思考の経路を追う程度のことはできた。
それが今回、まるで不明だ。
対して、いつもなら兄弟の萌えポイントへ胡乱な目を向けることの多いカイトのほうが、理解したように見える。
「どういうことだ、カイト?兄者と我が兄弟であると……」
「ん?や、だからさ。がくぽはおにぃちゃんで、がくはおとーとなんだなって。そういうこと」
「………」
カイトの説明では言葉足らずにも過ぎて、がくはまるで理解が及ばない。
途方に暮れたがくの縋る瞳は仔犬のそれにも似て、カイトはついうっかり、今のがくぽと同程度にときめいた。だからといって悶え回るようなことはしなかったが、どうしても表情は緩む。
甘やかす顔になりつつ、カイトは言葉を探して上目となった。
「んーと……『おにぃちゃんだからわかる感覚』ってこと。かな?僕は普段からがくががくぽのこと、いい加減な気持ちでおにぃちゃん扱いしてるんじゃないって、わかってたけど……うん。でもほんとにがくはおとーと意識で、がくぽはおにぃちゃん意識なんだなって、再認識した感じ」
「『兄』……だから、わかる………か………?」
言葉を割いてもやはり感覚的なカイトの説明を懸命に呑みこみ、がくは不安に揺らぐ瞳でがくぽを見た。
どうにか第一の衝撃から立ち直ったらしいがくぽは、多少乱れた様子ではあるが、いつもの端然とした雰囲気を取り戻している。
今となっても、がくにはがくぽの感覚が片鱗も掴めない。
自分の足場がひどく不安定にぐらついている感がある。
兄と自分は同時起動の同型機ではあっても別物だと、思っていた。否、思っていると『思っていた』。
が、同時に『兄と自分は同じものである』という意識も相当に強かったのだと、――それこそカイトの言いようだ、再認識した。
足場がぐらつく感は強いが、それはそれで新鮮な認識ではある。そしておそらく、今後に必要な。
「違うものなのだな、兄者と我とは……」
乗り出していた身を戻しながら、がくは小さくつぶやいた。胸に閊えたものを吐き出して、――
笑う。
「嫁相手だぞ、兄者?我は『ダンナ様』やら『アナタ』やらと呼ばれるほうが、余程にいいがなあ」
「うむ、弟よ。概ね同意はする。が……」
「ちょっと!嫁呼ぶなってか、そんなん、試しでも呼んだりなんかぜっっったいにしないからね、僕はっ!」
がくぽの応えを遮り、片膝を立てて身を乗り出したカイトが顔を真っ赤に染めて叫ぶ。
対して、がくは軽く頷いた。
「構わん。どうせ服を剥いてから強請れば、いくらでも聞く。今、急いて呼んでもらう必要は、むしろない」
「むぎ……っ!!」
――がくの言い方は、軽かった。とてもとても軽く、議論の余地もない当然の真実を述べたまでという感があった。
そして確かにそれは、反論の余地もない真実だった。カイトにとっては非常に手痛い。
「うむ、弟よ。概ね同意はする。が……」
「こんっっっの、おばか亭主どもぉおおおっっ!!」
またしてもがくぽの応えを遮ったカイトは、勢いよく立ち上がった。だんと足を踏み鳴らし、仁王立ちとなる。
「嫁呼ぶなっていっつも言ってるのにまるで聞きやしないし、だいったいにして、おまえたちはっっ!!」
――ひとは手痛い真実を突かれると、逆上するものだ。そもそもカイトは兄弟並べて正座させ、お説教をしている最中だった。
うっかり道の草を食べ過ぎて忘れられかけていたものが、より以上の燃料とともに再開された。
かわいい嫁からの怒涛のお説教を浴びつつ、がくぽはちらりと隣の弟を見た。自分が迂闊につついてしまったヤブから呼ばれて飛び出てきたものに、目を丸くしている。
「概ね同意はするが、弟よ……男には胸の内に仕舞って、おいそれと言うべきではないことというのも、あるな……」