「てか、おなかすいたー。ごはーんー」
ひとしきり自分のロイドと遊んだ海斗は、頭を抱える借り宿主従にまったく構うことなく、脳天気な声を上げた。
メッサリーナの帰郷-07-
健康的な人間らしい主張だ。現金とも言う。
ここは他人の家だ。そこに海斗は、ロイド二人を連れて深夜に突然、押しかけてきたのだ。
ミトトシはさらに眉間の皺を深くして懸命にため息を飲みこみ、コンマ以下数秒で頭を切り替えた。
残念なことに、海斗のこういうキャラクタには慣れているのだ。
「とりあえず、二十分ほど待て。それから、――カイとイト、でしたか?」
海斗には冷たく言ったが、そのロイドに対してはミトトシの声はがらりと変わって、やわらかみを持った。
「二人も、おなかが空いたでしょう?ちょっとだけ待ってくださいね。簡単なものですが、朝ごはんを作りますから」
『マスター』は遠慮知らずで図々しかったが、そのロイドたちはまだ少し、行儀や礼儀というものを弁えていた。
やさしい声音ながらもきびきびと言うミトトシへ、がくぽの着物を掴んでいるのとは反対の手を挙げる。
「っあ、僕っ、ごはん作れますっ!作りますっ!!」
「おれもおれもっ!意外にじょうずっ!まかせてっ!」
「自分で意外と言うな」
がくぽはツッコミつつ、はいはいはいと手を挙げて主張するカイとイトの頭を撫でた。
主張されたミトトシといえばひどく胡乱な表情となり、のへんと座り込んでいるだけの海斗を見下ろす。
「おまえは?」
短いながらも鋭く問われて、海斗もまた、元気よく手を挙げた。
「あー、うんっ!はいっ!俺はねーっ、なんでもおいしく食べるっ!!ぁたっ!!」
「ロイドを家政婦にするんじゃないっ!!」
ミトトシの叫びも、もっともだ。
好物が茄子であるために、がくぽのシリーズには初期段階から、ある程度の調理機能が設定されている。しかしKAITOシリーズは本来、料理が出来ない。
出来るということは、わざわざ苦労して学習したということ――学習する必要があったということだ。
「あ、あのっ!マスターねっ、僕たちが失敗してもなんでも、ぜんぶ残さないで食べてくれるよっ!!ぜったいに怒んないで、『おいしーよ』って、いっつも褒めてくれて、なでなでしてくれてっ」
「んでもおれたち、マスターに失敗したのばっか食べさせたくないから、ほんっとに『おいしい』って、いってほしーから、すっごいがんばったら、すっごいうまくなったんだよ!」
泣きそうな顔で身を乗り出し、懸命に言い募るカイとイトに、ミトトシは殺しきれずにため息を吐いた。
ロイドだ――それはもう、『マスター』が好きだ。多少の欠陥はものともせず。
ため息とともに蟠るものを吐き出すと、ミトトシは瞳を潤ませる二人へやわらかく笑いかけた。
「申し出はありがたいですが、私が作ります」
「「っ」」
びくんと震えて腰を落とし、カイはがくぽへ身を寄せる。イトはさらに身を乗り出したが、着物を掴む手には力が込められた。
そんな健気な二人へ、ミトトシはやわらかな微笑みとともに、軽く首を傾げてみせる。
「初めて使う台所は、勝手がわからなくて大変でしょう?今朝は時間がありませんから、私が作ります。でも、夕飯――いえ、お昼からは、あなたたちが作ってください。それまでに台所探検をして、なにがどこにあるか、きちんと把握してから」
「ぁ………っ」
「ん……っ」
目をまん丸にして、カイとイトは顔を見合わせた。その顔が二つとも、すぐにへにゃんと笑い崩れる。
「楽しみにしていますから、よろしくお願いします」
笑顔で押したミトトシに、カイとイトもようやく、心からにっこりと笑い返した。
「うんっ!おいしーもの、作りますっ!」
「まかせろっ!楽しみにしててっ!」
ミトトシへと満面の笑みを向けたカイとイトは、口元を綻ばせたがくぽへも笑いかけ――さらに、ぎゅううっと抱きついた。
「懐かれましたねえ………」
呆れたようにつぶやくミトトシを、海斗が無邪気に見上げる。
「おっきーからじゃない?」
「おまえはちょっと黙れ」
あまりに惚けた言葉にミトトシは渋面で、海斗の頭をわしゃわしゃと掻き混ぜた。
さらにいろいろ説教したいことはあるが、とりあえずは朝食だ。
やんちゃな仔猫のように擦りつくカイとイトに潰され気味な己のロイドを見ると、ミトトシは軽く眉をひそめた。
「では、私はごはんを作ってきますが………がくぽ。おまえ、ちょっと来なさい」
「ああ。あー………」
「ん………」
「んーっ…」
わずかに不満そうなカイとイトだったが、どうしてもがくぽがいないと厭だとまでは言い張らなかった。
一度ぎゅっとしがみついてから、がくぽが拍子抜けし、かえって寂しくなるほどにあっさりと離れる。
意外な空虚感にしばし呆然としてから、がくぽはのっそりと立ち上がった。ミトトシとともに、リビングから出る。
「………落ち着きましたね」
「あ?………そうだな。ずいぶんと」
リビングを出てキッチンへと向かいながら問われたのは、カイとイトの状態だ。これを確かめたいからこそ、ミトトシはわざわざがくぽをリビングから連れ出したのだ。
がくぽの心理分析能力に、ミトトシは高い信頼を置いていた。
警戒心が強く、他人を寄せつけない態度を取ることの多いがくぽだ。しかしそれは、ひどく繊細に他人のことを観察し、状態を分析しているからこその特性とも言える。
ましてや、相手がカイとイト――自分と同じロイドともなれば。
「昨日はまだ無理があったが、おそらく今日は、ほとんどいつも通りだろう。回復力が高い――いや、精神面の基幹部分の安定度が、もともと高いのだと思う。微妙なところもあるが、マスターとの関係が健全で良好な証だ」
「なるほど。ありがとうございます」
答えたがくぽに、ミトトシは素直に頷いた。それから、いつもきりりと上げている眉尻をわずかに下げる。
「すみませんが、しばらくあの三人を、この家に置こうかと思うのですが――」
「構わん」
皆まで言われるより先に、がくぽは頷いた。
キッチンの扉に手をかけながら振り返ったマスターへ、翳りなく笑いかける。
「姦しいが、不快ではない。どちらかと言えば、好い。マスターの知己だろう?困っているなら、力となるに吝かではない」
「………まあ、知己っちゃ知己ですけどね………」
ぶつぶつとこぼされたつぶやきには知らぬふりをして、がくぽは笑っていた。
キッチンに入ったミトトシはエプロンを掛けつつ、そんながくぽを振り返る。
「そういうことでしたら、すみませんが、おまえは風呂の支度をお願いできますか」
「風呂か?」
きょとんと瞳を瞬かせたがくぽに、ミトトシは『客人』のいるリビング方面へ顎をしゃくった。
「昨日、海斗には寝る前に風呂を使わせましたが………あの子たちは寝てしまったから、使っていないでしょう」
「ああ、まあ………」
頷き、がくぽもリビングのほうへと顔を向けた。
深夜ではあったが、二人ともきちんと服を着ていた。なんだかんだでそのまま寝かせてしまったが、風呂に入る前に焼け出された可能性もある。
そのうえ言われて思い返せば、多少、煤がついて黒ずんだところもあったような。
汚れを落とせば気分が良くなるのは、人間もロイドも変わらない。
「どの程度の火事だったのかはわかりませんが、服に煤がつく程度の煙には撒かれたようです。風呂を使わせてやって煙の臭いを落とさせてあげれば、さらにもう少し、気分がよくなると思います」
「そうだな。なら…………ば」
自分が考えたことと同じことを正確に言葉にしたミトトシに、がくぽも納得して頷く。
しかし早速風呂の支度に行こうと踵を返したところで、止まった。ひどく胡乱げに、ミトトシを振り返る。
そんなふうに見られる謂れがわからない。
朝食を作り出そうとしていたミトトシはこちらも、訝しげにがくぽを見返した。
「…………なんです?」
「昨日、寝る前に、風呂を使ったのだよな?」
「ええ。……………っ」
素直に頷いてから、ミトトシは眉間を押さえた。胡乱さを隠しもしないがくぽに、ため息をこぼす。
「――きちんと風呂掃除はしました。おまえに頼みたいのは、綺麗な浴槽に湯を溜めて、彼ら用に新しいタオルを出し、当座の着替えを用意してやることです」
「ならばいい」
あっさりと頷き、がくぽは身を翻した。
凛と伸びた背を見送り、ミトトシはカウンタに凭れて、しばし天を仰いでいた。