ろんぎぬすぬけいろーん
遊戯室の本棚の前にぺたんと座り、ひとりきりで絵本を読んでいたがくぽだが、ふっと顔を上げた。
その動きにほんのわずかに遅れて、保育士の明るい声が響く。
「おはよー、カイトくん!今日も元気げんきー?!」
園の端から端にいても響くと評判の、元気いっぱいな保育士の声を聞きながら、がくぽは絵本を閉じた。きちんと元の棚に戻すと、くるりと振り返り、とててっと走って玄関まで行く。
玄関には声の主である保育士と、母親、そして登園してきたばかりで、まだ上着も脱いでいないカイトがいた。
朝の活気に溢れた園の玄関で、カイトの周囲だけは空気が緩んでやわらかい。
カイトは朝に弱い子供だ。常におっとりほわんとしているが、この時間は寝惚けまじりで、なおさらにほわわんと空気を和ませている。
そのカイトに、がくぽはぱたたっと駆け寄った。
「おはよう、カイトくん!」
「ん、ぁ………おはよ、ぁ………んんっ!」
寝惚けて反応の遅い挨拶を皆まで聞くことなく、がくぽはカイトの手を掴んで引っ張る。
体格差はそれほどではないが、がくぽはどちらかというと力が強い。ついでにカイトは寝惚けて、体がいわば蕩けている。
抵抗の間もなく、カイトは引っ張られるままにがくぽの後をついて行った。
「本当に、がくぽくんはカイトくんが好きねー!こうやって朝のお迎えから帰りにバイバイするまで、ずーっとああやって、手を引いて……」
「しっかりした子だから、うちの子がとろくて、見てられないんじゃないかしら」
「あらあ、カイトくんはとろいなんてこと………」
後ろでは保育士とカイトの母親が、がくぽとカイトの仲良し加減についての話に花を咲かせている。
どちらにしろ、概ね好意的だ。
気にすることなく、がくぽはカイトを遊戯室まで引っ張っていった。なかでも、おもちゃが積まれて人目につきにくい場所に連れ込む。
「んと、ぇと、ぁくぽ……」
微妙に目が覚めてきておどおどとするカイトに、がくぽはにっこりと満面の笑みを向けた。
「ぼくに、おはようのちゅうして、カイトくん」
「………んと」
「して」
「……………」
がくぽのにっこり笑顔は、元々の素地の良さも手伝って非常に愛らしい。
しかし醸し出す雰囲気と言葉に含まれる意志の強さは、並大抵のものではない。『お願い』ではなく、命令も同然だ。
しばし躊躇ったカイトだが、おっとりさんには逆らいようもない。
おずおずとがくぽに顔を寄せ、薄く色づいた頬にやわらかく、くちびるを押しつけた。
「ん」
ちゅっと音を立てて離れ、カイトは気弱な上目遣いでがくぽを窺う。
カイトの手を掴んだままのがくぽは、至極不満げだった。
威力のある瞳をわずかに尖らせ、カイトを睨む。
「カイトくん、ぼく、『ちゅうして』って、いったでしょ?『ちゅう』って、どこにするもの?ちゃんとちゅうして、カイトくん」
「ぅ………」
お願いではない。命令だ。
カイトはふわんと頬を染めて俯き、もじもじと躊躇った。そのカイトの手を、がくぽは多少、強く引く。
「して、カイトくん。ぼくに、おはようのちゅう」
「ぅ………っ」
カイトはおっとりさんだ。多少、気弱でもある。
こうして強く出られると、そうそう抵抗しきれない。
耳まで真っ赤に染まって躊躇っていたカイトだが、結局諦めた。がくぽは決して退いてくれないのだ。すでに身に沁みている。
「ん……」
「んっ」
甘い鼻声とともに、カイトはがくぽのくちびるにくちびるを寄せた。
ちゅくりと音を立てて、幼くやわらかなくちびる同士が触れ合う。
きゅっと一度押しつけてすぐに離れると、カイトは気弱な上目でおずおずと、がくぽを窺った。
「………ぉはよ、ぁくぽ」
ようやく吐き出せた挨拶に返って来たのは、ご機嫌麗しいことこのうえない、満面の笑みだった。どうやら今度は、ご満足いただけたらしい。
「ぉはよ、カイトくん」
「……ん」
ふわわんと、さらに朱に染まって俯いたカイトの手を、がくぽはぐいぐいと引っ張った。
「はやく着がえて、あそぼ、カイトくん!」
「ん……っ」
引っ張られるままについて行きつつ、カイトは掴まれた手をわずかに反した。掴まれるのではなく、手を繋ぐ形にする。
「きょうも、いっぱいあそぼうね、カイトくん!」
がくぽの手にさらにきゅっと力が込められて、カイトはようやくほんわりと微笑んだ。
「ん。あそぼ、ね」