大学から帰って来たがくぽを迎えたのは、満面の笑みで旅行鞄を携えたカイトだった。
「あ、がくぽー、おかえりっ!突然だけど俺、実家に帰らせていただきます☆」
ふらっしゃー☆はにー
カイトのくちびるが尖り、ふぅううっと、臓腑のすべてまで出て来そうな、深いため息がこぼれる。
「あのさ、がくぽ………俺の言えた義理じゃないかもだけど、……………言葉もなく即行で倒れるとか、どうなの?理由を訊くとか引き留めるとか、倒れたらなんにも出来ないでしょ?ほんと君って、肝心のとこでツメが甘いっていうか、残念っていうかなんていうか………」
選びきれない言葉を、愛情やその他諸々から懸命に選ぶカイトだが、表情は悩ましい。
床に転がったまま、そんなカイトに膝枕されて悪夢に呻いていたがくぽだが、幽鬼のごとき様相でのっそりと起き上がった。膝枕のために正座していたカイトの前に、自らも正座する。
ぴんと背筋を伸ばすと、いけない方向への覚悟を固めた目で、呆れ顔のカイトを見据えた。
「カイト、もしも俺を捨てると言うなら………捨てると、言うなら………っっ!!」
「ああ………はいはいはい、がくぽ………」
――いけない方向への覚悟は言葉にもならず、代わりにがくぽの瞳からは滝のような涙が、滂沱とこぼれ落ちた。
カイトを見つめる目は逸らさないものの、がくぽは言葉もなく、ひたすらだぼだぼどぼどぼと涙を流し続ける。
頭痛を堪えるように眉間を押さえてから、カイトは運よく手近にあったティッシュを取り、がくぽの鼻に当てた。
「つまり、俺が悪かったんでしょ?俺の言い方が!謝るから、ちょっとほら、ちーんして。ちーーーん!ほんと君って残念わんこで、手が掛かって、ちょっとも目が離せないんだから!」
「カイト………っ」
ぴすぴすぴすと鼻を鳴らし、がくぽはカイトを見つめ続ける。
垂れる洟と涙を拭ってやったカイトは、汚れたティッシュをごみ箱へと華麗にシュートし、肩を竦めた。
「おばぁちゃんから電話があってさ。おじぃちゃんが入院したっていうから、お見舞い行こうと思ったの」
「見舞い………っ」
最愛の『ハニー』から三行半を突きつけられたわけではなく、いわゆる単純な『里帰り』だと理解したがくぽの表情は一瞬輝き、すぐさま複雑に歪んだ。
カイトに捨てられるわけではないのは、よかった。めでたい。
が、カイトの祖父が入院したというのは、よくないことだ。ここで『めでたい』と、歓ぶのは幾重にもまずい。しかしだがしかかし。
複雑に入り乱れる感情から百面相のようになっていたがくぽだが、幸か不幸か、カイトは見ていなかった。
窓の外へ、細めた目を向ける――遥か遠い異国の地から、故郷に残してきたひとびとが見えるかのように。
「おじぃちゃん、あんまり飲めないひとなのにさ………おばぁちゃんが言うには、この間の結婚式の写真見た直後に、ヤケ酒かっ食らって、急性アル中で病院に運ばれたって。これはさすがに、俺にも責任あるなと思って……」
「ちょっと待て、カイト!この間の結婚式の、………け、っこん、しきの、しゃしんっっ?!」
しんみりとこぼされたカイトの慚愧の言葉に、がくぽは別の意味で衝撃を受け、声を裏返した。
カイトが祖父母に送りそうな、心当たりのある『結婚式の写真』といえば、がくぽとカイトの。
ごく最近執り行われた、新郎がくぽと、『新婦』カイトの――ご近所のおばぁちゃんたちが張り切って手作りしてくれた、純白のタキシードに身を包んだがくぽと、同じく純白のウェディングドレス姿の――
老齢も極まれる、カイトの祖父母にその写真を、送ったのか。
あまりに恐ろしくてはっきり訊けないがくぽへ、カイトはちらりと横目を流すと、苦く笑った。
「やっぱりさ?事後報告の写真だけで、式に招待しなかったのが、ショックだったかな……。外国への長旅はきついだろうと思って、招待しなかったんだけど――一生に一度の、孫の晴れ姿だもん。ナマで見たいよねえ………」