アルレッキーノの恋人
「なぜ起きる」
「は?」
パジャマの上を羽織っただけのしどけない姿で寝室から出て来たカイトは、キッチンに立つがくぽの第一声に面食らった顔で足を止めた。きょとんぱちくりと戸惑いつつ、顔を巡らせて確認するのが時計だ。
九時半だ――夜ではない。朝だ。
確かに今日は休みの日だが早起きとは言えないし、なぜ起きるもなにもない。はずだが。
「んーと……」
カイトは首を傾げかしげ、キッチンとの境であるカウンタに向かうと、そこに立ったまま肘をついた。真正面から相対するようなことはせず、殊更に背を撓めた上目遣いで、不機嫌な顔の情人を窺う。
いつもだとぐずって、もとい甘ったれて、休日の朝でもなかなか起きようとしないのが、がくぽだ。それが今日は、むしろカイトをベッドに置き去りで、先に起きた。
ちなみに昨夜は、だから今日が休日であるため普段以上に、いわばとても熱い時間を過ごした二人だ。結果諸々、がくぽの方がカイトより余程遅くに寝ることとなった。
だというのにがくぽは、カイトより先に起きて着替えも済ませ、しかも腕まくりしてエプロンまでつけてと、気合い十全――
「まあ、なんか、やりたかったことは予想がつくんだけど。とっても」
「ぁあ?」
ぼそりとつぶやいたカイトに、がくぽは威嚇する声を上げた。声だけでなく、目つきも悪い。少なくとも、溺愛する相手に向ける代物とはとても言えない。
が、同時に、ミネラルウォーターを注いだコップもカイトの前に置かれる。
カイトが求めたわけではない。警戒し、威嚇しつつも、起き抜けという以上の理由でハスキーさに磨きをかけている恋人の咽喉を、がくぽが思いやって――
ちゃぷりとしずくを跳ねさせた冷たいそれをひと口含んでから、カイトはさらに背を撓め、ほとんどカウンターに頭を預けるような姿勢となった。殊更に下から目線だ。
さらには困り顔をつくると、ちょっぴり耳を赤くしているダーリンを見上げる。
「あのさ、がくぽ?世の中にさ、たとえ休みの日の朝っても、ダンナさんに起こされるまで起きなくて怒られる奥さんは、多くってもさ?ダンナさんに起こされずに起きたからって、『なんで起きるんだ』って怒られる奥さんってのは、結構、特殊なケースじゃないかな?しかも『起きた』ってもやっぱり、ダンナさんよりはずっと遅いわけだしー?」
「やかましい」
幼児に道理を言い聞かせるように諄々と説くカイトに、がくぽは拗ねた風情でぷいと横を向く。
そんな『ダンナさん』のゴキゲンナナメな反応にも構うことはなく、『奥さん』は飄々と続けた。
「そのうえさ?そーじして洗濯して朝ごはん作って、家事全部終わらせてから、万全の態勢で奥さんを起こしたかったのにっていうんで、怒るダンナさんってのはさあ、がくぽ」
「っっ!」
ある意味非常に容赦なく『企み』のすべてを暴かれ、がくぽはびしりと固まった。
ほのかに染まっていた耳が火を噴いたように赤くなり、朱は耳だけでなくうなじから頬から全身へと――
極まった羞恥からの涙目でぎろりと睨む負けわんこダーリンに、跳ねるように体を起こしたカイトは高らかに笑った。
「さいこぉ!だいすき、がくぽっ!」
情人への愛おしさが溢れて堪らず叫びながら、カイトは素早く腕を伸ばす。長く垂れるがくぽの髪をわっしと掴むと、遠慮も加減もなく力いっぱい引っ張って顔を寄せた。
抗議の声を上げようとしたくちびるを、勢いまま、ぱくりと塞ぐ。
「俺、シャワー浴びてくるからっ!出てきたら朝ごはんで、よろんっ☆」
がくぽが我に返る前に、カイトは一瞬で離れた。
カウンタからも軽い足取りで離れると、ぷちゅっと投げキッスを飛ばしてバスルームへ消える。扉越しに、ダーリンダーリンと愛を呼びかける、ゴキゲンなうたまで響いて来た。
どうやら余程に、ダンナさんの行動がお気に召したらしい――
呆然と見送ったがくぽのくちびるが、ふっと笑みを刻んだ。わずかに濡れるそこを、ちろりと舐める。
少しばかり惜しい気もするが、どのみち今日は休日だ。これからいくらでも、挽回のしようはある――
「まあ、今度こそ、な」
つぶやいたがくぽは腕まくりのしぐさで気合いを入れ直すと、中断していた朝食作りを再開した。