辛抱強い――というより、鬼のような気配を漂わせたミトトシの圧力により、海斗が持つ『KAITO』それぞれの呼び名が判明した。
『カイ』と『イト』だ。
メッサリーナの帰郷-02-
「…………おまえのネーミングセンスのなさは、今さらどうこう言わないが、絵本作家………」
「かわいーじゃん!センスないの、みぃのほうだって、ぜったい!インテリメガネの理屈屋!」
「さて、宿無し。別室でゆっくりと話し合おうか………?」
どう考えても不穏な気配で、ミトトシと海斗はリビングから出て行った。
残されたのは、二人のKAITO――カイとイト、そして本来のこの家の住人であって、これ以上行く先がないがくぽだ。
面倒を任されたものの、がくぽには懸念があった。
KAITO二人の、キャラクターだ。
テンションの高さについていけないのは、いい。芸能特化型であるボーカロイドのテンションは一様に高く、冷静さを設定されているがくぽは完全に少数派だ。
慣れているから、合わせてはやれないが、一緒にいられないということはない。
問題はそこではなく――そうやって、テンションを高く見せている、相手だ。
こういった手合いは、マスターの前でこそ明るくおばかに振る舞いながら、一度その監視から外れると、キャラクターを豹変させることが多い。
面倒なのは、その二面性に付き合うことだ。
なによりも、いくら脳天気が売りのKAITOシリーズとはいえ、彼らのテンションの高さは異常だ。となれば、当然――
「………っ」
さてと腹を括って、がくぽは立ったまま、床にへちゃんと座る二人を見据えた。
どんなふうに悪魔化しようとも、マスターであるミトトシの生活を破壊させないように、がくぽが気を張らなければいけない。
「………ふ」
厳しく見据えるがくぽの前で、片割れ――イトのほうが、表情を失くした。
ぴくりと揺れて腹に力を込めたがくぽの前で、失われた表情がくしゃくしゃと歪み、その瞳からぼろぼろと大粒の涙が溢れ出す。
「ぁ、あ、いっちゃん!」
もう片割れ、カイと呼ばれたほうが慌てて腰を浮かせる。
しかし止めようもなく、イトのくちびるからは絶叫のような嗚咽が迸った。
「ぅ、っえ、ぇぁあああっ!!おう、おうち、おうちなくなっちゃった………っ!おうち、おうちがぁああっ!!なく、なくなっちゃったよぉおおおっ…………っっ」
「い、いっちゃん、いっちゃん………泣かないで、泣かないで………だいじょぶ、だいじょぶだから………僕がいっしょにいるでしょ?」
大粒の涙をこぼして幼子のように泣き喚くイトを、カイは慌てて胸に抱きしめ、懸命にあやす。
「ね、だいじょぶだから、いっちゃん………いっちゃん、おねがい…………」
「もぉ、マスターと暮らせないよぉお……っ、か、カイとも、みんな、はなればなれで………っ、おう、おうちない、みんなっ、みんなべつべつ………っぁああああっ、ぃやだぁああああっっ!」
「いっちゃん………っ」
構うことなく泣き喚くイトをさらにきつく抱きしめ、カイはおろおろと視線を彷徨わせた。
その瞳がひどく気弱にがくぽを見て、揺らぐ。
「………っ」
「っ!」
懇願するようでもある瞳に、がくぽは唐突に気がついた。
『怯えている』のは、がくぽではない。
カイのほうだ。
確かに一見、がくぽは愛想も悪く、とっつきにくい。彼らより背も高いし、わずかに筋肉のつきもいい。
力が強いのは圧倒的にがくぽで――それが神経質に、カイとイトを睨み下ろしているのだ。
「………あー……」
がくぽはわずかに反省した。
これまでの経験から、警戒が過ぎた。
彼らは二面性を持っているかもしれないが、それはがくぽが警戒したような方向ではない。
マスターの前では明るくおばかに振る舞い、その監視から外れたら――ようやく、泣くのだ。
悲しいと。
こわい、と。
「っぁああああっ、ぇぁあああああっ!!」
「いっちゃ………っっ」
泣き喚くイトを抱いていたカイが、びくりと竦む。
傍らに座ったがくぽは、竦まれても構うことなく手を伸ばし、カイの頭を撫でた。
「大丈夫だ」
「………っ」
怯えて揺らぐ瞳をしっかりと見つめて、がくぽは力強く、けれどできるだけ穏やかに告げた。
「マスターの態度が態度ゆえ、お主らには案じられるかもしれないが――あれでいて、ロイド保護官をやっている。情が強い男だ。困っているお主らを、ぽいと捨てたりはせん」
「………」
がくぽに撫でられながら、カイはイトを抱く腕に力を込める。
縋る瞳に、がくぽはやわらかな笑みを心がけながら、頷いてやった。
「お主ら三人でまた、住める家が見つかるまで、きちんとこの家に置いてくれる。でなくば、居間になど通さん」
「ほ……ほんと、に?」
おそるおそると、カイは訊く。がくぽはその華奢な体が揺らぐほど、多少乱暴にわしわしと頭を撫でてやった。
「ああ。家探しも手伝ってくれようし、顔も利く。必ずまた、三人で暮らせるようにしてくれる。それまでだとて、宿無しにしたりなどしないから――」
言っている途中で、がくぽは口を噤んだ。
カイの瞳がこれ以上なく潤むと、そこからぼろぼろと大粒の涙がこぼれだしたのだ。
「ぅ………っぇ、ひ…………っ、ひぃ…………っぇ、ぇぅ………っ」
「………よしよし」
イトのように、大声で泣き喚くことはない。あくまでも静かに、カイは泣き濡れた。
未だに泣き喚いているイトを抱きながら、縋りつくように身を寄せてくるカイに、がくぽはくちびるを綻ばせる。きちんと受け止めて、イトごとカイを抱きしめてやった。
異常なまでに高いテンションだと、警戒した。しかしあれはもしかして、突然の火事に焼け出された不安と動揺を押し隠すための、懸命の道化だったのかもしれない。
悪いことをしたと思う分だけ、がくぽはカイを抱く腕に力を込める。
その腕が、ふと緩んだ。
「ぴゃぁあっ!」
カイの胸に抱かれていた、イトだ。
周囲など知るものかとばかりに泣き喚いていたのだが、自分をあやしてくれている片割れも泣いていることに、ようやく気がついたらしい。
「ぁ、あっ、カイ、カイ………っぅぁわぁあっ、カイ、カイが泣いてっ……っ」
驚きのあまりに、涙も止まったらしい。
イトは腕の中から抜け出すと、真っ赤に泣き腫らした顔でおろおろわたわたと、カイとがくぽを見比べる。
どうやらイトの振る舞いは『わがままっ子』だからというより、単純に片割れよりも感情表現が激しいだけのことらしい。
同じKAITOシリーズとはいえ、家族構成や役割分担、諸々によって、性格や感情表現に多少の差が出てくる。
理解が及んだことで、がくぽはくちびるを綻ばせたまま、イトの頭も撫でてやった。
「……お主が怖かったように、片割れも怖かったのだ。泣かせてやれ」
「ぁ、あ……!か、カイっ!カイ、ごめんねっ?!おればっか泣いて、ごめんねっ!カイだってこわいし、悲しいよね?!」
「ひ………っぅ、ぇくっ………ぇくっ………」
おろおろしながら謝るイトにも、カイはがくぽの胸の中から嗚咽で応えるだけだ。
なんとか顔を向けて笑ってみせようとするが、すぐに涙に歪む。
がくぽはカイの背中をやわらかに叩き、またもや瞳を潤ませたイトの頭を乱暴に撫でた。
「お主も………っ」
――まだ泣き足りないなら、胸を貸そう。
がくぽの言葉は、言葉にならなかった。
イトが口づけたからだ。カイのくちびるに。