静かに嗚咽をこぼすカイに、イトはちゅっちゅと、触れるだけのかわいらしい口づけをくり返す。

それが、涙を啜っているというのなら、まだわかる。KAITOシリーズには、デフォルトで挨拶のキスの習慣があるからだ。オンオフ設定は選べるが、大抵のマスターが面白がって、オン設定にしておく。

だからイトがキス魔でも、おかしいことはない――が、あくまでも『挨拶の』キスならば、だ。

くちびるにするキスは、挨拶ではない。

メッサリーナの帰郷-03-

「ん、カイ………カイ、ごめんね…ごめんね……ん、ね………?」

「ん………んふゎゃや………んんふ………」

カイも抵抗しない。がくぽの胸に抱かれたまま、ほろほろと涙をこぼしつつキスを受けて、甘い声を上げている。

そう、甘い。蕩けるように、熱を含んで甘い。

「一寸待たんかっ、己らっ!!」

「んわっ?!」

撫でていた手で一転、がしっと頭を掴んでカイから引き離したがくぽに、イトは小さな悲鳴を上げた。

「なにゆえキスだ?!」

「なんで?!」

衝撃のあまりにうまく文にならなかったがくぽに、イトこそ驚いたように叫び返した。

「泣いてるカイには、ちゅっちゅしてあげるだろ?!ちゅっちゅしてあげなきゃ、カイがかわいそうじゃん!」

「意味不明だ!」

当然と叫ぶイトの理屈はもちろん、がくぽにはまったく理解不能だった。

涙を舐め取ってやるくらいまでなら、理解も及ぶ。しかしやっているのは、口へのキスだ。

慰めるにしても、なにかが違う。なにかが行き過ぎている。

しかもさらにいやんなことに、二人はまったく同じ顔、同じ体、同じ機種――

「いいか、イト。いきなり不躾に呼び捨てるが、一寸聞け。男同士だろう、お主ら。いくら慰めるでも、なにをそうピンポイントに、口だけを攻める?!」

「なに言ってんのっ?!」

激情を堪えて懸命に言い聞かせたがくぽに、こちらは堪え性の欠片もなく、イトは叫んだ。

「泣いてるカイに、ちゅっちゅしたらだめだって言うのっ?!泣いてんだよ、カイが!!なのに、ちゅっちゅしてあげたら、だめなのっ?!」

「いや、キスしたいならすればいいが、聞けっ場所が問題だと」

「か、カイが泣いてんだよ!!カイが、泣いてんのに………っっ!!」

常識を説き聞かせようとするがくぽに対し、イトは顔を真っ赤にしてぶるぶると震えた。

「み、見損なったっ、神威がくぽっ!!い、いまちょっと、いーやつかもとか思ったのに、みそこなったっっ!!カイが泣いてんのに、すっごいかわいそうなのに、ちゅっちゅするななんて!!」

涙に潤む声で叫ばれて、がくぽは思わずカイを抱く腕に力を込めた。半ば縋るような感覚だ。

がくぽの着物を掴むカイの手にも力が込められ、がなり合う二人ををおろおろと見比べる。しかしどうやら涙腺が締められなくなったらしく、元凶である涙を未だにぼろぼろとこぼしている。

「待て、イト………っ、おそらく、なにか話が。俺が言いたいのはただ、己がするなという」

動揺に思考を空転させたがくぽが吐き出した言葉に、イトの瞳からまたもやぼろりと涙が溢れた。

「カイが泣いてんだぞっ、神威がくぽっお、おれがちゅっちゅするのだめなら、神威がくぽがしてあげろよっ!!」

「飛躍した!!」

さらなる事態の悪化に震撼して叫んだがくぽに構わず、イトは拳を握り締め、かわいそうな相方を思ってぼろぼろと涙をこぼす。

「か、カイが泣いてんのにぃ………っ、か、かわいそぉなのにぃ………っ、ちゅ、ちゅっちゅしてあげなきゃ、かわいそぅぉおお…………っっ」

「い、いっちゃんっ……ひっ、ぇぅうっ、ふゃぁあん…………っ」

「ぁああぁああ………っ」

泣き喚くイトに釣られて、カイの泣き声も激しくなる。

もはやまったく、理屈が不明だった。理解不能も極まっている。完全に手に余る事態だ。

がくぽは、これまでついぞなかったというほどに、追い込まれた。

そもそも、自分の不安を堪えて片割れを慰めていた、健気で可憐な心映えのカイを抱いている。

泣いているのは、素直にかわいそうだ。しかしもうひとつ言うと、とても好みだ。アレ的に。

そこにもってきて、意味不明な責め方をした挙句に、泣きじゃくるイトだ。

自分に理があるとは思うが――片割れのことを思いやっているのは、間違いない。方向性がおかしいが、いや、おかしいからこそ。

とても残念なことに、自覚していなかったが、がくぽは『おばかちゃん』が大好きだった。

なんでもいいわけではない。こうやってちょっぴり感性がずれてしまった挙句に、結局『おばかちゃん』になってしまう相手に、ときめいて仕方がないのだ。

それは一面、がくぽのマスター:ミトトシの好みの反映でもある――が。

あれやこれやが相俟って、がくぽは激しく追い込まれた。思考は高速で空転し、ネジが飛んだ。

「い、いっちゃん、わ、わがまま、め………っ、ぼく、ぼく、だいじょぶ、だからっひっ、ぇう……」

「っぇえいっ!」

自分も泣きながらも、懸命にイトを諌めようとしたカイの顎を、がくぽはがっしと掴んだ。

強引に自分へと向かせると、勢いよくくちびるを重ねる。

一瞬、呆然と瞳を見開いたカイだが、その表情はすぐに歪んだ。

「ん、ん……っんーっんんんっっ?!んーーーーーーーーーっっっ!!」

「ぁ、あれ、カイ………え、ちょ、か、神威がくぽ………?!」

カイの涙も止まったが、イトの涙も止まった。

力を込めて顎を掴まれ、開いたカイの口の中に、がくぽは舌を潜り込ませた。もちろん、単にべろんと突っ込んだだけではない。

べろべろちゅうちゅうと、衝撃に固まって無防備になりきった口の中を、それはそれは好きなように弄り回した。

「ん……………っふ、ん………………」

「か、カイ……………」

初めは呻いて抵抗していたカイだが、あまりにしつこく巧みなキスに、その体からは徐々に力が抜けていく。

見つめるイトは、呆然としていた。

確かに、カイにちゅっちゅしてやれと言った。言ったが――

「え………ええ…………ちが、…………なんか、なんかちが…………ええ?」

くちびるとくちびるが重なっている。ちゅうだ。

しかしなにかが違う。

イトにはなにと、はっきりは言えなかったが、そうではないとは、思う。自分が言った『ちゅっちゅ』とは、なにかが途轍もなく齟齬を起こして。

「っふはっ」

「は………………ぁ………」

感覚的にも実際的にもひどく長い時間を経て、ようやくがくぽはカイからくちびるを離した。

すっかりだれんと力の抜けたカイは、茫洋と瞳を移ろわせ、

「んきゅぅ」

伸びた。

「ぁ、ぁわぁああ………っ、カイ…………っっ!!」

イトはがたぶると震え、ちゅうでカイをノックアウトしたがくぽを恐ろしげに見る。

そのがくぽのほうは、濡れたくちびるをべろりと舐めた。経験したことのない恐怖に怯え震えるイトを、ぎろりと睨む。

「次は己だな」

「ひっ?!え、ぅえ?!え、え………っひぁっ!!」

腰の抜けたイトが、逃げる暇もない。

丁寧だが素早く、伸びたカイを床に下ろしたがくぽは、イトを力ずくで抱き込んだ。

そして以下略。

「っっ」

「ぁ……………はぁ…………っ」

しばらくしてくちびるが離れると、イトもまた、完全に体から力が抜けていた。

震えながら呆然と喘ぎ、その首がかくんと落ちて、

「きゅぅう………っ」

――伸びた。

二人のKAITOをキスでノックアウトしたがくぽも、緊張の糸が切れてがっくりと力が抜け、床に手をつく。

それでもどうにか虚ろな顔を上げると、リビングの照明を睨みつけ、つぶやいた。

「勝った」

――なにかが、果てしなく違う。