「あ、あの、ねっ、がくぽ!」
「………」
「ぁの………っ」
プシューケー、クピドー語りて曰く-03-
無言のままの背中について行って、辿りついたのはがくぽの部屋だ。一瞬、どうしようか迷ったカイトだが、言葉もないままきろりと睨まれ、大人しく入った。
散らかってはいないがどこか雑然として、生活感溢れるカイトの部屋とは違う。がくぽの部屋はがらんとして、物がない。
部屋に備えつけの収納の中に、きっちりすべてを片付けているだけなのだが、つまり片付け方もきっちりだ。
収納を開けても雑然としたところはなく、すべてが四角四面に収まっている。
がくぽ不在のとき、この部屋に入ることがカイトは嫌いだ。冷たく、拒絶されている気がして落ち着かない。畳の感触もやさしく、窓からの光も十分だというのに――
反対に、がくぽがいるときに入るのは、好きだ。がくぽ一人がいるだけで、同じ部屋が息を吹き返し、なんとも言えない温かみを感じる。
それはたとえば今のように、部屋の主であるがくぽが不機嫌を極めていたとしてもだ。
収納の中に仕事用の鞄を放り込んだがくぽは、カイトの目を気にすることもなく着物を脱ぐと、部屋着である甚平に着替えた。
ちなみに洋装も薦められたがくぽだが、部屋着としてはこちらのほうが楽だと、家の中では甚平か浴衣かを愛用している。
「ぁの、えと………お仕事、おつかれさまっ!大変だった?!」
「………」
めげかけながらも懸命に笑って話を振ったカイトに、がくぽは無情な沈黙を返した。まったくの無視ではない。視線だけは恨みがましく、拗ねきってカイトに流した。
しかしすぐに顔を背けると、畳にどっかりと胡坐を掻いて座る。どんなしぐさも優雅にこなすがくぽだが、不機嫌さの加減を表して、座る動作は常になく乱暴だった。
おろおろしながら傍らに座ったカイトは、ほんのりと背を撓める。覗き込むような姿勢になると、媚びる上目遣いでがくぽを見た。
「ね、がくぽ………疲れた?よ、ね………ね。ね………いつもみたいに、ひざまくら、する?ごろんして、いいよ?頭いっぱい、なでなでしてあげるし………」
「好きなひとって、誰。なんのこと?!」
「ぅ、ぁ………っ」
懸命に言い募るカイトに、がくぽは吐き捨てるように問う。言葉に詰まるカイトをきろりと睨むと、怒りに染まる美貌をずいっと近づけた。
「カイトの好きなひとって、誰?なんのこと?どういうこと?」
「ぁ、あ、えと………っ」
「俺に言えないような相手なの?どうして教えてくれない?どうして俺だけ内緒で仲間外れなんだ?メイコやミクには話したくせに、俺だけ!それ以前に俺以外にカイトの好きなひとって、どういうことだよ!」
「ちが……ぁの、………っっ」
低く抑えた声で口早に問い詰められ、カイトは喘ぎながら仰け反った。辛うじて意味は追えるが、なぜといって、がくぽが結局は同じことしか言っていないからだ。
教えろと。
秘密など赦さないと。
そうとは迫られても、もはやますますもって、言うことが難しい状況になっていた。案の定でがくぽが誤解していると、芬々に知れるからだ。
メイコが意図したまま、話していたのはカイトの好きな相手――いわば『恋する相手』のことだと。
話していたのは、がくぽのことだ。他所の『がくぽ』ではなく、『うちのがくぽ』。カイトのがくぽのことだ。カイトの大好きなだいすきな、がくぽの。
外ではしっかり者で人気者の、キラキラ王子様ながくぽが、カイトと二人きりだと一転、ちょっと困ってしまうくらいに甘えん坊さんになって、かわいくて堪らないと。
暑くなっても変わらず、大きな体でべたべたと甘えてきてくれることが、うれしくて仕様がないと。
訊かれたときにすぐ言っていればまだ、良かったのかもしれない。メイコが意味深な言葉を吐く前に、いつものカイトの明るいノリで、『がくぽのヒミツ、しゃべっちゃった☆』とでも言っていれば、まだ。
一瞬は不快に思うかもしれないが、がくぽだ。几帳面で融通が利かないように見えて、実は鷹揚で、やさしい。
カイトがごめんなさいと、もう言わないと、きちんと謝ったらきっと、赦してくれただろう。
今になればそうと思うが、すべては遅い。
「ぁ………の」
「……………言えないの?言わないの?どうして?どうしても?」
「………っ」
厳しく問い詰められて、カイトはとうとう堪え切れず、がくぽから目を逸らして俯いた。きゅっとくちびるを噛むと、震える拳を隠すようにきつく握りしめる。
小さくなってぷるぷると怯えながらも全身で抵抗するカイトを、がくぽは胡乱に眺めた。上から下から隈なく眺めて、くちびるが歪む。
「そう」
「っ」
素っ気なく吐き出すと体を起こし、ふいっと横を向いた。胡坐を掻いた足に肘をつき、顎を乗せて完全に拗ねた姿勢となる。
ぱっと顔を上げたカイトは、潤む瞳でがくぽを見た。明後日な方を向いているがくぽの気配は頑なで、はっきり言えば怒っている。
そうだろうと、カイトも思う。
家族内で仲間外れにされるほど、嫌なことはないし――なによりがくぽは、カイトにだけはべったりとした甘ったれになる。
だからといってがくぽが頭のよいことに変わりはないし、しっかり者であることも同じだ。
甘やかしてくれる相手に秘密があるとなれば、気に食わない以上に落ち着かない。自分はこのまま甘えていていいのかもわからないし、遠慮も出る。
甘えるに甘えられない。
「………っ」
どうしようと、カイトはおろおろしながら思考を空転させた。
おかしな誤解をされて、甘えてもらえなくなるのは嫌だ。けれどこのままではやはり、がくぽは甘えてくれなくなってしまう。
鷹揚でやさしいがくぽだが、今は頑なだ。拗ねきって、もっと言うなら怒っている。
たとえばがくぽが仕事などで嫌な思いをして、拗ねていたり怒っていたなら、慰めるのはカイトの得意とするところだ。苦もなく当たられもするし、よしよしと慰撫してもやる。
しかし今日、がくぽの不機嫌の原因はカイトで、カイトが内緒を持っていることだ。がくぽひとりだけを仲間外れにして、秘密を教えてくれないこと。
言えばいい。
――のは、わかる、が。
「ん、ぅ………ぐすっ!」
空転の挙句に思考が詰まり、二進も三進も行かなくなったカイトは、堪え切れずに洟を啜った。ぴくりとがくぽの肩が揺れ、逸らされていた視線がほのかに流れて固まる。
カイトは気がつくことなく、ひたすらにぷるぷると震え、詰まった思考をなおも空転させた。
それでも、言う決心がつかない。
こともここまでこじれれば、どうしてがくぽの話をしていた程度のことを隠したのか、裏側を読まれそうだ。裏などないが、きっとあるに違いないと、勘繰られる。
時間を置けば置くほど事態はまずい方向に行くが、決心はつかない――
「んく………っ」
「畜生」
嗚咽を飲みこむカイトに、がくぽは聞こえないほどの声で吐き出した。苛立ちのままに、きれいに結い上げた髪をがしがしと掻き混ぜ、結い紐に指を引っかけてさらに苛立ちを募らせ、乱暴に解く。
長い髪がばらりと落ちて散り、光の粒をまき散らしたように見えた。
「がくぽ」
「かわいいは正義だ。そうだろう、カイト?」
こんなときでも思わず見惚れかけたカイトを睨み、がくぽは低く問う。問われても、カイトには意味不明で答えようがない。
確かによく言われることだが、どういう状況を経て今、がくぽが口にしたのかまったくわからないのだ。
「がくぽ……」
困ったように瞳を瞬かせるだけのカイトに、がくぽはずいっと身を乗り出してきた。ただし上から大上段に構えるのではなく、背を撓め、殊更に下の方からカイトを覗き込む。
「かわいいは正義だ。そうだね?言って、カイト」
「えと、………」
「言って、カイト」
求められ、カイトは困惑してちょこりと首を傾げた。見据える瞳は強く、簡単には逃がしてくれる気配ではない。
結局カイトは、首を傾げながらも口を開いた。
「かわい、い、……は、……正義」
「そう」
つっかえつっかえ言ったカイトに、がくぽは生真面目なしぐさでこっくりと頷いた。瞳の色が和み、嘆願を宿して気弱にカイトを見つめる。
「もういい。訊かない。言わない。カイトがそんなに言いたくないことなら、もう訊かない。言えなんて言わない。だから、カイト。嫌いにならないで?俺のこと、嫌いにならないで……お願い」
「がくぽ」
――どうやら自分が逡巡している間に、がくぽのほうが折れてしまったらしい。
察して、カイトは瞳を見張った。常に清明な光を宿して力強く輝く瞳が、怯えと媚びを含んでゆらゆら揺らぐさまに、さらに衝撃が強まる。
カイトと二人きりのときにだけ見せる、とびっきりに甘えた顔だ。甘えながらも今日は、嫌われるかもしれないと、嫌わないでくれと、懇願を含んで弱々しい。
殊更に下のほうから覗き込んで来るのは、いわば犬の降参ポーズだ。怒る飼い主に、いいこにするから、いいこにしてるから、赦してと――
がくぽがそう、下手に出なければいけない理由など、ない。
「カイト、おねがい………」
ぽすんと、がくぽはカイトの胸に頭を預ける。けれどいつものように、痛いほどに強く押して擦りついて来ない。
「………っっ」
これまでになく、カイトは罪悪感に突き上げられた。
くだらないことを考えて、――挙句、がくぽを傷つけた。
傷つけて、なのに謝らせた。
「あ、のねっ、がくぽっ!ぁの………っ、あのっ!ね?ほんと………ほんと、は、ね………そんな、そんな、すごい、話じゃ、ないのっ!なんか、言いづらくなっちゃったから、………あの、こんな、ことに、なっちゃったけどっ!」
「………カイト?っぶっ!」
諸々の感情に圧されて閊える咽喉を、懸命に押して言葉を紡ぐカイトに、がくぽは顔を上げようとした。カイトはその頭をきつく抱きしめ、胸に埋める。
男だ。女性とは違うから、やわらかな肉はない。カイトはどちらかといえば華奢な造りで、埋めれば骨が当たって痛いだろうと、気持ちよくはないだろうと思う。
思ってもますますきつく抱きしめて、カイトはぎゅうっと目を閉じた。叫ぶように、言葉を吐き出す。
「がくぽの、話………してた、だけなのっ!」